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 僕はみんなに影でこう言われている。

 「下僕」と。

 げぼくだかしもべだか知らないけれど、別に何て言われたって気にならない。

 「執事」って呼ばれている奴も気にしていないだろうな。

 まあ、あいつは「鉄仮面」の異名を持つくらいだし、その位何とも思ってないよな、きっと。

 僕は別にみんなに下僕って呼ばれても構わない。

 だって僕のお仕えする人は、正真正銘の「姫」なんだから。



 姫の一日は僕の扉をノックする音で始まる。

 扉をノックすると、いつもように透き通った声で姫が答える。

 「お入りなさい」

 今日も姫の声は美しい。

 綺麗な声で鳴くどんな小鳥たちよりも、姫の声は心地いい。

 お人柄が表れているように、優しく落ち着いていて、見目麗しさと高貴さが声にも滲み出ている。

 毎朝この声を聞くと、今日も頑張るぞっていう気持ちになる。

 「失礼致します」

 笑顔を引き締め、限りなく無表情に近い顔をして扉を開けて一礼する。顔を上げると、姫が青白い顔に微笑みを浮かべて下さるのが見える。

 「おはよう。今日はいいお天気みたいね」

 姫の部屋は直接陽の光が入らないように、常に薄い生地のカーテンが閉められている。ベッドで過ごす時間が長いから、寝ているお顔に陽があたらないように。そのカーテン越しに、柔らかな光が部屋に差し込んでくる。

 「はい。ただまた夕方からは雪が降るのではないかとのことです」

 「あら、そうなの」

 心底残念そうに眉を寄せ、ただでなくとも白い顔を曇らせる。

 姫の美しい顔には憂いは似合わない。

 そのお顔から雲を払いのけたくて、別の話題を切り出す。

 「お加減はいかがですか」

 「大丈夫よ。そんなに心配そうな顔をしないで」

 数週間前にひいた風邪をこじらせ、まだ起きることもままならないのに、優しいお言葉を掛けて下さるなんて。

 胸がじーんと熱くなる。

 「僕のことはいいいんです。神官長様のお体が何より大事なのですから」

 ありがとうと微笑まれると、コンコンと絡むような咳を何度かする。

 やはり話すこともお体に障るのかもしれない。

 「無理はなさらず、ゆっくりお休み下さい」

 もう一度微笑み、周りの女官たちに目配せをされるので、そろそろ退散のしどきかも。

 女官の一人が姫に水を差し出しているし。

 「では失礼致します」

 「ええ。色々面倒を掛けてごめんなさいね」

 面倒だなんて、そんなこと全然思ってません。

 伏し目がちになられる姫に、思いっきり首を左右に振る。

 「いいえ。何か必要なものがあれば、じゃんじゃん言って下さい。僕は神官長様のために仕事をするのが誇りなんです」

 何言ってるんだろ。

 姫の前に来ると、自分が何をしゃべっているのか判らなくなるよ。

 緊張して、舞い上がって。

 あー。でも本当に姫にお仕え出来て幸せだ。

 こんな絵に描いたように美しい方のお傍にいられるんだから。




 「僕はさ、初めて姫に会った時、この人にお仕えできるなんてって本当に嬉しくってさ、王宮の真っ赤な絨毯の上で喜んで頭を下げたよ」

 新入りの神官たちが、へーっという相槌を打つからそれに応えてやらなきゃいけない。僕は話を続ける。

 「こんな綺麗な方が世の中には存在するのかって、本気で思ったんだよ。いやあ、本当に幸運だったよ、僕は」

 何でですか? と問いかけてくるチビ神官の一人に腕組みをして答える。良くぞ聞いてくれた。

 「巫女っていうのはさ、あの方の為にあるんじゃないかっていう位、気位と神秘さに溢れていて、それに心底尊敬できる方なんだよ。そんな方のお傍仕えが出来るなんて最高だと思わないか」

