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第三話


「なぜ、私だけが働かされているんだ。早く迎えに来い」


 シルベスターは、友の墓前で愚痴っていた。ワインを瓶から直接ラッパ飲みし、


「ぷはっ」


口に垂れた雫を袖口で拭う。当主が突然若いミョルニールに代わった事で、シルベスターの仕事は倍増した。


 基本的な領地経営のやり方は勿論、他の貴族への対応、冠婚葬祭への参加や辞退の返事、何から何までシルベスターが居なければ回らない。


「シルベスター、すまない」


 学園を卒業して数年の青年といえども、当主が執事の自分に頭を下げてくる。しかも、戦争に駆り出され、現場で命を張るミョルニールを思えば、どんなに大変でもへこたれていられない。

 しかし、親友の墓の前だけでは、その思いの丈を吐露しても許されるはずだ。


「天国で見てんだろ?絶対、息子を死なせるんじゃねーぞ!」


 両手を夜空に向けて突き上げ、月に向かって叫んだ。身分の差から、タメ口などきけなかったが、シルベスターもラミニールを親友だと思っていた。嫁も娶らず、子もなさず、ただひたすらにカンタンテ公爵家の為に働くのも、自分の作品のファンだと笑った友の笑顔が忘れられないからだ。


 

 

 そして、あの葬儀から、十一年の月日が経った。当主としての仕事も一人前と言えるようになって、やっとミョルニールが結婚し、そして、子供が生まれることになった。


「シルベスター、見てくれ!なんて可愛い娘なんだ!」


 父になったばかりのミョルニールは、サブリナを壊れ物のように恐る恐る太い腕で抱いている。


「名前は、サブリナだ!私の娘だ!」


 はしゃぐミョルニールの背中を、シルベスターは、トントンと叩いた。


「そのような大きな声で叫ばれますと、お嬢様が驚きます。それに、先ずは、奥様に労いの言葉を」

「……すまない、シルベスター。よく言ってくれた」


 婚期が遅かったミョルニールが、三十二歳で初めて授かった子供だ。多少感情のコントロールが上手く出来なくても仕方ない。父譲りの人誑しは健在で、徐々に彼を慕って優秀な人材も集まってきている。叔父のセルニールが横槍を入れても崩れないくらいの屋台骨は、構築されつつあった。


 大きな体躯と剛腕を誇るミョルニールは、その明晰な頭脳も相まって、戦線では防衛の要として活躍した。力こそ全てと言われるミリアム王国において、カンタンテ公爵家は、知力までも持ち合わせる完璧さを見せつけたのだ。

