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 なすすべもない僕は、横にいる執事を見た。

 執事は真っ直ぐにお嬢を見つめていた。その横顔はいつもと変わらないように見えるけれど、静かに怒っているようにも見える。

 そう思うのは、僕が執事に「そう思っていて欲しい」と思っているからなんだろうか。

 いや、でも、彫刻のように動かない奴が、そんな風に首を動かして姫たちのほうをじーっと見ているのなんて初めて見た。

 気まずい雰囲気の中、執事はすっと動いて、立ち上がったお嬢の後ろに立つ。

 執事がお嬢の背後にいるだけで、お嬢の存在が巫女として際立つ気がする。

 同じように巫女付きをやっているのに、僕が下僕で奴が執事って言われるの、悔しいけれどそういうところなのかもしれないな。


「私はこれで失礼致します。ご神託は以上ですから」

 全てを振り払うように言うお嬢の顔を見て、僕の胸はまたチクリと痛む。

 きっとお嬢の心には、とても大きな傷がついてしまった。

 だけれどもうすれは取り返しがつかない事になってしまった。

 僕はここにいたのに、お嬢が傷つくのをただ見過ごすことしか出来なかった。


 でもそれ以上に、今は姫の事が心配だ。

 体調が悪くて無理をなさっているのに、こんな風にご心労が増えて。

 お嬢を見る姫の顔は血の気が引いているし、不安げな顔をしている。

 僕も執事みたいにそばに行きたいけれど、姫が呼んでくれなきゃ、僕はそこにはいけない。

 何も出来ないけれど、お傍にいて姫の支えになりたいのに。

 今更取り繕うように祭宮が何かを言ったけれど、そんなんじゃお嬢の心の傷や姫の動揺はどうにもならない。

 全部お前が悪いんだ!


「謝罪など結構。ボクとボクの巫女を愚弄した者に、これ以上話す言葉など無い」


 冷たい声。

 まるで一切の感情を捨ててしまったみたいに。

 お嬢じゃないみたいで、背筋にぞっと冷たいものが走る。

 姫も絶句したように驚いた顔で凍りつく。

 こんな風にお嬢が姫を圧倒するのを見たの、初めてだ。


「立ち去るがよい。その顔、当分見たくもない。立ち去れ」


 祭宮さえも威圧している。

 すげー。

 これがお嬢の本性なのか。それとも追い詰められたからなのか。

 僕は初めて見るお嬢の変貌に、なぜか興奮すら覚えた。

 他を圧倒する、誰もがひれ伏すような存在感。これこそが僕の求めている巫女様の姿だ。

 くるりと視線を巡らし、お嬢は冷たい視線を姫に投げかける。


「君が望んで選んだ道だ。その責を他者に負わせるような言動は慎むといい」


 お嬢に圧倒されていたはずの姫が、金縛りがとけたみたいに女官たちに囲まれている時のような、あどけない表情で小首を傾げる。

 可愛いんだよな、姫のこういう顔って。普通の女の子みたいでさ。



「すいりゅうさま?」

 え? なんだって? 水竜様って言ったの、姫。

 何で?

 だって、目の前にいるのはお嬢だろ。どこに水竜様がいるっていうんだ。

 でも僕は姫の言う事は、絶対に信じるって決めているんだ。

 だって、嘘をつく方じゃない。

 巫女だった姫がお嬢のことを水竜様だっていうんだから、きっとそうなんだろう。

 ただ、それが真実なのか、姫が熱のせいで見ている幻覚なのか、きちんと見極めなくては。

 今朝までのお体の状態を考えると、後者、だろうな。

 それにお嬢を見る目が、とても正気とは思えない。

 さっきまでの血の気の引いた顔には赤みがさし、上気しているようにも見えるし、目にも強い光が点っている。

「水竜様、水竜様なのね。ああ、そのお声をもう一度聴くことが出来るなんて」

 立ち上がり、両手の指を絡ませて、まるで恋する相手を見るような瞳でお嬢を見ている。

 祭宮相手でもこんな表情しないのに。

 嬉しくってたまらない、そう全身で訴えかけているみたいだ。

 でも僕にはやっぱりお嬢はお嬢にしか見えない。

 いつもよりも落ち着いていて、他者を寄せ付けないような雰囲気はあるけれど、声も姿もいつものお嬢と何ら変わりがない。

「わたくし、何度も何度もお祈り致しましたの。もう一度お声が聴きたいって。それが叶う日が来るなんて、なんて幸せなんでしょう。もっと沢山お話がしたいわ。巫女であった時のように。水竜様、ね、沢山お話し致しましょう。あの頃のように」

