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ループ×山荘×殺人事件 ――何度やっても死ぬんだが、犯人誰なんだよ

作者: 浦島ぽんた
掲載日:2026/03/29

「ヴッ……ギャァッ!!」


喉が潰れたような声が、短く弾けた。


くそ、なんで俺がっ!!ヴぁァ!!絶対にゆるさない――。


叫んだはずなのに、音にならなずに息だけが漏れる。


終わる……


その感覚だけが、はっきりと分かる。


――彼の意識は、ぷっつりと切れた。


静寂が、部屋を支配する。


指から滑り落ちたマグカップが、ゴトリと床に転がる――


光がなくなった彼の目は、一点を睨みつけている。



【男は確実に死んだ】



【ユースケの生前に、時を巻き戻し書き示すことにしよう】



はめごろしの窓の向こう、雨がやたら主張してくる。


滲んで、叩きつけて、また滲む。山と木々がぼやけて、距離感もよう分からん。



「すごい雨やなぁ」



キャップをひねって、スポドリをちびり。


なんでやねん、このタイミングで山奥て。帰り、どないすんねん。



外を見てるだけやのに、落ち着かん。雨のせいか、それとも――


まあええか、とりあえずもう一口。



旅行、いうても気軽なもんのはずやった。山荘なんて聞いたときは、ちょっとテンション上がったんやけどな。


叔父の別荘らしい。音楽が趣味で、防音がええとかなんとか。


実際、ここもやたら静かや。外、あんだけ雨が暴れてんのに、ほとんど聞こえへん。



……いや、待てや。



音楽が趣味なんて聞いたことあらへんけどな……


オーディオも楽器も見当たらん。ほんまに音楽好きなんか。


なんか別の用途ちゃうんかこれ。隠しカメラとか――いや、さすがにそれはないか。


ないよな?