 「下僕。その話何度目だ」

 キラキラと目を輝かせて続きをと見つめるチビたちとは対照的に、冷たい声が背後から聞こえる。

 この声、司書だな。

 折角盛り上がってきたっていうのに、水を差すなよなあ。

 振り返ると思ったとおり司書が背後に立っていた。朝食のお盆を持って。

 わかるようにあからさまに溜息をついてやった。

 めんどくさい奴に捕まったな。こいつ、人の顔見るたんびに文句言うんだもん。うざいったらないね。

 あーあ。折角おいしく朝食を食べていたのに。

 「なんだよ」

 睨みつけたけれど、司書は全く気にしない。それどころか横に朝食のお盆を置きやがる。

 席は沢山余ってるんだから、わざわざ隣に来るなよ。

 姫の笑顔で朝から癒された僕の心は、こいつのせいで真っ暗闇にまっしぐらだ。

 どうせ、あれこれネチネチいわれるんだ。

 こいつ最近「お嬢」が書庫に入り浸っているせいで、お嬢びいきだしなあ。

 僕の問いかけには答えずに、司書が誰かに手招きするのが目に入る。

 こいつと仲が良い奴っていうと、カカシか庭師かそれとも樽か。

 どっちにしたって、僕とは気の合わない奴ばっかりだ。

 ガっと椅子とひく音がして、チビたちの目線が一斉にそっちを向く。

 誰だよ、と思って横をチラっと見たら、執事が椅子に座るところだった。

 ゲっ。

 やばい、やばい。露骨に嫌な顔をするとまずい。

 よりにもよって、一番僕の苦手な奴かよ……。

 「お嬢は?」

 パンを口に運びながら、司書が執事に問いかけるけれど、奴は鉄仮面そのもの。一切表情を変えない。

 「巫女様は今日は自室に篭っていらっしゃるようです」

 わざわざ言い換えるあたりが嫌味っぽいんだよ。別に本人いないんだし、何て言ったっていいじゃんか。

 田舎娘のお嬢ちゃんっていう意味のお嬢だから気に入らないとか? 今更そんなこと気にしたってしょうがないじゃんか、事実なんだし。

 「そっか。お嬢は今日はこないんか」

 別にどうでもいいって言わんばかりの口調だけれど、少し残念そうだ。

 司書の奴、前はお嬢のこと散々あれこれ言っていたくせに、最近じゃお嬢が書庫に来るのを楽しみにしているっていう噂は本当だったんだ。

 なんか意外だな。

 あのお嬢ちゃんにどんな魅力があるんだか。さっぱりわからないよ。

 僕のお仕えする姫のような優美さなんてないし、いかにも村娘って感じで垢抜けないし。

 まあ一応巫女様だから、僕も形は敬っているけれどさ。


 「んで、お前ら何の話してたんだよ」

 司書がチビ神官に尋ねると、一人の少女が頬を染めながらハキハキと嬉しそうに答える。

 「神官長様付きの先輩から、神官長様が巫女になられた時のことなどをお伺いしていました」

 嬉しそうに頬を紅潮させる様子が何とも微笑ましい。

 僕もこんな時期があったんだよな。

 まあ、どんくさいだとか色々言われてたけれど、横のこいつに。

 まさか、この僕が巫女付き、いやいやそれどころか神官長付きの神官になるなんて、あの頃は夢にも思わなかったのに。

 やっぱり努力って大事だよね。

 神様は見てるんだよ。ちゃんと。

 「こんな奴の話聞くより、こいつに聞いた方が勉強になるぞ」

 司書は肘を机につき、顎の下で指を組んで、さも君たちの話を聞いてやっているっていう態度だ。

 巫女付きになった事もない奴が、偉そうに。

 いい気分だったのに、水注すなよな。

 「何で僕の話じゃ参考にならないんだよ」

 鼻でフフンと司書が笑う。

 「姫はとても美しく聡明で慈愛に満ちていて、こんな方にお仕えできるなんて、僕はなんて幸せ者なんだ。王宮での儀式の時に初めて姫を見た時にそう思って、喜んで額づいて、現在に至るんだろ」

 えらく芝居掛かった言い方しやがって。

 そうやって人を小馬鹿にする。

 あの時のあの衝撃は、あの場にいた人間にしかわからないんだよ。神殿で留守番だったお前に何がわかる。

 「ああ、そうさ。何がいけないだ。だって事実だろう」

 「別にいけないなんて言ってないだろ。ただ、執事の話を聞くほうが、チビらの為になるって言ったんだよ」

 「何でだよ」

 ギロリと司書を一睨みするけれど、全然気にも留めないどころか呆れたように溜息をつく。

 「わかんねーなら別にいいけどな。お前、お嬢の事を悪く言うのはやめろ」

 「僕が? 僕がいつお嬢の事をとやかく言ったんだよ」

 別にお嬢がお祈りの言葉を間違える時があるとか、たまに服に皺が寄っているとか、姫の前で上手に話せないくらい緊張しておかしいとか、姫のほうが巫女の服が似合うのにとか言ってないじゃないか。

