月蝕 第7夜:越える狂気
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**1. 諦めの「境界」**
月見里ハルナ、15歳。彼女の瞳は、かつての怯えや迷いを徐々に失い、まるで月蝕の闇そのもののように冷たく、深くなっていた。
彼女の「禍根異質」は、制御を離れ、加速し続ける。
死のタイミングは、最初は3時間だったのが、最近では1時間、時には30分。ハルナは、死を24時間後に遅らせる願いを諦めた。
「ボク、思うんだけどさ。次は、いよいよ見た瞬間に殺せるかもしれないね。ふふ、それはそれで面白い、かな」
ハルナは、施設の屋上で夜空を見上げながら呟いた。月は、血のように赤く滲んでいた。彼女の心に、奇妙な安心感が広がっていた。
「ボク、邪魔なやつなら、誰でも消せるんだよ、ね。これが、クロウが言ってた狂化かもしれない。こんな力、怖いけど……なんか、安心してきたよ、ね」
彼女は、自分の力を「呪い」と呼びながらも、その力に依存し始めていた。
世界の「不均衡」を正すため、邪魔者を消すため、彼女の視線は刃のように鋭くなっていた。
だが、その安心感の裏には、かすかな自覚があった。
「これ、明らかによくないよ、ね……。でも、もうどうしようもない、から」
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**2. ミカの「追跡」**
ミカは、ハルナの変化にますます不安を募らせていた。
彼女は、探偵の田中リョウタにハルナの動向を追わせていたが、田中からの報告は曖昧なものだった。
「月見里ハルナ、夜間に頻繁に外出している。彼女は危険だ。関わらない方がいい。渋谷のクラブや裏路地での目撃情報があるが、具体的な行動は不明だ。また、場所は特定に至っていないが、何らかのカルトか、あるいは更に危険な組織と関わっている可能性が極めて高い」
ミカは、スマホを握りしめ、唇を噛んだ。
「ハルナ、やっぱりほんとになんかヤバいことに巻き込まれてるよ……。私が、友達として、絶対守らなきゃ」
彼女は、田中にさらに詳しい調査を依頼した。だがやはり、彼女は知らなかった。その純粋さから来る行動が、ハルナをさらに追い詰めることになることを。
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**3. 対峙**
ハルナは、クロウからの新たな任務を受けていた。
標的は、裏社会で暗躍するハッカー集団のリーダー、沢村ナオキ。28歳、海外からの接続に偽装した大規模サイバーテロで企業や個人を脅迫し、データを返す代わりに金を巻き上げる男。
彼は、毎晩ライブ配信で人気オンラインゲームを配信し、SNSでは派手な生活を自慢し、フォロワー数は200万を超えていた。
「また、顔出ししてるやつだね。懲りない奴。ボク、こういうの楽でいいよ、ね」
ハルナは、沢村のライブ配信をチェックした。アカウントも無しで見られる、本当に無防備なサイトだ。だが、施設からスマホを通じて見るのは危険だと判断された。
初めて行くネットカフェの画面越しに、沢村の自信満々な笑顔が映し出される。
彼女の視線が、沢村の目に突き刺さる。赤黒い触手の怪物が、彼女の胸から這い出し、画面に吸い込まれるイメージが浮かんだ。
だが、その瞬間、背後から気配を感じた。
「お前、月見里ハルナだろ?」
ハルナは振り返らず、視線を床に落とした。声の主は、田中リョウタだった。彼女の心臓が、激しく鼓動した。
「まさか、こんなところまで尾行された? ふふ、探偵さん、しつこいね。誰に頼まれたの、かな?」
田中は、静かに一歩近づいた。
「もしもの時は構わないと許可を得ているし、彼女を危険に巻き込まないように敢えて言うが、俺は、君の大事な友達に頼まれた。最近君が危ないことに巻き込まれてるって、心配してるんだ」
ハルナの唇に、冷たい笑みが浮かんだ。彼女は、田中の目を見ないように、視線を彼の肩にずらした。
「友達? ふふ、面白いね。ボク、そんなことする友達なんかいらないよ。ああ、そうさ、邪魔なやつは、消せばいいだけだから、かな」
田中の瞳が、鋭く光った。
「君の力、知ってるぞ。最近、人が次々死んでる。心臓発作、原因不明の急死。方法はわからないが、全部、君たちの仕業だろ?」
ハルナの心に、赤黒いモヤモヤが蠢いた。彼女の指先が、微かに震えた。
