僕は罠にはめられたようだ
コンクールを終えた僕は、舞台裏で父に声をかけられた。
「入賞おめでとう。頑張ったな。俺みたいなろくでなしに言われても嬉しくないだろうけど」
久しぶりに会った父の声は優しかった。
「なんで……あんなこと」
「あのぐらい言わないと本気で練習しないだろ祐樹は。そういうところ俺と似てるから」
どうやら僕は罠にはめられたようだ。
「またピアノを教えてもらいたいんだ。お父さんのピアノ……好きだから」
父は少し驚いたような表情を見せてから、にっこりと笑った。
「いいよ。お母さんには俺から言っとく。でも、むちゃくちゃしごくから、覚悟しとけよ」
やっと本当の気持ちを言えた気がする。きっと一人で父を憎みながらピアノを弾いていたら言えなかった言葉だ。
結城が手を振りながら近づいてきた。
桜色のワンピースを着ている。よっぽどお気に入りのようだ。
「おめでとう。やっぱり演奏してる佐倉くんは格好ええな。惚れ直したで」
結城は興奮気味にバンバンと体を叩く。
「痛いってば」
「そうや、ちゃんと言えたんか」
「またピアノ教えてもらえることになった」
「良かったな。ほんま良かった」
結城がふいに、父を見て動きを止めた。
「え、もしかして……ほんまもん?」
「萩原光です。祐樹のお友達かな」
父が差し出した手を、結城は恐る恐る握った。
「ふぁ、ファンです。五歳の時から」
「それはそれは年季の入った。どうもありがとう。祐樹の演奏が良くなったのは、このお嬢さんのおかげかな」
父がニヤニヤと僕たちを見比べている。
「そういうのはいいから。いつまで握ってんだよ」
「じゃあ、お邪魔虫は失礼するよ」
父は笑いをこらえながら立ち去った。
うっとりとした表情で父を見送っていた結城が、突然大きな声を上げた。
「あぁーーっ」
「なに?」
「サインもらうの忘れてた!」
「そんなことかよ」
「そんなことってなんやの。ちっちゃい頃からのファンをなめんなよ」
「そんなにファンなら、僕じゃなくてお父さんと付き合えばいいだろ」
「なに、ヤキモチやいてんの?」
「別に」
いつの日か僕たちが、結城祐樹か佐倉サクラになるかはわからない。けれど遠い未来も結城がそばにいて、僕のピアノを聴いて、ずっと笑っていてくれたらいいなと思っていた。あの日までは。