 それに顔にも出してないぞ。姫の話をしてたんだからな。

 「巫女って言葉は姫のために、だっけか? それって遠まわしにお嬢を侮辱してないか」

 「何で。してないよ」

 いちいち小姑みたいにうるさいな。姫を褒め称えているだけで、お嬢のことなんて一言も口にしてないじゃないか。

 ちょっとお嬢と話す機会が増えてお嬢陣営入りしたからって、何でもかんでも言葉尻を捕らえて言うのは性格の悪さがにじみ出てるとしかいいようがないね。

 そんなこと言ったら何倍にも返されるから、悔しいから黙っておいてやるけれど。

 でも、何でいっつも僕を目の敵にするんだ。

 「巫女って言葉が姫の為にあるんなら、今現在巫女やってるお嬢は?」

 「は?」

 「お前にとってニセモノの巫女ってことか?」

 「そんな事言ってないだろ。揚げ足取るのもいい加減にしろよ!」

 あー、もうイライラするなあ。

 ムカついて、バンっと大きく音がするくらい机と叩いた。

 チビたちの肩がビクっと揺れた。

 「脅かすなよ、かわいそうに。図星なんだろ」

 冷ややかに言う司書を力の限り睨み返した。チビたちの事を驚かせたのは悪かったけれど、図星なもんか。

 「僕は姫に初めてお会いした時の事を言っているんであって、今お嬢が巫女やっていることにケチつけたりしてないだろ」

 「ふーん」

 「何だよ」

 フンっと鼻であしらう様にして、司書がそっぽを向く。

 ただの揚げ足取りの嫌味なんだから、結局僕のほうが正しいってことだ。あれこれイチャモンつけてみたものの、突っ込む事が無くなったんだろ。

 けっ。

 中途半端な喧嘩売りやがって。

 「話になんねー。なあ、お嬢なんだけど、今度晴れたら奥に行くとか言っていたけれど、本気じゃないよな」

 ボソっと呟いたと思ったら、司書は僕に背を向けるようにして執事に話しかける。

 結局そうやって僕の前から逃げるわけだ。

 話になんねーって言いたいのは僕のほうだね。

 今まで話にも加わらず黙々と食事をしていた執事の手が、ぴたりと止まる。

 「わたくしは聞いていませんが、巫女様がそのようにおっしゃられたのですか?」

 「ああ、言っていたぜ。ほんの数日前に。まあまさか本気で行くつもりじゃないと思うけどよ」

 司書はぐいっとコーヒーを飲み干す。

 その横でしばらく考えるような仕草をしている執事に、チビたち、それから聞き耳を立てている周りの神官たちの視線が集中する。

 僕なら針のむしろな気分で耐えられないけれど、さすが鉄仮面。微動だにせず自分の世界に入っている。さすが。

 こいつが笑ったのを見たことがある奴、神殿にいるのか? 笑うどころか動揺するところすら見たことなんだけれど。


 「巫女様は冗談をおっしゃるような方ではありません。あの方は本気です」

 「まさか。いくらなんでも、深いところじゃ背の丈より雪が積もっているのに」

 背中越しで表情はわからないけれど、司書が動揺した。あはは、なんて乾いた笑いをしているし。

 ちらりと横目で見た執事は、また黙り込んで自分の世界に没頭し、周りの様子なんてこれっぽっちも気にしていない。

 生真面目な鉄仮面は、何でも言葉通りに取るから大袈裟になるんだよ。

 いくらあのお嬢だて、無理だって事くらい普通に考えればわかるだろう。

 こんな中、外に出ようなんてする奴がいたら、そいつは間違いなく馬鹿だって。

 カタンと音がして横を見ると、立ち上がった執事と目が合った。でも何となく気まずくて目を逸らした。

 お互いが、神殿の中の姫陣営とお嬢陣営という二分する勢力の中心人物だからとかっていうんじゃなくって、何となくこいつが苦手だし、なんか見透かされているみたいで嫌なんだよな。

 「……止めに行きます」

 お盆を持ち上げ、相変わらずの無表情で衣を翻す。

 おっ。さすがに早足になったりするんだ。ってことは少しは動揺したりしてるのか?

 「俺も行く」

 ガチャっと荒々しい音を立ててお盆を手に取り、ドタドタと司書が執事の後を追う。

 まじかー?

 って、何人か立ちあがってるし。

 何で? お前らみんな、お嬢が奥に行くと本気で思ってるのかよ。




 ただの冗談だと思ってたことが、大騒動にまで発展した。

 本当にお嬢の思考回路はわからない。

 呆れるとかそういう次元を既に通り越している。

 執事が先頭に立ち、奥へ繋がる通路の前で、お嬢と押し問答をしたそうだ。

 女官たちの噂話で小耳に挟んだだけだから、詳しくはわからないけれど。

 お嬢はただ水竜様にお会いしたかったらしいけど、本当に迷惑な話だよ。

 姫だったら絶対にこんな事起きないね。

 姫には、教養も常識もきちんとあるから。どうやらお嬢にはそのあたりが少し欠けているようだけれど。

 ああ、本当に姫付きの神官になれてよかった。

 僕がお嬢付きになっていたら、多分呆れてお世話なんてする気にもならないし、当然尊敬なんて出来ないし、お嬢の為に何かをしたいなんて気持ち、絶対におきないと思う。

 というよりも、姫が完璧すぎなんだ。もっとみんなは知るべきなんだ、いかに姫が素晴らしい人物なのか。

 ちょっとお嬢と比べてみればすぐにわかることなんだ。美しさも聡明さも、全て姫のほうが勝っているんだから。

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