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第十二話 福の神と貧乏神

からんからん、と入り口の戸が、いつもより華やかで澄んだ音色を響かせた。


ふわりと暖簾をくぐって現れたのは、後光が差しているかと見紛うほどにこやかな、福々しい女性だった。彼女が店に一歩足を踏み入れただけで、カウンターの隅に置いた招き猫がカタカタと小刻みに揺れ、レジの小銭がチャリンと音を立てた気がした。福の神、お福さんだ。


「あらまあ、素敵な店内ですこと。なんだか、いるだけで福が舞い込んできそうですわ」


ご自身のオーラのせいですよ、と心の中でツッコミを入れながら、私は笑顔で迎える。


「いらっしゃいませ!どうぞお好きな席へ!」

「では、お言葉に甘えて。お食事は、一番豪華なものをいただけますかしら。そうね、金箔の乗った海鮮丼なんてどうかしら?」


私が威勢よく「はい、承知しました!」と返事をした、その時だった。

入り口の戸が、今度は軋むような、か細い音を立ててわずかに開いた。そこに立っていたのは、まるで影が人の形をとったかのような、痩せこけて煤けた着物を着た陰気な男。彼が入ってきた途端、店の隅に小さな埃が舞い、電球が一瞬チカチカと瞬いた。貧乏神さんだ。


彼は他の客と目を合わせぬよう、そそくさと一番隅の席に座ると、消え入りそうな声で注文した。


「……もやしのおひたしと、白湯を」


なんとも対照的な二柱の神様が、同じ空間にいる。今夜もまた、一筋縄ではいかない夜になりそうだ。


厨房で海鮮丼の準備をしながら聞いていると、意外にもお福さんの方から貧乏神さんに話しかけた。


「そちらのお客様、なんだかお疲れのようですけれど、何か悩み事でもおありですの?」

「……悩み、というか。仕事が、うまくいかなくて」


貧乏神さんは、白湯をすすりながらぽつりと語り始めた。


「わしが取り憑いたというのに、最近の若者はちっとも不幸にならん。『物欲から解放されて最高です』だの『仕事をしなくていいなんて理想的』だのと、むしろ感謝される始末でな。神としての存在意義が、もうわからんのだ」


その言葉に、きらびやかな海鮮丼をつついていたお福さんが、はあと深いため息をついた。


「わかりますわ、そのお気持ち。私も、良かれと思ってしたことが、ことごとく裏目に出てしまうのですもの」



「福の神であるあなたが、ですか?」

「ええ。先日も、子宝を願う夫婦に元気な赤ちゃんを授けたら、立て続けに五つ子が生まれてしまって、『生活が大変だ』と泣きつかれましてね。商売繁盛を願う店主には、客が来すぎて店が回らなくなり過労で倒れ、宝くじを当ててあげれば、税務署に疑われた挙句、親戚と金銭トラブル……。私の福は、もはや“ありがた迷惑”でしかないのですわ」


幸運の過剰供給と、不運の需要不足。二柱は正反対の立場ながら、現代社会における神様の「生きづらさ」という共通点で、奇妙な共感を覚えていた。


問題が起きたのは、お福さんが祝い酒だと頼んだお銚子の半分を空けた頃だった。

すっかり上機嫌になった彼女は、陰気なままのもやしを突く貧乏神さんを見て、いかにも不憫に思ったらしい。


「よし、決めましたわ!私がお力になりましょう!あなたに幸運を授けます!」



「え、ちょ、待て……!」


貧乏神さんの制止も聞かず、お福さんがぱん!と柏手を打った。

その瞬間、奇跡、いや、惨事が起きた。


貧乏神さんの煤けた着物が、まばゆい光と共に豪奢な錦の衣に変わり、懐からは大判小判が滝のように溢れ出す 。痩せこけた体は見る見るうちに福々しくなり、陰気だった顔には艶が出始めた。


「やめろぉぉぉ!わしのアイデンティティが!貧乏でいるという、わしの唯一の存在価値がぁぁぁ!」


貧乏神さんがパニックに陥るのと同時に、福を放出しきったお福さんの方は、すうっと後光が消え、ただの幸薄そうな、疲れ果てた女性の姿になってしまった 。


「あら……?なんだか、肩が軽いわ……」


店内は、溢れた小判と、変わり果てた二柱の神様を前に、静まり返っていた。

私は、覚悟を決めて厨房から出ると、二人の前にお茶漬けとうな重をそっと置いた。


「神様だって、たまにはご自分の役割から解放されて、ゆっくりなさってはいかがですか」


幸薄い姿のお福さんには、質素だが心温まる「お茶漬け」を 。福々しくなった貧乏神さんには、豪華で滋養のつく「うな重」を 。



二人は、出されたものを無言で口に運び、そして、ぽつりと言った。


「まあ……たまには、こういうのも……悪くないですわね」

「うむ……腹が満たされるというのは、存外に良いものだな」


その夜、二人は自分の役割から解放されたひとときを、静かに楽しんだ。


やがて夜も更け、二人は妙に打ち解けた様子で立ち上がった。

「気づきましたわ。私の福と、あなたの不幸。二つを合わせれば、ちょうど“人並み”になるのではなくて?」

「なんと!では、我らが組めば“人並みの幸せ”を提供できるというのか!」



「ええ、新事業の始まりですわ!」


二人は目を輝かせ、意気揚々と肩を並べて帰っていった。

その背中を見送り、勘定を確かめると、レジにはなぜかお釣りより多い小銭が 。しかし、店の隅にはいつの間にか小さなひび割れが 。


「……まあ、なるようになれ、ってやつかな」


私は苦笑しながら、一人ごちた。

あやかし居酒屋の夜は、今日もまた、少し不思議に、そして温かく幕を閉じたのだった。


本日もご来店、誠にありがとうございました。

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