月蝕 第5夜:力と責任
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**1. 視線の「重さ」**
月見里ハルナ、15歳。彼女の瞳は、まるで月蝕の闇のように深く、冷たかった。
だが、その瞳を人に向けることは、ほとんどなかった。彼女の「禍根異質」は、視線を通じて人を殺す力。
発動すれば、相手は数時間後に確実に死ぬ。ハルナは、その力を恐れていた。特に、ミカに対しては。
「ハールナ、ちゃん! ハルナってさ、いつも目を見て話してくれないじゃん! やっぱり、私のこと嫌いなの?」
ミカの声は、いつものように明るかったが、どこか傷ついた響きがあった。
施設の食堂、夕飯の時間。ハルナはカレーの皿を見つめたまま、視線を上げなかった。
「ボク、嫌いじゃないよ。ミカ、ほんと大事だから、大事だからこそ、ね」
ハルナの声は軽やかだったが、心の中では恐怖が渦巻いていた。
ミカの目を見て、もし一瞬でも「消えてほしい」と思ってしまったら。もし、能力が意図せず発動してしまったら。
ミカの笑顔が、血に染まる姿を想像するだけで、彼女の胸は締め付けられた。
「違うんだ、ボク、どうしても目を合わせられないだけだよ。怖いんだ……」
ハルナは心の中で呟き、唇を噛んだ。彼女はミカを冷たくあしらっているつもりはなかった。だが、ミカの言葉は、彼女の心に鋭く刺さった。
ミカはハルナが残したニンジンを口に放り込んで言った。
「今日のカレーさ、いつもより明らか辛くない?」
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**2. 死の「タイミング」**
ハルナの能力は、成長していた。
最初の頃は、視線で「死」を願ってから約3時間後に標的が死に、いつも「心臓発作」や「原因不明の急死」と報じられた。
だが、最近、彼女は違和感を覚えていた。死亡するタイミングが、明らかに短くなっている気がした。
飲酒運転の佐藤ケイタを殺したとき、ニュースでは「拘置所内で急死」と報じられたが、彼女が能力を発動してから、わずか2時間ほどで死んでいた。
闇医者の藤田カズヒコも、発動から2時間半ほどで死に、CEOの佐伯キョウヘイに至っては、1時間半で心停止。
「ボクの力、早く、強くなってる……? それとも、ボクの感覚が狂ってるだけ?」
クロウの言葉が、頭をよぎる。「君の力は、成長性を秘めている」。
もし、彼女の能力がさらに進化し、いつかは見た瞬間にでも殺せるようになったら? そんな力はあまりにも目立ってしまう。絶対だめだ。あまりにも怪しまれる。
「お願いだから、ボクの力、せめて24時間後にしてよ……。即死とか、ほんとまずいよ、ね」
ハルナはベッドに横になり、祈るように独り呟いた。彼女の心は、疑心暗鬼に支配され始めていた。
クロウや「月蝕の使徒」が、連携して障害を排除し、彼女に確実に標的との接触機会を与えてくれるタイミング。
いつも、彼女が「見つめる」のに都合のいい場所や時間を選んでくる。
「まさか、ボク、上手いことハメられてる……? 組織、ボクのことを利用してるだけじゃないよ、ね?」
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**3. ダイイングメッセージの恐怖**
ハルナの頭を、さらなる不安がよぎった。
彼女が始末した標的たちは、死の直前に何か気づいていたのではないか? 特に、藤田カズヒコや佐伯キョウヘイは、彼女の視線を感じ取ったような反応を見せていた。
もし、彼らが死の直前に「ダイイングメッセージ」のようなものを残していたら? 彼女の存在をほのめかす手がかりを、誰かに伝えるように残していたら?
