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第十話 狐と狸

「からんからん」と、夜風に混じって入り口の戸が涼やかな音を立てた。


「こんばんは」


すっと暖簾をくぐって入ってきたのは、妙に整った顔立ちをした、銀髪の若い男。その切れ長の瞳には、人を食ったような光が宿っている。彼のすぐ後ろから、「どっこいしょ」と人の良さそうな声がして、福々しい笑みを浮かべた恰幅の良い商人風の中年男が続いた。

どちらも見慣れぬ客だが、その身にまとう気配は隠しきれていない。私の目には、すぐにその正体がわかった。狐さんと、狸さんだ。


「いらっしゃいませ!どうぞ、奥の座敷へ」


二人はまだ人間の姿のまま席についたが、私が突き出しの枝豆を置くとき、思わず銀髪の男と目が合った。狐さんは、にやりと口の端を吊り上げる。狸さんは、やれやれと肩をすくめた。


「……はっはっは、やっぱり見破られたか。いやはや、ここの主は噂通りの目利きだわい」

「ここは“そういう客”が集う店だからな。下手に隠し立てする方が野暮ってもんだろう」


二人が悪戯っぽく顔を見合わせて笑い合う。私は苦笑しつつ、注文を伺った。


「ふむ、では私は油揚げをこんがりと炙ったやつを頼むよ。生姜をたっぷり添えてね」

狐さんが言うと、狸さんも負けじと腹をぽんと叩いて声を張る。


「うむ! ならば俺は、山の香りをこれでもかと詰め込んだ、きのこ鍋だ! 締めにはうどんも頼むぞ!」

「かしこまりました!」


厨房に戻りながら、これはまた一筋縄ではいかない組み合わせが来たものだと、私は静かに覚悟を決めた。


料理を出すと、二人は立ち上る湯気に満足げに顔をほころばせた。


「しかし、人間社会に化けて混じるのも、楽しいようでいて、存外に気疲れするものだな」


狐さんが、熱々の油揚げを美味そうにかじりながら言う。


「そうそう! この前なんか、商店街の夏祭りに顔を出したら、腹回りがいいからって半被を着せられて、公式マスコットの『ぽんきち君』に任命されてしもうたわ! 子供らに腹をぽこぽこ叩かれながら、安売りのチラシを配る羽目になったぞ!」


狸さんがきのこ鍋をふうふうと冷ましながら、本気で悔しそうにぼやく。


「こっちはこっちで、街を歩けばスマホを向けられ、SNSに『#狐コス イケメン』などとタグを付けて勝手に拡散される始末さ。挙句の果てには『その耳、どこで売ってるんですか?』と、若い娘に本気で尋ねられた。本物だと言っても信じてもらえん」


お互いに現代社会での不遇を嘆きながらも、どこか楽しげな様子に、私はくすりと笑った。

しかし、酒が進むにつれて、和やかだった空気は一変した。


「まあ、色々あるが、俺の変化へんげの術は完璧だ。その気になれば、この国の王にだって化けてみせられる」


狐さんが胸を張ると、狸さんがぐっと杯を置いた。


「はん、お主の術は見た目ばかりじゃ。人を化かす真髄は、愛嬌と胆力よ。わしなんぞ、この腹鼓一つで、百人の役人だって煙に巻けるわい」

「ほう、言うじゃないか。じゃあ、今宵、どちらの変化が上か、ここで試してみるか?」

「望むところだとも!」


かくして、あやかし居酒屋、第一回(にして最後であろう)“化け比べ大一番”の幕が切って落とされた。

先手は狐さん。ふっと体を揺らしたかと思うと、なんと私そっくりの姿になった。しかも、ただの私ではない。どこか手際が良く、妙に色気のある、理想化された私だ。


「へい、お待ちどうさまでした……お客様、今宵の貴方の瞳に、乾杯」


声色まで真似て、常連の河童にウィンクまでしてみせる。河童はきゅうりをぽろりと落とし、店中が爆笑に包まれた。


「むむむ…やるな!」


対する狸さんは、ずんぐりした体格をぽんと揺らし、今度は狐さんの姿に化けてみせた。


「ふっ、俺が本物の狐さまだぞ!」


しかし、どう見ても背が低く、腹回りがふっくらしている。決め顔を作ろうとするが、ぴょこんと狸の丸い耳が覗いてしまい、客から笑いが起こる。


「ははっ! 耳が狸のままだぞー!」


悔しがる狸さんは、今度は艶やかな芸者姿に変じ、腹を鼓代わりに「ぽんぽこぽん」と叩きながら、愉快な舞を舞い始める。

狐さんも負けじと、寡黙な侍姿に変わり、狸芸者の舞に合わせて、抜き身の真剣(もちろん偽物だ)でリンゴの皮を剥くという、無駄に高度な宴会芸を披露して見せる。

さらに調子に乗った狐さんが、天を衝くほどの巨大な龍に化ければ、狸さんは民話でお馴染みの、福々しい茶釜に化けて応戦。龍が口から「ふぅー」と小さな煙を吐けば、茶釜は頭のてっぺんから「ピーッ!」と甲高い湯気の音を立てる。


拍手と笑い声で、店は一気にお祭り騒ぎとなった。

やがて、化けても化けても決着がつかず、二人とも化け疲れて、畳にどさりと座り込んだ。


「ふぅ……もう無理だ。龍に化けたら、肩が凝ってしょうがない」

「俺もだ……芸者姿は、どうにも腰に来るわい。やっぱり、素のままが一番楽だな」


二人は人間の姿に戻り、しかし隠すのも面倒になったのか、ぴょこんと飛び出た狐耳と、ふさふさの狸のしっぽを揺らしながら、顔を見合わせ、どっと笑った。


「いやぁ、化けるのも骨が折れるが、こうして素の姿で酒を飲むのが一番だ」

「同感だ。何より、この店では誰も『コスプレか?』なんて笑いやしないからのう」


二人は最後の一杯を気持ちよさそうに飲み干し、すっかり打ち解けた様子で、肩を並べて夜の闇へと消えていった。


暖簾を下ろしながら、私は思う。

「……まあ、どんなあやかしでも、化かしたり化かされたりするのをやめて、素のままの自分で笑える場所があるのは、悪くないかな」


今夜もまた、あやかし居酒屋は、静かに、そして少しだけ賑やかに、一日を終えたのだった。


本日もご来店、誠にありがとうございました

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