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転校生・結城サクラとの出会い

 縁側で一番陽の当たる暖かい場所が、彼女の指定席だった。


 リズムを刻むように動くシッポを捕まえては、彼女が不機嫌そうに振り返るのを確認するのが楽しかった。


 何か言いたげに、じっと僕を見る。

 もしかしたら、小さな頭の中で、好きな曲を聴いていたのかもしれない。


 そんな想像が頭をよぎった。そのぐらい彼女のシッポは、魅力的に動き続けていたのだ。


 白猫の名はサクラ。

 名前の元になったあの子はもういない。



   ※



 中学二年の夏休み前に、転校生はやってきた。


「結城サクラと言います。東京は久しぶりなので緊張しています」


 清純派アイドルみたいな美少女に浮き足立つクラスの中で、僕は醒めていた。コンクールが近かった。父を見返すために、他人にかまっている暇なんてなかった。




 早く放課後になれ。できるだけ時間が早く過ぎることを祈っていた体育の授業で、クラスメイトの山田に小突かれて、僕は頭を上げた。


 グラウンドで女子が800m走のタイムを計っている。転校してきたばかりの結城サクラが、先頭を走っているのが見えた。


 自己紹介をした時は、黒髪ロングの大人しそうな女子という印象だった。


 足が速いことも驚きだが、男子が釘付けになっていたのは胸だった。体操着の下で揺れる胸は、中学二年生とは思えないほど大きい。背も高く体が細いから余計に目立つのだ。


「でかいなー」


 山田は鼻の下を伸ばしながら言った。


「お前と結婚したら佐倉サクラだな。お婿さんなら、結城祐樹じゃん。すげーな」


 僕の名前は佐倉祐樹で、転校生の名前は結城サクラだ。苗字と名前の組み合わせで、必ず片方が割りを食って、変な名前になるということらしい。


 だが、付き合ってもいない女子と結婚したら、名前がどうなるかなんて考えるのは、あまりにもバカらしいし、中学生が結婚のことを口に出すほど、滑稽なことはない。さすがはクラス一のお調子者の山田だけある。


「俺なら山田サクラか。なんか普通すぎるけど、お前よりはマシだな」


 僕は山田の戯言を無視して、目を閉じる。楽譜と曲を思い浮かべながら、指だけを動かして、太ももの上でピアノ練習を続ける。


 コンクールが迫っていて、いくら練習しても時間が足りない。何度やっても指が絡まる箇所がある。本番までに調整しなければならない。


 体育教師の声が聞こえてきた。


「次、男子」


 僕は立ち上がると、合図とともに走り出した。すぐに息が上がる。脚が重い。指と違って思い通りに動かない。体育なんて大嫌いだ。


 800mのタイムを競う意味がわからない。原始人なら持久走は重要だろう。生死に関わる能力だ。今はお金さえあれば肉は店で買える。脚の速さを競い合う必要はどこにもない。


 周回遅れの僕を抜き去った山田が、ぶっちぎりの一位でゴールをした。僕は一番最後だ。


 恥ずかしくて死にそうだ。苦しい。汗が止まらない。


 肩で息をしながら顔をあげると、こちらを見ている結城と目があった。きっと格好悪い男子だと思われただろう。別にどうでもいい。


 今の僕にとって一番重要なのは、コンクールで入賞することだけだ。




 父がいなくなってから家でピアノを弾くと、母が悲しそうな顔をする。だから僕はいつも放課後になると、音楽室でピアノを弾いていた。


 ショパンの練習曲Op.25-1『エオリアンハープ』は、いつも同じところでミスをする。父にもよく注意されていたところだ。


 演奏ミスをする度に、父の言葉が頭の中でリフレインする。


「コンクールで入賞できないようなら、息子と名乗らないでくれ。恥ずかしいから」


 思い出しただけでも腹が立つ。

 あの日からずっと、僕は怒りながらピアノを弾いている。


 嫌ならやめればいいのに、僕はこうして毎日練習する。僕は怒っていないと死んでしまう生き物になってしまったのかもしれない。


 演奏を終えた時、拍手が聞こえてきた。ピアノから顔をあげると結城サクラがいた。


「むっちゃうまいなぁ。どないしたらそないに指動くん」


 標準語ではない口調に違和感を覚えて、じっと見ていると、結城は慌てて咳払いをした。


「ぴ、ピアノを上手に弾ける方って、尊敬してしまうでござるます」


 しばらく沈黙が続いた。


「ござる……ます?」


 真っ赤になった結城は、鞄に顔を埋めて、早口でブツブツと言っている。


「アホちゃうか自分! どんだけ練習したと思てんねん」


 僕はつい吹き出してしまった。


「何笑てんねん。標準語を失敗するやつが、そないにおかしいんか」


 結城がものすごい顔で睨んでいる。

 その圧力から逃れようとした僕は、床に叩きつけられていた。椅子が傾きすぎてひっくり返ったのだ。


「いったぁ……」


 腕や脚をさすりながら、ゴロリと仰向けになった瞬間、スカートの中身が見えた。僕は慌てて体を起こす。


 結城はスカートを抑えて後ずさった。


「見たん?」

「……ごめん」


 カッと耳が熱くなる。


「この年頃の男子にしては、紳士的なんは認めたる。ピアノ好きに悪い奴はおらんしな」


 しばしの沈黙後、恐る恐る結城の顔を見た。


「そこはピアノやなくて、動物やってつっこむところやろがっ!」


 なんだ、その理不尽な怒られ方。


「これは特訓するしかないな」

「特訓?」


 僕は眉をひそめた。


「まだピアノの練習がしたいんだけど」

「パンツを見たって、みんなにバラしてもええんか」

「なっ……」


「ほな行こか」

「行くって、どこに」


 結城は先に音楽室を出て行った。

 永遠に逃げるのは不可能だ。ついていくしかない。だが嫌な予感しかしなかった。




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