「ボクのこと、知ってる組織がいるって、クロウが言ってたよね。もし、警察や別の組織がボクを追ってるなら……?」
ハルナはスマホを取り出し、過去の標的のニュースを検索した。どの記事も、「急死」「原因不明」と報じられている。
だが、彼女の心は落ち着かなかった。彼女の力は、完璧に隠されているはずなのに、なぜか「見られている」感覚が消えなかった。
「ボク、病気だよね。こんな力、持ってる時点で、やっぱり普通じゃないよ……」
彼女は鏡を見ないように、顔を背けた。鏡の中の自分は、あの恐ろしい目をした怪物に見える。
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**4. 焦燥する任務**
その夜、クロウからの連絡が届いた。次の標的は、裏社会で有名な情報屋、黒崎ユウト。
30代半ば、表ではIT企業のコンサルタントとして活動しながら、裏では個人情報を売りさばき、弱者を脅迫して金を巻き上げる男。
SNSでは派手な生活を自慢し、フォロワー数は100万を超える。
「また、顔出ししてるやつだね。ボク、こういうの楽でいいよ、かな」
ハルナは資料に写る黒崎の顔を見ながら、軽く笑った。だが、心の奥では、疑念が渦巻いていた。
最近のクロウが選ぶ標的は、いつも「殺しやすい」状況にある。まるで、彼女の力を試すように。
任務の場所は、黒崎が主催するパーティー会場。渋谷の高級ホテルの最上階。
ハルナは、ダボダボのスウェットにキャップを深く被り、会場に潜入した。偽IDなど組織にかかればお手の物だ。
会場は、華やかなドレスやスーツに身を包んだ男女で溢れ、シャンパンの泡と笑い声が響き合っていた。
黒崎は、壇上でマイクを握り、自信満々に話していた。
「これからの時代、速さと情報を嗅ぎわける嗅覚こそが力だ! 私たちは、正しい情報を速く正確に掴むことで未来を切り開くんだ!」
観客の拍手の中、ハルナは黒崎の目を見つめた。赤黒いモヤモヤが、彼女の胸から這い出し、触手を生やした人型の影のようになって黒崎に絡みつくイメージが浮かんだ。
だが、その瞬間、黒崎がハルナの方を見た。
彼の瞳に、明確な恐怖が浮かんだ。
「お前……何だ!?」
黒崎の声が、会場に響いた。ハルナは咄嗟に視線を逸らし、人混みに紛れて会場を後にした。心臓が、激しく鼓動していた。
「また、気づかれた……。ボク、ほんとにバレてるよ……」
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**5. ミカの光と闇**
施設に戻ったハルナは、部屋で膝を抱えていた。
彼女の頭の中は、黒崎の怯えた目と、クロウの言葉でいっぱいだった。
彼女の力は、確かに世界の「不均衡」を正しているのかもしれない。だが、同時に、彼女をもう後戻りできない危険な道に引きずり込んでいる。
「モヤモヤから触手が生えて、化け物みたいになってきた。あいつがあっという間に殺すんだ。お願いだから、成長したなら逆に遅らせてよ……」
ドアがノックされ、ミカが入ってきた。
「ハールナ! まーた暗い顔してるよこの子は! ねえ、ほら、これ! 新作の話題のいちごタルト! 一緒に食ーべよ!」
ミカは、いつものように明るく笑いながら、巨大なタルトの箱を差し出した。ハルナは小さく笑い、ミカの目を見ないように受け取った。
「箱ごと? どう見ても食べづらいよね、これ。しかもデカいし。一個の半分でいいよ。まあ、ボク、ミカといると、なんかホッとするよ。うるさいけど、ね」
ハルナの声は、いつもより弱々しかった。ミカはハルナの隣に座り、肩を寄せてきた。
「ハルナ、さ。なんか、最近ほんとに遠く感じるよ。なんか、壁を感じるの。私のこと、ほんとに友達だと思ってくれてるよね?」
ハルナの胸が、締め付けられた。彼女はミカの目を見ず、ただ小さく頷いた。
「ボク、ミカのこと大事だよ。タルトの1個くらい頑張って食べるから、気にしないで、大丈夫だから、ね」
だが、彼女の心の奥では、別の声が囁いていた。
「もし、ミカがボクの秘密を知ったら? もし、ボクの力が暴走してうっかりミカを殺してしまったら?」
ミカはタルトの写真をSNSにアップすると、1個と半分を平らげて帰って行った。
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**6. 24時間の願い**
翌朝、ニュースが流れた。
「ITコンサルタント、黒崎ユウト氏が講演の直後に急死。原因不明の心停止」
ハルナはテレビをじっと見つめた。黒崎の死は、彼女が能力を発動してから、わずか1時間後のことだった。
彼女の願い――「24時間後に死んでほしい」――は、完全に無視されていた。
「ボクの力、どんどん早くなってる……。これ、ほんとまずいよ……」
クロウからの連絡が届いた。
「ハルナ、よくやった。だが、あまりにも動きが早すぎる。気をつけろ。君を追う者が、すぐそこまで来ている。資料を渡す。重要な作戦になる」
ハルナの瞳が、月光を受けて鋭く光った。彼女はスマホを握りしめ、唇に微かな笑みを浮かべた。
「邪魔を、しないでよ。関わらなければ長生きできるのに。命知らず、かな」
だが、その笑みの裏には、深い恐怖があった。
「やっぱり、病気だよね。こんな力、そもそも持ってる時点で、普通じゃないってわかる。けど、ボク、きっと大丈夫……。大丈夫、だよね……?」
彼女の物語は、さらなる闇へと突き進む。
新月の夜、彼女の力は、彼女自身を飲み込むのか。
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