大きな存在と大きな重り。
最近彼氏ができた。だけど私はシングルマザー。母親としても、女としても人として生きなければならない。
だからこその悩みなのかもしれない。
私の感情のアウトプット。それが今回の文字起こし。
最近いいことも悪いことも、毎日繰り返されるなかで、私に対しての「平凡」という時間はなかなか少ない。
いつになったら平凡はやってくるのだろうかと願いながら日々を過ごす中で、また大きな波を作ってしまった。
いい意味で言うなら、恋愛が珍しく楽しくできていること。今までの恋愛は告白をされて、うまく流されてなんとなく付き合ってきた。自分から好きになった恋愛は必ず叶わないからだ。
そして悪く言えば、家族や周りに迷惑をかけていること。
シングルマザーでうつ病を持った私はかなり心の器が小さい、というより元義両親からその器を粉々に砕かれてしまったというのが正しいであろう。
何度も周りにヘルプサインを出したにも関わらず、誰からも相手にざれず、むしろ蹴落とされてしまったのだから。
粉々に砕かれたハートのピースをパズルのように修復し、液体が漏れないようにテープで塞ぐ。そんなイメージ。
修復していても何度も砕けたり、壊されたり、入ってきた悩みや、思い出、良いことも悪いことも日々の入った修復中の器では溢れてしまうばかりだし、隙間から漏れ出してしまうのだからいつも空っぽなのである。
うつ病に近い無感情は空っぽになってしまった私の心を誰も気が付かず放っておいてしまっていること。
偽りの笑顔を作りすぎてしまったが故に私が私ではなくなってしまっていること。
私を殺しすぎて「私」がなんなのか分からなくなっていること。それすら誰も分からないこと。
どうしたら私になれるだろうか。
本当の私の部分を知ったら傷つく人しかいないのだろか、幼少期の頃のようにまた馬鹿にする人がいるのではないだろうか。
今は確かに彼という大好きな人が近くにいて安心するところがあるが、その反面今の私には「家族」という大きな存在を実家に託してしまっている。
母親になりきれていない私の代わりに私の母が子供たちの母親の代わりをしている。
本当にこれでいいのだろうか。私の人生はこれで本当に合っているのだろうか。
「母親」と言う立場に立っていながらも、恋愛がしたい、少しの間でも良いから夢のような時間を過ごしていたいと女でいる私がなんとなく許せないでいる。
女は出産したら、「母」になるか「女」になるか、とどこかで聞いた。私は絶対に母になると決めていた。
シングルマザーになった今、「父親」と言う存在を探し求めて私は女になってしまったのだ。
決して子供を見捨てたわけでもなければ、1日も忘れたこともない。
ただ、この状況でいることに私は「女」になってしまったんだと後悔をしているのであろう。
「子供たちの面倒も見れないのか」、「母親なんだからしっかりしろ」、「産んだなら責任をとれ」
毎日悪夢のように私の気持ちが溢れてくる。
その反面、「どうか、私を休ませてくれ」「どんな形でもいいから助けてくれ」「この状況を打破する方法を教えてくれ」
そう毎日同じことを繰り返し考えてる。
この罪悪感と葛藤と共に彼と共存している中で、彼も子供と離れて暮らしていることにストレスだと思っているのではないか、私という重荷を背負って生きているのは辛くないだろうか。
私は幸せを感じると同時に同じくらいの罪悪感がある。
彼は私といることで何か思うことがあるんじゃないか。
彼は以前の家族に対してどう思っているのだろうか。
私はただただ彼の過去に嫉妬しているのだ。
前妻を愛していたこと、子供を愛していること。
情けがあるのは仕方ないことだとわかっている。そんなのわかりきっている。
だが、彼の中に愛した人が、ましてこんなに身近にいることが許せなくて、嫉妬しているのだ。
私もそう考えると大人になりきれない女なんだなと感じてしまう。
そんな自分が嫌でならない。
前妻も私の知っている友人たちと同じような感覚であることになんだか腹立たしい部分もあって、今の彼もそれに乗せられていたんだと思うと、単純に悲しくなってしまう。
女とはそう言う生き物なんだな、とあらためて思ってしまうのである。
いい駒を見つけて、恋愛感情もなく、ATMのようにうまく彼の機嫌を損なわないように生きて、うまく自分の中に転がすようにして、要が済んだら都合よく捨てる。
女の情けのない生き方だなとつくづく思う。
好きになったから付き合う、結婚する。
女にはその概念がないのだろうか。
駒を見つけては捨てるのが果たして人生の幸せなのだろうか。
こんなにも好きなのに届かない存在になってしまうのは誰のせいなのだろうか。
誰かを責めるわけじゃない。
私の周りにはそんな生き方をしている人ばかりで、恋愛というなのビジネスをしているように見える。
本当の「好き」とは何か。
私は今の彼という大きく優しい人からの大きな愛情を貰いながら、「母親」としての大きな重りを抱えて今日も生きている。
いつか、どんな形で合っても誰もが認める「家族」という形になれるように。
いつかみんなが笑顔でいられるような「家族」でありたい。そして、平凡を望んでいます。