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71.妖精郷-2

 岩山を潜ると、そこは夜空が広がる美しい野原だった。

 思わず驚いて声を上げそうになったが、慌てて口を押さえて黙って辺りを見渡した。

 これが妖精郷か。


 そのまま歩き続けると、ぼんやりと明るくなってきた。

 そこは、全ての季節の花々が咲き乱れる理想郷で、木と葉と花と実で飾られた玉座には、男性と女性が腰掛けていた。

「オベロン様、ティターニア様」

 その前に進み出て、サン・マンが挨拶をした。


「サン・マン、随分早かったのね。あなたが帰ってから、まだ二曲しかパーンが音楽を奏でていないわ」

「ああ。妖精たちも踊り足りない」

「人間界は聖夜の日。この日こそ、依頼の完遂をご報告するのに相応しいと思い、参上しました」

「ほう。確かに、そこなるケット・シーは、迷子の妖精のようだ」

「そうね。お前、自分が妖精だったことを思い出したのね」

「にゃあ。呪いでネコになっていたみたいですにゃ」


「黒い魔憑きになった子はどうなった?」

 最初から全てお見通しだったのだろうか? 不思議に思ったわたしの横で、サン・マンはため息をついてから、鞄から白い魔除け陣を刺繍した布につつまれた、黒い半透明の石を取りだした。

 妖精王の横にいた妖精が、その石を布ごと受け取ると、妖精王へと差し出した。

「ふむ。すでに呪いは壊れておるな。水の妖精たちよ、この哀れな同胞を、清き流れに沈め安らかな眠りにつくようにしてやれ」

 どこからか、青い妖精たちが現れ、黒い石を受け取り、再び消えていった。


「して、そこなる小娘は?」

「わたしの妹弟子、アウローラです。このケット・シーを探し、呪いを解いたのはこの娘です」

「ほう、そうか。確かに、その娘の周りには、まだ魔力の渦が巡っているな」

 妖精王はそう言うと、手にしていた巨大な杖をコン、コン、と叩くと、わたしとケット・シーの周囲から何かがポロポロと落ちた。

 妖精たちは、そこからざざっと後ろに下がったが、蟻の姿をしたムリアンたちだけが寄ってきて、その黒い埃のようなものを掴むと、えっちらおっちらとどこかへ運んでいった。

「呪いの滓のようなものよ。ムリアンたちが、片付けてくれるから大丈夫だ」

 妖精たちは、再び陽気な表情を取り戻し、歌ったり踊ったりし始めた。


「さて、もう一つの依頼だが、サン・マン、お前はこの娘が魔女だと言うのか?」

 妖精女王が立ち上がり、アウローラの前へとやって来た。

 そんな話は聞いてない。驚いてサン・マンの方を見ると、特に驚いてはいないようだ。


「正直なところ、わかりません。しかし、ケット・シーがアウローラの匂いを嗅ぎつけたということは、魔女の系譜に連なるものなのではないかと思っています」

「ふむ。妾も魔女の気配は感じるが、まだそうとは言い切れない」

「ティターニア様でもですか?」

 今度は驚いたようにサン・マンが言った。

 妖精女王は重々しく頷いた。


「まあ、良い。魔女であればその血は自ずと目覚めるはず。そうでなければ、エセ魔法使いよ」

「私のようにですか?」

「サン・マン。そなたは、我ら妖精族の祝福を受けし者。魔術師というには惜しいが、魔法使いというには足りぬ。さあ、こちらへおいで」

 サン・マンが妖精女王の近くへ寄ると、そっとサン・マンを抱きしめて、その額にキスをした。

「よくやった。流石は妖精族の末に連なる者よ。あちらへお帰り」


「そちらの娘も」

 わたしが妖精女王の近くに寄ると、同じように軽く抱きしめられた。

 そして、両瞼にキスをしてくれた。

 わたしが目を開けると、驚いたことにさっきよりもたくさんの妖精が見えている。

「ふふふ。やはり見えるか。妾の祝福を受けてよく見えるようになる者は、魔法使いの素養がある。よく励め」


 サン・マンの方を見ると、「お礼を言いなさい」と言ったので、初めて口を開いた。

「妖精王様、妖精女王様、この度は妖精郷へ足を踏み入れることをお許しいただきありがとうございました。そして、祝福を賜りましたこと、感謝しております」

 そっと膝を折って礼をすると、サン・マンの横に立った。


 すると妖精王が少し考えるような顔をした。

「ふむ。愛しのティターニアからは祝福を授かったか。であれば、私からは何を褒美にやろうか」

 すると、サン・マンが少し焦ったように言った。

「いえ、オベロン様。祝福だけでも十分なくらいかと」

 しかし、妖精王は面白いことがないかな、という顔をして考えている。これは、マズイかも?

「おお、そうだ。その娘は、我らの郷の種を持っておったな?」

「「は?」」

 思わずサン・マンとハモってしまった。

「種、ですか?」

「ああ。あの種を育てるための手伝いを贈ろう。楽しみにしておれ」


 何のことだかよくわからないが、とりあえずは大丈夫だとサン・マンは判断したようだ。

「では、これで失礼します」

 サン・マンがほっとしたように立ち去ろうとしたので、わたしは小声で「お土産は?」と聞いた。

「ああ、忘れるところだった。オベロン様、今宵は聖夜。こちらをお楽しみください」

 鞄からお酒を取りだして従者の妖精に渡すと、今度こそ暇を告げた。

「よしよし。今年は二度もクルラホーン秘蔵の酒を楽しめるな。良き年ぞ。では、また夏至に」

「はい、夏至の夜に」


 サン・マンと二人で、春の薄闇の中にある野原を急ぎ帰路についた。

 今、空は不思議な橙と紫がにじんだ色をしており、夕方なのか明け方なのかわからない。その薄明かりの中、やはり全ての季節の花々が咲いているが、今は花の中にも、小さな妖精が宿っているのが見える。

 これが、妖精女王からの祝福なのだろうか。歩きながら妖精を蹴飛ばしてしまわないようにするのが大変なくらいだ。それに、大気の中にも小さな光が蛍のように舞っているが、全て妖精みたいだ。

「こんなにたくさんいたんだね」

「ああ」


 ようやく、遠くに岩山が見えてきた。そこにはさっきのひげもじゃのおじいさんがいて、「遅かったな」とだけ言って通してくれた。

 岩の門を通り過ぎると、外は当然のことだが冬だった。さっきまでの春の野原が夢のようだ。

「うう、寒い」

「ああ。さっさと帰ろう」

 二人で黙って星の寝床を目指して歩いた。


「ただいまー」

 扉を開けると、シルキーが心配したような顔で立っていた。

「どうしたの?」

 わたしが驚いて聞くと、黙って観測部屋へと連れて行かれた。


 そこでわかったことは、わたしたちが聖夜に出かけてからすでに何日も経っており、今は年越しの夜だということだった。

「言っただろう、あちらの時間の流れは不均衡なんだよ。早いことも遅いこともある」

「なんだか、休暇が減っちゃった感じ。損したような気がする」

「まあ、年越し前に帰れてよかったよ。危ないところだった……」


「そういえば、最初に出かける時に言ってたね。絶対に年越しまでには戻るって。もし、あっちで年越ししたらどうなるの?」

「十二夜のお祭りまで引き留められて、えらい目に遭う」

 サン・マンは重々しく言った。

「え、そうなの?」

「妖精たちのどんちゃん騒ぎに巻き込まれ、酔っ払った妖精王に何を言いつけられるかわからないし、下手したらそのまま戻れなくなる」

 そんなこともあるのか。危なかった!

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