「ボクの力だけじゃなく、組織まで知ってるって? 探偵さん、ほんと面白いね。なら、ボクたちに関わったらどうなるか、教えてあげよう、かな」
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**4. 暴走する「力」**
ハルナは、田中の目を一瞬だけ見た。彼女の意志を超えて、能力が発動した。瞬時に、赤黒い化け物が、彼女の胸から溢れ出し、田中に絡みつくイメージが浮かんだ。
「やばい……! ボク、殺すつもりじゃなかったのに……!」
ハルナは咄嗟に視線を逸らし、路地裏を走り去った。彼女の心は、恐怖と混乱でいっぱいだった。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう。いろいろ聞き出す前に、やっちゃった。クロウに連絡、したほうがいいよ、ね」
その夜、ニュースが流れた。
「渋谷で活動する私立探偵、田中リョウタ氏がネットカフェで急死。原因不明の心停止」
ハルナは、施設の自室で膝を抱え、震えていた。
「最悪だ。ボク、ミカの友達を殺しちゃったかも……。ボク、やっぱりほんとに病気だよ……」
彼女の力は、完全に制御を失っていた。死のタイミングは、わずか数分。かつて彼女が願った「24時間後」なんて、遠い夢だった。
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**5. ミカの「涙」**
翌日、ミカは田中の死を知った。彼女は、施設の屋上で一人泣き崩れた。
「ハルナ……! 私、ただハルナを守りたかっただけなのに……! なんで、こうなっちゃったの……?」
ミカは、田中の死がハルナと関係しているとは思っていなかった。だが、彼女の心に、かすかな疑念が生まれていた。ハルナの夜中の外出、最近の冷たい笑み、遠い瞳。
「ハルナ、私のこと、ほんとに友達だと思ってくれてる……? 何か、隠してるよね……?」
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**6. クロウの「警告」**
クロウからの連絡が届いた。
「ハルナ、私立探偵を消したな。奴は俺たちの組織を調べ始めていたようだ。よくやった。だが、最近の君の力は目立ちすぎている。もうすぐ、君を追う組織が本格的に動き出すだろう。こちらも根回しはしているが、もしそうなれば次の標的は、君自身だ。だがいきなり殺すためではない、奴らも、君を欲している」
ハルナの瞳が、月光を受けて鋭く光った。彼女はスマホを握りしめ、唇に笑みを浮かべた。
「ボクを欲している? ふふ、面白いね。ボクに関わったら、誰であろうと死ぬって教えてやるよ。世界の歪みは、ボクたちが正すんだから、ね」
だが、その笑みの裏には、深い恐怖と絶望があった。
「ボクは病気だ。こんな力、持ってる時点で、普通じゃない。でも、ボクは、もう止まらないよ。絶対に、ね」
最近、ミカが部屋に来なくなった。いいことだ。今はお互いに、距離を置いた方がいいと思った。
それに、真の友人こそ適度な距離を保つって、偉い教授が書いた本にも、書いてあったもの。
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**7. 迫る「終焉」**
その夜、ハルナは施設の屋上で、月を見上げていた。最近の月は、霞んでいるような気がする。
彼女の心は、完全に決壊していた。彼女の力は、彼女を自由にするはずだった。だが、今、彼女は自分の力に完全に縛られていた。
「ボクは、邪魔なやつなら、誰でも消せるんだ。その気になればミカも、クロウも、追ってくるやつも。全部、ボクの力で……」
彼女の瞳に、背中から触手が生えた赤黒い化け物の背中が映った。似ている、あの日見たあの恐ろしい背中に。
夜風に吹かれながら、ネオンの街を見下ろした。
「その気になれば、この街すら全部終わらせられるんだよ、ね。みんな、ボク邪魔、しないで欲しい、かな。ボクは、自由になりたいんだ」
彼女の狂気が、彼女自身の心が、夜の街を飲み込んでいく感覚。
霞んだ朧月の夜、彼女の力は、彼女自身をどこへ導くのか。
そして、彼女は、ミカとの絆を保てるのか。
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