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 うるさい。

 うるさい。うるさい! うるさいんだよ!

 人が歩いていればコソコソと噂話。食事をしてれば、聞こえよがしの嫌味の応酬。

 あー、もう面倒くさい。

 気付いたら僕はいつの間にか渦中の人になってるし。

 そういうの本当に面倒だから巻き込まないでくれよ。

 大体、僕だって真相なんて知らないって。

 それでも知りたかったら教えてやるよ。

 バーカ。僕が知りたいくらいで、本当に何も知らないよ。お嬢と姫の確執なんて、さ。


 一人、食事を取っている奴の姿が見えた。

 もう一人の現在化中の真っ只中にいる奴、執事。

 まるであいつの周りだけ、目には見えない壁でもあるかのようにぽっかりと席が空いていて、遠巻きに他の奴らがちらちらと様子を伺っている。

 聞きたきゃ、聞きに行けよ。

 きっと答えてくれるぞー。丁寧な口調で「わたくしは何も知りません」ってな。

 そんな光景が容易く目に浮かぶね。

 まあ例え何か知っていたとしても、あいつは絶対にお嬢にマイナスになるような事を言う訳がない。

 だから誰も何も執事には聞かないんだろうけれどさ。

「横。いい?」

 執事の返事を待つ前に、昼食をテーブルの上に置いた。頷くのを確認すると、ドカっと腰を下ろした。

 時間帯が合わなかったせいで、神官総出の文献探し事件、別名お嬢雲隠れの日、またの名を女の戦い記念日以来、こうやって話す機会が無かった。

 仕事柄顔を合わせたりはするけれどさ。

 あの日から半月あまり、僕らの間は意図せず深い溝が出来た。

 周りが煽っているだけだけれどさ。

「最近どう」

 ボソっと僕が言うと、執事は僕の顔を見る。なんだよ、何か変なこと言ったかよ。

 僕が普通に話しかけたら、おかしいのかよ。

「あなたは」

 手を止めて、やはり声を潜めて執事が言う。

 周りが僕たちを気にしているのがわかる。何を話しているのか興味津々って顔してさ。

 誰がわざわざネタ提供なんてしてやるもんか。絶対に聞こえないように話してやる。

「ああ。ボチボチかな。毎日代わり映えしないよ。お前の方こそどうなんだよ」

 少し考え込むようにしてから、目線を逸らして呟いた。

「何も、変わりません。あの方はどこか変わられたようですが」

 あの方、執事が仕える現在この神殿の中の騒動の中心人物の一人、お嬢と呼ばれる巫女様は、最近確かに雰囲気が変わった。

 僕の敬愛して止まない姫に比べ、どことなく頼りなく、洗練されたところもない、どちらかというと庶民的な巫女だったのに、あの騒動の日を境に明らかに変わった。

 隙の無い、他者を寄せ付けない雰囲気を纏って、本来は式典の時にしか着けないベールで顔を隠している。

 それに今まで以上に口数も減ったし、奥殿に行く時間が増えた。

 今こうやって執事がのんびりしていられるのも、お嬢が奥殿へ朝からずっと行っているからだ。

 以前は昼時には一度戻ってきていたらしいけれど、今は日が暮れるまで奥殿で一日過ごしているらしい。

「神官長様のお加減はどうですか」

「ああ。あんまり良いとはいえないけれど、暖かくなってきたから大分良いよ」

「そうですか」

 あの祭宮の提案、姫のお体のことを考えたら、受けた方が良かったのかもしれないと、最近思う。

 冬の始めに寝込まれてから、ずっと表に出ない生活をしている。長時間の執務は体にこたえるからしょうがないんだけれど。

 それに主治医から、今すぐお命に関わるようなことは無いけれど、無理をすればお命を縮める事になりかねないと言われている。

 けれども雪の季節が終われば、寒さが和らげば、お体は良くなるだろうと思っていた。

 だけれど一向に回復の兆しが見えない。

 水竜様がダメだというのなら、それは絶対なんだけれども、これからも長くお勤め頂く為には、やはり休養してもらった方が良かったんじゃないかな。

 戴冠式うんぬんじゃなくって、姫のお体の為にって言えば水竜様も否とは言わないかもしれないのに。

 何で王族ってやつは話をややこしくするかな。

 祭宮が正面きってお嬢に「姫の体調が芳しくなくて、主治医が休養を勧めています」って言えば簡単じゃん。

 そしたら、こんなにこじれなかったと思うわけだよ。

 姫とお嬢がこないだ激戦を交えたのだって、大元を正せばそれが原因じゃん。

 多分お嬢はこの裏のカラクリを知らない。

 まあ、知っているのはこの僕だけだけど。

 知らないから、水竜様にも祭宮の真意が伝わらなくって、結果、水竜様を怒らせることになった。

 それに絶対に姫が神殿を自ら出るようなこともない。それだけは、絶対に間違いない。

 まあ、これも知っているのは僕だけなんだけれど。

 だから姫とお嬢の思惑や言葉は食い違って、結局神殿真っ二つ。

 本当にいい迷惑な置き土産を残しやがって。祭宮めー。

 まさか、それが狙いか?

