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私は女だ。

そして、だからこそ――自分を卑下したくない。

正直に言えば、

もし私が無鉄砲で、狂っていて、プライドなんてどうでもいいと思える人間だったら、

身体を売って金を得ることもできただろう。

この世界には、そういう道はいくらでも用意されている。

でも、私はやらない。

できないからじゃない。

まだ、私の中に「モラル」が残っているからだ。

そんな私の目の前に、皮肉にも立っているのが、

人々がよく「ワークスパウス」と呼ぶ存在だった。

能力もないくせに上司に媚び、

自分より立場の低い人間を平気で見下し、

そして無自覚なまま、自分の尊厳の低さをさらけ出している人間。

……はぁ。

正直、心の底から苛立った。

仕事を愛するプログラマーとして。

そして、まだ心を持った人間として。

私は、黙っていられなかった。

一歩、前に出る。

「山田さん」

声は落ち着いていた。

でも、はっきりと。

「分かっていますよね。あなたは、何も助けていません」

部屋の空気が、一瞬で凍りついた。

山田さんは振り返り、眉を少し上げる。

爪をいじりながら、まるで些細な雑談でもするかのような表情だった。

「助けてないって、どういう意味?」

軽い口調だった。

「私はちゃんと手伝ったでしょ。

締切、もうすぐなんだから」

「でも、今そのプログラムはエラーだらけです」

私は言い返す。

「あなたが、コードの文脈を理解しないまま指示を出したからです」

周囲の視線が集まり始める。

キーボードを打つふりをする人。

俯いて息を殺す人。

「だから言ったじゃない」

山田さんは小さく笑った。

「ユキが、そもそもコーディングできないだけなんじゃない?」

その言い方は――

はっきりと、侮辱だった。

私は拳を握りしめる。

「ユキは間違ったコーディングをしていません」

強く言った。

「問題は、検証もせずに使われたAIです」

「AIが間違う?」

山田さんは笑った。

わざとらしく、周囲に聞こえるくらいの声で。

「会社が高いお金出して買ったAIが、

バグを生むわけないでしょ?」

「冗談言ってるの?」

何人かが、唾を飲み込むのが分かった。

部屋に、緊張が広がっていく。

「AIはね、あなたたちを助けるためのものなの」

山田さんは続ける。

「簡単な方法があるのに、

どうしてわざわざ面倒なことを選ぶの?」

髪を軽く払う。

「ほんと、頑固よね」

それ以上何も言わず、

山田さんは背を向けて歩き去った。

静まり返ったオフィスに、

ヒールの音だけが響く。

誰も止めなかった。

誰も私を庇わなかった。

誰もユキを守らなかった。

私は、ユキの方を見る。

ユキは硬直したまま立っていた。

肩が小さく震えている。

震える手で眼鏡を外し、

溜まっていた涙が、頬を伝って落ちた。

同僚たちは、

必要以上にモニターを見つめ、

見ないふりをし、

居心地悪そうな表情を浮かべながら――沈黙を選んだ。

私はユキに近づく。

「ユキ」

小さな声で、彼女だけに聞こえるように。

「あなたは間違ってない。

あの人の言葉を信じないで」

ユキは小さく頷いた。

それでも、涙は止まらなかった。

そのとき、私は気づいた。

この部屋で冷たいのは、

AIだけじゃない。

人間の沈黙の方が、ずっと痛い。

正直、失望した。

私はこの会社で長く働いている。

人の本性を知らないほど、短くはない。

ここには、いろんな人間がいる。

野心的な人間。

日和見主義者。

顔色ばかり伺う人間。

表では笑い、裏で刺す人間。

エゴイスト。

偽善者。

それでも、私は彼らを完全には責められなかった。

この世界は、そういうものだから。

純粋すぎれば踏みつけられる。

抗えば、たいてい無駄に終わる。

「七海、ちょっと私の部屋に来なさい」

マネージャーの声がした。

……分かっていた。

あの小賢しい狐は、

もう虎に泣きついたのだ。

そうやって生き延びる。

権力者の前で被害者を演じ、

裏で他人を蹴落とす。

私は立ち上がり、マネージャーについて行った。

虎は、恵まれている。

地位があり、

妻がいて、

子どももいる。

それでも、

狐と関係を持つ。

狂っている?

