月蝕 最終夜:満ちては欠ける不完全な世界
---
**1. 光輝く朝**
月見里ハルナ、18歳。彼女の瞳は、かつての冷たく凍りついた闇を脱ぎ捨て、静かな決意に満ちていた。
あの夜、渋谷の地下で「月蝕の使徒」と「暁の使徒」の戦いを経て、彼女は自分の力――「禍根異質」――を封印した。
クロウの犠牲、ミカの涙、そして彼女自身の心の叫びが、彼女を闇から引き戻したのだ。
それから3年。ハルナは、あれから能力を一度も使わなかった。
世界は変わらず、腐敗と不均衡に満ちていた。裏で弱者を踏み潰すクズ、偽善を振りかざす権力者、罪を犯しても平然と生きる者たち。
だが、ハルナはもう、視線で人を殺す少女ではなかった。
彼女とミカは、クロウから受け取った莫大な資金を元手に、会社を設立した。
社名は「星屑の灯」。恵まれない子供たちを支援する事業を展開し、児童養護施設や貧困家庭の子供たちに教育や生活の機会を提供していた。
ミカは、持ち前のコミュ力で社長として表舞台に立ち、ハルナは裏方で戦略を練る。
困難は多かったが、二人三脚で、彼女たちは自分たちの過去を乗り越え、世界に小さな光を灯していた。
「ハルナ、ほら! 今日のイベント、めっちゃ盛況だったよ! 子供たちの笑顔、最高じゃん!」
ミカの明るい声が、オフィスの窓辺に響く。ハルナは、ダボダボのスウェットを脱ぎ、シンプルなシャツに身を包んだ今、ミカの目を見つめながら微笑んだ。
「ボク、思うんだけどさ。ミカの笑顔は、子供たちより眩しいよ、ね」
ミカは顔を赤らめ、ハルナの肩をポンと叩いた。
「ハルナ、ほんと口上手くなったよね! まあ、まだまだ私の魅力には敵わないけどさ!」
二人の関係は、友達を超え、深い絆で結ばれていた。ハルナは、ミカと見つめ合っても、殺意が湧かないことを知っていた。彼女の力は、完全に覚醒し、制御可能になっていた。
---
**2. 届いた「依頼」**
ある日、星屑の灯のオフィスに、一通の匿名の手紙が届いた。封を開けると、震える字でこう書かれていた。
「月見里ハルナ様へ
どうしても殺してほしい人間がいます。3年前の大臣の変死にあなたが関わっていると、裏の世界に通じる者から聞きました。この世で唯一、完璧で完全な殺人ができる可能性がある人。神に誓って口外はしません。お金はいくらでも出します。どうか、お願いします。」
添付された資料には、男の情報が記されていた。名前は高橋カケル、25歳。
世田谷区の路上で無免許で「モペット」を運転し、時速33キロで一方通行を逆走。
自転車に乗っていた女子高生、佐藤サキ(18歳)に衝突し、頭部に全治不明の重傷を負わせた。
彼女は一命は取り留めたものの、左半身麻痺と言語障害を背負い、今も懸命なリハビリの日々を送っているが、回復の見込みは少ないようだ。
高橋は、無免許危険運転致傷罪と、知人に身代わりを依頼した罪で起訴された。東京地裁の判決は、こうだった。
「被告は免許取消後も別のモペットを購入し、証拠を偽り、無免許運転を繰り返した。また事故後にも同種の車両を入手し、運転を続けた。交通規範意識は欠如しており、刑事責任は重い。被害者の結果は極めて重大である。」
だが、被害者が死ななかったため、判決は懲役3年。高橋は、わずか3年で社会に戻る予定だった。
ハルナは、資料を握り潰し、唇を噛んだ。
「なるほど、許せない、ね。こんなやつ、生きてる価値ない、かな」
彼女の胸に、久しぶりにあのゾワッとする感覚が湧き上がった。赤黒いモヤモヤが、静かに蠢き始めた。
---
**3. ミカの不安**
ハルナは、ミカに手紙を見せた。ミカは、資料を読み、顔を曇らせた。