 意外にあいつ策士?

 いや、それはないな。そんなことしても何の利点もないし。

「この間、執務室に忘れ物をしたようなのですが」

 綺麗に片付いた皿を眺めながら、執事がまた小声で呟いた。

 忘れ物? そんなのあったっけ。最後に部屋の中を確認した時には何も無かったけれど。

 勘違いじゃねーの。

「僕が見たときには見あた……」

 執事が何かを訴えるようにチラっと僕を見た。

 なるほど、ね。

 話があるってことか。ここじゃ目も耳も多いしな。

「ああ、じゃあ先に見に行っててよ。これ食べたらすぐに追いかける」

「お願いします」

 すっと立ち上がり、お盆を持つ執事の顔は無表情だった。

 話があるような素振りをしといて、それかよ。素っ気無い奴。

「執事、鍵」

 わざと周りによく聞こえるように言ってやった。

 ざわっと声の波が動いたけれど、僕らは表情を変えなかった。

 執事に執務室の鍵を手渡すと、執事もさっきまでの三倍くらいの声で答えた。

「すみません。ありがとうございます」

 これで、鍵の遣り取りかよ、なーんだって思わせられただろ。

 僕と執事しか持っていない鍵や、どちらかしか持っていない鍵が多いから、誰も怪しまないだろ。

 その前の会話を盗み聞きしていた奴も、納得するだろうおしね。

 しかしなんだって、少し話をするにもこんな面倒くさいことになってんだ。

 姫派。お嬢派。

 神殿の中は元々一枚岩なんかじゃないし、結構ドロドロしてたから、神官同士のイザコザなんてのもそれなりにある。

 けど、こんな風に表立って分裂しているのは、今までに僕は経験したことがない。

 外界とは遮断され、毎日同じ事の繰り返しで、息の詰まりそうな規則だらけの閉塞感漂う神官生活。

 そこに降って湧いたような大事件。

 しかも、ほぼ全員の神官があの場で見聞きしてしまったから、神殿中が大騒ぎになってしまった。

 更に本人たちが望んでいないのに、勝手に応援派閥まで出来ちゃって。

 お互い反目し合うオマケ付きで。

 本当になんでこんな事になっちゃったんだよ。面倒くさいなあ。

 僕みたいにどっちの派閥の奴にも関わらなきゃいけないと、すごく仕事やりにくいんだよね。

 しかも何か勝手に姫派の一番手だって思われている節もあるし。

 確かに、僕の姫に対する忠誠心や尊敬する気持ちや、大事にお守りしたいって気持ちは誰にも負けないさ。

 でもだからといって、執事を筆頭とするお嬢派のことを、別に憎たらしいとかっていう目で見てないし。

 本当にバカバカしいよ。こんなのって。


 考え事をしながら、ざわめきは聞こえないフリをして黙々と食事を流し込んだ。

 あんまり執事を待たせるのも悪いし、それに何よりも食堂の中の雰囲気が居心地が悪くって、早くここから出たかった。

 食器を戻し、廊下に出たところで、多分姫派の樽に出くわした。

 誰がつけたのか知らないけれど、樽っていいネーミングだよなあ。

 何でおんなじもの食ってるのに、こいつこんなに腹が酒樽みたいなんだ。

「よお、下僕」

 声を掛けられなかったら、無視して通りすぎようと思っていたのに。

「……どーも」

 特に用事があるわけではないから、目礼して横を通り過ぎようと思った。

 僕はこのところ周りにあれこれ言われたりするのが嫌で、こうやって誰に話しかけられても軽く流すようにしていた。

 比較的仲のいい奴、でも。

 興味本位の噂話に振り回されるのはごめんだったし、自分から話のネタ提供なんてしたくなかったから。

 といっても、樽は別に親しくなんか無い。どっちかっていうと天敵。

 ぐだぐだ絡んでくる司書とその仲間たちの一人だもん。

「姫の具合はどうなの」

 通り抜けるはずだったのに、そう言われたら足を止めざるを得ないじゃないか。

 僕の横幅の倍くらいはありそうな樽の横で立ち止まった。

 姫付き神官として、姫の事を聞かれたら答えるしかない。

 ニコニコと人のよさそうな笑顔を浮かべているけれど、今までの経験上、この笑顔に騙されるとろくな事がない。

 僕は愛想笑いもせずに、とても事務的に答えることにした。

「良くなってきているよ」

 誰に聞かれても同じように答えている。それ以上何か話すつもりも無い。

 つっけんどんな僕の様子なんて意に介することもなく、樽は腕を組んでうーんと唸った。

 なんだよ、熊みたいに。

「姫を礼拝で見るのはまだ先か」

「そうだね」

 主治医から、今はとにかく安静って言われているから、執務に戻るのはきっとまだものすごく時間がかかるだろう。

「早くお姿が見たいな。あのお優しい笑みをまた見たい」

「……そうだね」

 毎朝の礼拝の時、姫が全神官を前に挨拶するお姿は神々しくて可憐で、一日頑張ろうっていう気持ちが起きるし、早く前みたいにお元気な姿を、笑って女官たちと話す姿を見たい。

