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ザーディのいない夜

「自分の魔法力を高めるため、とは言え、よくそんな無茶をしようなんて気になったな」

「え、無茶かなぁ」

「無謀とも言えるな。他に方法はなかったのか? 魔法についてはよく知らないから、俺は何とも言えないけどさ。盗賊と一口に言っても、ピンからキリまでいる。俺達みたいなドジをやらかすような奴ばっかりじゃないんだぜ。魔法を使う前に捕まったりしたら、どうするつもりだったんだよ。お前の親父、よく一人旅になんて出したな。娘の性格、知らないんじゃないか?」

 夜になり、今日これ以上追うことは危険だとあきらめた。無理をしてもいいことはない。

 火を起こし、ルーラとレクトはお互いここに至るまでの話をしていた。

 レクトについては、さっき話していたいたこととそう代わり映えしない。アルミトの国で兵士をしていて、内戦に負けて国を出た。家族はなく、いわゆる天涯孤独の身というやつだ。

 一方で、レクトはルーラがこの森へ入った動機を聞いて、半分以上あきれているのである。

「あたしを信じてくれてるのよ」

「それって信じてるって言うのかな。親の義務を捨てたのかも……まぁ、それは冗談」

 ルーラが睨むので、慌ててフォローする。

「あたし、少しでも上手になりたかったの。こういう自然だけの所なら、魔法も使いやすいかなって思って。と言うより、使わざるを得ない状況になってしまえば、上達しないと自分の命が危なくなるって風になってしまえば、いやでも上達すると思ったの」

 自然だけの所、と言うなら、もっと小さな森でもいいはず。でも、ルーラは自分をある程度追い詰めようと思ったのだ。

「まぁ、お前の魔法が下手なのはわかったけど」

 あんまりそういうことを、しみじみと言ってほしくないのだが……。

 何か必要な物を出す時に何度か失敗をしたため、ノーデほどでなくても、ルーラがあまり高いレベルでないと知られてしまったのだ。

「きっとお前、コンプレックスの固まりなんだよ」

「あたしがコンプレックス?」

 ない訳じゃない、というのは自覚しているけど、固まりとまでいくのかしら……。

「魔法使いの娘だから、とか、家族が腕のいい魔法使いばかり、とか。どこかでそれを気にしてる。で、うまくいけば当たり前、うまくいかなきゃ才能がない。どっかでそう思ってるだろ」

「そうかなぁ。腕が悪いから、うまくいかないのは当たり前、とは思ってたけど。うまくいけば、こんなもんよねって」

「ほとんど俺が言ったままじゃないか。仮に自覚してなくても、意識の底で感じてるよ。お前、気付いてるか? 家族の話をしてた時に『腕のいい魔法使い』ってのが強調されてるっての」

 そう言われて、少し戸惑う。

「え……そうだった? 同じ調子で言ったつもりだけど」

「だから、無意識のうちに出てるんだよ。家族が腕のいい魔法使いだから、自分も腕のいい魔法使いにならなきゃいけないって。そう思ってるうちは絶対になれない」

「絶対って……ひどいわね」

 今の言葉はルーラの心に突き刺さる。魔法に関してはど素人のはずのレクトから、断言されてしまった。

「お前がしてるのは『腕のいい魔法使いの家族のために、腕のいい魔法使いのフリ』だ」

「フリ? 違うわよ。あたしは本気で、腕のいい魔法使いになりたいと思ってる。魔法を使うからには、上手に使えればって思うのは当然じゃない」

 これは黙って聞いていられない。ルーラは断固、抗議する。でも、レクトは悪いことを言った、という表情にはならなかった。

「フリが違うってんなら、お前は頭のどこかで『家族のために、腕のいい魔法使いになろう』としてるんだ」

「さっきの言葉とどこが違うのよ」

「まぁ、そう大して変わらんさ。つまり、お前は家族のために魔法を使おうとしてるってこと」

「違うっ」

 ドンッと地面を叩く。柔らかい土だから、音はしない。

「あたしは自分のために使うのよ。家族のためにじゃないわ」

「そうか。じゃ、家族は忘れろよ」

「え?」

 急に話が飛んだみたいで、ルーラはついていけなくなる。

「本気で自分のために使ってみろよ。腕のいい家族に縛られずに。家族はみんな腕がいいけど、あたしはってのはやめる。あたしはあたしのためにこの魔法を成功させるって、本気で思ってみろよ。自分に対する気迫が違ってくるぜ」