 カイザー王すら将来の右腕と認め、若いながらに重職を任されるようにもなってきた。


 ただ、心配は、ミョルニールの妻の体調だ。元々華奢な女性だったが、出産を通じて全生命力を注いでしまった感が否めない。


「滋養のあるものをご用意いたしましょう」

「ありがとう、シルベスター。ミョルニール様、サブリナに乳をあげても良いかしら?」


 儚げな笑顔で礼を言う、まだ少女のように見えた彼女が亡くなったのは、サブリナが三歳の時だった。




「おとうさまは、わたしをすてるの?」


 葬式の最中に突然泣き出したサブリナに、普段冷静沈着なシルベスターですら慌てて駆け寄った。ミョルニールは、娘と視線を合わせる為にしゃがみ込む。


「サブリナ、どうしたんだい?何故、そんなことを言うんだい?お父さんに言えるかな?」


 ミョルニールが、ヒックヒックとしゃくり上げるサブリナの背中を撫でると、


「おおおじさまが……」


と声をつまらせた。


「また、貴方か…」


 父ラミニールの葬儀でも無礼極まりない行いをしたセルニールが、幼いサブリナに色々吹き込んだようだ。


「サブリナ、大叔父様は、何て言ったか覚えているかい?」


 ミョルニールの質問に、サブリナは少し間を置き、三歳とは思えぬ口調で語りだした。




おんなには、しゃくいは、つげない


おとこの、あとつぎが、ひつようだ


ようしをとるか


さいこんして、あらたに、こどもをつくるか


どちらにしろ


おまえは、こうしゃくけにとって、じゃまものだ


うまれてこなければ、よかったのに


ははおやと、いっしょに、しねば、よかったのに


あぁ、やくびょうがみめ


おまえは、いらないこなのだ


おまえは、いらないこなのだ


おまえは、いらないこなのだ



 壊れたように同じ言葉を繰り返し始めたサブリナに、式場にいた全員が、顔色をなくした。ただでさえ母親を亡くしたばかりの幼子に言う言葉ではない。


「叔父上!貴方という人は、人の心を持ち合わせていないのですか!」


 親族席側に視線を向けると、勢い込んでセルニールが立ち上がった。


「真実を述べたまでだ。なら聞くが、今ここでお前が死んだら、跡継ぎはどうするのだ?」


ザワザワ


 式場に、動揺が広がった。これではまるで、セルニールがミョルニールを亡き者にし、爵位を簒奪しようとしているように聞こえる。


「叔父上、貴方とは、永遠に分かり合えないようだ」

「ミョルニール、目上の者に、無礼だぞ!」

「いえ、年齢は関係ありません。貴方は、伯爵。私は、公爵。爵位が上の者に、下の者から声をかけるのは無礼討ちされても仕方ないこと…」


 葬儀中ゆえ、帯剣はしていないが、ミョルニールの腕はセルニールの首ぐらい直ぐにへし折れる。気迫に満ちた姿に、初老の男は、腰砕けになって椅子にヘタリと座り込んだ。


「皆様、このような場で申し訳ありませんが、証人になって頂きたい。カンタンテ公爵家は、このセルニール・カンタンテとの絶縁を宣言する!」

 

 ミョルニールの宣誓に、


「私が証人になろう」

「私も」

「私もです」


数人の男が立ち上がった。皆、ミョルニールと共に戦場を駆け、互いに背中を預けた友だ。爵位もセルニールより上の者ばかりで、流石に異論を唱えられる雰囲気ではない。


「そんな……」


 セルニールは、もう立ち上がる気力すらない。これだけの面々に証人に立たれれば、己の失言を無かったことにはできないのだ。


「叔父上は、忘れっぽい性格ですので、直ぐに書面にしたためましょう。シルベスター頼む」

「お任せ下さいませ」


 随分と頼もしくなったミョルニールに微笑みながら、シルベスターは、完璧な誓約書の作成に頭を巡らす。 

 先ずは、サブリナとの接近禁止項目をいれなければならない。皆、セルニールの馬鹿さ加減に目を奪われていたが、最も重要なのは、三歳にして大人の言った言葉を一言一句間違えなく覚えていたサブリナの特殊な力を誰にも知られぬ内に隠すことだ。

 ミョルニールと目配せをしたシルベスターは、護衛に引きつられて歩くセルニールの背後に立った。


「さっさと歩かないと刺しますよ」


 人差し指と中指を剣先のように背中に突きつけて脅すと、


「ひぃっ」


 セルニールは、小さな悲鳴を上げた。そして、恐怖に強張った表情を浮かべ、早足に出口に向かって歩いた。

 

『こんなことなら、もっと早くに殺しておけば良かった』


 親友ラミニールの弟だからと目溢しをし過ぎた。真っ青なサブリナを見て、後悔が次から次に湧いてくる。


 その夜、同じくサブリナの力に気づいたミョルニールから、


「私にしてくれたように、娘を守ってほしい」

 

と言われた。


「私がですか?」

「あぁ、貴方にしか頼めない」


 深々と頭を下げられ、シルベスターは、震える手を握りしめた。自分が今まで行ってきた事が、正しかったのだと認められた気がした。そして、ミョルニールの宝を預けられる程に信頼されているのだという感動が、全身を満たしていった。


「私の全てを掛け、お守りいたします」


 命すら惜しくない。彼女を守るためなら、どんな非道なこともやってのけよう。この固い決意は、墓に入るまで持ち続けると心に決めた。



 

 この日から、サブリナは、ミョルニールとシルベスター、そして専属メイドのルシエルだけに囲まれた四人だけの世界の住人となった。


「じぃや、じぃや」


 自分に付いてヨチヨチ歩く姿のなんと愛らしいことか。サブリナに関すること以外から開放されたシルベスターは、彼女のお昼寝時間などを使って、再び筆を執った。完全記憶能力を有するサブリナが、思う存分読書を楽しむためには、ワクワクする絵本が沢山必要なのだ。


 それなのに、世に出回る絵本のなんと少ないことか。シルベスターは、何十年も経ってから、自分の絵本が売れていた意味を知った。市場に出る絵本の絶対数が少ないのだ。高尚な学術書等は、高価に取引される為、出版社も出したがる。それに引き換え、絵本は、使用期間も短い為、親も財布の紐が固くなるのだ。


