11
土曜日の朝は、よく晴れていた。
休日だ。
私はいつもより早く目が覚めた。
たぶん、いつもこうなのだ。
平日は起きるのが億劫なのに、
休みの日になると、体のほうが勝手に目を覚ましてしまう。
私は隣を見る。
フーディーを着た小さな女の子が、私の横で眠っていた。
――私の姪。
……まあ、もう説明はいらないよね。
何か始めるなら、起きなきゃいけない。
私は彼女を起こさないように、そっと体をずらして立ち上がった。
少しだけ、アパートの廊下に出る。
朝の空気を吸いたかった。
外は、土曜日らしい雰囲気だった。
ジョギングをしている人。
ゆっくり散歩している人。
並んで歩く年配の夫婦。
私は小さく息を吐いた。
……はあ。
本当に、久しぶりだな。運動なんて。
今までの土曜の朝は、
テレビをつけて、
スマホをスクロールして、
気づいたら――
また月曜日。
でも今は……
姪がいる。
そして、どうしてか。
私は、いいお手本になりたいと思ってしまった。
「……あ」
ふと、頭にアイデアが浮かぶ。
運動すると、疲れた体も少し元気になるって言うし。
だったら――
ジョギングだ。
私は部屋に戻り、ベッドに近づいた。
「宙」
そっと肩を揺らす。
「宙」
「……ん……なに、七海おばさん……」
半分眠ったまま、宙が目を開ける。
「宙、ジョギングしよ」
私は言った。
「健康のために」
宙の目が、ぱっと輝いた。
「わあ、七海おばさんって運動好きなんだ!」
「もちろん」
私は迷いなく答える。
「ほら、見て。元気そうでしょ?」
「七海おばさん、運動してるから」
「宙も真似しなきゃ」
――数分後。
私は後悔していた。
「はぁ……はぁ……」
「ちょっと……休憩……」
前かがみになり、必死に息を整える。
足が、重い。
「どうしたの?」
宙は軽く走りながら、私を見上げる。
まったく疲れていない。
「七海おばさん、運動好きなんじゃなかったの?」
私は息を切らしながら、彼女を睨んだ。
しばらくして、私たちは公園のベンチに座った。
私は完全に、限界だった。
さっき、近くの自動販売機で飲み物を買ってくるよう、宙に頼んでいた。
少しして、彼女が戻ってくる。
手には、一本の缶。
「七海おばさん、これ」
差し出しながら言う。
「ごめんね……あったかいコーヒーしか買えなかった」
「冷たいの、手が届かなかったから」
私は一瞬、言葉に詰まる。
「……あ」
小さく笑って、
「ありがとう、宙」
缶コーヒーを受け取り、ゆっくり開ける。
ふわっと、湯気が立ち上った。
「温かい……」
私は小さく呟く。
一口飲む。
苦い。
でも――なぜか、落ち着く。
「ちょうどいいよ」
「朝は、体が冷えてるから」
宙は少しだけ私を見てから、隣に座った。
足をぶらぶら揺らしながら。
私たちは並んで、ベンチで飲み物を飲んだ。
急ぐこともなく。
言葉も、ほとんどいらなくて。
私たちは、アパートの近くにある小さな公園で休んでいた。
私はベンチに座り、ゆっくりと飲み物を口に運ぶ。
隣では宙が座り、足をぶらぶら揺らしていた。
朝の空気はまだひんやりしている。
体は疲れているけど、嫌な感じじゃない。
むしろ、心地いい。
そのとき。
遠くから、誰かの声が聞こえた。
「七海さーーん!」
反射的に、私は顔を上げた。
手を大きく振りながら、半分走るようにこちらへ向かってくる人影。
「……え?」
距離が縮まって、その顔がはっきり見えた瞬間。
「優希ちゃん?」
私は思わず立ち上がった。
宙が私を見る。
それから、近づいてくる相手を見る。
「……優希ちゃん?」
小さく、首をかしげる。
優希は私たちの前で立ち止まり、少し息を切らしながらも、満面の笑みを浮かべた。
髪は簡単にまとめられ、服装もラフ。
職場で見る、きっちりした印象とはまるで違う。
「見つけた!」
明るい声でそう言う。
私は眉をひそめた。
「どうして、ここに?」
優希は頭をかきながら、くすっと笑う。
「えへへ……七海さんの家の住所、健太さんに聞いたの」
そう言いながら、ためらいもなく宙の隣に腰を下ろした。
「だって、ここ数日会ってなかったでしょ?」
「寂しかったんだよ」
私は一瞬黙ってから、小さくため息をつく。
「……ほんと、あなたって人は」
優希は、今度は宙のほうを見た。
興味深そうに、じっと観察する。
「七海さん、」
「この子が、姪っ子?」
宙は背筋を伸ばした。
「はじめまして」
「宙です」
丁寧な挨拶に、優希は目を丸くする。
「わあ、すごく礼儀正しい!」
でも、すぐに首をかしげた。
宙の服装を上から下まで見て。
「……あれ?」
「七海さん、姪っ子って女の子って聞いてたけど?」
私は小さく笑った。
「はは……姉が、服に関してはケチでさ」
「あっ」
優希は何かを察したように声を上げ、勢いよく立ち上がる。
「じゃあさ!」
「宙ちゃんの服、買いに行こうよ!」
「えっ?」
宙はすぐに、小さく首を振った。
「……いらない」
優希はしゃがみ込み、宙と目線を合わせる。
「どうして?」
私は横から、そっと声をかけた。
「宙」
「この前も言ったでしょ。お洋服、買ってあげるって」
宙は視線を落とす。
「……服、高いでしょ」
「七海おばさんに、迷惑かけたくない」
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
「大丈夫だよ」
私はすぐに言った。
「七海おばさん、お金はあるから」
すると優希が、待ってましたとばかりに明るく言う。
「それにね!」
「優希おばさんも、買ってあげるから!」
宙は顔を上げ、私と優希を交互に見る。
迷い。
でも、その奥に少しだけ――
期待の光。
私は小さく微笑んだ。
「行こ」
「今日だけ、特別」
優希は両手を高く上げる。
「決まり!」
「お買い物行こー!」
宙は数秒黙ってから、
小さくうなずいた。
「……うん」
私は立ち上がる。
不思議と、足取りが軽い。
今日は、ただジョギングするつもりだった。
でも、どうやら――
今日は、いつもと違う一日になりそうだ。




