Tale.9 騒がしいギルド
「ええっ!?エフィ姉の剣折れちゃったの!?」
ホテルに帰って一息つくなり、フィリスが発した第一声はそれだった。
ベッドの傍の壁には、抜けないように紐で括り付けられたエフィの剣が立て掛けてあった。
応急処置として包帯を頭やら腕やらに巻いてやっていると、
目の前のフィリスは不思議そうに自分の剣を見つめていた。
隠さないといけないものでもないし、正直に全て話した。
その結果が今の頓狂な声というわけだ。
フィリスの頭に巻かれた包帯の赤い染みが一気に広がる。
あーあ、とエフィは呆れた口調で半目になった。
「傷口開いてどうすんのさ」
「だってぇ…。エフィ姉があまりにもさらっと言うもんだから…」
しゅんとして大人しくなるフィリス。
血が滴りそうになったので、包帯をさらにもう一巻きしてやった。
エフィは今二段ベッドの下に座ってフィリスの手当てをしているのだが、
この部屋唯一の3人掛けソファでは、モーゼ君がウェインの応急処置をしている。
もっとも、ウェインの傷はフィリス程ひどいものではない。
ぶっちゃけ言えばかすり傷程度だし、消毒程度の治療だろう。
今回負った傷が多かったのは、あの二人より自分達女性陣である。
エフィはかすり傷に切り傷が少々、打ち身多数。
湯浴みでもすれば、体中に内出血が見つかるかも知れない。
そして問題は、自分ではなく目の前のフィリス。
ギルドに加入している時点で覚悟はしているだろうが、
年頃の女の子が顔に傷を負うのはそれなりに問題だ。
幸い傷は額の上側で、髪で隠せる位置だった。
万が一傷跡が残っても、これならまだましな方だろう。
「はい終了。傷口がちゃんと塞がるまでは大人しくしときなよ」
「はーい」
「私達と一緒に市に行くとかなしだから」
「はあ…ええっ!?」
「当たり前でしょ。それに大人しくしてろって今言ったばっか」
「うう…」
この元気娘に大人しくさせておく方が無理なのかもしれない。
いや、かもしれないではなく無理だ。
数日やそこらで無茶をし出すことだろう。
今からそれの阻止方法を考えなくてはいけない。
げんなりしつつ、何か飲みたいなと思い、エフィはベッドから降りた。
ホテルらしい小さめの冷蔵庫を開け、中を物色する。
冷えたお茶の入ったボトルが見つかったので、それを手に取りドアを閉めた。
その時、ノックも何もなく唐突に部屋のドアが勢い良く開かれた。
「あ、あのっ!皆さんがドゥーべ島から帰ってきたって聞いて!え、えと、えと!」
高い声に驚いて振り返ると、この上なくテンパっている後姿が目に入る。
わたわたと両手を振るのに合わせて黒のポニーテールが揺れる。
誰かは一発で分かるが、これは助け舟を出すべきだろうか。
「よー、ルル」
「ひゃん!」
後ろから肩に手を置くと、小動物のようにルルが跳ねる。
ロボットのようなカクカクした動きでルルが振り返った。
口は金魚のように開いたり閉じたりしているし、顔は真っ赤だ。
「とりあえず落ち着いて。深呼吸しよう。はいせーの…」
エフィの合図に合わせてルルが深呼吸する。
大きく息を吐き、ルルの視線がエフィとかち合う。
「あ、こんにちは…」
「はいこんにちは」
頭から煙が立ちそうな程に真っ赤になった顔を俯かせるルル。
にこやかに挨拶を返しながらエフィはボトルのキャップを開けて中身を一口飲んだ。
喉を滑る冷たいお茶を十分に堪能してからキャップを閉める。
こちらを向いたルルを改めて見ると、
その手には可愛らしいサイズの救急箱があった。
ははーん、とエフィは意地の悪い目でウェインに視線をやる。
即座にジト目による無言のツッコミが返ってくるが、
さらりと無視してルルに向き直った。
「わざわざ来てくれてありがとう。もう少ししたらラルフさんに報告に行くよ。
あとそれから…」
ウェインなら大丈夫だよと小声で耳打ちすると、ルルの肩が跳ねる。
軽く背中を押してやると、少しおどおどした様子でウェインに話しかける。
ウェインも楽しそうな笑顔で返しているし、とても微笑ましい。
ボトルを手にフィリスの座るベッドに戻る。
「あの二人、何かいい雰囲気じゃん」
「ほんとにね」
たった4年で人とは変わるものだ。
自分の陰に隠れて小さく震えていたのが懐かしく思える。
フィリスと顔を見合わせ、笑い合った。
「ま、昔を考えれば成長したよね、いろんな意味で」
◇
ラルフへの報告を済ませ、シモンの船に乗ってアダーラに帰ってきたのは、
次の日の昼ごろだった。
ひとまず自宅に帰って軽くシャワーを浴びた後、
今回のことを報告するために今度は【白い鷲】に向かった。
ギルドに近づくにつれてがやがやと騒がしい声が聞こえてくる。
約一週間ぶりのその声に自然と頬が緩む。
足も無意識に小走りになり、ドアに手を掛ける頃には全力疾走になっていた。
「ただいまーっ!」
「お、やっと帰ってきたなお前ら!」
最初に出迎えてくれたのは酒瓶を片手に持ったランダルだった。
隣の椅子にはルシールが腰掛けている。
「お帰り。大成功って顔してるけど、何なのかしらその傷は」
「あぁ、うん。色々あってさ」
「色々ねえ」
生返事をしてルシールは酒の入ったジョッキを呷る。
この二人、真昼間から酒を飲んで大丈夫なのだろうか。
少々呆れつつ、エフィはナルセスに歩み寄った。
いつも通りカウンターに腰掛けている我らがマスターに声を掛ける。
「ただいまマスター。海賊退治と【珊瑚の槍】からの依頼、両方無事に解決したよ」
「お疲れさん。それなりな怪我もしてきやがって」
「キマイラに襲われまして」
「…その程度で済んだだけマシか」
苦笑いを浮かべるナルセス。そしてその視線がエフィの腰に留まった。
訝しそうな目でナルセスがエフィに尋ねた。
「お前、その剣どうした?」
「折られちゃった」
「折られたぁ!?」
ガターン! と椅子を倒して立ち上がったのは、
聞き耳を立てていたらしいアーヴィンだった。
口をぱくぱくさせている彼の隣で、それと対称的にアンセルが腹を抱えて笑っている。
「だっせーの!このギルドの実力者の癖に何してんだよ!」
「骨だらけの戦場見てから言ってくれる!?足場も悪かったし、色々やりにくかったの!」
「何言おうが言い訳にしかならねーぜ!