 体調が悪いのもあるけれど、最近の姫は塞ぎこみがちで、もう前みたいに声を上げて笑うなんてこと無くなってしまった。

 女官たちの前では笑う事もあったのに、今は誰に話しかけられても暗い顔で答えるだけで。

 一日中ずっと、窓の外を眺めては溜息をついている。

 僕が話しかけても、痛々しい微笑みのようなものを浮かべるだけ。


「お嬢のせいなのか」

「は?」

 樽の予期していない問いかけに、僕は素で呆れた声を上げていた。

 何言ってるんだ、こいつ。

「あの日はお元気そうだったじゃないか。お嬢が姫に失礼な事を言う前までは。全部お嬢のせいなんだろ」

 突飛な、それでいて単純すぎる発想に僕は声を失った。

 何で、そうなる。

 お嬢なんて関係ないだろ。元々お体の弱い方だったし、冬の始めから体調を崩されているのは、神殿の中で知らない奴はいないし。

 それにあの日だって、かなり無理をされていたじゃないか。

 何でわからないんだ。自称姫派のくせに。

 姫派を気取るなら、姫の少しの変化も見逃すなよ。

「大体お嬢は姫を蔑ろにしている。先代の神官長様に対する態度と違いすぎる。もっと畏敬の念をもって接するべきだ」

 口を挟むのもばかばかしい。

 姫は確かに素晴らしい方だ。

 だけれど、お嬢にまで僕たち神官が姫に対する時のような態度を求めるのは間違っている。

 お嬢はこの神殿がお守りすべき巫女様なんだから。

 本来、誰にも頭を下げる必要はない。

 それにあの時のお嬢を見たら、誰だってお嬢が巫女様として素晴らしい方だと思わないか。

 ご神託を告げる時の姿は、まさに文献に描かれているような巫女の姿を体現したようなもんじゃなかったか。

 この世界でたった一人、水竜様のお声を聴く尊い方だと、誰もが認識したと思ったのに。

「特にあの失礼な物言いはなんだ。己の身分もわきまえず」

「は? 何言ってんの」

 僕は誰がなんと言おうと姫派だ。

 だけど、巫女様たるお嬢のことをこんな風に言われるのを見過ごす事も出来ない。

「だってそうだろう。あれはただのパン屋のお嬢ちゃんで、生まれながらの姫君とは明らかに身分が違うじゃないか」

 自分の言っていることの意味を、樽は全然わかってなんかいない。

 それどころか、僕が聞き返したことをフシギそうにして、その主張の同意を求めてきた。

 同意なんて、出来るもんか。

 生まれがどうあれ、お嬢は今、至宝の存在なんだぞ。

 この神殿になくてはならない方。いや、この国に必要な方なんだ。

 生まれなんて関係ない。今ここで最も敬意を払うべき存在はお嬢なんだ。

 それを生まれがどうこうと見下すなんて、どうかしてるよ。


「随分な言い草じゃねーか」

 司書がいつからいたのか、僕の背後から怒り交じりの声をかけてきた。

 何でまた天敵に遭遇するんだ。ついてない。

