Tale.10 新たな相棒と遠い背中
アダーラに帰ってきた翌日は、疲れが溜まっていたのか昼ごろまで寝てしまった。
前日の夜までクインシーと語り合っていたことも原因の一つかもしれない。
ぼーっとした頭を覚ますために冷たい水で顔を洗う。
タオルで拭きながら鏡を見ると、自分の顔にはしっかりと疲れが表れていた。
あらら、と小さく呟き、まだ寝息を立てているウェインを起こしに行った。
◇
外は眩しいくらいの晴天だった。
家の近くの市はいつも以上に活気付いている。今日は異国の商品も売られる日だからだ。
輸入された魚介類や果物なら普段でも売っているが、
一週間に一度、異国の骨董品や武器が売られる日がある。
丁度いい。大陸最西端に位置する国、レーゲンの武器は質が良い物が多いし、
新しい剣を探しに行くのには最適だ。
昼ごはんを済ませたら行くことにしよう。
市には露店が所狭しと並び、人々がそれを覗き込んでいる。
色鮮やかな鉱石が散りばめられた首飾りや髪留めが、
テントに開いた穴から差し込んだ日光を反射してきらきらと煌いている。
生憎エフィはそういった類の物に興味がある方ではないので、
露店の主と値段交渉に励んでいる婦人方を眺めながら目的の店を探した。
武器を取り扱っている店はいくつかあったが、
どれも戦闘用とは思えない装飾の施された短剣などがほとんどだった。
的が外れたかと思って踵を返そうとしたとき、一つの露店に目が留まった。
正確には露店の奥、店の主人が腰掛けている椅子の隣に無造作に置かれた剣だった。
柄には赤い輝きを放つ小さな石がはめ込まれているが、その割には全体的に薄汚れている。
鞘も少し埃にまみれているし、手入れが行き届いていないらしい。
だがどこか悠然とした雰囲気を醸し出しているそれに、エフィは思わず走り寄った。
「おじさん、その剣見せてくれない?」
「この剣か?」
「そう、それそれ」
力強く頷いて見せるが、立派な顎鬚をした露天の主人は困ったように微笑んだ。
「すまんな嬢ちゃん。これは売り物じゃないんだよ」
「そうなの?」
「ああ。少し前に買ってったお客さんが、抜けない剣などただのガラクタじゃないか、
って言って置いてった代物さ」
「へ?…抜けないの?」
思わず呆気に取られる。
やっぱり疲れているのか。抜けない剣に少しでも魅力を感じた自分が馬鹿みたいだ。
そう思っていると、店の主人は抜けない剣を手に取って赤い石をなでた。
「こいつ自身が本当の主にしか抜かれたくないと思ってるのかもしれないな」
エフィが落ち込んでいた顔を上げると、主人はにこりと笑う。
「こいつはレーゲンのある将軍の愛剣だったらしい。
こいつを片手に戦場を駆けるその将軍はまさに一騎当千。
国土内の広大な森から出現するモンスターたちも、
将軍に恐れをなして引っ込んだって言われるくらいな。
しかしいくら強かろうが所詮は人間。将軍もやがて年を取り、病を患ってこの世を去った。
以来家族は将軍の形見としてこの剣を大切にしていたらしいが、
彼が逝ってからというもののこいつは鞘から抜けなくなってしまった。
いくら遺品といっても抜けない剣はただの棒だ。
しかし抜けないことを除けばこいつは勇猛な将軍が使っていた偉大な剣。
売ればそれなりの金はなる。
将軍の孫か曾孫辺りの金に困った奴が売りに出し、今ここにある、ということだ」
語り終えた主人は長く息を吐くと、エフィに向けて剣を差し出した。
「抜いてみな」
エフィは主人と剣を何度か見比べ、恐る恐る剣を手に取った。
剣はずしりと重たかった。長さは前の相棒より少し長い程度だ。
赤い石がまるでエフィを見極めようとしているように煌いている。
意を決してエフィは柄を握った。右手で柄を、左手で鞘を握って力を込める。
しかし刃は鞘から顔を見せようとしない。どれだけ力を込めても剣は抜けなかった。
一旦力を抜き、大きく息を吐く。
やめとくかい、と言う主人に首を振り、エフィは再度力を込めた。
それでも剣は抜けない。