 あたしはあたしのために……。

「あたし、今まで魔法を使う時に誰かのためにって思ったこと、なかったわ」

 使う時はあくまで、うまく使えるように、としか考えなかった。他の人はどうなのだろう。誰かのために、と思いながら呪文を唱えるのだろうか。

「魔法ってのはさ、言い方悪いけど、自分のために使うもんだろ」

「そんな……そうとは限らないわ。誰かにああしてほしいって頼まれて、使う時だってあるわよ。エゴやナルシズムのためにじゃないわ」

 魔法を侮辱されたみたいで、ルーラはムッとして言い返す。まあまあ、とレクトがなだめた。

「だから、言い方は悪いけどって前置きしたろ。俺が言いたいのは……自分がこうしたい、と思ったら自分のために使うだろ。で、他人から頼まれた時に魔法を使うのは、その相手を思う自分のために使うってこと」

「相手を思う自分のため?」

「一番身近な例でいけば、あのチビ助を大切に思う自分のために魔法を使うって意味」

 誰かを思う自分のために……。ザーディを思うあたしのために。

「具体的に言葉にしてそう考えてる奴なんて、いないだろうけどな。あ、失敗した時、あたしの家族はこれくらいできるのにって思うなよ。それがトラウマになって、できなきゃどうしようって風につながるからな。自分だけのために成功させようという気持ちが足りなきゃ、先へは行けない」

 ルーラは少し重い気持ちで、レクトの言葉を聞いていた。

 あたし、うまくやらなきゃって、実は気ばかりが焦ってたのかしら……。知らないうちに、魔法使いの家族ってものに縛られてたの? 気にしていないつもりでも、やっぱり気にしてたのかなぁ。……そうかも。だから、ファーラス兄さんに「あたしは突然変異なのかな」なんて言ったりしちゃったんだ。

「……なんてな。感じたままを言ってみただけだ。俺は普通の人間だし、偉い魔法使いの心理まではわからない」

 レクトは今までのセリフをゴマかすように笑う。

「お前くらいの年なら、自分だけをかわいがってりゃいいんだ。で、大人に近付いてきたら、他の奴もかわいがってやりゃいい。自分のできる範囲でな。所詮、人間は万能じゃないんだ」

 メージェスの村の誰も、ルーラが家族に縛られてる、なんて言わないだろう。みんな、ラーグの娘、という目でしか見てないだろうから。できて当然、と考えているだろうから。

 レクトはルーラの話の断片しか聞いていないから、こんなことが言えたのだ。完全な第三者の目で見て感じたことを。

 父のラーグも、実は同じようなことを考えていたのだろうか。娘が魔法使いの家族に縛られている、と。だから、いきなりルーラが旅に出たいと言い出した時、家族から少し離れて自分を見詰め直すいいきっかけになる、と思ったのかも知れない。

「ガラにもなく、説教みたいになっちまったな。あんまり深く考えるなよ。どうせ大した内容のことはしゃべっちゃいないんだから」

「ううん」

 ルーラは首を振った。

「大したことあるわ。もしかしたら、本当にそれがあたしの欠点だったかも知れないんだから」

 とりあえずやってみようと思う。ザーディを守ってあげたいと思う自分のために。ザーディを守る魔法を使う。……できそうな気がする。

「あ、でもあたし……一度ザーディを助けようとして、逆に死なせそうになった……」

 あの湖でのことを思い出してしまった。

 うずに巻き込まれ、おぼけかけたザーディ。たとえあのままであってもザーディがおぼれることはない、と知らないルーラは、あの事件を思い出すとつらくなる。

「単に焦って失敗しただけだろ」

 そんなルーラの重い気分を、レクトはあっさりと消してしまった。

「え、でも……」

「普段できることでも、焦るとできなくなるってことは魔法に限らずあるぜ。そんなことにいつまでもこだわってたら、俺なんか山程後悔することばっかりだ。結局、あいつは無事だったんだろ。だったら、それでいいじゃないか」