 僕の肩に手をかけ、ぐっと力をこめる司書を振り返った。

 間違いなくお嬢派の司書は、冷ややかな目で僕を見下ろしていた。

「下僕、お前つまんねえ奴だな」

「何が言いたいんだよ」

 僕は司書の手を振り払った。

「姫はお美しくてお優しくて聡明で、あー、あとなんだ。もう忘れた。ともかく素晴らしい方なんだよな」

 鼻でせせら笑う司書をぶん殴りたくなった。

 こんな風に姫の事を馬鹿にしたように言うなんて。

 でも僕はぐっと我慢して、両手のこぶしを握り締めた。

 樽は相変わらず横でニコニコしている。けど、額が汗ばんでいるのを、僕は見逃さなかった。

 おい、お前が撒いた種だ。何とかしやがれ。

 大体お前ら親友だか何だじゃなかったのかよ。

「姫が素晴らしい方なのはわかった。認めてやるよ。だけど何でお嬢を貶めるんだ」

 司書は僕の胸倉に掴みかかってくる。

 苦しい。

 何で僕がこいつにこんな事されなきゃならないんだよ。

 僕はイライラに任せて、力の限り司書を突き飛ばした。

 司書は廊下の壁に背中を打ちつけ、今にも掴みかかろうとしてくる。

「触るな!」

 僕は腹の底から声を出した。

 弱虫、グズ、チビ。僕自身のことを言われても、こんなにむかつかなかった。

 その時は寧ろ泣きたくなった。

 それで余計に泣き虫だ弱虫だって言われる事になった。

 こんな風に司書に向かっていったのは、初めてかもしれない。

 もう我慢がならない。

 つかみ掛かってこようとした司書に逆に掴みかかり、力一杯壁に押し付けた。

「いい加減にしろ。僕がいつお嬢を貶めたって言うんだ」

 睨む僕の襟元を司書も力一杯掴んできた。

「いつもしてんじゃねーか。僕の姫はうんぬんって言ってな」

「何が悪い。姫は素晴らしい方じゃないか」

 フンっと鼻で笑い、司書を睨む。

 お前だって、否定できないじゃないか。

 いつだって最後には認めていたじゃないか。姫の素晴らしさを。

「それとお嬢のことは別だって言ってんだよ。お嬢がパン屋のお嬢ちゃんで何が悪い」

「悪いなんて言ってないだろ。今言ってたのは樽だろうが」

「他人のせいにしてんじゃねーぞ!」

「事実だ! それに僕はお嬢のことを巫女様だって認めているんだよ!」

 吐き捨てるように言うと、司書が目を逸らして樽を見る。

 樽がバツの悪そうな顔をしている。

 おい、お前が何で傍観者面してんだよ。冷や汗を拭ってないで、この柄の悪いお友達を止めろよ。

 ヘラヘラ笑ってんじゃねー。お前が撒いた種だろうがっ。

「お嬢を巫女と認めてる、だ。嘘つくんじゃねーよ!」

 司書は僕を揺さぶり、力一杯突き飛ばしてきた。

 踏みとどまろうにも勢いに負けて、僕は床に情けなく尻餅をついた。

 見上げると司書が、歪んだ笑顔で僕に笑いかけてきた。

 嫌な奴。

 こんな事をされるいわれはない!