「ハルナ、これ……ほんとにやるの? あんた、あの力、封印したんじゃなかったの?」
ハルナは、ミカの目を見つめ、静かに言った。
「ボク、ミカには隠さないよ。あれから一回も使ってないのは確かだけど、今はこの力、完全に制御できるようになったんだ。映像でも、リアルタイムなら、ボク、選べるよ。誰を、いつ、殺すか。すぐでも、12時間後でも、ね」
ミカは、震える声で言った。
「ハルナ、私、怖いよ。やるなら止めないけど、あんたがまた、あの闇に戻っちゃうんじゃないかって……」
ハルナは、ミカの手を握り、微笑んだ。
「ボク、ミカを失いたくないよ。だから、ボク、ちゃんと制御する。ミカがそばにいてくれるなら、ボク、狂わないよ、ね」
ミカは、涙をこらえ、頷いた。
「ハルナ、私、信じるよ。でも、絶対、戻ってきてね。約束だよ」
---
**4. 命蝕の月**
ハルナの力は、3年前の戦いで完全に覚醒していた。
「命蝕の月」、ミカが名付けたその力は、命名のセンスはともかく、リアルタイムの映像を通じて、任意の対象を即時から12時間後の間で自由に殺すことができた。
彼女は、かつての仲間たち、クロウの遺志を継ぐ新たな組織とも連絡を取り合い、裏の世界での動向は定期的に把握していた。
だが、彼女の心には、やはり消えない狂気が潜んでいた。
命蝕の月の反作用――「狂気化」。どうしても許せない人を殺したい衝動が、時折彼女を襲う。
クロウの仲間たちや新たな組織から教わった「ケア」――定期的な発散――で、彼女はそれを抑え込んでいた。
彼女の場合、ミカの存在が、彼女の心の錨だった。
ハルナは、仲間と協力し、高橋カケルの最新の情報を集めた。
彼は、既に刑務所を出所し、SNSで再び派手な生活を自慢していた。ライブ配信で、モペットを乗り回す姿を公開し、「過去は過去」と笑う。
「こいつ、反省なんかしてないね。そもそも、モペットには免許がいるんだよ、ね。ボク、決めたよ。こいつは、消す」
ハルナは、スマホから高橋のライブ配信をチェックした。
画面越しに、彼の傲慢な笑顔が映し出される。
彼女の視線が、高橋の目に突き刺さる。
背中から無数の細い棘のような触手を生やした、長い髪をした細い女性のような赤黒いモノが、モヤモヤと共に彼女の胸から溢れ出し、画面に吸い込まれるイメージが浮かんだ。
「12時間後、一人でいる時に静かに死になさい」
ハルナは、静かに呟いた。彼女の力は、完全に彼女の意志に従っていた。
---
**5. 満ちては欠ける流れ往く世界**
翌朝、ニュースが流れた。
「25歳男性、高橋カケル氏が急死。原因不明の心停止」
ハルナは、テレビを消し、ミカの隣に座った。ミカは、彼女の手を握り、静かに言った。
「ハルナ、終わった?」
ハルナは、ミカの目を見つめ、頷いた。
「うん、終わったよ。ボク、もうこの力、ほんとに使わないよ。ミカと一緒に、別の方法で戦うって決めたから、ね」
ミカは、涙を流しながら笑った。
「ハルナ、私、ずっとそばにいるからね。約束だよ」
ハルナは、窓の外を見た。月は、満ちては欠ける運命にある。
だが、彼女は知っていた。月そのものが太陽に飲まれて消える日が来るように、この世に永遠はない。
でも、ミカと一緒にいる限り、彼女は闇に飲み込まれない。
「ボク、思うんだけどさ。世界は、満ちては欠けるけど、ボクたちなら、ちょっとだけ変えられるよ、ね」
闇に覆われた暗い夜は、月に照らされて朝を迎えた。
明日もまた日は昇り、そして静かではない夜を迎える。
ハルナとミカの物語は、新たなる決意を持って光へと続く。
(終)
---