 あっさり言われ、何だか悩んでるのがバカみたいに聞こえる。

「あなたも結構、楽天的なのね」

「思い詰めたって、いい答えなんて出てこないからな。俺、自分をいじめる趣味はない」

 あ、兄さんと同じようなこと、言ってる。兄さんも、自分を追い詰めても楽しくないって言ってたっけ。

 レクトが大きなあくびをした。

「もう寝ようぜ。これ以上、頭を使ったら溶けちまう」

 うーん、とのびをする。と、ふいにレクトが顔をしかめた。

「どうしたの?」

「いや……木でちょっとひっかけた所が引きつっただけだ」

「左の袖、破れてるよ」

 今気付いた。レクトの服の破れ目に目をやり、何気なくその袖に触れる。その破れ目からチラッと傷が見えた。二の腕に赤く腫れた傷口。ルーラの小さな手では隠し切れない長さの傷だ。出血こそしていないが、傷口は開いた状態。深くはなさそうだが、その状態だと恐らく跡が残る。泥や他の汚れでわかりにくいが、袖の黒い染みは血だろう。

「ちょっとなんてもんじゃないわよ。結構、痛むんじゃない? いつこんな傷つくったのよ」

 知らないうちに、ルーラの口調が子どもを叱るみたいになっている。

「あの斜面を転げた時かな。ほら、服を乾かしてくれたろ。あの時に傷口も一緒に乾いたらしい。こんな傷、茶飯事だよ」

 レクトは気にせず、へらへらしてる。ケガを放置する男の子はメージェスの村にもいるが、似たようなものだろうか。それとも、兵士をしていれば本当に茶飯事だから、気にしないようにしているのか。

「放っておいたら化膿するわ。もう、自分をいじめる趣味はないって言ったの、誰よ。あなたがよくっても、これじゃ身体の方がかわいそうだわ」

 おぼれかけた時も転がり落ちた時も落とさずに持っていた袋を開け、ルーラは何やら捜し始める。

「前から気になってたけど……その中、何が入ってるんだ?」

「最初の頃は、ちょっとだけ食料入れてたの。パンを少しだけね。後は薬」

「薬?」

「話したでしょ。母さんが薬剤師だって。あたしがケガした時のためにって持たせてくれたの。この傷薬は大抵のものに効くのよ。ほら、腕出して」

 話しながら、ルーラは袋から手の平より少し大きいサイズの平たい瓶を取り出した。

「……お前のための薬だろう。俺に使っていいのか?」

「あたしはいつ使うかわからないもの。今、これが必要なのはあなたよ。つばつけて治る程度の傷じゃないわ」

 袖をまくって現れたレクトの傷に、ルーラは見た目が粘土のような薬をベタッと塗り付けた。レクトが顔をしかめる。

「いっ……。もう少し穏やかに頼む」

「ぜいたく言わないの。これでも優しくしてるのよ。これ、母さんの魔法力も含んでいるから、普通よりも治りは早いわ。あまりいじっちゃダメよ。今は包帯になるものがないし、あくまでも応急処置だから」

