月蝕 第8夜:邂逅
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**1. 終局への序曲**
月見里ハルナ、15歳。彼女の瞳は、まるで月蝕の闇に飲み込まれたように、冷たく、底知れぬ深さを持っていた。
彼女の「禍根異質」は、完全に制御を失っていた。
視線で人を殺す力は、発動からわずか数分で命を奪うまでに加速し、同時に彼女の心を蝕んでいた。
「ボク、思うんだけどさ。この力、もう止まらないよ、ね。なら、全部壊してあげるよ。世界の歪み、ボク自身が正してやる、かな」
ハルナは、施設の屋上で月を見上げながら呟いた。赤く滲む月は、彼女の心に蠢く赤黒い怪物を映し出しているようだった。
彼女は、探偵・田中リョウタを殺してしまった。ミカの依頼で彼女を追っていた男。ハルナは、意図せず発動した力に恐怖しながらも、どこかで安堵していた。
「ボク、邪魔なやつは特別恨みが無くても消せるんだ。ミカも、クロウも、誰でも。ボク、病気だけど……それでもいいよ、ね」
だが、彼女の心の奥底では、かすかな叫び声が響いていた。
「ボク、ミカだけは失いたくないよ……。お願い、ミカだけは……」
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**2. ミカの「疑念」**
ミカは、田中の死に打ちのめされていた。施設の自室で、彼女は膝を抱え、涙を流していた。
「ハルナ……ボク、ただハルナを守りたかっただけなのに……。なんで、田中さんが死んじゃったの……?」
田中の死は、ニュースで「原因不明の心停止」と報じられた。ミカは、ハルナが関与しているとは思いたくなかった。
だが、彼女の心に、疑念が芽生えていた。明らかな距離感、ハルナの夜中の外出、冷たい笑み、目を合わせない態度。
「ハルナ、ほんとに何か隠してるよね……。ここは、私が友達として、目を見てちゃんと話さなきゃ」
ミカは、ハルナと直接向き合うことを決めた。だが、彼女は知らなかった。その決意が、事態を終局へ導くことを。
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**3. 「超大物」の標的**
クロウからの連絡が届いた。
「ハルナ、今回の標的はこれまでとはレベルが違う。大物だ。気をつけろ」
標的は、農林水産大臣、佐々木ヒロシゲ。58歳。海外向け事業で巨額の赤字を出し、農協組織と結託して米の価格を不当に吊り上げ、全国民を苦しめた男。
表向きは「日本の農業を守る」と演説し、テレビやSNSで堂々と振る舞う。フォロワー数は300万を超え、生中継の記者会見は毎週のように行われていた。
「こいつ、ボクの嫌いなタイプだよ。偽善者で、身内にだけ甘くて、国民を食い物にしてる。ふふ、消すの、楽しみ、かな」
ハルナは、資料に写る佐々木の顔を見ながら、唇に冷たい笑みを浮かべた。だが、心の奥では、疑念が渦巻いていた。
「普通に考えたら、こんな大物を突然消したら、絶対バレるよね……。クロウたちは、ボクのこと、ほんとに守ってくれるの、かな?」
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**4. すれ違う「心」**
その日、ミカはハルナを屋上に呼び出した。夕暮れ時、赤く染まる空の下、ミカはハルナを正面から見つめた。
「ハルナ、私とちゃんと話してよ。なんか、隠してるよね? 死んだ探偵の田中さんのこと、知ってる?」
ハルナは、ミカの目を見ないように、視線を地面に落とした。彼女の心臓が、激しく鼓動した。
「ボク、田中さんなんて知らないよ。ミカ、ほんと詮索好きだよ、ね」
彼女の声は軽やかだったが、指先が微かに震えていた。
ミカは一歩近づき、声を震わせた。
「ハルナ、私ね、たとえ何があったとしても、私だけは絶対、今でもハルナのほんとの友達だと思ってるよ。なのに、なんでハルナは私と目を合わせてくれないの? 私、ただハルナが心配なだけなのに……!」
ハルナの胸が、締め付けられた。彼女は、ミカの目を見そうになり、咄嗟に顔を背けた。
「ボク、ボクは、ボクだってミカのことがほんとに一番大事だよ。真の友達だからこそ、ね。真の友達だからこそ、距離を置いてるつもりなんだよ、ほんとに大丈夫だから、嬉しいけど、でも、ボクのこと、ほっといてくれると嬉しい、かな」
