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第五話 キョンシーとヒュドラ

からん、からん。夜の静寂を破って、戸が乾いた音を立てる。あやかしのお客様が今夜も暖簾をくぐる。


「いらっしゃいませ……って、これはまた……」


入り口に現れた二つの影に、私の口から思わず素っ頓狂な声が漏れたのも無理はない。 今日のお客様も、なかなかの曲者ぞろい、といったところか。 およそこの日本の夜闇で、同時に存在し得ない組み合わせ。 まず、ぴょん、ぴょん、と両足を揃え、背筋を伸ばしたまま器用に跳ねてきたのは、清朝の官吏服をまとったキョンシーさん。その額には、霊力を封じる黄色いお札がぴたりと貼り付いている。 そしてその後ろから地を擦る音と共に現れたのは、九つの首を持つヒュドラさん。 店内の明かりに照らされて、ぬらりぬらりと首がうねり、十八の赤い瞳が好奇心に満ちた光を放いている。




今日はまた、随分と賑やかな組み合わせである。

「いらっしゃいませ!どうぞ、お好きなお席へ!」


我に返って声を張り上げるも、カウンター席は物理的に不可能だと一瞬で悟る。 ヒュドラさんの巨体と絶えず動く首が、他の客や店の備品にぶつかるのは火を見るよりも明らかである。 お店の一番奥、お座敷席へと二人を案内することにした。


「ほう、ここが噂のあやかしが集う居酒屋か。なかなか趣のある内装だな。古き良き東方の文化を感じる…実に興味深い」


ヒュドラさんの一つの頭が、インテリぶった声で店内を品定めする。するとすぐ隣の頭が、よだれを垂らしながらがなり立てた。


「そんなことはどうでもいい! 腹が減って死にそうだ! 肉だ! 肉をよこせ!」

「静かにしろ、この食いしん坊め! 店主への挨拶が先だろうが! 礼儀というものがあるだろう」


さらに別の頭が怒鳴り返し、入店わずか数十秒で内輪揉めが始まった。 いつものことと言えばそれまでだが、毎度毎度、お店の備品を壊されてはたまったものではない。対照的にキョンシーさんは、そんな喧騒を意にも介さぬ様子で、のそりと座布団に腰を下ろす。 硬直した体ながら、その所作はどこか雅やかである。彼はしばらくお品書きを眺めた後、色のない唇をぽつりと開いた。


「……わたし、薬膳粥が、食べたい」


「はい、承知いたしました。生姜を効かせた温かいものをすぐにご用意しますね」


慣れた調子で答えつつ、私は厨房へ向かいながら深くため息をついた。 今夜も一筋縄ではいかない、波乱の予感がする。 コンロのツマミを捻じり、鍋で湯を沸かしながらも、耳は客席の喧騒を拾っている。


「肉! 血の滴るような、新鮮な肉を大量に持て! 骨付き肉も忘れずに!」

と、ヒュドラさんの食いしん坊ヘッドたちによる大合唱。

「はいはい、それでしたら特製の割り下で煮込む、すき焼きの大鍋でよろしいですね?」


カウンター越しにそう問いかけると、頭の一つが「よし、それで手を打とう! 名案だ!」と満足げに吠え、別の頭が「おい、野菜も忘れるなよ! 栄養バランスが偏る! 肉ばかりでは体に毒だぞ!」と律儀に注文を追加してきた。 私は笑って「畏まりました」と答える。


多種多様なあやかしが訪れるこの店では、お客様の注文をそのまま受け入れ、臨機応変に対応するのが一番安全なのだ。 やがて、料理が煮えるまでの間、奇妙な組み合わせの二人の間に、ぽつりぽつりと会話が始まった。


「……最近、とても悲しい」


キョンシーさんが、膝に置いた手を固く握りしめながら呟く。


「夜の街を歩いていても、誰も怖がってくれない。『見て、あの人、ゾンビのコスプレだ。めっちゃクオリティ高いですね!』って・・・。昔は、私の跳ねる音を聞いただけで、皆家の中に逃げ帰ったのに……この硬直した身体では、逃げる彼らを追うこともできない。」


そういえば、一反木綿さんたちも似たようなことを言っていたっけ。現代に生きるあやかしさんというのは色々と大変なのだろう。

その言葉に、ヒュドラさんのインテリヘッドが大きく頷いた。


「わかるぞ、同胞よ! 俺もだ! この前、物見遊山でテーマパークとやらに紛れ込んだら、子どもに『わーい、着ぐるみだー!』と抱きつかれた挙句、背中のチャックを探された! 屈辱以外の何物でもない!」 すると、短気な頭がすかさず突っ込む。 「いやお前、その時ノリノリで子どもたちと記念撮影してただろうが! 満面の笑みで!」 「なんだと!? お前こそ、公園の蛇口から九本の首で一斉に水を飲んでるのを見られて、大道芸だと思われて拍手されてただろうが! 拍手喝采だったな!」 「ぐぬぬ……! あれは喉が渇いていただけだ! 大道芸ではない!」