「ありがと。しっかし……」

 レクトがなぜかくすくす笑い出す。

「お前、誰にでもそういうしゃべり方するのか?」

「そういうって?」

「母親みたいだ。小さい子どもにあれしなさい、こうしちゃダメよって言うのが」

 改めて言われてみれば、思い当たることがある。

「小さい子とよく一緒にいるから。ごめんなさい、あたしよりずっと大人なのに、失礼よね」

「何だよ、そのずっとっての。そういやお前、最初に会った時から、俺のことをおじさん呼ばわりしてたな。俺はまだ二十歳だ」

「あら、あたしの兄さんと一つしか違わないのね」

 そう変わらないとは予想していたが、ファーラスより一つ上。三人まとめてだったので「おじさん」になっただけだ。

「だったら、お兄さんにしてくれ。この若さで、まだおじさんとは呼ばれたくない」

「結構、こだわるのね」

「お前だって、おばさんと呼ばれたら傷付くだろうが」

「こんな子どもに向かっておばさんなんて呼ぶ人、いないわよ。それと、ずっとあたしのことをお前って言うけど、ちゃんと名前は言ったでしょ。あたしの名前はルーラ」

 歩きながらお互いに名前を教えていたが、レクトはまだまともにルーラの名前を呼んでない。

「わかったよ。じゃ、ルーラ、そろそろ寝ようぜ」

 ルーラも疲れていたので、その意見には賛成した。

「風邪ひくなよ。それと火のそばに寄りすぎて焦げるなよ」

 ああするな、と注意するのはさっきのお返しだろうか。

「はいはい。ちゃんと気を付けます。おやすみなさい」

「おやすみ」

 二人は火を挟み、向かい合った木の根元で横になった。少しすると、レクトの寝息が聞こえ出す。余程疲れていたのだろうか。

 ルーラは静かに起き上がると、呪文を唱えた。毛布を二枚出すために。今回は素直に出てくれた。さっきのレクトの言葉を意識した訳ではないが、うまくいくとやっぱり嬉しくなるもの。

 ルーラはそっとレクトに毛布をかける。レクトは傷のある腕を上にして、横向きに寝ていた。起きている時は剣を腰に差していたが、兵士時代のものだろうか。今は自分のそばに置いている。

 そんな姿を見ていたら、少し不思議な気がした。つい昨日まで追い追われる関係だった人間が、こうして一緒にいるのだから。

自分達だけじゃない。ザーディ達の方だってそうなのだ。何がどうなるか、わからない。

 ルーラは自分の場所へ戻り、毛布にくるまって目を閉じた。

 ザーディのことは、やはり心配ではある。でも、レクトの言葉が本当なら、ノーデ達もすぐに殺しはしないだろう。本当なら今すぐにでもザーディのそばへ行きたいが、まだルーラはそこまで器用に魔法を使えない。

 ノーデがしたように、誰かの追跡をする魔法の存在は一応知っているが、使ったことがない。そんな必要性が今までなかったから、呪文もうろ覚えだ。とても「使える」魔法ではない。

 悔しいが、長く生きている分、ノーデの方が知識がある、ということだ。飛行術で空から捜すにしても、こんな森の中にいたのでは木に邪魔されてわからない。

 とにかく、北へ行くしかないのだ。彼らも向かっているであろう、北へ。そこでザーディを取り返すしかない。

 北、というだけのあまりにざっくりした目的地だが、ザーディが魔法力の高い存在であるなら、その両親から何かしらの気配を感じ取れるはず。いざとなれば、近くにいる妖精を呼び出して尋ねる、という方法を使うのも手だろう。

 この点については、ルーラはあまり深く考えていない。考えるにしても、情報が少なすぎるから推測しきれないのだ。

 ノーデも魔法は下手らしいから、力は五分といったところかしら。経験がある分、向こうが少し有利かな。でも、ザーディの命がかかっているんだし、あたしだって負けらんない。殺されかけたお礼だって、しっかりしてやんなくちゃ。