力を抜き息を吐いて、やがてエフィは思い至った。
この剣にはきっと意志がある。それなら自分の都合を押し付けるだけではだめだ。
ゆっくりと息を吐き、両手に力を込める。
―私はアナタの主人のような立派な人じゃない。けど、どうしても譲れない思いがある。
私の弟は強すぎる力を持ってるから、戦闘でもいつも私の前に立つ。
私はそれが嫌だ。
私は、弟の隣に立ちたい。隣で戦いたい。あの子だけに負担を背負わせたくない。
けど私はまだまだ未熟だ。勝てない相手だってたくさんいる。
だからどうか、私に力を貸して。
きん、と小さな音がする。柄と鞘の間から白い光が漏れていた。
両手を広げると、真っ白な刃が徐々に現れる。
やがて刃が完全に鞘から抜ける頃、主人がはっきりとした口調で、
「その剣の銘は、ミリオンレイズ。光と共にあり、光と共に歩む剣だ」
◇
新しい相棒を早速腰に挿し、エフィは意気揚々と家への帰り道を歩んだ。
市を通るついでに今日の分の買出しも済ませる。
丁度活きのいいアジが手に入ったので、今日は塩焼きにでもしよう。
鼻歌交じりにT字路を曲がると、自分の家の庭に見慣れた姿を見つけた。
若葉色の髪をゴムで軽く縛り、首には大粒の汗が伝っている。
着ている服は腕を隠せる薄手の長袖のものなのだが、汗で既にびしょびしょだ。
せっかくの休みだというのに生真面目というかなんというか。
小さく苦笑して声をかける。
「一人で自主トレー?」
「あぁ姉さん、お帰り」
「ただいま」
門扉を押し開けて庭に入ると、ウェインは傍のベンチに置いてあったタオルで汗を拭いた。
顔周りを一通り拭いた後、それを内輪代わりにして天を仰いだ。
「やること無かったから軽く、ね。
けどこんな雲一つない天気でやるもんじゃなかったよ。もう汗だく」
「ほんとにね。背中までびっしょりだよ」
「げっ」
「嘘じゃないからね」
慌てて背中を確認するウェインを見て笑い、エフィはドアを開けて家に入った。
慣れた手つきで買ってきた食料品を冷蔵庫に収納し、洗面所に行って顔を洗う。
それからいつも来ている部屋着に着替え、新しい相棒を手に庭に出た。
ウェインは数個の小石を手にエフィに背を向けていた。
石の一つを放り投げ、風を起こして空中に投げ上げる。
家の屋根の高さを軽く越えて飛んでいった小石が、
ウェインの起こした鎌鼬に切り刻まれる。
数秒後、ばらばらになった小石の破片が地面に当たって雨のように跳ねた。
剣を抱えて控えめに拍手する。
「命中精度また上がった?」
対するウェインは喜ぶこともなくそっけない口調で、
「全然。師匠に比べればまだまだだよ」
ウェインが言う師匠というのは、レーゲンにあるギルド【裁きの十字架】のマスターであり
シルフの『精霊の器』使いの女性、
マルヴィナ=スカイグレイのことだ。
数年前、自分の力を制御できるようになるために
マルヴィナのいるレーゲンに向かったウェインに同行したエフィは、
彼女の驚異的な攻撃命中精度に何度も度肝を抜かれた。
経験の差もあっただろうが、魔法戦ではウェインを余裕で圧倒したほどだ。
もっとも、心身共に成長した今のウェイン相手ではどうなるか分からないが。
「そういえば、剣見つかったみたいだね」
タオルを手に取りつつ、ウェインがエフィの腕に収まった剣を指差した。
あぁそうだった、と剣を抜いてみせる。
何の抵抗も無く剣は鞘から抜け、真っ白な刃が日光を反射した。
「…凄い剣だね、なんか」
「あ、分かる?」
「分かるっていうか…不思議な感じがする」
じっと剣を見つめてウェインが呟く。
やはり体内に魔力を宿すだけあって、こういった類のことには鼻が利くらしい。
剣を鞘に収めつつ、エフィは露店の主人に聞いた話を思い出した。
「100年くらい前の、レーゲンの将軍さんの愛剣だったらしいよ。
その人が亡くなってから鞘から抜けなくなってたらしいけど、
抜けたから露店のおじさんがタダでくれた」
「タダ!?…っていうか、鞘から抜けなかったってことは手入れも出来なかったんだよね?
