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最終話 さよなら、あやかし居酒屋

その日、私の小さな居酒屋に、一枚の張り紙が掲げられた。私が書いたものではない。いつの間にか上座に座っていたぬらりひょんさんが、さも自分が店の主であるかのように、高らかに宣言したのだ。


「店主よ、決めたぞ! 今週末、この店で『第一回・あやかし縁日』を開催する!」

「……え、初耳なんですが」

「良いではないか! 儂が許す、やれやれ!」


その鶴の一声(という名の無茶振り)に、居合わせた常連たちが「面白そうだ!」「やろうやろう!」と大盛り上がり。こうして、私の許可が一切ないまま、史上最大にカオスな祭りの準備が始まったのである。


祭りの当日。開店前の店は、すでにてんやわんやの大騒ぎだった。


「皆の者、飾り付けは任せろ!」


そう言って、一反木綿さんがひらりと舞い、店の梁から梁へと自分自身を渡し始めた。なるほど、動く提灯というわけか。しかし、調子に乗って飛び回るものだから、あちこちで結び目ができて絡まっている。


「おい、誰か!わしを解いてくれーっ!」


「皆様、こちらで天然のかき氷はいかがですかな?」


店の入り口では、雪女さんが吐く息だけで、巨大な氷の山を作り出していた。その隣で狼男さんが、力仕事担当として丸太を運び込んでいるが、うっかり力を入れすぎて、屋台の柱を一本、メリメリとへし折ってしまった。


「おっと、すまん。つい力が入っちまった」

「もう!私の繊細な氷像が崩れるでしょう!」


折れた柱は、偶然通りがかったイエティさんが、その器用な指先で、木の蔓を使って静かに直し始めた。


店の奥の座敷は、完全な無法地帯と化していた。

河童さんは、もちろん「スーパーきゅうりすくい」の屋台を開いている。金魚すくいのポイで、水に浮かべた最高級きゅうりをすくうという、誰一人成功者のいない鬼畜仕様のゲームだ。

その隣では、キョンシーさんが「霊符 de 射的」を開催。霊符を的に向かって投げつけるのだが、たまに当たった景品ぬいぐるみなどに封印が発動し、誰も持ち帰れなくなるという本末転倒ぶり。

魔女さんは「恋が叶う(かもしれない)魔法薬」を売っているが、それを飲んだ狸さんが、副作用で一時的に語尾が「もふ」になっていた。


「皆、浮足立っておるな。実に嘆かわしい」


梁の上では、烏天狗さんが腕を組んでクールに呟いているが、その手には警備と称して焼きたてのイカ焼きが握られている。


やがて月も満ち、祭りの本番が始まった。「からんからん」と鈴の音が鳴りやまず、店内はあやかしたちの熱気と笑い声で満ち溢れていた。

火に近づきすぎてまた尻尾が焦げかける一反木綿さん。きゅうりをすくえずに悔しがる河童さん。自分の毛皮で編んだセーターをキョンシーさんにプレゼントするイエティさん。

私は、カウンターの中からその光景を眺めていた。一人一人が身勝手で、マイペースで、どうしようもない連中ばかりだ。だが、その顔は、誰もが子供のように輝いていた。

ああ、そうか。

この店は、ただの居酒屋じゃない。時代の中で居場所をなくした、不器用で、寂しがりなあやかしたちが、素のままで笑い合える、もう一つの「家」のようなものなのかもしれない。


祭りが終わり、皆で後片付けをした後。店の縁側で、主要な常連たちと私が、線香花火に火を灯していた。

パチパチと、ささやかな火花が闇に咲いては消えていく。

「いやはや、楽しい夜だったのう」とぬらりひょんさんが言う。

「うむ。また来年もやろうではないか」と烏天狗さんが応じる。

河童さんが「来年こそはきゅうりをすくわせてやるぞ!」と意気込むと、皆がどっと笑った。


やがて、ぬらりひょんさんが、珍しく真面目な顔で、私に向き直った。


「店主。お主は、儂らに『居場所』というやつをくれた。……礼を言うぞ」


その言葉に、皆が静かに頷いた。照れくさくて、私はただ頭を掻くことしかできなかった。


一人、また一人と、あやかしたちがそれぞれの棲家へと帰っていく。

「じゃあな、店主!」「また来るわ!」「ごちそうさま!」

賑やかだった店内は、あっという間にいつもの静けさを取り戻した。


私は一人、カウンターを丁寧に拭き上げる。床にはまだ、祭りの残り香がかすかに漂っていた。

大団円か。いや、これは終わりじゃない。

きっと明日になれば、またいつものように、腹を空かせた誰かが、寂しさを抱えた誰かが、この店の暖簾をくぐってくるのだろう。


夜風が、戸口の鈴を一度だけ、「からん」と鳴らした。

まるで、次の客の訪れを告げるかのように。


私は、店の入り口に立ち、誰もいない夜の闇に向かって、いつものように、そして心を込めて頭を下げた。


「本日もご来店、誠にありがとうございました」

「――そして、明日も、心よりお待ちしております」

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