第3回 知人
好奇心に駆られたブレイドも、トビが跪く方向を見た。
漆黒の淵から漂ってきたのは少女だった。黄金の長髪にスミレ色の瞳、モナリザのような微笑みを浮かべながら。セーラー服という少女らしい装いとは不釣合いな威厳を纏っていたが、不思議と彼女だけはその姿が似合っている。
(これは……絵画から抜け出したような存在……)
ブレイドは息を呑んだ。浮遊から着地、着地から手の平を返してトビに平身を促すまで、全ての動作が流れるような優雅さで行われている。
(魔力が桁違いなのも納得だ)
我に返った時、彼女は既にこっちを微笑みながら見つめていた。慌てて挨拶するブレイド。
「え、えっと! ブレイドと申します! トルク・ジョウン・カリア様でいらっしゃいますか?」
カリアはトビとブレイドを交互に見て、何かを悟ったように頷く。
「歓迎しよう。やはり君の目は彼女に似ているわ。トビ、食べずに連れてきたのは正解だったわね」
「主の仰せならたとえ竜肝でも捧げますとも」
トビが深々と頭を下げるのを横目に、ブレイドが首を傾げる。
「あの……『彼女』ってどなたです? 私の目が誰かに似てるなんて……」
カリアがくるりと指先を回す。虚空に紫電が走り、ブレイドの瞳を映し出す。
「文字通りの意味よ。私の幼馴染と瓜二つ(うりふたつ)の瞳。君が空から落ちてくる時、しっかり観察させてもらったわ」
「そ、その話はお願いですから……!」
魔力操作の失敗談を掘り返され、ブレイドの耳まで真っ赤になる。カリアは楽しそうに笑った。
「まあいいわ。どうやら君は、私の館にたびたび忍び込む泥棒共とは違うようだし。その制服……連合魔法学院のものかしら?」
「泥棒? カリア様のような方がいる場所に?」
ブレイドが目を丸くする。するとカリアは悪戯っぽく頬杖をついた。
「そうね……今から数えて五千年前くらいかしら? 君の『巡回』魔法で追跡できるかしら?」
「五、五千年!? そんな大昔の……」
呆然とするブレイドに、トビが苦笑いしながら頭を撫でる。
「驚くなよ新米さん。主の冗談だ。あれは紛失ではなく下賜された品。全知全能の主にとっては不要の代物故」
「頭触らないで! ……でも下賜品がどうして紛失扱い(あつかい)に?」
ため息混じりにカリアが答える。
「贈った相手が『盗まれた』と主張したのよ。容疑者は絞り込んであるが、証拠が足りず……」
「それなら調査のお手伝い! 私の巡回魔法なら――」
「その話は居間でしましょう」
パン! と手を叩いたカリアが魔法陣を展開する。三人を包み込んだ光が、湖の中央に浮かぶ洋館へと瞬く。
......
飛行魔法で移動中、ブレイドは息を呑んだ。
オーロラが渦巻く夜空の下、一角獣と鳳凰が共演する湖面。蛟の跳ねる水飛沫が虹色に輝き、まるで世界の中心で自然の調和が完成されているようだ。
「絵本の挿絵みたい……」
感嘆の声を零すブレイドを尻目に、カリアは玄関で待つ執事に話しかける。
「トトカルナ、準備は?」
「はい。主のご指示通り、紅茶とお菓子を――」
「よし!」
カリアは玄関で靴を脱ぎ捨て、裸足で居間へ駆け込んでいく。呆然とするブレイドに、トビが囁いた。
「主は家ではだらしない方でしてね」
「そ、そうなんだ……『も』って言っちゃったけど私のこと?」
赤面するブレイドが武器を預けると、執事のトトカルナが深々(ふかぶか)と頭を下げる。
「お客様、紅茶はミルクティーで?」
......
談笑が一段落した頃、カリアが突然本題を持ち出した。
「ブレイド、私を学院に連れて行きなさい」
「はぁ? でも今日は――」
ガチャン! と紅茶カップを置く音。ブレイドが懐中時計を見て絶叫する。
「ヤバい! 入学式まであと三時間!? こんな離島から絶対間に合わない……!」
するとカリアが悪魔的な笑みを浮かべ、指をパチリと鳴らした。
「ならば『時間遡行』の魔法を使えばいい」
「そんな禁忌魔法……!」
「ふふ、冗談よ。代わりに特別便を手配したわ」
その言葉と同時に、校舎の時計塔が正午を告げる鐘を鳴らし始めた――