それなのに綺麗っていうのが不思議だけど」
「まー不思議な力が宿ってるってことじゃないかなー」
「そんなアバウトでいいのかな…」
「いいのいいの。それよりさ」
再び抜剣して、エフィは剣を片手で正眼に構えた。
ウェインは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに不敵に目を細める。
「久々の魔法有り実戦形式試合だ。時間は無制限、どっちかが倒れるまでやるよ。
全力で行くから、ウェインも近所迷惑にならない程度に本気出してね」
「言われなくても、剣先向けられた時点で分かってるよ」
ウェインとぶつかり合うのは本当に久しぶりだった。
この頃はお互い別々の依頼を受けることが多かったし、今からを想像して心が踊る。
構えを取ったウェインに向かって、エフィは大きく一歩を踏み切った。
◇
休みが明け、エフィとウェインはいつもの服装に着替えてギルドに向かった。
まだ太陽は東に傾いている。
真上から日光が降り注いでくる前にギルドに着こうと、二人は足早に道路を歩いた。
やがて見えてきたギルドにほっとしつつ、
エフィは打ち身からくる痛みに小さく顔をしかめた。
それをあざとく見つけたウェインがわざとらしく顔を覗き込んでくる。
無性に腹が立ったので額にデコピンしてやると、小さく悲鳴をあげて引っ込んでいった。
打ち身の原因は一昨日の試合だった。
ウェインとの実力差が少しでも埋まったことを予想して挑んだのだが、
結果は見事なまでの返り討ち。
いくらギルドの実力者と言っても、魔法が使えるか使えないかでは大きな差になる。
エフィの剣はウェインに届く前に全て風で弾き返され、
慌てて距離を取ると今度は追い風が強制的に距離を詰めさせる。
最終的には暴風で地面に叩きつけられ、試合終了。
昼間に弟の隣に立ちたいと誓ったばかりだというのにそんなことになり、
色々複雑な思いを抱えて、差し出されたウェインの手を取った。
この話は絶対にアンセルに漏らしてはいけない。
また何を言われるか分かったもんじゃない。醜態をさらされるのはごめんだ。
ぶすっとしつつギルドのドアを開けると、いつもの活気溢れる声が飛んでくる。
アーヴィンに剣が見つかったことを報告していると、
隣にいたウェインが唐突に「げふっ!?」という蛙が潰れたような声を出した。
驚いて隣に見ると、クインシーがウェインの腹に見事なタックルをかましたことを悟った。
ウェインは腹を抱えてその場にうずくまっているが、
クインシーはきらきらと目を輝かせながらマシンガントークを始める。
「ウェイン兄ちゃん、ばかんすだってばかんす!
ラシオニアに行くんだって!海だよ海!魚もいっぱいいるよきっと!
ねーってば兄ちゃん!」
「シー、ちょっと待ってあげて。ウェイン死にかけてるから」
苦笑いしてウェインからクインシーを引き剥がす。
不満そうにぶーぶー言っていたが、
体力のないウェインのことも少しは考えてやってほしいものだ。
だが、話の内容が気になる。
「ところで、バカンスって?」
「よくぞ聞いてくれましたぁっ!」
椅子に座っていたシンシアが勢い良く立ち上がる。
ついでに椅子が勢いに負け、音を立てて倒れた。
シンシアは慌ててそれを立て直してから、仕切りなおすように咳払いする。
「こほん。とにかくよくぞ聞いてくれました!
実はマスターのご厚意で、ラシオニアにバカンスに行くことになったんだよ!」
「その話ほんとーっ!?」
聞きなれた甲高い声に、腹を抱えてうずくまっていたウェインも顔を上げる。
いつもどおりサイドテールを揺らしながら、フィリスが駆けてきた。
その後ろからモーゼ君が小走りについてくる。
興味津々に顔を覗かれ、シンシアの顔が一瞬引きつった。
「う、うん。ほんとだよ!
ラシオニアの綺麗なビーチの近くに泊まりに行くんだ。
エフィとウェイン、フィリス、モーゼ君、クインシー、アンセル、
あと私に、お目付け役としてルー姉が来てくれるって!」
「アタシはシェリルさんのお手伝いがあるから留守番してるねー」
ひらひらと手を振りながらケトラが笑う。
それだけ言うと、彼女はカウンターの奥へ戻っていった。
一緒に行けないのは残念だ。ケトラがいたら色々楽しいのに。
アンセルが一緒というのが少しアレだが。
そう考えていると、エフィの頭に大きな手が置かれた。
「ま、そういうことだ。この際だからみんなでうんと羽伸ばしてこい!」
気前のいい笑顔で親指を立てるナルセスに、
クインシーやフィリスから再び歓声が上がった。