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カフェの中は、まだ暖かかった。
柔らかな照明と、静かに流れる音楽。外の時間だけが先へ進み、ここでは少しだけ足踏みをしているような感覚だった。
私とケンタは向かい合って座り、会社で導入されたAIの話を続けていた。
「少し試してみたんです」
ケンタはグラスを見つめながら言った。
「デザインのサンプルをいくつか作ってみたんですけど……正直、出来が良すぎました」
私は小さくうなずいた。
「私はまだ触ってないです。今のところ、そこまで必要じゃなかったから」
少し間を置いて、正直な気持ちを口にした。
「でも……不安がないわけじゃないです」
テーブルに視線を落としながら続ける。
「プログラマーとして分かってるんです。どんなに頑張っても、私は人間で……疲れるし、ミスもする。バグだって出す」
顔を上げて、ケンタを見る。
「でも相手が機械だったら、疲れないし、迷わないですよね」
ケンタは静かに息を吐いた。
「つまり……七海さんの立場、かなり厳しいですね」
「はい。正直に言えば」
私は、数日前に見た動画の話をした。
2030年。経済危機。自動化。AI。
普通に生きている人間ほど、真っ先に影響を受ける未来。
「私たちも、その中に入ってますよね」
ケンタはすぐには答えず、窓の外を見たあと、静かに言った。
「……2030年はまだ先ですけど、確実に来ますよね」
「だから何かしなきゃ、とは思うんですけど」
私は苦笑した。
「何をすればいいのかが、分からない」
「それが一番怖いですよね」
その言葉に、私は何も返せなかった。
ただ“普通に生きたい”だけなのに、
働かないと生きられない世界で、
働くほど心が削られていく。
それが、たまらなく重かった。
一時間ほど話したあと、私たちは店を出ることにした。
「じゃあ、七海さん。先に失礼します」
「はい。気をつけて帰ってください、健太(さん」
「七海さんも」
短い別れだった。
私たちはそれぞれ別の方向へ歩き出した。
駅に入り、ホームで電車を待つ。
夜も遅く、車内は驚くほど空いていた。
座席に腰を下ろすと、自然とさっきの会話が蘇る。
――「ただの同僚なのは分かってます。
でも……一緒に貯金しませんか?」
――「貯金……一緒に?」
――「緊急用の資金です。二人で。
無理なら、忘れてもらっても構いません」
不思議な提案だった。
魅力的で、でも簡単には受け取れない。
私とケンタは仲がいい。でも、明確な関係ではない。
彼は、良い後輩で、同じ不安を抱えた仲間で……
もしかしたら、それ以上かもしれない。
一緒に貯金するなんて、まるで恋人みたいだ。
でも、現実的に考えれば、とても合理的でもある。
「正直……迷ってます。でも、ちゃんと考えます」
そう答えた自分の声が、まだ頭の中に残っていた。
電車は目的の駅に着き、私は降りて家路についた。
帰宅後、浴槽に身を沈める。
温かい湯が体を包むのに、思考は止まらなかった。
私は計算を始める。
給料は高くない。でも、少しずつ貯金はしてきた。
三年間で、百万円は超えている。
多いけど……足りない。
一生を支えるには、全然足りない。
もし解雇されたら。
国が助けてくれるかもしれない。
でも、助けてくれない可能性だってある。
2030年まで、あと五年。
一人で貯めて、せいぜい二百五十万、三百万。
それも、何も起こらなければ、だ。
病気。
ハッキング。
予期せぬ出費。
ケンタの提案を受ければ、確かに助かる。
でも……彼を完全に信じ切れるかと言われたら、分からない。
お金は、人を変える。
「……頭が痛い」
長湯しすぎたのかもしれない。
風呂を出て、髪を乾かし、部屋着に着替える。
ベッドの端に座り、そのまま横になる。
天井を見つめながら、答えの出ない計算を続ける。
でも、もう夜は深い。
明日も朝は来る。
「……明日、考えよう」
そう呟いて、私は目を閉じた。
答えはまだ、どこにもなかった。




