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番外編 ぬらりひょんのドタバタ空港大騒動

うちの店は、まあ、ちょっと変わったお客様が多い。その中でも一、二を争う常連が、ぬらりひょんさんだ。どこからともなく現れては、一番良い席にどっかりと座り込み、勝手に酒を飲み始める。誰も文句を言わないのは、彼がこの辺りのあやかしの総大将だから…という建前もあるが、本音を言えば、下手に関わると面倒くさいからである。


そんなある日の昼下がり、ぬらりひょんさんは縁側で日向ぼっこをしながら、私が仕入れのついでに貰ってきた旅行雑誌をぱらぱらとめくっていた。もっとも、上下逆さまだったが。


「ふむ…世界の城か。悪くないのう」


独りごちていたかと思うと、彼は突然、バッと雑誌を広げ(逆さまのまま)、私に向かって宣言した。


「決めたぞ、店主!儂は旅に出る!」

「へぇ、どちらへ?箱根あたりですか?温泉いいですよね」

「甘い、甘い!儂ほどのものになると、スケールが違うわい!」


そう言って彼がビシッと指さしたのは、雑誌のルーマニア特集。漆黒の夜空を背景に、険しい岩山に聳え立つブラン城の写真だった。


「ルーマニアじゃ!かの地の王と一杯やらねばならん!」

「王様ですか…?ええと、確かルーマニアは共和国だったはずですが…」

「知っておるわ、ドラキュラ公のことじゃ!彼奴とは一度、酒を酌み交わしてみたいと常々思うておった!」


どうやら吸血鬼さんのことらしい。なんだか嫌な予感がしてきた。私は恐る恐る、基本的な質問を投げかけてみた。


「あの、ぬらりひょんさん。外国へ行くにはパスポートという身分証が必要なんですが、お持ちですか?」

「ん? なんじゃ、そのぱすぅぽうとというのは。美味いのか?」


…終わった。これは、見て見ぬふりをしていい案件のはずだ。しかし、この総大将を無下にしては、色々と都合が悪いし、何より彼はうちの常連さんである。私は深いため息をつき、腹をくくった。こうして、ぬらりひょんさんのパスポート取得という、前代未聞の苦闘が始まったのである。



翌日、私はぬらりひょんさんを無理やり叩き起こし、市役所へと引きずっていった。もちろん、その異様な出で立ち(古風な着流しに、異様に長い後頭部)は、道行く人々の注目を一身に集めた。


「だから!帽子を被ってくださいって言ったじゃないですか!」

「馬鹿者!この頭こそが儂の威厳の証じゃ!」


案の定、窓口の職員さんは、ぬらりひょんさんを見るなり固まった。


「え、ええと…申請ですか?まずはこちらの書類に…お名前と、生年月日を…」

「名は、ぬらりひょん。生年月日は…さて、いつだったかのう。徳川の坊主が幕府を開いた頃には、もう良い年であったはずじゃが…」

「(江戸時代!?)…ご、ご職業は…」

「妖怪総大将じゃ」

「…はい、自営業、と。では、本籍地を証明する戸籍謄本を…」

「戸籍?そんなもの、生まれた時から持った覚えはないわい!」


職員さんの顔から、みるみる血の気が引いていく。そりゃそうだ。目の前にいるのは、戸籍もなければ正確な年齢も分からない、職業「妖怪総大将」を名乗る老人(?)なのだから。


結局、我々はお役所をたらい回しにされた挙句、「せめて身元を証明できるものと、保証人が二人必要です」という結論に至った。


そこからの数日間は、地獄のようだった。まず、身分証明のために「関東妖怪連盟」の会長である一つ目小僧さんの元へ出向き、「存在証明書」を発行してもらった。次に保証人の判子をもらうため、一人は井戸に住むお菊さんに、もう一人は近所の学校に住み着いているろくろ首さんにお願いして回った。皆、面倒くさそうな顔をしながらも、総大将の頼みとあっては断れなかったようだ。


