第6回 カタート
アブストラクト派の絵画の横で時計が刻む音が響く。チクタクというリズムは、この世界に時空を凍らせるような停止系魔法など存在しないと告げているようだ。
しかし――
教務主任室に相対する二人は、まるで彫刻のように動かない。互いの瞳を見据え、沈黙が続いていた。話が核心に触れればすぐに済むはずの手続きが、一点で膠着している理由はただ一つ。
トルク・ジョウン・カリア――この問題児が年齢を偽り続けているからだ。
(なぜ素直に答えられない? 尋問じゃあるまいし)
教務主任の額に青筋が浮かぶ。それでも彼は怒声を押し殺した。この少女はあの「銀刃」の弟子、しかもジェグナート陛下直々(じきじき)の推薦枠で入学してきた特別待遇生なのだ。
「年齢は?」
30分前から繰り返す質問に、銀色の前髪が揺れた。
「最終推定値で314億年」
「本気で言ってるのか? まともに答えろ、カリア君」
「前の138億年を加算すれば452億年と15歳……まあ大体そんなところ」
ガシャン! 机を叩きつけて教務主任が立ち上がる。漆黒のローブが怒気に震えた。
「冗談は一度で結構だ! これは正式な書類作成だぞ! 銀刃の弟子たる自覚はないのか!?」
轟く声が重厚な樫の扉を震わせた。廊下で待機していたブレイドが飛び上がるほどだった。
(まさか《威圧》の魔法まで……)
教務主任秘伝の精神攻撃。レベル差がある相手なら確実に屈服させる技だ。
しかし紫水晶の瞳は微動だにしない。虚飾のない真顔に、主任は逆に冷静さを取り戻した。
(最近の若者は設定に凝るらしいが……452億年とは度が過ぎる)
諦観したようにペンを握り直す。年齢欄に「15歳」、職業欄には「魔剣士」と記入する。
(外見に合わせるのが最善策だ。銀刃の弟子が平穏な学園生活を送れるよう)
魔剣士という選択にも深い意味はない。ありふれた職業であれば目立たない――入学式で披露した剣技は、確かに火級冒険者並みの実力だった。
「……外出許可は出しておく。武闘試験の申請も受理した」
ため息まじりに書類を押印する教務主任の横顔に、カリアは丁寧にお辞儀をした。
扉を開けると、待ちくたびれたブレイドが飛びついてくる。
「大丈夫だった? 怒鳴り声が廊下まで聞こえてたわ」
「問題ない。ただの設定説明よ」
カリアが握る杖の先端、魔法水晶が陽光を反射して煌めく。純度の高さを示す虹色の輝きだ。
二人の足跡が大理石の廊下に響く。授業中の校舎は静寂に包まれていた。
「でも何故私も同行するの? カリア一人で充分じゃない」
ブレイドの問い掛けに、カリアは悪戯っぽく微笑んだ。
「迷子の子羊を護送する騎士がいないと、門衛さんが通してくれないのよ」
本当の理由は別にある。五千年前に散った《黒歴史設定集》の行方――武闘試験の自由行動権を利用すれば、探索も容易だ。
目的地の転送水晶まで辿り着くまでに、三度も道に迷った挙句、誤って地下迷宮区に侵入しかけるハプニングまであった。
「ギャァァ! あれ骸骨兵!?」
「違うわブレイド。ただの装飾鎧よ」
衛兵に助けられながら到着した転送広場では、七色の魔法門が荘厳な輝きを放っていた。
白、橙、緑、青、紫、黒、銀――各色の動力結晶が織り成す六芒星の陣。中央で逆三角形の水晶が魔力を脈動させている。
「行くわよ」
カリアが右手を翳すと、黄金色の粒子が奔流のように水晶へ吸い込まれた。
次の瞬間、二人は騒音と活気に満ちた異世界の市場に立っていた。
「冒険者ギルドは下城区にあるって衛兵さんが教えてくれたわ。でも……」
ブレイドが不安げに袖を引く。路地裏から漂う鉄臭い空気。看板の文字が不気味に歪んで見える。
「大丈夫。私たちの相手は――」
カリアの足音が酒場の扉を蹴散らした。ざわめきが止み、無数の視線が少女たちを刺す。
バーの奥でグラスを磨いていた男がゆっくり顔を上げた。傷痕だらけの頬、猛禽類のような眼光。彼こそが下城区の暗黙の支配者、ギルドマスターのカタートだ。
「果汁二杯、つけで」
カリアが高飛車に注文する。カタートの眉が微かに動いた。
(この小娘……)
深淵を覗き込むような錯覚に襲われる。あの伝説の冒険者、銀刃と対峙した時と同じ戦慄が脊髄を駆け抜ける。
「お前……」
カタートの喉から漏れた声に、酒場全体が緊張に張り詰めた。誰もが知っている。この男が本気を出せば、街一つ壊滅させられることを。
しかしカリアは涼しい顔で椅子に腰掛けた。魔法水晶が不気味な輝きを増している。
(面白い……)
カタートの口元が歪む。長い冒険者生活で初めて、本物の「何か」と対面した気がした。】
1日12時間働き、休みの日は残業もします。 やりたいことをやる時間がないんですよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!