違う。

それが、現実だ。

部屋の中で、マネージャーの声が荒くなる。

態度の問題。

「チームワーク」。

言い方がなっていない。

私は、ただ聞いていた。

反論しない。

感情も見せない。

隣で狐は、

俯き、ため息をつき、

完璧な被害者を演じていた。

そのとき、私は思った。

こんな生き方を続ければ、

私は正気を失う。

だから、一つだけ選んだ。

あの虎の怒りは、覚えておかない。

弱いからじゃない。

負けたからでもない。

どうでもいいからだ。

私には、もっと考えるべきことがある。

無表情のまま、部屋を出る。

足取りは、静かだった。

頭の中には、ただ一つ。

――ケンタに話そう。

「一緒に、投資を学ぼう」と。

安っぽい復讐のためじゃない。

今すぐ誰かを貶めるためでもない。

いつか――

彼らの手が届かない場所に立つために。

そして、そのとき、

もし彼らが今と同じなら。

私は知ってほしい。

見下していた人間は、

壊れたわけじゃない。

ただ、自分の道を選んだだけだ。

私は自分の席に戻った。

なぜか、この職場がさっきまでとは違って感じられる。

より冷たく。

より狭く。

周囲の視線が、妙だった。

慌てて目を逸らす人。

遠慮もなくこちらを見つめ、言葉もなくこう言っているような人。

――「あいつ、ちょっとおかしいんじゃないか」

……まあ、いつものことか。

上司に叱られた後は、だいたいこんなものだ。

何もかもが敵に見える。

たぶん、私の気のせいなのに。

そんな中で、ひとりだけ違う存在がいた。

「七海さん……」

振り返ると、ユキちゃんが立っていた。

申し訳なさそうな顔をしている。

「ごめんなさい……私のせいで、七海さんが怒られて……」

「謝らなくていいよ、ユキ」

私は静かに答えた。

「これは、よくあることだから」

「でも……それでも……私のせいで――」

私は手を伸ばし、彼女の口をそっと塞いだ。

「ユキ」

まっすぐ目を見て言う。

「あなたが優しい人だって、私は知ってる。

だからこそ、自分を責めてほしくない」

ユキは黙り込んだ。

私は一度、深く息を吸ってから話し始めた。

2030年のこと。

やって来るかもしれない危機のこと。

ケンタの考え。

私自身の不安。

そして、こんな生き方を続けたくないという気持ち。

「今、小さな輪を作ろうとしてるの」

私は言った。

「生き残りたい人たちの。

この流れから抜け出したい人たちの」

ユキは、目を大きく見開いて私を見た。

「論理的に考えればね」

私は続ける。

「一緒に貯金する人が増えれば増えるほど、

集まるお金も大きくなる。

その分、安全で、強くなれる」

少し間を置いて、私は静かに尋ねた。

「……どう? ユキ」

ユキは服の裾をぎゅっと握った。

数秒の沈黙のあと、

彼女は小さく、でも確かに頷いた。

「……やります」

声は小さかったけれど、迷いはなかった。

「それが、生き残る方法なら……私も、やりたいです」

私は小さく微笑んだ。

「じゃあ」

そう言って、

「仕事が終わったら集まろう。

私がケンタに連絡する」

「はい、七海さん」

私はスマホを取り出した。

これが、私からケンタにメッセージを送る最初かもしれない。

入社した頃、連絡先は交換した。

でも三年間、まともな会話は一度もなかった。

変な話だ。

でも、今は――それでいい気がした。

私は文字を打つ。

ケンタさん、七海です。

仕事終わりに、会社近くの公園に寄れますか。

話したいことがあります。

少しして、返信が届いた。

七海さんから連絡なんて。

……ついに、興味を持ってくれたんですね。

私は、スマホの画面をしばらく見つめていた。

胸の奥で、何かがゆっくり動き出す。

大きな希望でもない。

確かな勇気でもない。

でも、きっと――

これは、何かが変わり始める合図なのだ。

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