70.妖精郷-1
そこからは、一目散に星の寝床を目指して走った。
クルラホーンが作ってくれた靴は素晴らしい性能で、軽々と山道を走ってくれる。
暗くなってしまったので、魔法で光の珠を出して、わたしの少し前を走らせた。
時々、キツネやユキウサギが走る光の珠に驚いたように止まるのが見えたが、とにかく星の寝床に帰りたかったわたしは、ほとんど足を止めずに走り続けた。
途中、一度だけ鞄からお茶を出してバウンドケーキを流し込むようにしながら補給をしたが、何とか夜中までには戻りたかった。
いくら羽のように走れる靴があっても、流石に息が切れて、もうダメだ、という頃に、星の寝床の灯りが見えてきた。
「もうすぐだ!」
気力を振り絞って、そのまま一気に屋敷にたどり着くと、ノックもせずに「開け」と魔法で命じて扉を開けて中に入ると、そこに座り込んでしまった。
「はあ、はあ、はあ……」
疲れ切ってしばらくそこにいると、物音を聞きつけたシルキーが急いで下りてきた。
「た、ただいま」
座り込んだまま動かないわたしを見て、シルキーが肩をかしてくれた。
なんとか観測部屋まで戻ると、そこにはまだ眠ったままのサン・マンがいた。
「よいしょ」
椅子に座り、ポケットから子猫を取り出すと、シルキーが出してくれた熱いココアをゆっくりゆっくり飲んだ。
走り続けていたので、身体はぽかぽかしているが、あの呪いの庭での出来事が蘇ってくると、心の中に冷たいものが忍び寄るような感じがする。
子猫も、呪いを本に写し取った後は、ぼんやりと呆けてしまったままだ。わたしの横で座り込んでいる。
しばらくそのままぼんやりとしていたが、少し身体が動くようになってきた。
ゆっくりとローブを外し、ブーツを脱ぐと、シルキーが温かいお湯をいれた洗面器を持ってきてくれた。
手と顔を洗い、そのまま足をつけると、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
それでも、閉じ込めた呪いを確認したり、拾ってきた黒い石の核を見直したりする気分にはなれない。
「子猫さん、大丈夫?」
わたしが声を掛けると、子猫はぼんやりとした顔でわたしを見た。
「うみゃ。おばあさんを置いてきてしまったにゃ……」
「あれは、おばあさんじゃないよ」
「そうかにゃ」
「そうだよ。お腹はすいた?」
「うーん……そうかもにゃ」
シルキーにミルクを頼もうと思ったら、子猫は「カップに入れてにゃ」と言い出した。ふと見ると、先程と同じように二本足で立っている。
「二本足で立てるの?」
「うん」
「そいつは、子猫じゃないな。妖精だよ。ケット・シーだ」
ソファの方からサン・マンの声がした。
「サン・マン! 目が覚めたの? 思ったより早かったね」
わたしは嬉しくなって駆け寄った。
「ああ。まだ魔力は戻ってないが、目が覚めた。無事だったかい」
ようやく安心したわたしは、サン・マンに飛びついてしばらく離れなかった。カラスマメのツタに囚われた時は、本当に怖かったのだ。
「どうした?」
「どうしたじゃないよ。本当に、本当に大変だったんだよ」
わたしは、ため息をついて、不思議な庭での出来事を話した。
「大変だったな。よく無事に帰ってきたな」
話を聞いたサン・マンも驚いたようだ。
「二重の呪いになってたんだよ、多分。最初に子猫から解析されたのは一つ目の呪いで、庭のところの石まで行ったら、次の呪いが見えたんだと思う。なんでそうなったのかはわからないけど、呪いになった妖精が、あそこの庭を自分の庭にするためには、手伝いが必要だったみたいだし、子猫を使ってわたしをおびき寄せたのかな。それとも、全部偶然なのかな」
「探していたけど、これまで庭の生け贄になりそうな人には出会わなかったってことか?」
「わかんないけど」
生け贄という言葉を聞いて思わず身震いをした。
「おばあさんと同じ匂いがしたにゃ」
ケット・シーがぽつりと呟いた。
「なんだか、懐かしい匂いがすると思って、森の中を歩いていたにゃ。思い出した。おばあさんと同じ匂いにゃ」