 つらつら考えるうちに、いつの間にかルーラは眠っていた。やはりルーラも疲れているのだ。ぐっと深く眠り込む。

 しばらくすると、音もなくレクトが身体を起こした。少しルーラの方を覗き込む。ルーラはレクトが寝息をたてていると思っていたが、彼はまだ本当に眠った訳ではなかった。

 ルーラが考え込んでないか、もしくはレクトのことを必要以上に警戒してないか、気にしていたのだ。

 どうやら大丈夫のようだな。

 毛布をかけてもらったのも、ありがたい。今までは火を焚くくらいで、しっかり保温しながら休めることがなかったのだ。

 ルーラが眠ったらしいのを見届けるとレクトはまた横になり、今度こそ本当に寝息をたてだした。

☆☆☆

 すごくよく寝てしまった。心配事があるくせに。これは、若い、というのだろうか。

 とにかく、よく眠ったおかげでルーラは身体が軽く感じた。木々の間からわずかに見える空は晴れている。

「よっし。絶対にザーディを見付けるわよ」

 朝から気合いを入れる。

「元気がいいな。その調子だと、よく眠れたか」

 あくびしながらレクトが言う。そんな彼もすっきりしたような顔をしていた。

「うん、元気復活よ。あいつらの好きにはさせないわ。絶対にザーディを助けるの」

「おい、もう行くのか?」

 ルーラはもう歩き出している。

「当然でしょ。休みを取りすぎたんだもの、その分を取り戻さないと」

「朝に強い奴なんだな」

 置いて行かれる訳にはいかないので、レクトも立ち上がってルーラの後を追った。

「ノーデは魔法でお前らの後を追ったけど、それはできないのか?」

 昨夜、ルーラも考えていたことだ。

「……あたし、まだ日常的な行動を助ける魔法とか、空を飛ぶ魔法しかできないの。食べ物を出すとか、必要な物を出すとか。一応、守護の魔法も習ったけど、あまりうまくないし」

 湖の水でノーデ達を襲ったのは、風で物を運ぶという魔法を応用したものだ。それと頭にきたルーラの馬鹿力も相まっていた。攻撃魔法とは微妙に違うのだ。

「だから、あの子が向かうはずの北へ行くしかできないの。もし先にザーディの両親に会えたら身を守るように言えるし、そこでザーディ達を待ち伏せできるわ。それに賭けるしかないの」

 こういう方法しかないことがすごく悔しい。悔しいけれど、できないものは仕方がない。それならできることをするしかない。

 今のルーラに考え付くのは、これくらいしかなかった。

「わかった。前進あるのみだな。なるたけ先回りできるようにしないと」

 ルーラができないと言っているのだから、レクトも文句は言わない。無理にやって失敗しては、意味がないのだ。

 二人はとにかく歩いた。ルーラもザーディと一緒の時よりペースが速い。なんせ今一緒にいるのは大人の、それも男性だ。足は速い。ザーディと一緒の時は、自分が速さを考えてやらなければならなかったが、今度は逆だ。ルーラがこっちだと言った方へ、レクトはさっさと歩いて行く。それを追いかけるのが大変に思ったりする程だ。

 どうして先に行くんだろうと思ったが、もちろんレクトはルーラを置いて行こうとしているのではない。行く手を邪魔する草を払ったり、不安定な足下でないことを確認してくれているようだ。

 ノーデ達といる時もこうだったのか、ルーラが少しでも歩きやすいようにしてくれているのかはわからない。小休止した時にでも聞いてみよう、とルーラは思いながら歩いた。

 時々、前を歩くレクトが「わっ」と声を上げて立ち止まることがある。何かと思えば複数の妖精が集まっていたり、ユニコーンが休んでいたり。あまりこういう場面に遭遇したことがないレクトは、驚いてつい声を出してしまうのだ。

 ルーラだって普段直接目にすることはないが、それでも自分がそういう世界に近い力を使うせいか、普通の人が森で動物を見掛ける程度の感覚しかない。急いでいなければ、妖精に話しかけたり、ユニコーンに触れてみたい、なんて思っていたりするのだ。

