ピアノを弾く人
インターフォンを押すと、綺麗な女性が出てきた。結城の母親だろうか。
「結城さん……サクラさん、いますか」
「わざわざお見舞いに来てくれたん。たこ焼き作るとこやから、あがってき」
強引に腕を引っ張られ、結城家のリビングに座らされていた。結城の母はたこ焼き器に生地を流し込み、小さく刻まれたタコを入れている。
「作ったことある?」
「ない……です」
「ほなやってみ。くるって回して」
見よう見まねで、たこ焼きを作ってみる。
「器用やねぇ。立派な関西人になれるで」
「生まれも育ちも東京だから無理です」
「面白いこという子やね」
「面白くないです」
結城が強引なのは、母譲りなのだろうか。
「こんなに早う友達来てくれるとは思わんかったわ」
「いえ、借りてた物を返しに来ただけで」
階段から降りてきたのは、パジャマ姿の結城だった。眠たそうに目をこすっている。
「お母さん、お腹すいた」
「起きたん。熱下がった?」
「下がったよ」
「お友達来てるで」
結城は僕に気がついた瞬間、目を見開いた。慌ててソファーに隠れる。
「な、なんで。なにしにきたん」
「金曜までに見ろって言ったのそっちだろ」
僕は紙袋を差し出した。
「ごめん。ちょっと待ってて。取ってくるわ」
結城は紙袋を奪い取ると走り去った。
風邪で休んでいたとは思えないぐらい元気だ。
ふいに、リビングの広さに対して、大きすぎるグランドピアノに目がいった。
「もう誰も弾いてへんけど、捨てられんでな。ずーっと物置になってるわ」
結城の母が苦笑いをする。僕の指をじっと見た。
「もしかして、君はピアノ弾く人なん」
「……はい」
「どうりで、綺麗な指してると思たわ」
小さい頃に、ピアノに向いている指だと、父に言われたことを思い出した。
「あの子、学校でどないなん。猫被ってたりせぇへん」
「僕以外には標準語です」
「やっぱり。昔、方言でバカにされたみたいでな。毎朝練習しとったけど、知恵熱出たんはそのせいやろか」
「ござるますで失敗してたから、バレるのは時間の問題かと」
「ござるます?」
結城が戻ってきた。桜色のワンピースに着替えている。結城の母がこっそり耳打ちした。
「あれ、あの子の一番お気に入りやで」
「お母さん、何をこそこそ言うてんの」
「サクラ、ござるますってなに?」
結城が僕を睨む。
「言うてもええんか。佐倉くん」
結城の母が不思議そうな表情で僕を見ている。僕は目をそらした。
紙袋を差し出した結城はニヤリと笑う。
「これ。ちゃんと来週末までに見といてな。ほんでこっちが貸してばっかりもなんやし、おすすめのCDでも貸してんか」
「なんでそうなるんだよ」
「佐倉くんが好きなやつなら、なんでもええよ」
勝手に押し付けておいて、次はたかりか。とんでもない相手に目をつけられたようだ。
「じゃあ、僕もう帰ります」
「ちょっと待って。今詰めたげる」
たこ焼き入りのタッパーを渡された。
「今度は本場のお好み焼き、作ったげるわ」
強引なところは、二人ともそっくりだった。
リビングでたこ焼きを食べながら、お笑いDVDを見ていたら、妹の楓が隣に座った。
「呪いをかけたのは関西人だったのか」
「病み上がりに、たこ焼きをチョイスする文化は、カルチャーショックだった」
「頭痛が痛いみたいなことを言っちゃうぐらいに、ショックなのは伝わりました」
しまったと思ったが遅かった。妹がニヤニヤとこちらを眺めている。
「たこ焼きもらってもいい?」
承諾する前に、妹はたこ焼きを頬張っていた。瞬く間にタッパーのたこ焼きが半分近く消費される。
結城家のたこ焼きはうまかった。うまいものを食べているときは、気が緩むのだろうか。普段なら笑わないようなギャグを聞いて、つい吹き出してしまった。
「最近のお兄ちゃん、前より笑うようになったし、なんか楽しそうで良いと思うよ」
「別に……楽しくないし」
妹のくせに生意気だ。これ以上偉そうなことを言われるのも癪にさわる。
DVDを停止して部屋に戻った。
棚からCDを選んでいると、萩原光のアルバムが目に付いた。
父が家を出て行ってからは一度も聴いていない。
目に入らないようにアルバムを棚の奥に押し込むと、何枚かチョイスしたCDを手に取り鞄に入れた。