なんとなく部屋を見回す。



デスクの上にスマホと鍵、アナログの置時計。


濃紺のカーテンがやけに重たそうで、白い壁が余計に素っ気なく見える。




「どうしたの?」


声に振り向く。ベッドに腰かけた彼女が、首をかしげてる。



「べつになんもないけど、あっさりした部屋やなおもって」


「ふふ、確かに」



ミユキ。大学生にして、もうプロの小説家。


肩にかかるくらいの栗色の髪が、光の加減でやわらかく揺れる。


目はすっと通ってて、なんかこう、見透かされてる気がするのに嫌やない。


細身やけど、ちゃんと女のラインしてて、肌はやたら白い。



「雨、ひどいね」


「せやな。道も崩れとるらしいし、しばらくは帰れんやろな」


来る途中で、いきなり山道が崖崩れで塞がれてな。あれはほんま、笑えんかったわ。



「せっかくの旅行なのにね」


ミユキが、ちょっと困ったように笑う。



その笑いは、長くは続かなかった。


すぐに、何かを思い出したように視線が揺れる。



ほんのわずかな沈黙。



「しかも、締切近いの思い出しちゃった」


「うわ、最悪のタイミングやな。旅行中くらい忘れとけへんの?」


「無理だよ、編集さんこわいもん。連絡も来てるはずなんだけど……」


ミユキはスマホを見て、ちょっと眉を寄せる。



「圏外だし。これ、天気のせいかなぁ」


「山やし、もともと弱いんちゃう?雨でさらに死んどる感じやな」


「うーん……まあいいや」


ミユキが軽く肩をすくめる。



少しだけ考えてから、ふっと息をついた。


「どっちみち、やらなきゃだし」


スマホをしまいながら続ける。



「部屋でちょっと書いてくるね。ノートPCあるし」



「え、ここちゃうん?」


「ちょっと落ち着かないかも。自分の部屋のほうが集中できるし」


「なるほどな。さすがプロや」


「ふふ、がんばります」


軽く手を振って、立ち上がる。



「おう、いってら」



ドアが閉まる音がして、ふっと静かになる。


……いったか。



なんとなく、そう思いながら、改めて部屋を見渡す。


さっきと同じはずやのに、どこか違って見えた。



置時計に目が止まる。銀の針は、13:30を指している。



「……ほんま、ええ子やな」



小さく漏れた声は、自分でも驚くくらい軽かった。


窓の外では、雨が変わらず降り続いている。


同じリズムで、静かに窓を叩いていた。


さっきと同じ光景のはずやのに、なんやろ、うまく重ならへん。


音も、景色も、どこか遠くにあるみたいで。


ぼんやり眺めてるうちに、だんだんどうでもよくなってくる。



……まあ、ええか。



そう思ったあたりで、意識がゆっくり沈んでいった。



――気づけば、まぶたが重くなっていた。




「……ん?」




「寝てた?」




自分でも、はっきりせえへん。


意識がまだ沈んだままで、うまく浮かんでこん。


体がやけに重たい。動こうとしても、ワンテンポ遅れてついてくる。



なんやこれ……。



さっきと同じ部屋のはずやのに、なんかうまく噛み合わへん。



……いや、変わってるわけないやん。


窓の外も、ベッドも、デスクも同じや。




――デスクの上。




スマホと鍵……と、マグカップ……やんな?


……いや。



あれ?



こんなん、あったっけ。いやいや、なかったやろ。


気づいたら、手が伸びてた。



「なんや、さめてるやん」


ミユキが入れてくれたんやろか。



……そいや、部屋戻る言うてたよな。


ほんま、気つかわんでええのに。



14:30――


さっき、何時やったっけ。



13時過ぎとった気がする。



1時間くらいウトウトしてたんか。


いや、これ普通に寝てたな。


「つかれてるんやろな……」半日くらい歩いたし。



雨に、土砂崩れに――ほんまなんでやねん。


軽く息をついて、カップを見る。


ま、ありがたく頂こか。




【こうして、冷めたコーヒーを飲み――死んでしまった】




っっっつ!!



一瞬、白く弾けた光が視界を焼いたかと思った次の瞬間、窓がドシャ!と震える。


けど、そのわりに音は小さい。くぐもった雷鳴が、遅れて耳に届いた。



「……っ、はぁ……っ」



強引に引き戻されたみたいに、体が跳ねた。



夢……か?



なんや、やたらと気持ち悪さだけ残ってる。



拳がぎゅっと握られてる。


手のひら、じっとり汗ばんでるし、呼吸も荒い。


首元に触れて、口元に手をやって、落ち着かへん。



え?



なんや今の……。



頭はまだぼやけてるのに、妙に緊張だけが残ってる。



ここ、どこや?



……ああ、ちゃう。旅行や。山荘。


そこまで思い出して、ふと視線が上に向く。



同じ天井や。



シンプルなライトが、変わらずそこにある。


ゆっくり視線を落とす。



デスク。鍵。スマホ。置時計。自分の見慣れたリュック。


ベッドは――空や。



「あれ……ミユキ?」


返事はない。



……そらそうや。自分の部屋や。



夢と現実の境目が、まだ曖昧なままや。


なんやこれ……。




時計に目が止まる。


14:30――




そのすぐ近く。



デスクの上に、マグカップ。



「マジでなんなん……」



思わず声が漏れる。




さっき――いや、夢か?




