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月蝕 外伝②:アヤカの刹那


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**1. 時の傷跡**


藤崎アヤカ、22歳。

彼女の瞳は、まるで止まった時間の中に閉じ込められたかのように、静かで、どこか虚ろだった。

彼女の「能力」は、一瞬だけ時間を止める力。

ほんの一秒にも満たない刹那だが、その間、彼女以外の全てが凍りつく。だが、この力は、彼女の心に深い傷を刻んでいた。


アヤカの人生は、かつて光に満ちていた。港区の最上級タワーマンションに住む、所謂上級国民の娘。

父親は政府高官、母親は有名なピアニスト。彼女は、華やかな世界で育ち、誰もが羨む生活を送っていた。

だが、その輝きは、脆く崩れ去った。


10年前、彼女が12歳のとき。父親は、時の大臣から公文書の改ざんを指示された。

国家の闇を隠すため、国民を欺くため。父親は、その重圧に耐えきれず、実行はしたものの自宅の書斎で首を吊った。

母はその後、人が変わったように狂い、夫の死と、結局何も教えてくれなかった国に絶望し、アヤカを連れてタワーマンションの屋上へ向かった。


「アヤカ、あなたも一緒に……。この世界に、生きる価値なんてないのよ……一緒だから……こんな国に産んだことを許してちょうだい」

母親は、涙ながらにアヤカの手を握り、屋上から彼女を投げ落とした。

だが、その瞬間、奇跡が起きた――あるいは、呪いだったのかもしれない。


アヤカは、落下中に下を歩いていた老人が連れていた大型犬に激突した。

ゴールデンレトリバーの巨体が、彼女の落下を和らげ、彼女は一命を取り留めた。だが、犬は即死。飼い主の老人は、愛犬を失ったショックで精神を病み、数年後に亡くなった。

母親もまた、アヤカを投げ落とした直後に屋上から飛び降り、命を絶った。


アヤカは、生き残った。だが、彼女の心は、あの日の屋上で止まったままだった。


---


**2. 止まった時間**


アヤカの心の奥底には、切実な渇望があった。それは、「時間を巻き戻したい」という願い。

あの日の屋上での出来事――父親の死、母親の絶望、犬と老人の犠牲――をなかったことにしたかった。

彼女は、自分の命が赤の他人や尊い動物の犠牲で守られたことに、耐えられない罪悪感を抱いていた。


「もし、あの時、一瞬だけでも時を止められたら……死ぬのは私だけでよかったのに……」

アヤカは、夜ごとにそう呟き、涙を流した。彼女の能力は、その願いの歪んだ形で現れた。時計の針が一瞬止まって、また動いた。一瞬だけ時間を止める力。

だが、それは過去を変える力ではなく、ただ刹那を凍らせるだけのものだった。


彼女の夢は、かつて犬を飼うことだった。最高の立地にもかかわらず、以前の住人が過去に起こしたトラブルから、ペットは不可になったタワーマンションに住んでいたため、子犬を抱くことを想像しては心を温めていた。

だが、あの日の事故以来、彼女は犬が、動物が苦手になった。特に大型犬の姿を見るたびに、あの優しい目をした、ゴールデンレトリバーの血に染まった記憶がフラッシュバックする。皮肉にも、彼女は動物には不思議と好かれた。街を歩けば、野良猫や散歩中の犬が寄ってくる。彼女は、それを避けるように、何かに謝りながら目を逸らし続けた。


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**3. 否定する自分**


アヤカの欠点は、「自己否定」。彼女は、自分の存在そのものを否定していた。

あの日の事故で、自分が生き残ったことが、犬や老人の死、母親の自殺を引き起こしたと信じていた。

彼女の渇望――時間を巻き戻したいという願い――は、自己否定と結びつき、彼女を内向きの闇に閉じ込めた。


「私が生きてるから、みんな死んだの。私なんて、いないほうがよかった……」

彼女は、自分の能力を使うたびに、その思いを強めた。一瞬の時間停止は、彼女に「選択」の猶予を与えるが、結局、彼女は自分を救う選択をできなかった。

この欠点は、彼女の任務での冷静な判断を妨げ、しばしば仲間を危険に晒した。


アヤカは、この自己否定を自覚していたが、受け入れることができなかった。彼女は、自分の命を「永遠に止まった時間からの借りもの」だと感じていた。


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**4. 絵の中の犬**


アヤカは多才で、学業成績は常に学年一位だった。

中学生の頃、当時の美術の教師から、君は絵画のコンクールに出るべきだと言われ、内申の為にしかたなく、あの日見たような大型犬の絵を書いてやった。

絵は絶賛され、最終的に全国大賞を取った。

最終品評会では、プロの画家や芸術家が、彼女の絵はまるで赤子に絵本を朗読するかのように、柔らかく、どこか儚げで、温もりがあり、その毛並みたるや、まるで風に揺れる柳のように繊細だと評した。