最大の難関は、証明写真だった。写真館の主人は、ぬらりひょんさんの長すぎる後頭部をフレームに収めるのに四苦八苦。


「あの、お客さん、もう少し屈んで…いえ、もっと顎を引いてください!」

「無礼者!儂の最も威厳のある角度で撮らんか!」


散々揉めた末に出来上がった写真は、まるで指名手配写真のように人相の悪いものに仕上がっていた。しかし、もはや撮り直す気力は誰にも残っていなかった。



幾多の困難を乗り越え、なんとかパスポート(年齢:不詳、職業:自営業)を取得し、旅行当日を迎えた。心配でたまらなかった私は、結局、空港まで見送りに来てしまった。


「店主も心配性よのう。儂一人で大丈夫じゃというに」

「その『大丈夫』が一番信用できないんですよ…」


案の定、問題はすぐに起きた。セキュリティチェックである。ぬらりひょんさんが機内に持ち込もうとしていた風呂敷包みが、X線検査機で赤や黄色の警告を派手に点灯させたのだ。


「お客様!中身を拝見いたします!」


厳つい顔の警備員が風呂敷を解くと、中から出てきたのは、問題のあるものばかりだった。


呪いの藁人形セット: 「ドラキュラ公への手土産じゃ。異文化交流は大事であろう?」


秘伝の薬草を漬け込んだ瓢箪: 「機内で一杯やるための酒じゃが、何か?」 (※液体の持ち込み制限オーバー)


妖気を放つ古い脇差: 「護身用じゃ。海外は物騒と聞くからのう」 (※言うまでもなく銃刀法違反)


警備員の顔がみるみる険しくなっていく。


「お客様、これは一体…!テロの準備でもされているのですか!」

「無礼者!儂を誰と心得るか!これは全て、友好の証じゃ!」


一触即発の雰囲気の中、ぬらりひょんさんは別室に連行されかけた。私は必死に間に入って頭を下げた。


「すみません!うちのおじいちゃん、ちょっと変わってるんです!全部ただの民芸品とコスプレグッズなんです!悪気は全くないんです!ほら、お土産!これも日本の伝統的なお菓子で…!」


懐のどら焼きを警備員に押し付け、平身低頭で謝り倒し、なんとかその場を収めた。もちろん、問題の品々はすべて没収(脇差に至っては警察まで呼ばれた)され、ぬらりひょんさんは不満げに頬を膨らませていた。


そうして彼は、空っぽになった風呂敷だけを手に、ルーマニアへと旅立っていったのである。搭乗ゲートをくぐる直前、彼は振り返り、ニヤリと笑って言った。


「では店主、留守は任せたぞ」


その顔は、まるで勝ち戦に向かう武将のようだった。私には、戦の後始末をさせられる哀れな足軽の気持ちが、痛いほどよく分かった。


後日談:吸血鬼の国にて


後日、店に顔を出した魔女さんが、ヨーロッパの友人から聞いたという噂話で大笑いしていた。


「聞いたわよ、ぬらりひょんさんの話!ルーマニアの入国審査で、ものすごいひと悶着あったんですって?」


彼女によれば、入国審査官に渡航目的を問われたぬらりひょんさんは、堂々とこう答えたらしい。


「うむ、この国の王、ドラキュラ公に謁見しに来た」


当然、審査官は不審者として彼をマーク。滞在先を聞かれ、「ブラン城にでも居候させてもらおうかのう」と答えたことで、疑いは確信に変わったという。


「極めつけは税関よ。袖に隠してた干し柿を『未申告のドライフルーツ』として見つけられて、『これは儂の非常食じゃ!』って、税関職員と取っ組み合いの喧嘩になったんですって。おかげで、現地の妖怪ネットワークの間で『東方の厄介な神が来た』って、ちょっとした騒ぎになってるわよ」


それを聞いて、私は天を仰いだ。


本当に、どこまで行っても賑やかな人である。今頃、ブラン城の城門の前で門前払いを食らっているか、あるいは、意外にも吸血鬼さんと馬が合って、古いワインでも酌み交わしているのだろうか。


お土産話が楽しみなような、心底恐ろしいような、複雑な気分で店の暖簾を揺らす風の音を聞いていた。


本日もご来店、誠にありがとうございました。…面倒事のお持ち込みは、ご遠慮願います。

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