突然の別れと白い猫
寒い冬の夜だった。
古い一日が終わり、新しい一日が始まった時だ。
午前零時。
通夜の会場を車で抜けだし、気が付いた時には、海に来ていた。
真っ黒な海。
白いしぶきと波音だけが、繰り返し押し寄せている。
僕は何をしているんだ。
自問自答するが、答えはない。
ただ、真っ黒な海が僕を呼んでいた。
吸い込まれるように波をかき分け前へ進んだ。
真冬の海。
冷たいはずだった。
でも、何も感じなかった。
ただ、今の状況が、死ぬためには水が必要なのに、水が邪魔になるというのはどういう道理なのだろうと、小さな矛盾に疑問を持つぐらいの余裕はあった。
なぜだかはわからない。
滑稽なことをしているのは、自分でもわかっていた。
妻が、いや、正確にはもうすぐ妻になるはずだった彼女が、事故で死んだからといって、海で自殺するなんて、なんてベタなことを僕はしているんだろうかと、心の底で、自分で自分を笑っていた。
けれど、涙が止まらない。止めることができない。
なんでサクラなんだよ。
僕は波に八つ当たりをした。
なんで今じゃなくちゃいけないんだよ。もちろん、答えはない。
僕は言葉にならない音を叫んだ。
むなしいほどに、静かな黒い海に吸い込まれていっただけだった。
僕はムキになって前に進んだ。
やがて、涙を拭かなくても、わからなくなるくらいの水しぶきが、僕を襲いだした。
肩がつかるぐらいの場所までくると、今度は波が来るたびに躰が浮き始めた。
何度も波に押し返され、戻ってきてしまう。
それでも僕は進もうとした。
ふと、別に沖までいかなくても、ここで潜れば良いだけでは……とあまりにも馬鹿げた解決策を見いだした瞬間、背後で声がした。
「ニャー」
ほとんど波音で、かき消されてしまいそうなほど、細い声だった。
「ニャァー」
振り返ると砂浜には、白い猫がいた。
前足をそろえてきちんと座っていた。
明らかに、僕のほうを見つめている。
僕がその場で漂っていると、白猫はもう一度鳴いてから、海の中へ入ってきた。
すぐに、白猫は波にさらわれた。
必死に猫かきをしていたが、波にあおられ、やがて水面から姿を消した。
僕は慌てて、砂浜に向かって泳ぎだした。
白猫がいた辺りを必死に探す。
可視性の悪い海の中を、ゆらりとクラゲのように浮遊している白猫。
僕は今まで自分がしていたこととは、真逆の行動をとっていた。
必死に白猫を抱きかかえ、ずぶぬれのまま砂浜にあがり、猫の息を確認した。
大丈夫。まだ生きている。
そのまま車へもどり、エアコンの暖房を最大にセットした。
後部座席に脱ぎ捨ててあったコートを手に取り、白猫をその中へくるみ、車で走り出した。
自分でもわからなかった。
死のうとしていたはずなのに、なぜこんなことをしているのか。
ただ、僕は夢中で、抜け出した通夜の会場まで戻ったことだけは覚えている。
ずぶぬれのまま、会場にいた妹を見つけ、コートごと白猫を渡したところで、僕は意識を失ったらしい。
その日から三日間、僕は高熱で寝込むはめになった。
やっと熱が下がった時には、白猫はすっかり我が家の一員になっていた。名前もサクラと命名された後だった。
悪趣味だなとは思ったが、白猫がつけていた首輪には、サクラと書かれていたのだから、しょうがないと納得するしかなかった。
この世には、不思議な縁というものが、確かにあるのかもしれない。だが、どうせ奇跡が起こるのなら、僕がサクラの代わりに、事故に遭うのに。
そう思った瞬間、まるで叱るように、白猫がニャーと鳴いた。白猫はまだ小さかったが、抱きしめるとフワフワで、とても暖かかった。