あれ、なんやったんや。


うとうとしてたんは覚えてる。



けど、その先が妙に引っかかる。



「……きっつい夢やで、ほんま」



震える手で、ペットボトルを掴む。少なくなったスポドリを口に含む。


ぬるい。



けど、喉を通る感覚で、少しだけ現実に戻る。



落ち着け。


落ち着くんや……。


ゆっくり息を吐いて、もう一度吸う。


……よし。



冗談きついで、ほんま。



気を紛らわせるように、窓のほうを見る。


雨粒がにじむ向こうに、山と木々。



その瞬間、脳裏にあの光景がよみがえる。


来る途中の、土砂崩れ。



確か、200メートルくらい後ろやった。


山のほうから、パキパキって小枝折れるみたいな音がして――次の瞬間、轟音。


振り返ったときには、道が丸ごと消えてた。



何も考えられんまま、雨の中、必死で走った。



「……よう無事やったな」


ぽつりと呟く。



デスクに目を戻す。


マグカップ。


「……ないない。気分ちゃうで、さすがに」


苦笑して、視線を外す。



まだやりたいこと、山ほどある。


やっと内定も決まったとこや。


あの就活、どんだけ苦労した思てんねん。


大手の建築会社やぞ。


これからやろ、ほんまに。



それに――


ミユキ。


あいつと出会ったの、旅行サークルの歓迎会やったな。


チェーンの焼き鳥屋。



未成年やのに酒回ってて、めちゃくちゃやった気するわ。


けど、あのとき見た瞬間、もう決まってた。



一目ぼれや。



半年かけて、ようやく付き合えた。


容姿も性格も、正直出来すぎやろって思う。



「……釣り合ってへんよな」



小さく笑って、首を振る。


いやいや。


俺がそんなこと言うてどうすんねん。


まだまだ、これからや。


行きたいとこも、やりたいことも、いくらでもある。


ゆっくり息を整える。



さっきまでのざわつきが、少しずつ引いていく。


……大丈夫や。



部屋の隅。


雨に濡れたカーキ色のリュックが、そのまま置きっぱなしになってる。


来るとき背負ってたやつや。



着替えくらいしか入ってへんけど――


ミユキと買い物行ったときに選んだやつで、なんとなく気に入ってる。



ぼんやり見てた視線が、そのまま横に滑る。


無難なデザインの置時計。無印で買ったんやろか。


……14:30のままやん。



電池か?