 ……止めたほうが、いいかもしれない。

 これ以上姫が何かを言い出す前に。

 勘、でしかないけれど、何かすごく、何かが壊れてしまうような気がするから。

 姫の中でなのか、姫がなのか、それとも姫を取り巻くものなのかは、わかんないけど。

 でも今、姫が心身ともに危うい状態のような気がする。

 姫付きの僕しか、僕しか止められる奴はいないんだ。

 意を決して、壁際を離れようとした僕は動けなくなった。



 --視線。



 お嬢の目が僕を貫く。

 感情があるのか無いのか、近くを見ているのか遠くを見ているのかわからないような、でも強い意思のある瞳に、僕は咄嗟に額を床に擦り付けた。

 何でか、わからない。

 けど、でも、こうしなきゃいけないような気がしたから。

 僕の全身が、全神経が、ひれ伏す事を望んだ。

 まるで見えない何かに押さえつけられているみたいに、頭を上げることが出来ない。

 ただ見られただけ、ただ額づいているだけなのに、全身が粟立って額には大粒の汗が滲み出して、床を濡らしていく。

 怖い。

 僕は初めてお嬢が怖いと思った。

 この息苦しさも、がたがたと指先が震えるのも、全部お嬢のせいだ。


「水竜様、こちらにおかけになって下さいな。わたくし沢山お話ししたいことがあるの」

 姫を止めなきゃいけない。

 けど、動く事なんて出来ない。お嬢のあの目が、動く事を許さない。

「おやめなさい」

 かすれた祭宮の声が、まるでものすごく遠くで話しているかのように聞こえる。

「あら。何がいけないと言うの?わたくしは巫女だったのよ。水竜様とお話しする権利があるわ」

 なのに姫の怒り声が、やけに鮮明に聞こえてくる。

 やっぱりどこかおかしいんだ。

 こんな話し方をされる方じゃない。

 人前で感情を出す方じゃない。

 いや、本当におかしいのは姫なのか。

 僕は、それ、を認めたくないだけじゃないのか。

 姫の言葉を絶対に信じるんじゃなかったのか。

 おっしゃっている言葉真実だとしたら、今お嬢はお嬢じゃなくって水竜様なのか。

 だけど、頭の上に振り続ける声だけじゃ、何も判断する事は出来ない。

「わたくしは水竜様とお話しがしたいのよ。誰も邪魔しないで!」


 絶叫が胸に響く。

 まるで姫の心の中に溜め込んでいた、色んな感情が全部むき出しになったような気がした。

 上品で、優しくって、慎み深くて、ご聡明で……僕が今までみんなに言い続けていた美辞麗句。

 全部真実だけれど、本当の姫はそんな人じゃない。

 誰よりもお傍にいたのに、僕は姫の入れ物だけしか見てなくて、中身がどんな方なのか、知ろうともしなかった。

 だって姫は僕の理想の「巫女様」だったから。

 今からでも遅くない。

 生身の姫の事、もっとちゃんと理解しよう。

 そうじゃなきゃ、きっと僕はこの方をきちんとお支えする事が出来ない。

 今すぐにでもお傍にいきたい。

 でも頭を押さえつけられるような圧力は全く変わらなくて、顔を上げることすら出来ない。


「神官長様、どうぞおやめ下さい。あなたの目の前にいるのは水竜ではありません」

 やっぱり、お嬢なんだよな。

 断言するかのような祭宮の声に、どこかほっとする気持ちになった。

 お嬢の目の前にいる祭宮がいうなら、そうなんだろう。

 ってことは姫が錯乱されているということなのか。

 答えを出すより早く、もう一度祭宮が口を開いた。

「あなたの目の前にいるのは、あなたがご神託を聴き次代の巫女にと選ばれ、今は巫女であらせられる方です」

 その言葉は、揺らいでいる僕の心に染み渡る。

 そうだ、お嬢はお嬢なんだ。

 何故か安心して、こわばっていた体から力を抜く事が出来た。

 僕は何を怖がっていたんだ。

 畳み掛ける祭宮の言葉は、僕の耳を右から左へと通り抜けていく。あいつの話なんてどうだっていい。

 それより、姫だ。

 昨日まで寝込んでいらっしゃったんだ。

 ものすごく無理をされている事は間違いないんだ。

 色々なご負担で、水竜様に頼りたいお気持ちが強くなって、ご神託を下す巫女様のお姿に、水竜様の影を重ねていらっしゃったに違いない。

 そうだとしたら、少しでも早くこの場を収束して、無礼極まりない祭宮をとっとと帰して、姫に横になっていただけるようにしないと。

 そのあたりが、僕の腕の見せ所だな。

 まず、お嬢は早々に退出するだろうから、そうしたらお茶を片しつつ、姫のご様子を伺って、お茶を入れなおすかどうか敢えて祭宮に聞いて帰れっていう無言のプレッシャーをかけて、それから姫のお召し物を準備して。