 大体、いつもいつも同じこと言わせやがって。

 立ち上がって、見下ろしていた司書の頬を渾身の力をこめてぶん殴った。

 鈍い音がして、こぶしが痛んだ。

 人を殴ったりしたの、初めてだ。

 けど、僕の中の沸騰しそうなくらいのイライラはこれ位じゃ収まりやしない。

 雄たけびを上げて司書が飛び掛ってくるのと同時に、もう一発司書を殴りつけた。

 だけど僕のこぶしは空を切って、鈍い衝撃と共に僕は床に転がった。

 痛い。

 口の中が血の味するし。どっか噛んだかも。

 視界が赤で歪む。涙でぼやける。

「おら。立てよ、下僕。いつもみたいにキャンキャン吼えねえのかよ」

 見上げると司書の顔が歪んで見える。頭がクラクラする。

 絶対に泣くもんか。

 僕は弱虫なんかじゃない。チビでもグズでもない。

 神官長付きのたった一人の選ばれた神官なんだっ。ここで負ける事は僕のプライドが許さない。

 歯を食いしばってこぶしを握り締め、ゆっくりと立ち上がり服の埃をはたいた。

 目線はずっと司書から離さずに。

「大体、お前の大好きなお姫様はどんなに素晴らしかろうが、執務一つもこなせない、お飾りの神官長じゃねーか。お前がどんなに褒め称えても、誰も認めてねーんだよ」

 吐き出すように言った司書の言葉に、僕の頭の中は真っ白になった。

「何だと」

 声が擦れる。怒りで体が震える。心臓の鼓動が全身でうるさい位音を立てる。

 許せない。

 絶対こいつだけは許さない。

「もう一回言ってやるよ、能無し下僕くん。お飾りの神官長に仕えて幸せか?」

 ケタケタと笑う声がやけにと多くで聞こえた。

 僕のことは何を言われても我慢が出来る。

 けど、姫の事は絶対に許さない。

「黙れ! いい加減にしろ。お嬢を持ち上げる為に、姫を愚弄しているのか?」

「事実を言ったまでだ。ムキになるってことは、お前もそう思っているのか」

「事実だと? お前に何がわかる。あの方が今どんなにお体が悪いのかも知らずに、よくそんな事を言えるな! 大体な……」

 回り始めた口が、いつの間に出来ていたのかわからない幾重もの人垣に気付いた瞬間固まった。

 何だ。いつの間にこんなに人が集まっていたんだ。

「大体なんだよ、言ってみろよ」

 口元の血を拭いながら、周りで面白そうに笑ったり指を指したりしながら見ている奴らの顔を見たら、何かでっかいものが腹の中でドンって弾けた。


「お前らいい加減にしろよ! やれ姫派だ、やれお嬢派で。くだらない! お二人とも僕たちが守らなきゃいけない、大切な方だろうが。その位もわかんねーの? 揚げ足とったり、失敗をあげ連ねて笑ったり。そんなに神官長様や巫女様が気に入らないなら、こっから出て行けよ! 僕たちの仕事は巫女様や神官長様をお守りすることだろ」

 周囲を取り囲む奴らに怒声を浴びせ、最後に樽と司書を睨みつけた。

「いいか。生まれや育ちがどうあれ、お嬢はたった一人、水竜様のお声を聴くことが出来る巫女様だ。ご神託を下すのを見ただろうがっ。他の誰もその力は持っていないんだ。お嬢を愚弄する事は、水竜様を愚弄する事と同じだ。水竜様を愚弄するような奴は神殿にいる資格はない!」

 樽がバツの悪そうな顔をして目を逸らした。

「姫は今、お命に関わる程ではないけれど、一日中ベッドから起き上がることも主治医に止められいるほど、安静が必要な状態だ。今あの方に表に出ろというのは、命を縮めろというのと同じ事だ。それでも僕たちが止めても、書類には全て目を通し、王家との遣り取りの矢面に立っていらっしゃる。決してお飾りの神官長なんかじゃないんだ!」

 司書の頬がピクリと動いたのを無視した。

「お二人の心中は僕にも執事にもわからない。お二人がどう考えているのかを、おもしろおかしく考えるより、毎日を快適に過ごしていただけるように考えろ」

 シンっと一瞬静けさが走った。

 視線を巡らせると、またざわめきが起こった。

 だけど僕はもう何も言う事はない。

 樽にも司書にももう話したくなんか無い。

 それに執事を待たせているんだ。

「僕は姫付きだから、姫が一番大切だけれど、お嬢のこと、今は支えて差し上げたい方だと思っている。どちらかではなくお二人の笑顔が見たいよ」

 笑わなくなってしまった姫。

 ベールで素顔を隠してしまったお嬢。

 全ての原因は、きっとほんの些細なすれ違いだっただろうに。

 タイプの違う二人だけれど、わかりあえないなんてこと、無いと思う。

 いつかお二人が笑いあうのを見たい。

 そのために僕は尽力を惜しまないつもりだ。


 前に立ちはだかる司書を押しのけて、人垣を分けて、背後のざわめきなんて気にしないで大股で歩き始めた。

「いい子ちゃんぶりやがって」

「何様だ、下僕の分際で」

「あんな奴になんで命令されなきゃならねーんだよ」

 うるさい。

 うるさい。うるさい!

 こんなイザコザ、本当にばかばかしい。

 何が姫派だ。何がお嬢派だ。

 そんなもん、クソ食らえだ。

 巫女として足りない、とお嬢の事を思っていたのは事実だよ。それは認めるさ。あー。否定もしないさ。

 だけど、生まれがどうこう言うような下賎な奴らと僕は違う。

 姫の心労も、外には見せない努力も何も知らないで、お飾りだなんだと姫の存在を否定する馬鹿な奴らと口もききたくない。

 確かに礼拝には出られないけれど、なすべき事はきちんと果たしている。水竜様の為に。

 何も知らないくせに。

 ちっくしょー!

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