そういや、電池の重さで中身分かるとか聞いたことあるな。


半信半疑のまま、指を引っかけてボックスを外す。


小さいくせに妙に固くて、ちょっと力を入れてようやく外れた。


中の電池をつまみ上げて、軽く持ち替える。



んー……。


「ちょい軽い……んか?」


「……えーと」


自分で言うて、思わず苦笑する。



「いや、分かるわけないやろ」



そのまま電池を戻して、ぱちんとはめる。


……まあええか。


ポケットからスマホを取り出して、時間を確かめる。



14:40。



「……あれ?」



一瞬だけ引っかかる。



いやいや、おうてるやろ。まだボケてるな。


自分を落ち着かせるみたいに、ゆっくり息を吐く。


ベージュのスリッパに突っ込んだ指先を、軽く動かす。


……問題あらへん。



そう思ったはずやのに、なんか気になる。


ふと、足元に意識が向く。



フローリング。



「……きれいすぎへん?」



思わず口に出る。



しばらく使ってない山荘って聞いた気がするけど、それやのにホコリ一つないやん。


リビングにつながる玄関と、小さなキッチン、それに個室。


来たとき、一通り見て回った。



「……まさか、誰か……隠れて……」


口に出しかけて、すぐに首を振る。



「マジあほくさ」


こんなとこ、隠れる場所なんてあらへん。



「建築のプロが言うんや、間違いないで」


一拍おいて、


「……まぁ、まだプロちゃうけどな」


「なんてな」



まあ、事前に掃除してくれたんやろ。


それか……なんかヤバいもん運び出しに来たとか。




――いやいや、ないない。


――多分。




いや、ありえへんて。


ビビりすぎや。


そう思い直して、軽く息を吐く。



不意に。


トントン、と扉が鳴った。


「っぉう!」


肩がびくっと跳ねる。


「……マジか。びびるやん」


苦笑が漏れる。



……ミユキやろ。



ほんま、俺どないしたんや。



そう思いながら、ゆっくり立ち上がる。


「っと、あぶなっ」


ヒザが無意識に折れて、バランスを崩しかける。



とっさに手をデスクに突いて、なんとか踏みとどまる。


……なんやねん、今の。



一瞬だけ息を整えて、軽く頭を振る。



大丈夫や。


ちょっとふらついただけやろ。



「どしたん?」


「ちょい待ってや」


自分でも締まらん声やと思う。



苦笑しながら、扉のほうへ歩く。



手を伸ばして、レバーに触れる。


白いクロスと同じ色の扉。


見た目は軽そうやのに、指先に伝わる感触が重い。


そのまま押し下げると、じわっと沈む。



力を入れた感覚はないのに、妙に手応えだけが残る。


これ……自分の力なんか、重さなんか。



そのまま、扉がゆっくり開いていく。


次の瞬間。




何かが、もつれるように中へ倒れ込んできた。


「……は?」


視界が揺れる。


何事や――



天井のシーリングライトは、変わらん光を放ってるはずやのに。



……こんなやっけ。


なんか、暗ないか。


視界の端から、じわりと闇が寄ってくる。


――静かや。


何も聞こえへん。



腹部。



そこに、刃物がある。


ほとんど根元まで、深く沈み込んでいる。



呼吸に合わせて、わずかに揺れる。


現実味がない。



なんやこれ、ヤバいな。



自分でも驚くくらい、冷静や。



痛みも恐怖も、あるはずやのに。


波のように来るはずの感覚が、弱い。遠い。



視界の端から闇が広がり、天井の光が少しずつ削られていく。


一瞬の出来事が、やけに長く引き伸ばされる。



「……なんでや……」



声にはならへん。




『カチリ』



扉が閉じる音だけが、遅れて届く。


低く、重たい響き。



窓の外で、雷が光る。


一瞬、部屋の輪郭が浮かび上がる。





【こうして、刃物で腹部を刺され――死んでしまった】



窓の外で、雷が光る。


遅れて、低い音が空気を揺らした。



ベッドに腰かけたまま、ぼんやりと外を見る。


雨は相変わらず強い。



にじんだ景色が、ただ揺れている。



……もう、たくさんだ。



こんなことになるなら、来なければよかった。


思考がまとまらない。



おかしくなったのは、いつからだ。



土砂崩れのときか。


いや、そもそも――この旅行自体が。



ふと、スマホに目を落とす。


14:45。



「……やれやれだな」


小さく息を吐く。



まだ、ここに来てから二時間も経っていない。


それなのに、この状況だ。



どうしてこんなことになった。



……ミユキだけは、信じていたのに。


「……どうすればいい」



呟きながら、部屋の隅のリュックに手を伸ばす。


衣類をかき分ける指先に、硬いものが触れた。


取り出す。



ウイスキーのミニボトル。


安眠用に持ってきたものだ。



「……こんなときくらい、いいだろ」



キャップをひねり、そのまま口をつける。


ぐびり、と喉に流し込む。


焼けるような感覚が、口内から広がる。


その熱だけが、妙に現実を伴っていた。



――生きている。



そう思えるのは、この瞬間だけだった。



そろそろか……。


扉のほうに意識が向く。



自然と、肩に力が入っていた。


手元のウイスキーは、もう半分も残っていない。


喉の奥に、かすかな熱だけが残っている。



何をするでもなく、外を見る。