 そんなことを考えていたら、急にふわっと空気が和らいだ。

 何でだと思って顔を上げると、同じように平伏していた執事も顔を上げてこっちを見た。

 お互い目配せをして立ち上がる。

 あっ。


「巫女様!」

 僕が叫んだのと同時に、祭宮と執事も叫んだ。

 お嬢の体がふらっと崩れ落ちたから。

 僕は咄嗟に駆け出したけれど、伸ばした腕は届くはずもなく、お嬢の体は祭宮に支えられ、かろうじて倒れる事はなかった。

「巫女様、大丈夫ですか? ……ササ……?」

 腕の中のお嬢を覗き込むように、祭宮が問いかける。

 その問いかけにお嬢は答えることはなく、完全に意識を失っているみたいだ。

 祭宮がお嬢の首元にふれ、少し安心したような顔をする。

 僕は青ざめた姫の一歩後ろに立ち、姫からのご指示を待った。

 執事は心配そうな顔でお嬢を見つめている。届かなかった右腕が伸ばされたままで。

 「君たち、何をしている。早く医師を呼ぶんだ」

 祭宮の鋭い声で、はっとして執事と顔を見合わせた。

 僕はその言葉に従っていいのか伺うように姫を見たけれど、姫の目は虚ろで返答がない。

 寧ろ姫ご自身も、お医者様に見ていただかないといけないように見える。

「何をしているんだ、早く!」

 怒鳴る祭宮の声に急かされ、僕は小部屋に飛び込んだ。

 偶然とはいえ、小部屋には姫の主治医が待機している。前殿に呼びに行くよりも早い。

 本当は姫のお傍を離れたくなんてなかったけれど、でもそんなことを言っている場合じゃない。


 駆け込むと、怪訝そうな顔で幾人もの神官が眉をひそめた。

 どうせ僕が何かやらかしたか、行儀が悪い位に思ってんだろ。

 いやいや、拗ねている場合じゃない。

「どうした」

 穏やかな口調の長老に、何をどう伝えようか一瞬考えたけれど、仔細は後でいい。今はお嬢と姫のことを伝えなきゃ。

「巫女様が倒れられました。意識を失っておいでです」

 ざわっと空気が動いた。

「神官長様も、お加減が優れないようで」

 どこかおかしいんです、と言い掛けてやめた。お嬢派の奴らの前で、そんなことを言うのは何か弱点を晒すようで嫌だったし、それは伏せておいた方が良いような気がしたから。

「お医者様に、巫女様を見て頂きたいんです」

 そして、その後でいいから、姫の事も診てください。

 僕の訴えは、快諾された。

 長老は頷くと、姫の主治医に声を掛け、数人の神官たちに前殿に戻るように指示し、残りの神官たちにあれこれと指示を出す。

「本来は我々は表に出ることは憚られるが、お前たち二人では大変であろう」

 一通り指示を出すと、長老は僕に話しかけた。

 医師も神官たちもそれぞれ動き出し、小部屋には僕と長老だけになった。

 執事と二人で全てを対応するのは、物理的にも不可能だから、長老の指示に素直に頷いた。決して僕の能力が足りないからじゃない。

 それに、僕が何かを言うよりも長老が言う方が、みんなも動いてくれる。

 今は僕の体面だとかそういうのよりも、早くこの事態を解決したかった。

「大事に至らなければ良いが」

「……はい」

 正直、頑丈で風邪一つひいた事の無いお嬢の異変に、様々な不安がないわけではない。姫が倒れたって言ったって、こんな風に慌てる事はないだろう。

 もしも、とか、色々悪い事も考えてしまう。

 それに姫のご様子もおかしい。

 神殿の大切な二人の尊い方。二人とも失ってしまうのではっていう、最悪なことも頭を過ぎる。