実際、のちにメディアに取り上げられた彼女の絵の中の犬は、誰が見ても本当に今生きているかのような雰囲気があり、その目はどこか遠くの世界を眺めるような深みがあった。

絵の題は、あの日遠くなる意識の中で老人が叫んでいた言葉、『ワンタ』と名付けた。


彼女の才能は、母親の遺伝だった。ピアニストだった母親は、いつも部屋で優雅に、しかし悲しげに演奏をしていた。

アヤカは、その弾き方を無意識に真似ることで、母親との繋がりを保とうとしていた。だが、同時に、ピアノは彼女の自己否定を隠す仮面でもあった。


「私、こんな力、持たなくていいのにね。あの時、死ねばよかった……」


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**5. 月蝕の使徒**


アヤカは、16歳のときに「月蝕の使徒」にスカウトされた。

クロウが彼女を見つけたのは、街の裏路地で、チンピラに絡まれていたとき。

彼女は、無意識に時間を止め、チンピラの隠し持っていたナイフを奪い、逆に突き刺して逃げ出した。その刹那の力が、クロウの目に留まった。


「アヤカ、君の力は、世界の歪みを正す鍵だ。俺たちと一緒に戦わないか?」


アヤカは、クロウの言葉に惹かれながらも、ためらった。だが、彼女には行く場所がなかった。

家族を失い、身分を隠して施設で孤独に育った彼女にとって、月蝕の使徒は、初めての「居場所」だった。


彼女は、ハルナの任務をサポートする役割を担った。時間を止める力で、敵の動きを封じ、ハルナやカイトの攻撃を援護した。

だが、彼女の力は一瞬しか持続しないため、タイミングが命だった。失敗すれば、仲間が危険に晒される。彼女は、毎回、自分の無力感と戦っていた。


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**6. ハルナとカイトとの絆**


アヤカは、ハルナとカイトに出会い、初めて「仲間」を感じた。ハルナの冷たい瞳と、カイトの燃えるような瞳。どちらも、彼女の虚ろな瞳とは異なり、強い意志を持っていた。


「アヤカさんの能力、すごく助かるよ。それに、明らかに止める時間、長くなってるよね。成長性って言うの? すごいと思うよ。ボク、必ずすぐ終わらせるから、ね」

ハルナの軽やかな声に、アヤカは小さく微笑んだ。

「私、できるだけ頑張るね。でも、失敗したら、ごめんね……」


カイトとは、ある任務で深い会話を交わした。燃える森の中で、カイトが灰を見つめながら呟いた。

「オレってさ、こうして壊して燃やしちまうばっかだ。ゴミ燃やすのは環境は救えてるかもしれないが、肝心なものは守りたいのに、全部壊しちまうんだよ、おかしいだろ?」


アヤカは、静かに答えた。

「私もだよ、カイトさん。私だって、時を一瞬止めても、ろくな未来も、過去も変えられない。生きてるだけで、誰かを傷つけてる……」


二人は、互いの「壊す力」と「守りたい願い」を共有し、静かな絆を築いた。


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**7. 犬の記憶**


アヤカは、あの日の真実を思い出せずにいた。

ゴールデンレトリバーが、突然走り出して彼女の下に飛び込み、壁になってくれたこと。

彼女を救うために、犬が命を捧げたこと。彼女は、それを「偶然の激突」としか記憶していなかった。


ある日、任務の帰りに、首輪がついた野良犬がアヤカに寄ってきた。

ふわふわの毛、優しい瞳。飼犬だ。散歩の途中で逃げ出してきたのか。アヤカは、咄嗟に後ずさった。だが、犬は彼女の手を舐め、尻尾を振った。


「や、やめて……私、犬、怖いんだから……ごめんね」

彼女は涙をこらえ、逃げるようにその場を去った。だが、彼女の心の奥で、何かが揺れていた。

あの日の犬の温もりが、かすかに蘇った。


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**8. 新たなる道**


ハルナが「星屑の灯」を設立した頃、アヤカは月蝕の使徒を離れ、カイトと結婚し、都の殺処分ゼロを目指す動物保護のボランティア事業を始めた。

彼女は、内心では犬を怖がりながらも、動物たちの命を守ることで、自分の罪悪感と向き合おうとしていた。

今は気合を入れれば時を5秒ほど止められるようになっていたが、怖くて誰にも言えずにいた。


「私、過去は変えられないけどね。せめて、今、彼らを守れたらいいな、って……」


彼女は、高橋の一件以降、久しぶりにハルナとミカに恐る恐る手紙を送った。

「ハルナ、ミカ。あなたたちの光、眩しいよ。ハルナに言われてから私もケアを続けるようになって、今では5秒くらい止められるようになったの。私たちも、負けないように、生きてみるね」


月は、満ちては欠ける。だが、アヤカの心には、かすかな希望が芽生えていた。

彼女の刹那は、過去を止めることはできなくても、時間の壁に楔を打ち込み、新たな未来を切り開く力になった。


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