雨は変わらない。


景色も、何も。


……気が狂いそうだ。


そのとき。




こんこん、と扉がノックされた。



一瞬で、頭の中が静かになる。


さっきまでのぐちゃぐちゃが、嘘みたいに消えた。




「……わたしだけど。少し、いいかな?」


扉の向こうから、声。



……白々しい。


思考が冷える。



もう、分かっている。


元には戻れない。



「悪いけど、話すことはない」


間を置かずに返す。


少しの迷いも、出さないように。


「え……どうして、そんな……」


声が小さく揺れる。



「……また、来るね」


足音が遠ざかる。



「……出直しても、一緒だ」


小さく、呟く。



誰に向けたわけでもない。


深く息を吐く。


酒の匂いが、鼻についた。




床には既に、ウイスキーの空瓶が転がっている。


さすがに飲みすぎた。



腰かけたベットから立ち上がり、デスクに置かれたペットボトルに手をやる。


封を切り、スポドリを喉に流し込んだ。





ーー


ーーー


ーーーーー。




雨は、変わらず降り続いている。




ベッドの上。


男が、静かに横たわっている。


その表情は、どこか安らいでいるようにも見えた。




彼の首から始まる鮮やかな赤色は


白いシーツの上に広がっていた。




時計の針は16:30を刻んでいる。



【彼の時間は、もう刻まれることはない】



【次にミユキが部屋に戻ってからを、時を巻き戻し書き示すことにしよう】



白い扉が、ゆっくりと開く。


ミユキが一歩踏み入れた瞬間、背後で――


カチリ。


音が閉じる。


ぴたり、と。


外の気配が、途切れる。


静か。


雨も、遠い。


「……いいかも」


書くには、ちょうどいい。


デスクに近づき、ノートPCを取り出す。

電源を入れると、画面が淡く光った。


Wi-Fi圏外。


――ほんと、どうしようもない場所。


指を軽くほぐして、キーに触れる。


今書いているのは、クライマックス。


犯人と、探偵の対決。


ここまで積み上げたものを、全部ぶつける場面。


できれば、このまま一気に書ききりたい。


「ここ、外したくないんだよね」


独り言のように、やわらかく。


――当然でしょ。ここが一番“見せ場”なんだから。


指が動き出す。


一定のリズムで、軽やかに。


画面の向こうで、場面が立ち上がる。


閉じられた空間。

対峙する二人。


位置、距離、視線。


頭の中で、角度を変えながらなぞる。


「……うん、いける」


小さく息を吐く。


高校の頃から書き始めて、ここまで来た。


出版、新人賞。


順調。


「ありがたいよね、ほんと」


――まあ、当然だけど。


有名作家に師事できたのも、運だけじゃない。


掴める人間が、掴んだだけ。


そして――


「……ふふ」


口元が、少しだけ緩む。


先日、婚約した。


「いいタイミングだったなぁ」


――全部、予定通り。


勝ち組。


その言葉が、静かに浮かぶ。


視線が、少しだけ揺れる。


「……で」


指は止まらない。


キーを打つ音だけが、部屋に残る。


――ほんと、うっとうしい。


男の顔が、ぼんやり浮かぶ。


「なんで分かんないかなぁ……」


軽く笑う。


――どう見ても、釣り合ってないでしょ。


最初から、終わってる関係。


それを、まだ続くと思ってる。


「ちょっと困るよね」


やわらかい声のまま。


――バカすぎて、話が通じない。


整理するだけの話なのに。


大学の関係なんて、切ればいい。


それだけ。


「……ほんと、面倒」


指が止まることはない。


リズムは、一定。


――いっそ、消えてくれたら楽なのに。


一瞬だけ、思考が沈む。


すぐに浮かぶ。


画面の中の対決が、動く。


言葉が連なっていく。


……。


ふと、視線が上がる。


モニタの黒い部分。


そこに、自分の顔が映っている。


口元に、うっすらと笑み。


目は、冷たい。


「……ふふ」


軽く息を漏らす。


「気をつけなきゃね」


指先が、もう一度キーに戻る。



……と、ふと。



「コーヒー、飲みたいかも」


小さくつぶやく。


リュックに、インスタントは入れてある。


――さっき、キッチンにケトルもあったよね。


頭の中で、場所がすぐに浮かぶ。


一瞬だけ、指が止まる。


「……もうちょいだけ」


軽く息を吐いて、視線を画面に戻す。



細く白い手首。


ピンクゴールドのスマートウォッチに、時刻が浮かぶ。


14:45。


……ちょうどいい。


――逃す理由、ないでしょ。


小さく息を整える。


嫌なことは、先に片付ける。


食事もそう。

好きなものは、最後に残す。


順番は、間違えない。


扉の前で、足を止める。


リビングを一瞥し、そのままゆっくり整える。



呼吸。


服の乱れ。


表情。


「……うん」


――問題なし。



指先で、軽く扉を叩く。


こんこん。


「……わたしだけど。少し、いいかな?」


声を落とす。

柔らかく。


――弱く、優しく。これでいい。


……と。



「悪いけど、話すことはない」


扉越しの声。


どこか、ろれつが怪しい。


まどろんだような響き。



「……え?」


――なにそれ。


――私が来てあげてるのに。


……昼から飲んでる?