「後程、私の部屋にきて話を聞かせてもらえるかな」

「かしこまりました」

 僕はさっき目の前で起こったことを、上手く伝えられるか自信がなかったけれど、そう答えた。


 長老と部屋の中に戻ると、姫は喧騒から少し離れたところで立ち尽くしていた。

 目の前で繰り広げられている事も、姫の虚ろな瞳には映っていないみたいに、ただそこにいるだけの存在になっている。

 みんなお嬢に掛かりきりで、誰も姫の様子がおかしい事に気付いていないみたいだ。

 僕は大急ぎで姫のもとに駆け寄った。

 それと同時に腹立たしさがこみ上げてきた。

 何でこれだけ人がいて、誰も姫の様子に気配りしないんだよ。気付けよ。僕はさっき、ちゃんと姫の様子がおかしいって伝えたじゃないか。

「大丈夫ですか」

「大丈夫よ。少し疲れただけよ」

 優しい、いつもと変わらない口調で声をかけてくださったけれど、目線はお嬢から一時も動かない。

 その瞳だけ、まだあの熱情が残っているみたいに見える。

 それなのにお顔の色が悪く、血の引いたように白く見える。

 それにお嬢を見ているんだけれど、焦点が全然あっていない。生気のない目をしている。

 全然大丈夫じゃないよ。

 この方も倒れてしまうんじゃないかと、僕は気が気じゃない。

 だけれど、大丈夫だって言われれば、僕はそうですかって言うしかない。

 姫の言葉は絶対だし、大丈夫って言う事で、僕にそれ以上何も言うなっていうことなんだろうから。

 せめて座っていただけたら。

 そうすればお体へのご負担も少なくなるはず。

 でも元座っていたあたりは、医師、祭宮、執事をはじめとする神官たちがお嬢を取り囲むようにしているから、とてもそこに座ってくださいと言えるような状況じゃない。

 それならば小部屋へとも考えたけれど、それも姫の神官長としての格に傷がつく。

 今は我慢していただくしかないんだろうか。こんなに具合が悪そうなのに。

 いや、あそこなら……。

「神官長様、あちらにお掛けになられてはいかがでしょうか」

 普段神官長として、書類に目を通したりする際に使う机の方を指し示し、姫にお伺いを立てる。

 そこなら全体が見渡せるし、座っていてもおかしくないだろう。

「いいえ。わたくしはここにいます」

 小さいけれど、はっきりとした声で拒絶されてしまい、僕はもうどうする事も出来ない。

 心の中で、どうか姫が倒れませんようにと祈るしか出来ない。


「では、ただ気を失っているだけなんだな」

 鋭い祭宮の声に、姫の眉がぴくりと動く。

「はい。さようでございます。ウィズラール殿下」

 祭宮が視線を動かし、それからゆっくりとお嬢の額に掛かる髪を整えるように撫でる。お嬢の体温を確認するかのように。

 お嬢を見る祭宮の目は穏やかで優しくて、とてもさっきまで対峙していた相手に送る視線じゃなかった。

「きちんとお調べしたわけではありませんので、原因まではわかりかねますが、例えば高熱で倒れられたというような類のものではなく、眠っている状態に近いかと」

「そうか」

 しばらくお嬢の寝顔を眺め、すっと祭宮が立ち上がり、こちらを振り返る。

 その顔は険しく、お嬢を見ていた人物と同じとは思えないほどだった。

「これ以上ここにいても、皆さんのお邪魔になるだけでしょうから、わたくしはこれで失礼致します」

「このお天気ですから、どうぞお気を付けてお帰りくださいませ」

 あからさまな社交辞令。

 いつもと同じような口調で話しているのに、姫の目は笑っていなかったし、一度も祭宮を見ようとはしなかった。