どうせアンデッド相手にぎゃーぎゃー喚いてたんじゃないのかよ!」
「そこまで言うとはいい度胸だこのクソアンセル!
アンタを逝かせるのには素手で十分だ、表でろやオラァ!」
「ちょっ、帰ってきて早々何やってるんだよ二人とも!」
唐突に始まるしょうもない喧嘩。
このギルドの日常風景だし見ている分には面白いが、何分質が悪い。
ウェインが止めようと声を出したが、モーゼ君が肩に手を置いて制止する。
頬をつねったり髪の毛を引っ張ったり、足の脛を蹴ったり。
低レベルな喧嘩だが、巻き込まれれば無傷で帰ってくる保障はない。
すると、それまで無言だったアーヴィンがかっと目を見開いた。
「お前らいつまで喧嘩している!〔ピジョンブラッド〕が来るぞ!」
エフィとアンセルの拳が同時にぴたりと急停止する。
お互い渋々と拳を収め、今日の喧嘩も無事終結した。
フィリスがけらけらと笑う。
「やっぱりアーヴィンさんのアレが一番よく効くよね」
ピジョンブラッドは今から約500年前の伝説的人物だ。
エフィたち移民族と先住民が戦った北部侵略戦争で移民族達を苦しめた
先住民の男であり、その強さは〈雷狼〉と恐れられ今でも語り継がれている。
そしてその威力は、あの二人の喧嘩を一瞬で止めるほどである。
「まぁ〔ピジョンブラッド〕だしねぇ。
風と水を操ったって言うし、ご先祖さんはさぞ恐ろしかっただろうね」
いつの間にかフィリスの隣に立っていたシンシアが適当な口調で言う。
エフィもアンセルに向けて舌を出し、二人に近づいた。
そこに、カウンターから身を乗り出したこのギルドの看板娘、
ケトラがエフィに話しかけた。
「ねぇねぇ、剣折られたって本当?」
「本当だよ。見る?」
「見る見る!」
見ても何もないと思うけど、と内心思いつつエフィは紐を外して剣を抜いた。
柄の先に、申し訳程度に残った刃がギルドの照明の光を反射する。
シンシアとケトラが同時に剣を覗き込んだ。
「うわぁ、見事に折られたねー」
「これじゃあ修理しようもないじゃない。新しいの買いに行くの?」
「うん、時間あるときに探しに行くつもり」
無残な姿の剣を鞘に収めつつ、エフィは頷いた。
話を聞いていたらしく、ナルセスがエフィの肩に手を置いた。
「それなら、お前達は今日から二日間休め。
フィリスは元から怪我人だし、剣を探すならお前も時間が欲しいだろう」
「えっ、いいの!?」
「あぁ。優秀な相棒探して来い」
気前のいいナルセスに感謝しつつ、ウェインの所へ走る。
いつの間にか腰にクインシーを引っ付けている。少し暑そうだ。
「ウェイン、マスターが今日から二日休みくれるって」
「本当?」
「うん、この際だしゆっくり休もう。疲れてるでしょ?」
エフィの言葉に苦笑するウェイン。
「えっ、じゃあ今日はもう二人とも帰っちゃうの!?」
「そうだねぇ、早く休みたいし買出しにも行かなきゃなんないし」
どこか物足りなさそうな顔をするクインシーに、エフィとウェインは顔を見合わせた。
おそらくはウェインの話を聞きたかったのだろう。
想像して二人は微笑み会う。
「クインシー、家来る?日が暮れるまでまだ時間あるし」
「え、いいの!?」
顔を輝かせるクインシーにウェインが顔を綻ばせながら頷く。
それを見て微笑みつつ、エフィはフィリスやアーヴィン達に帰る挨拶を軽く済ませると、
ギルドのドアを押し開けた。