「子供の時こそ、文字に触れる機会を増やすべきだというのに、嘆かわしい」


 憤りながらも筆をはしらせると、昔を思い出し創作意欲が湧いてくる。今も、シルベスターは、カンタンテ公爵家から貰う多額の給金から孤児院への寄付を続けている。無論、絵本を売っていた頃に比べると何十倍もの金額になるが、あの頃必死に絵本を描いたことを思い出すと胸が高鳴った。


 紙とペンとインク瓶。それを前にして、シルベスターは、リーナの事を思い出す。彼女はもう、何十年も前に寿命を全うした。シルベスターは、孤児院近くの墓地に墓を建て、毎年命日に花を手向けに行っている。


『きっと、あれが、初恋だった』


 懐かしさと切なさがこみ上げ、ペンを握る手に力が籠もる。


「あなたの名前は、シルベスターよ」


 リーナの明るい声が、今も鮮明に思い出せた。シルベスターが忘れない限り、彼女は、心の中で生きているのだ。










 シルベスターと共にサブリナの為だけに人生を捧げることになったルシエルが、ある日、思い詰めた顔で訪ねてきた。


「どうか、私に、サブリナ様のを守る力をお与えください」

「私に、そのような力などありませんが?」

「いえ、護身術を学びたいのです。サブリナ様の盾になるだけではなく、せめて、相手に一太刀あびせられるようになりたいのです」


 シルベスターは、眼の前で手を組み、神に願いごとをするかのように祈り続けるルシエルに、大きく溜息をついた。


「そんなことは、護衛の人間にでも聞きなさい」

「違うのです。剣で戦うのではないのです。シルベスター様のように、身の回りにある物を利用して戦いたいのです」


 シルベスターは、片眉をクイッと上げた。まさか、ルシエルに知られているとは思わなかったからだ。


「何を見たのですか?」

「先日、使用人用の勝手口から業者が入ってきた時のことです」

「あぁ、アレですか」


 馴染みの食材店が野菜や小麦などを配達に来た際、跡取り息子を連れてきたのだ。彼は、まだ十代で、貴族の屋敷に来ること自体初めてだった。父親と料理人が話し込んでいる間に、物珍しさでつい、フラフラと庭の方に出ようとしたのだ。そこに、花に水を撒くサブリナがいる。使用人達も気付き、慌てて止めようとした、その時、


「何をしているのだ?」


何処からともなく現れたシルベスターが、若者の背後に立ち首元に小さなスコップを押し当てていた。先程までサブリナが使っていたものだ。


「え?え?え?」


 状況が読めない哀れな青年は、拘束から逃れようとジタバタした。

 だが、シルベスターの長い手足に絡め取られ、最後には自分がしていたベルトで足を拘束され、両手に至っては着ているシャツの両袖口が結われていた。

 芋虫のように地面を転がり額を押さえつけられると、起き上がることすら出来ない。


「シルベスター様、申し訳ありません!お前も、謝れ!」


 父親は、ポカポカ息子の頭を叩き、泣きながら謝った。


「二度目はありません。ちゃんと、教育しておきなさい」


 シルベスターから発せられる冷ややかな怒気に、親子だけでなく使用人達も震え上がった。

 皆、今も、目の前で起きたことが信じられないのだ。動きが素早すぎて、目に止まらなかった。見た目はロマンスグレーの初老男性。ガリガリのヒョロヒョロで、体格の良い青年をどうすればあそこまで好き勝手に拘束できるのか?


 この様子から、シルベスターと言う執事が、とてつもない武術の達人だと知ることが出来る。かくいうルシエルも、それを目撃した一人だった。


「申し訳ないのですが、私のコレは、そんな高尚なものではありませんよ」


 まだ拝んでいるルシエルに、シルベスターは、苦笑いを浮かべた。


 幼い頃、貧民街で生き抜くために、どんな卑怯な手でも使わなければならなかった。手の届く物を武器にし、相手の目を潰し、手足を動けなくする。あの場所ならではの戦い方だ。


 公爵家に無理矢理連れて行かれた時も、反抗できないようにする為、敢えて武術は習わせて貰えなかった。騎士達に殴られ、刃を潰した剣で全身を打たれ、その中で動きの規則性を目で盗んだ。