 まるで違う世界を見ているかのように、遠くを見ている。

 そんな姫の様子を祭宮は気に止めるような素振りも見せない。

 ちらり、と姫の方を見やると、いつものような微笑みを浮かべる。

「では失礼致します。巫女様はこの国にとって大切な方。何かお変わりがあれば、ご連絡をいただけますか」

 恐らく姫に向けられた言葉だっただろうけれど、姫は無反応だった。

 どうしよう、と思っていると長老がにっこりと微笑んだ。

「ええ。かしこまりました。私共が全力でお守り致しますから、どうぞご心配なきよう」

「頼みます」

 短く返すともう振り返ろうともせず背を向けて、扉の方へ向かって歩き出す。

 僕は慌てて、姫に一礼をして後ろ姿を追いかけ声を掛ける。

「お送り致します」

「ありがとう」

 祭宮は男の僕から見ても、いい男だなって思うような微笑みを浮かべた。

 もっとも礼儀に疎いし、無神経だし、そんなことくらいじゃ僕の中の高感度は変わんないけれどね。


「君は、神官長付きだな」

 曲がりくねった廊下を先導していくと、後ろから声を掛けられる。

 思わず立ち止まって振り返ると、祭宮は少し考えるように顎に手を当てている。

「はい。そうですが」

 なんだよ。何か文句でもあんのかよ。

 言葉を選ぶようにして、ゆっくりと祭宮が話しだす。

「神官長様は大分お加減が良くないようだが」

 気付いてたのか。

 てっきり気が付いていないもんだと思っていたけれど。

 だけれど、具合が悪いとかっていうようなことは表に出すのは体裁が悪い。

 さあ、どうしたもんかな。

 僕が否定も肯定もしないでいると、どうやら肯定だと受け取ったらしい。

「神官長様の主治医から、ご静養されるなりして一度執務から離れたほうがいいのでは、と報告を受けている。一番お傍で仕えている君はどう思う」

 え?

 そんな話、聞いたこともない。

 姫のご容態はそんなに悪かったのか。

 確かに冬に入ってから、まともに執務をこなすことが出来ない日々が続いていたけれど、でも暖かくなれば回復するものだとばかり思っていた。

 そんなに悪いなんて。

 僕は打ちのめされたみたいに言葉を失った。

 ずっとお傍にいたい。

 僕のたった一つの願いは、どうやら叶えられそうもない。

 でも姫のお体のことを思ったら、少しの間神殿を離れてゆっくり過ごされるほうがいいのかもしれない。

 嫌だとか、そういう個人的な感情は抜きにして考えなきゃ。

 だけれど僕の頭は真っ白になって、祭宮の問いには答えられなかった。

 立ち尽くす僕に、ふっと祭宮は微笑んだ。

「こんな事を聞いてすまない。あとはこちらが判断することだったな」

「……いえ。神官長様はこの神殿にはなくてはならない方です」

 それしか僕にはいえない。

 ずっとここで神官長としていて欲しい。

 けれど長く神官長をお勤めいただくためには、ご静養も必要なのかもしれない。

 そういったことを全部ひっくるめて、その言葉しか出てこなかった。

「我々にとっても、だよ。案内ありがとう。もう大丈夫だ。神官長様をよろしく頼む」

 僕の横をすり抜けて、祭宮は次の角を曲がっていった。

 もしかしたら姫がいなくなってしまうかもしれない。

 それだけで、僕の頭はいっぱいになって、しばらくの間そのまま立ち尽くしていた。

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