俺はエルの村で目を覚す
ここは
天井が見える。なんか重い。なんだこれは、布団か。暖かい布団だ。掛け布団が重い。しっかり中身の入った布団のようである。息苦しいまではいかないがなんだが重い。いつも寝ている布団より重い。うとうとしている。
いつもってなんだ?脳裏をふと過ぎる(よぎる)不可思議な感覚。
布団を少し持ち上げてみる。スーと寒気が隙間から入ってくる。暖かい布団の中の温度が急に下がる。寒い!
体を丸めて布団の中に潜り込む。体に力を入れて熱が逃げないようにする。体に力を入れたら目が覚めてきた。
布団の隙間から覗く(のぞく)外は明るいようだ。
ここはどこだろう。
布団を持ち上げて俺は立ち上がる。
窓の外に庭が見える。窓の外を人が通った。目が合った。
肩にかかる亜麻色の髪の毛が印象的な美人だ。
女の子だろうか。動きやすい格好で仕事がしやすそうな服を着ている。
胸の辺りが膨らんでいるから女の子だろう。
「おはよう」
女の子が挨拶をした。
好きな声だ。心の底が温かくなる。小さな暖かさが一音ごとに心の底から順に湧き出てくるようだ。
その声で俺ははっきりと覚めた。だが誰だったか。名前が思い出せない。
やばい。気まずい。目の前にいるのに名前が思い出せない。卒業式の数年後に会った時に名前をド忘れした知人に会った時くらい気まずい。さっきまで覚えていたような気がするのに思い出せない。焦れば焦るほど名前が出てこない。名前どころか声が出てこない。挨拶をされたのだから名前を返す必要はないのだ、今名前を呼ばれたわけじゃない。名前を呼ばなければならないわけじゃない。そんなことすらわからなくなっているほど焦っている。俺はこんなことで焦るほど気が小さいのか。自分のことがいつもわからなくなる。いつも気が大きいつもりでいるがいざという時はすぐに追い詰められた気分になるのだ。
「どうしたの?まだ体調悪いの?」
女の子が続けて聞く。
俺は強くありたい。どうしても強くありたい。気が小さいと思われたくないのだ。強い人間はいつも傲慢で正直である。俺は最強を目指しているのだ。怯んではいけない。いつでも堂々としていなくてはいけない。どんな劣勢でもどんなに追い詰められても堂々としていなければならない。
「おはようございます。ごめんなさい。どうしてもあなたの名前が出てこなくて」
正直は最強のはずだ。俺はこの瞬間最強になれた気がした。
いやしかし本当にそうだろうか。正直であることが最強なのだろうか。俺たちの祖先は危険から時に戦い、時に逃げたから生き延びたのではないだろうか。なんだか正直さがまちがいのような気がしてきた。適当に逃げた方が良かったのではないだろうか。
「え?」
女の子がきょとんとしている。気まずい空気が流れている。外気の寒さが纏わりついていつもより小さくなっているようだ。正直は気まずさからは救ってくれない。正直は更なる戦いを生み出すのだ。
「あ、あ」
先ほどスラスラ出てきた挨拶の言葉が嘘のようだ。全身全霊の精神力は先ほどの言葉に込めたのだ。もう力は残されていない。悲しく澱んだ音が目の前にポロポロと力なく落ちるようだ。
「大丈夫?」
女の子は畳み掛けてくる。いや大丈夫ではないが、ありがとう。優しい言葉で救われた。女の子に俺を責め立てる気はないようである。それが確認できただけで力が戻ってきたようだ。
「ごめんなさい。まだ寝ぼけていて」
どうして俺はこの場所を早く去らないのだろうか。早くこの場所から逃れたい一心を、もっとこの子の声を聞いていたい心がこの場に引き留めている。
「おばちゃーん」
女の子が玄関先の人に呼びかける。品の良い女性が麻の袋を下げて玄関先にいた。どこから帰ってきたようだ。
「ダイモン起きたみたい」
ダイモンそれが俺の名か。