最悪。


小さく息を吐く。



――乱れるな。


表情を戻す。


声も。



「……また、来るね」


やわらかく。


何もなかったみたいに。


足音を、静かに引く。


――ほんと、バカ。



振り返らない。



でも、このままじゃ終わらない。


どうにかする。



視線が、リビングへ向く。


ほんの一瞬だけ、鋭く。



――落ち着け。


自分に言い聞かせる。


そのまま、自室へ向かう。


閉じた扉の向こうから、低い声がかすかに滲んだ。


振り返ることはなかった。



部屋に入る前は――17:30だった気がする。


ふと、そんなことを思う。


デスクの上。


白い置時計。

そして、湯気の残るマグカップ。


――さっき、入れたコーヒー。


白い扉。


白い壁。


青いカーテンとはめごろしの窓。


雨は、少しだけ弱まっている。


部屋の隅。


見覚えのあるリュック。


床のフローリングは、不自然なくらいきれいで。


チリ一つ、落ちていない。


ベッドのシーツも、ぴんと張られたまま。


しわ一つない。


……。


天井のシーリングライトが、静かに照らしている。


椅子に座ったままの、女。


胸に、刃物が深く沈んでいる。


力の抜けた手首。


下がった腕。


そこにある時計は――


18:00。



「……」


男は、何も言わない。


ただ、満足そうに見下ろしている。


そのまま、ゆっくりと手を伸ばす。


マグカップへ。


――。


――――。



【部屋にあるものは、これですべてである】


【彼らの身に起きたことは、これですべてである】


【誰が殺したかを示すことは容易だが――無粋であろう】



――。


――――。



【ただし、説明は不足している】


【蛇足ではあるが、ここに整理し書き示そう】



――。


――――。



激しい雨が地面を叩きつける。



【13:00。山荘前】



大学の旅行サークルで来た山の途中。


後ろで土砂崩れが起きて、道は完全に塞がれた。


引き返すこともできず、必死で走って――


どうにか、この山荘までたどり着いた。


木々がぽっかり開けた場所に、ぽつんと建つ建物。


玄関の前で、全員ずぶ濡れだ。



「さっきは、ほんま終わった思たわ」


ケンタが息を吐く。



「マジでな。あれ洒落ならんて」


シンジも苦笑する。



「ほんと、みんな無事でよかったね」


ミユキが、ほっとしたように笑う。



その横で、シンジと一瞬だけ目が合う。


――よくやる。


こんな状況でも。



ミユキはハルオと付き合っている。


そのうえで、シンジとも関係がある。


……ついでに言えば、ケンタとも。



どうしようもない。


倫理観が壊れている。



「いや、これはそんなに簡単な問題じゃないだろ」


ハルオが、周囲を見回す。


「帰り、どうするんだこれ」


冷静な声。



現実的な疑問。


――もっとも。


その心配は、必要ない。


ここから先、誰も山を下りることはない。



【山荘のリビング。13:15】



ペットボトルのスポーツドリンクを、順に手渡していく。



「マジ助かるわ」


シンジがすぐにキャップをひねって、口をつける。



「サンキュ。……何も入ってないだろうな」


ハルオが、冗談めかして受け取る。



「うそやん! もう飲んでもたで!」


ケンタが笑いながら言う。



「ありがとう」


ミユキも軽く受け取る。



――問題ない。



「ほな、晩飯は六時くらいでええやろ。シャワーも浴びたいし、各自ゆっくりしよや」


ケンタの一声で、空気がほどける。


それぞれ、自然に部屋へ散っていく。


……。



ひとつ、息を吐く。


ペットボトルには、事前に用意したものを混ぜてある。


ネットで手に入れた。



何度か試している。


飲んで三十分ほどで効き始める。


長くても二時間ほどで覚醒する。


個人差はあるが、目安にはなる。


深く落ちなくても、動きは鈍る。


それで十分だ。



ケンタとシンジが飲み込んだのは、確かに見た。


――ここまでは、予定通り。



【13:30 山荘のリビング】



ミユキが、ケンタの部屋から出てくる。


表情は、いつも通り。


――こんな状況でも、か。


たいしたものだ。


心臓に毛でも生えているんじゃないか。


……いや、もっと質が悪い。



【14:00各部屋】



扉を軽く叩く。


反応はない。


――効いてる。


ケンタの部屋。


続けて、シンジの部屋。


どちらも、小さないびきだけが返ってくる。


手にしたマグカップを置く。


――あとは、飲むかどうか。


ミユキが入れたと、思い込めばいい。


それで十分だ。


失敗しても、やり直せばいい。


あの二人も、同じだ。


分かっていながら、関係を続けている。


――同罪だ。



【14:30 ケンタ個室前】



外では、雷鳴が低く響いている。


そろそろ、効き目が切れる頃だ。



――もっとも。


あの状態なら、すぐには動けない。


扉を軽く叩く。


反応はない。



右手の感触を確かめる。


そのまま、ゆっくりと扉を開ける。