ミカの目から、涙がこぼれた。
「ハルナ……私、ほっとけないよ。ハルナがこれからも危ないことしてるなら、私、何があっても絶対止めるから!」
ハルナは、ミカの言葉に背を向け、屋上を後にした。彼女の心は、ミカの涙で揺れながらも、冷たく凍りついていた。
「ミカ、ボクに関わったら、絶対死ぬよ……。お願い、離れててよ……」
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**5. 大臣への視線**
ハルナは、佐々木隆一の生中継記者会見に照準を合わせた。テレビ画面越しに、佐々木が自信満々に話す姿が映し出される。
「私は米を買ったことはありませんが、米の在庫自体は売るほどあります! 必ず値段は下がります! 我々は、日本の農業を未来に繋げるため、日々全力を尽くしています!」
ハルナの視線が、画面の佐々木に突き刺さる。赤黒い化け物の触手が、彼女の胸から溢れ出し、画面に吸い込まれるイメージが浮かんだ。だが、その瞬間、彼女は異変を感じた。
佐々木が、画面越しにハルナを見た。
彼の瞳に、明確な恐怖が浮かんだ。
「だ、誰だ……!? お前は一体、誰なんだ!?」
佐々木の声が、会見場に響き、カメラが揺れた。ハルナは咄嗟にテレビを消し、心臓が激しく鼓動した。
「また、気づかれた……! 画面越しなのに、ボクの力、ほんとにバレてるよ……!」
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**6. 追跡者の「正体」**
その夜、ハルナはクロウと緊急の連絡を取った。
「クロウさん、佐々木はやったけど、画面越しなのに間違いなくボクのことに気づいたよ。どういうこと? ボク、追われてるよね?」
クロウの声は、いつもより低く、冷たかった。
「ハルナ、君の力は素晴らしいが、予想以上に目立ちすぎている。気をつけろ、狂化した場合は我々の誰も君を止められないだろう。余計な情報は省いたが、佐々木はただの七光りだが、奴の家族は、代々ただの政治家じゃない。そして彼は、俺たちと同じように『特別な力』を持つ者の一味だ。ベストは尽くしているが、君を追う者たちのリーダー、最後の敵が、すぐそこまで来ている可能性が高い」
ハルナの瞳が、暗い月光を受けて鋭く光った。
「最後の敵? ふふ、面白いね。いよいよ決戦ってこと、かな。来るならまた、直接会ってやるよ、ね。邪魔なら、消すだけ、かな」
だが、クロウの次の言葉が、彼女の心を凍らせた。
「ハルナ、気をつけろ。今度君を追うのは、警察や探偵じゃない。『月蝕の使徒』の敵対組織だ。彼らのリーダーは、君の力を奪うか、殺すか、確実にどちらかを選ぶ」
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**7. 邂逅**
翌朝、ニュースが流れた。
「農林水産大臣、佐々木ヒロシゲ氏が急死。原因不明の心停止。総理大臣は緊急で新たな大臣を指名する方針」
ハルナは、テレビをじっと見つめた。佐々木の死は、彼女が能力を発動してから、わずか10分後のことだった。彼女の力は、完全に暴走していた。
その夜、ハルナは施設の屋上で、月を見上げていた。彼女の心は、恐怖と覚悟で満たされていた。
「佐々木の一族は代々変な力があったらしい。でも、佐々木自身は無能だった。組織に金を流していただけ。いいさ、世界の歪みは、ボクが正すんだから、ね」
突然、背後から気配を感じた。
「月見里、ハルナ」
ハルナは振り返らず、視線を地面に落とした。声の主は、若い女だった。20代後半、黒いコートをまとい、冷たい瞳でハルナを見つめていた。
「あなたの力は、知ってるよ。私たちは、あなたを必要としている。だが、邪魔をするなら、残念だけど消すしかない。クロウと共に、次に会う時に答えを聞かせて貰う」
ハルナの唇に、冷たい笑みが浮かんだ。
「ふふ、ボクのこと、消すって? 面白いね。クロウのことも知ってるんだね。なら、ボクも負けないよ。関わったら、みんな死ぬって教えてやる、かな」
ハルナが目を見てやろうと振り返った時、既に女は音もなく姿を消していた。
狂気の月は、彼女を優しく照らしていた。
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