「そういえば、冬至の朝にアウローラと一緒に森に出かけたな。あの時か?」
サン・マンが思い出したように言った。
「それで、あの庭へ連れて行かれたの?」
「ケット・シーにその意思があったかどうかはわからないが、結果的にはそういうことになったということだ」
わたしはがっくりと疲れてしまった。わざわざ自分で、このケット・シーをおびき寄せて、さらに呪いの本拠地へ連れて帰ってしまったら、呪いに巻き込まれてしまったということだろうか。
「まあ、無事に解呪できてよかったよ。危ないところだったな……こんなことになるんだったら、一人で行かせるんじゃなかった。俺の見通しが甘かったよ、すまないな」
サン・マンはそう言うが、こちらまで巻き込まれるとは想像できないよね。
でも、「いや、呪いは慎重に扱いなさい、とサーペント先生からあれほど厳しく言われていたのに……」とひたすら反省している。
「お詫びじゃないが、明日は聖夜だし、一緒に妖精郷へケット・シーを連れていこうか。結局、迷子の妖精を見つけて呪いを解いたのはアウローラだからな。多分、入れてもらえるだろう。俺も、明日になれば魔力が回復しているだろうし」
大変すぎた冒険の後に、ご褒美があった! 人間で妖精郷へ入れる者は限られる。というか、サン・マン以外は聞いたことがない。サン・マンは「もし、入れなかったらごめんな」と言っているが、チャレンジしてくれるだけでも嬉しいな。頑張った甲斐があった。
二人で相談して、今夜の観測が終わって一日休んだ明日の夜、観測準備をしたら出かけることになった。
翌晩、観測準備を終えると、サン・マンは鞄にもう一度お酒を詰め、わたしはポーチにお茶とおやつ、そしてポケットにケット・シーを入れて出かけることにした。
「シルキー、留守を頼んだ」
お留守番の妖精たちに手を振って、二人で丘を登っていった。
「ねえ、サン・マン。妖精郷の入口ってどこにあるの」
「それは口に出したらいけないんだよ」
「そうなんだ」
「黙ってついてこいよ。驚いても俺が合図をするまでは、声を出すな。質問されても何も答えなくていい」
「わかった」
それから黙々と二人で歩くと、丘の奥に小さな岩山があることに気付いた。
なんだかその周囲が淡く光って見える。
じっと目をこらしていると、どうやらその岩山の内側から光が漏れているようだ。
サン・マンは、すたすたとその岩に近づき、鞄から杖を出して何か歌い始めた。
少し単調な調べは、静かな丘に広がっていく。その調べに呼応するように、天空の星々の瞬きがもっとチカチカし始めたような気がした。
「来たのか、半妖精の子よ」
ふと見ると、岩山の前に、ひげもじゃの小さなおじいさんが立っていた。
「妖精王の依頼に応えて、帰ってきた」
「ほう。魔女と迷子の妖精を見つけたというのか?」
その質問には答えず、黙って立っているサン・マンをじろり、と見ると、「まあ、わしの仕事は呼びかけがあれば、門を開くだけだからな。通るがよい」
そう言って、岩山の間の穴を指した。
サン・マンは黙って頷くと、わたしに手を差し伸べて、一緒に岩山を潜ろうとした。
「まて。そこなる小娘は?」
「ここで答える義務はない」
「しかし、妖精郷に入る資格を示してはおらぬ」
そう言うと、おじいさんは腰に下げた石斧を握りしめた。
「アウローラ、ポケットの中を見せてやりなさい」
わたしは黙ってポケットからケット・シーを取りだした。
きょとん、とした表情のまま、ケット・シーは二本足で立ち、背中の小さな羽をふるふると動かした。
「……迷子の妖精か?」
「その確認に来た。このケット・シーの呪いを解いたのは、この娘だ」
「では、仕方があるまい。通れ。しかし、妖精王様と女王様が、許されるかはわしにはわからんぞ」
「お前さんに心配される筋合いはないさ」
サン・マンが進んだので、わたしはその後を黙ってついて行った。その後ろを、ケット・シーもちょこちょこと歩いて着いてきた。