中。



椅子に座ったまま、動かない。


カップは空。



――飲んでいる。



近づいて、呼吸を確かめる。


問題ない。



デスクの上。


スマートフォンの電源を落とす。


鍵を取り、外から施錠する。


音は、最小限に。


――これでいい。



【14:45 シンジ個室前】



再び、雷が鳴る。


扉を叩く。


間を置く。


「どしたん?」


くぐもった声。


「ちょい待ってや」


締まりのない返事。


――起きている。


右手に力を込め、呼吸を整える。


タイミングを待ち扉が開く。


その瞬間、距離を詰める。


――十分。


抵抗はない。


床に倒れたまま、動かない。


結果は、明らかだ。


デスクの上に、鍵。


……不用心だ。


二人とも。


だが、都合がいい。


扉を閉じる。


静かに、確実に。


施錠する。


――ここまでは、順調だ。



【16:00 リビング】



一瞬、視線が合う。


ミユキ。


何事もない顔で、そのままハルオの扉へ向かう。



こんこん。


「……わたしだけど。少し、いいかな?」


柔らかい声。


「悪いけど、話すことはない」


扉越し。


どこか、まどろんだ響き。



――飲んだか。


判断はつかない。



そのまま言葉が続くが、はっきりとは聞き取れない。


拒まれているのは分かる。



別れ話か。



ふ、と息が漏れる。


――気づいている。


ハルオは、知っている。


シンジとミユキの関係を。



自分が先に付き合っていたという意識もあるだろう。


裏切られた、と思っているはずだ。



だが、順序は曖昧だ。


結局、転がされている。



そんなハルオも、ケンタとの関係は知らない。



……もう遅い。


二人は動かない。


扉も閉じてある。



視線を戻す。


一瞬だけ、鋭くぶつかる。


すぐに逸れる。



そのまま、部屋へ戻っていく。


……ふ。


三人どころじゃない。


作家の男とも、つながっている。


全部、見えている。


全員が、ミユキと関係を持っていた。


全員、同じだ。



どこかで、自分だけは例外だと思っている。


――違う。


すべて同じだ。



静かに息を吐く。


ここで終わらせる。



【16:30 リビング】



そろそろ頃合いか。


ペットボトルを飲んでいなくても、さっきの様子なら問題ない。


強引にいっても、なんとかなる。


ハルオの部屋の前で足を止める。



中の気配はない。……遮音か。


シンジのときの感触が、頭をよぎる。


自然と、手に力が入る。



――できる。



軽くノック。


反応はない。



扉を開ける。



ベッドの上。


仰向けに、動かない。



床には、ウイスキーのミニボトルが二本。


空だ。



ペットボトルも転がっている。


……ふ。


笑いが漏れる。



――勝手に崩れてくれる。



手にした刃を、そっと当てる。


抵抗はない。



ふと、息を吐く。


その前に、シャワーでも浴びるか。




デスクの上。


時計は17:30を指している。


【自室】



――あとは、ミユキ。


どうとでもなる。



ケンタ。シンジ。ハルオ。


思えば、みな同じだ。


……自分も含めて。



最初に出会ったときの光景が、ふとよぎる。


だが、浮かぶのはそれだけだ。


残るのは、別の感情。


――裏切り。



作家の男と、うまくやるつもりらしい。


それでも構わない。


もう関係ない。


手に入らないものに、価値はない。


――それだけだ。


……。



終われば、すべて片付ける。


燃やしてしまえばいい。


日常に戻る。


……いや。



道が復旧してからの方がいいか。



熱いシャワーのせいか、頭は妙に冴えている。


……。



こんこん。


扉が鳴る。



「……私。ちょっと話あるんだけど」


声。


――遠慮がない。



内心で、笑う。


……とっくに終わった関係。



口止めか。


そんな必要はない。



扉を開ける。



視線が合う。



鋭い目。



その手に、マグカップ。


湯気が、ゆらりと揺れている。


「まぁ、座れよ」


中へ促す。


静かに扉が閉まる。



……。



――そして、誰もいなくなる。



【18:00】


満足げに、ミユキを見下ろす。


ユースケは、手を伸ばす。


マグカップへ。


「せっかくやから、もらっておくわ」


初執筆、初投稿になります。


まだまだ至らないところや、力不足も感じていますが、

同時に「書くことの楽しさ」を初めて実感しました。


そして、作家の方や投稿されている皆さまのすごさも、改めて……。

ほんとに、すごいなあって思います。


今回、関西弁のやりとりは個人的に気に入っていて、

もし次を書くことがあれば、

日常系のショートにも挑戦してみたいなと思っています。


最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

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