 ラミニールに引き抜かれ、カンタンテ家に来た時は、既に得体のしれないシルベスター流の戦い方が出来上がっていたのだ。教えてくれと言われても、言葉にしにくい。


「まぁ……目と体で覚えて頂くしかないですね」

「あ、ありがとうございます!」


 それ以降、時々、ルシエルと手合わせをするシルベスターが目撃された。物干し竿を槍のように振り回し、ナプキンで首を締め、フォークで目潰しをする。決して騎士では教えられぬ、実験的な戦い方は、のちに、あの孤児院出身の子供達にも引き継がれていくのだが、それは、別の話だ。




 ルシエルがシルベスターから戦い方を学び始めてから、5年の月日が流れた。八歳になったサブリナに、なんとミリアム王室の悪魔と囁かれるクリストファー第五王子との婚約話が持ち上がったのだ。

 緊迫した面持ちでサブリナを抱きしめミョルニールが初顔合わせから戻って来た時は、カンタンテ公爵家全員で他国に逃げるのだろうという憶測が屋敷内で囁かれた。

 しかし、蓋を開けると、ミョルニールとクリストファーは、思いの外相性が良かったようだ。サブリナを守る事を第一に協定が結ばれたという。


 そして今日、クリストファーが、初めてカンタンテ公爵家に来る。朝から落ち着かないサブリナが、髪を気にしたり、スカートの裾を直したりしているところを見ると、こちらも、楽しみにしているようだ。

 温かな空気が、屋敷内に漂う。少し浮かれてしまった行儀見習いの使用人達が、まさか、あのような不始末をおかすなど誰も想像していなかった。


 それは、シルベスターとルシエルが目を離した隙に起きた出来事だった。

 靴ずれをしたサブリナが、クリストファーに抱き上げられたのを確認したルシエルは救急箱を取りに行き、四阿に足が向いていることを見て取ったシルベスターがお茶の用意をしていた。


 顔を下に向け、湯を温め直す為にアルコールランプに火を点していると、微かに人の話し声が聞こえてきた。


「お嬢様、本当に、大丈夫なのかしら?お相手は、王族でしょ?」

「子供を、本気で相手するわけないじゃない。多少、粗相しても許されるわよ」


 声の主は、先日行儀見習いとして奉公に来た少女達だった。任された仕事は、部屋の清掃と洗濯だけのはず。こんな庭の奥まで来ることは許されていない。勤めるにあたり、何度も注意事項は教え込まれているはずだ。

 しかし、バラの美しさに目を奪われ、気づかぬうちに四阿の方まで散策してしまっていたようだ。ただですら、不用意な私語は禁止されていた。噂話など、万死に値する。


「でも、お嬢様って、なんか変なんでしょ?」

「まぁ、限られた人以外近づけないらしいから……」


 シルベスターは、ランプの火を消すと、背後に植えられている薔薇の支柱を引抜いた。それは常日頃から鍛錬に使用している長めの棍棒で、手に馴染みクルクル回すとヒュンヒュンと音が鳴った。

 このように、屋敷内には、武器になりうる物を目立たぬように紛れ込ませてある。

 足音すら立てず、声のする方へかけると、クリストファーに抱き上げられたサブリナが、耳を押さえて震えていた。


ビュン


 何も気付かず、まだ話を続けようとする少女の一人に、クリストファーが蹴った石が当たる。 


「痛い!」


 不敬にも、この国の第五王子を睨みつけたメイドが、金縛りにあったように固まった。サブリナさえ抱いていなければ、彼女達の命は既に消えていただろう。


 クリストファーの大きな手が、ゆっくりとサブリナの目を塞いだ。蹴り殺すことは簡単だが、これではサブリナにも血の匂いを嗅がせてしまう。

 シルベスターは、武器の長さを利用し、クリストファーよりも先にメイド達の意識を刈った。頸椎に打ち込んだ一撃は、多分骨も砕いただろう。命があるかは分からないが、彼女達のせいで親族全て残らず今後カンタンテ公爵家との関わりは絶たれるだろう。


 素早くクリストファーの前で片膝をつき、頭を下げた。


「誠に、申し訳ございません。お怒りは、ごもっとも。しかし、今は、お嬢様の方が大事です。どうか、屋敷の方へお戻りください」


 震えるサブリナに、これ以上、嫌な記憶を残させてはならない。背後で、ルシエルが倒れたメイド達を木の陰に押し込む気配がする。足蹴にしているようだが、そんな暇があるなら、応接室の準備を整えなさいとシルベスターは、心の中で思った。