 でも、今は。そんなことをしている余裕があるなら、たとえわずかな時間や距離でもいいから先へ進みたい。少しでもザーディに近付きたい。

「レクト、驚くのは仕方ないけど、大きな声を出さないで。特にこんな奥深くだと、人間は来ないでしょ。ここではこっちの方が珍しい存在だし、場合によっては恐がったりするから」

「あ、ああ……。気を付けるよ」

 ルーラを追っていた時は見掛けなかったものを見て、さすがにレクトも呆然としている。自分がこういう存在を目にする日が来るなんて、思いもしなかった。

「きっと、必死の形相で追って来てたんでしょ。あなたはともかく、あの二人が。その雰囲気が伝わって、みんな隠れてたのよ。何か恐いものが近付いてるって」

 レクトがこれまで妖精を見なかったと言うと、ルーラはそう答えた。

「妖精は魔法が使えるし、人間より高い所からこっちを見て、もっと大胆だと思ってたけど」

「臆病って訳じゃないのよ。みんな、ちょっといたずら好きで優しいの。人間の子どもみたいに、好奇心だってあるし。だけど無知じゃないから、ちゃんと状況を把握するまでは慎重に行動するのよ」

 そうルーラが説明しながら歩いている間にも、明るい色の衣をまとった、手のひらにのってしまいそうな妖精が、何度もルーラ達の横を飛んで通り過ぎて行く。

「チイサナ……コドモ」

「え?」

 二人して聞き返す。二人の間をすり抜けて飛んで行った妖精が、何かささやいたのだ。

「今、何か言ってなかったか?」

「うん、聞こえた。たぶん、小さな子どもって」

 飛んで行った妖精はもういない。立ち並ぶ木々と、その影を落とした地面があるだけ。

「ギンイロ……フカイ ミズウミ」

 また別の妖精が、そうつぶやいて通る。

「何? あたし達に話しかけてくれてるの? ねぇ、お願い。教えて。どこに何があるの?」

 でも、通り過ぎた妖精は消えてしまっている。

「ルーラ、もしかしたらザーディのことじゃないのか?」

「どういうこと?」

「小さな子どもで、銀色っつったらあいつだろ。深い湖が青を示そうとしてるなら、あいつの目の色でバッチリじゃないか」

「サミシソウ……」

 また妖精が通った。ルーラは慌てて追いかけるが、すぐに消えてしまう。

「淋しそうって言った。ザーディ、あの男達に囲まれて、いやな気持ちでいるんだわ」

「そうだろうな。苦しそう、でなくてよかったじゃないか。ケガはさせられてないってことだ」

 レクトとしては、これくらいのフォローしかできない。

「近くにいるかも知れない。急ぎましょう」

 ほとんど小走りに近い速度で歩く。時々、根っこにつまづきかけるが、すぐに体勢を立て直して先を急いだ。

「ねぇねぇ。あんた達、あの子の知り合いかい?」

 ふいにルーラの前に妖精が現れた。黄色のひらひらした衣をまとい、少年のように瞳をきらきらさせた、いたずらっ子のような雰囲気の妖精だ。

「ええ、そう。たぶん、あなた達の言うあの子って、あたしの知ってる子よ」

 いきなり話しかけられても、ルーラはちゅうちょすることなく返事する。

「お願い、教えて。銀色の髪に、きれいな青い瞳の小さな男の子?」

「そうだよ。ムサい人間の男二人が連れてる。どうもその子から魔法の匂いが濃くするし、見てるとあんた達の意識もあの子に向けられてるし」

「どこにいるの? あたし達、あの子を捜してるの」

 ルーラが尋ねると、妖精はある方向を指差した。

「この先にいるよ。でも一つ警告しておいてあげる。ここではあまり魔法は使わない方がいいよ」

 いつもは明るい表情の妖精が、いたって真面目な顔をする。

「どうして? あ、ここを守ってる誰かに許可をもらわないといけないって言うんなら、あたしは大丈夫のはずなんだけど」

 蛇の姿をとっていた森の精のビクテが、他の精霊に話をつけてくれているはずである。精霊は人間と違って嘘はつかないし、約束も忘れたりしない。その点については、問題はないはず。