店内に低い唸り声と怒鳴り声が響き渡り、座敷の障子がビリビリと揺れる。 いけない、このままでは店が壊される。一瞬、出禁という言葉が頭をよぎるが、とはいえこのお店はあやかしのお客様たちにとって、貴重な存在。出禁というのはなるべく避けたい。


「お料理、もうすぐ出来ますから! 喧嘩だけはお控えください!」 慌てて私がカウンター越しに声をかけると、九つの頭はぴたりと動きを止め、気まずそうに黙り込んだ。 向こうもこの店から出禁にされては色々と困るのだろう。 湯気を立てる土鍋と、ぐつぐつと音を立てる大きな鉄鍋を盆に載せてお座敷へと運んでいく。


「お待たせしました! 特製薬膳粥と、すき焼き大鍋でございます!」


生姜とごま油の優しい香り、そしてこれでもかと溢れんばかりに盛られたお肉の香りが、ささくれだった場の空気をふわりと和らげる。 キョンシーさんは、硬直した指で器用に箸を操り、ふうふうと息を吹きかけてから、湯気の立つ粥を一口すする。


「……温かい。冷えた体が、生き返る気がする」

「ありがとうございます!おかわりもございますので、いつでもお申し付けください。」


一方、ヒュドラさんの食事風景は、まさに阿鼻叫喚という言葉がそのまま当てはまる。 九つの頭が我先にと鍋に殺到し、割り下の染みた肉や野菜を奪い合う。 「もっと煮えろ!」「次は俺の番だ!」「そこの豆腐をよこせ!」 一人で大食い選手権でも開催しているかのような勢いで、鍋の中身がみるみるうちに消えていく。




そんなに慌てなくても、と半ば呆れながら見ていると、事件が起きた。 ひときわ食い意地の張った一つの頭が、ふと視線を横に動かし――キョンシーさんの額に貼られたお札を、じっと見つめた。


「……おい、キョンシー。前から思っていたが、その黄色い紙、ひらひらしてて美味そうだな」 「えっ」 狙われたキョンシーさんが、硬直したまま目を見開く。 次の瞬間、ヒュドラさんの首がにゅっと伸び、蛇のように素早くお札に食いつこうとする。 「だ、駄目っ!」 キョンシーさんが慌ててぴょんぴょんと後ずさり、座敷の隅へと逃げる。 だがヒュドラさんの首は長い。 お札を狙って執拗に伸びる頭と、それを両手で押さえながら必死にかわすキョンシーさん。 その硬直した体では、流れるような動きはできない。まるで滑稽な舞を見ているかのようだ。 座敷は大騒ぎになった。 「やめろバカ! それは料理じゃない!」 「だが旨そうだ! 甘い匂いがする!」 「あれは道士様の霊力がこもった呪符だぞ! 食べたらどうなると思ってるんだ!」 「知らん! 食わせろ!」


傍若無人というか、 もはや暴走だ。 私は慌てて厨房に駆け込むと、冷蔵庫から切り札を取り出した。 本当は閉店後に食べるつもりだったが、お店を壊されるよりはマシだろう。


「はい! こちらデザートのサービスです! とろっとろの杏仁豆腐ですよ! 霊力を鎮め、荒ぶる心を癒す効果もございますから、どうぞ!」


お札に食らいつこうとしていた頭の目の前に、ぷるぷると震える白い塊を差し出す。 すると、暴走していた頭はぴたりと動きを止め、甘い香りに誘われるように、豆腐をぱくりと一口。

「……あま。うま……!」


その瞳から殺気(?)が消え、一気に夢中になって杏仁豆腐を頬張り始めた。 ようやく、場は静けさを取り戻した。


「ふう……助かった。札がなければ、私は……」 キョンシーさんが胸をなで下ろす。 額のお札は、辛うじて無事だったようだ。 騒動の後、二人はようやく落ち着いて食事を続けた。 キョンシーさんは静かに粥を味わい、ヒュドラさんは九つの頭で仲良く杏仁豆腐を分け合っている。


「今日は……久々に、心が温まった気がする。この体にも、血が通ったような心地だ」


キョンシーさんが、小さな声で、しかしはっきりとそう言った。 ヒュドラさんのインテリヘッドが静かに頷き、食いしん坊ヘッドが大声で叫ぶ。 「俺は腹も満たされたぞ! 大満足だ!」 「……心も、な。この穏やかな時間は、何物にも代えがたい」 別の頭が、小さくそう付け加えた。 食後、二人は意外にも打ち解けた様子で、並んで座敷を後にした。




「……まあ、どんなあやかしさんも、ごちそうの力には勝てないか」 暖簾の向こうに消えていく奇妙な二人組を見送りながら、私はぽつりと呟いた。 東の空が、静かに白み始めている。 ようやく閉店の時間だ。今日はなんだかいつもの倍は疲れた。杏仁豆腐、また買い足しておかないとな・・・。


今日もご来店、誠にありがとうございました。

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