 それから暫くして、サブリナを巻き込む大きな事件が起き、彼女の不名誉な噂が不出来な絵本を通して王都に広がっていった。


「なんだ、この起承転結すら無い馬鹿げた本は!」


 珍しく怒りを露わにしたシルベスターは、プルメリアの書いた本を自室でビリビリに破いた。これは、読み物全てに対する冒涜だった。


「ふざけるな。子供達に、こんなもの配りやがって!」


 昔の口の悪さが思わず出てしまうほど、彼は、怒り狂っていた。しかも、サブリナまで『預言書』だと信じ込み、目を通してしまったのだ。

 そんな本を枕元に置いたルシエルは、同僚であり、武術の教え子でもある。彼女の異変に気づけなかった自分にも腹が立った。常々無表情な彼女だが、よく気をつければ、どこかに違和感があったはずなのに。


「すまない、ルシエル……」


 正気を戻せば、自決してしまうかもしれない。それ程までに、ルシエルは、サブリナを大切に思ってきた。そんな彼女を利用した敵が腹立たしく、殺してやりたいほど憎たらしい。


「必ず、敵を討ってやるからな」


 固く決意した彼に、待ちに待った機会が訪れる。


「貴方にしか頼めない」


 ミョルニールとクリストファーから依頼されたのは、あの粗悪な本の存在をこの世の中から消すための純然たる面白い絵本。記憶を消せなければ、上書きさせれば良い。サブリナだけでなく、人々の記憶により楽しくより明るい物語を届けるのだ。


「昔、父に聞いたのだ。シルベスター、貴方の書いた絵本のファンだったのだと。サブリナが、日々退屈せずに生きていられるのも、貴方の作った作品があるからだ。どうか、力を貸して欲しい」


 ドクドクと血が滾った。


『俺の全てを注ぎ込む最高傑作を作ってやろうじゃないか!』


 幼い頃のシルベスター少年の声が、


『貴方なら、出来るはずよシルベスター』


 ずっと見守ってくれたリーナの声が、


『じいやのほん、だーいすき』


 新作を抱きしめて頬を染めたサブリナの声が頭に響いた。


「お任せを。必ずや、語り継がれる名作を作ってみせましょう」

  

 そうして出来上がった本は、学校の手習いの教本として子供達の手に渡り、徐々に王都中へと広がっていった。例の粗悪本も、交換という手法を使って集められ焚書にされた。

 だが、最も嬉しい誤算は、この教本を通して多くの子供達が進んで写本を行い文字を覚えたことだ。教育水準も軒並み上がり、契約書が読めずに不当就労させられる者も減った。

 シルベスターの本名を知る者は、もう、この世に一人もいない。

 だが、絵本作家シルベスターの名前は、その後も絵本とともに永遠に人々の記憶に残るものとなった。




 あれから八年。とうとう、サブリナがクリストファーと結婚する日が近付いてきた。今、新居に移るための準備を整えている。


「じいや、この絵本は、初めて見るわ」


 引っ越し荷物をまとめていた時、図書室の片隅でサブリナが木箱に入った古びた絵本を見つけた。


「『空飛ぶヒキガエル、田舎へカエル』ですって!もう一冊は、『冒険者ポロン・ポロロン』。ふふふ、なんだか楽しそうな本だわ」

「お嬢様、それを……お渡しいただけますでしょうか?」


 シルベスターは、紙がもろくなった絵本をサブリナからそーっと受け取った。藁半紙で作られた粗末な本は、無理に開いたら破れてしまいそうだ。インクも色あせ、所々読めないところもある。


「まさか、ずっと隠し持っていたんですか……ラミニール様」

「あら、これは、お祖父様の絵本なの?」

「えぇ、私が九歳の時に描いた物です」

「まぁ!だから、宝物なのね」


 その微笑みは、全く見た目が違うというのに、親友の天真爛漫な笑顔を思い出させるものだった。


「そうでしょうか?」

「だって、ほら」


 サブリナが差し出した木箱の蓋を見ると、


『ぼくのたからもの』


 下手くそな字で、そう書かれていた。余程筆圧が強いらしく、インクは消えてなくなっているのに、木箱に掘ったように文字が刻まれている。


「どんだけりきんでんだよ…」

 

 つい、砕けた口調で呟いたシルベスターの目に、涙が一杯溜まっていた。


完 




これにて、シルベスターのお話は終わりです。


また、サブリナやクリストファー、その他の登場人物達に会いたいなと思われた方がいらっしゃったら、お知らせいただけると幸いです。

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