「うん、それもあるんだけどさ。ここらはかなり空間が歪んでたりするもんだから、魔法を使ってもうまくいかない時が多いの。変な風に力が働いたり、全く働かなかったりとかね。自分を危険にする時だってあるよ。どうなるかは誰もわかんないんだから。精霊はうまくできるけど、妖精はうまくいかなかった時が恐いからあまり使わない。あんた達は人間だから、たぶんもっと変になっちゃう。だから、魔法はやめた方がいい。ちゃんと注意してあげたからね」

 妖精はそう言うと、今までの妖精と同じように消えてしまった。

「魔法を使うかどうかはともかく、先へ行くしかないだろ。追い付いたとして……組み合いになるとモルの力には負けるけど、ケンカの技なら俺の方が強い。ただ、俺がやりあってる間に、ノーデが魔法を使うとヤバいんだよな。でも、使った本人に返る可能性もあるってことか」

 レクトが頭の中で簡単なシミュレーションをしてみる。ノーデが魔法を失敗するのは構わないが、ルーラも魔法が使えないとなると問題だ。

「あんな小さいおじさんでも、男の腕力にはあたしじゃとても勝てないだろうし、そうなるとやっぱり魔法が……。うー、なりゆきにまかせるしかないわね。考えてないで行きましょ」

 立ち止まって考えるより、先に進む方が大切だ。だいたいこんな状況では計画のたてようがないのだし、ああでもないこうでもない、と言い合っているよりいい。

「ザーディ! いるなら返事して」

 ずっと木々の間を通り抜けるばかりで、感覚が麻痺してきそうだ。もしかして、さっきから同じ場所をくるくる回ってるだけじゃないか、なんて気になる。

「ザーディ、待ってて。絶対に助けてあげるからね」

 ルーラ達は、確実にザーディ達へと近付きつつあった。

☆☆☆

「あ、ルーラの声」

 耳ざとくルーラの呼び声を聞いたザーディが、モルの背中でそう言った。文句を言わせないためか、朝の出発からザーディはモルに背負われているのだ。

「ルーラ? 空耳だよ。ここにあの娘がいられるはずがないんだから。思い入れが強すぎると、そんなこともあるさ」

 竜のザーディ程に耳がよくない人間のノーデは、それを聞いて鼻で笑った。何も聞こえない。自分達の歩く時に踏み締める土の音だけだ。モルにも聞こえてないらしい。これという反応も示さないでいる。

「でも……ほら、また聞こえた」

 再度そう言われ、少しノーデは心配になった。もしかすると、本当にルーラが追って来ているのではないか、と。

 考えてみれば、自分の目でルーラが死んだところを確認した訳ではない。ただ急な斜面を転がって行くのを見ただけ。

 万が一にも運よく無事で、追って来たと考えられないこともない。下手すると、レクトまで……。同じ場所から落としたし、ありえないことではない。このままのんびりと歩いていたのでは、せっかく手に入れた竜の子を奪い返されてしまう。

 冗談じゃない。こいつはわしのものだ。取り返されてたまるもんか。

 ノーデはポケットに手を突っ込んだ。そこには小さな巾着袋が入っている。さらにその中には、昨日ザーディに使った眠りの粉が入っていた。

 これは「イオの実」という魔力の詰まった果実の種の中にある白い粉で、この世に生を受けている者は全て眠らせる、という力を持っているのだ。それがたとえ竜であろうと関係ない。ザーディに使ったのは、まさしくこの粉である。

「モル、少し息を止めてろ」

 ノーデのしようとすることを知り、モルは大きく息を吸って止めた。それを確認すると、ノーデはモルの背中にいるザーディにイオの実の粉をかける。

 ザーディはその粉を吸った途端、咳き込んだ。細かい粒子がのどの奥へ入ってくる。大して時間が経たないうちに、頭がぼんやりしてきた。クラクラして目を開けていられないようになり、意識が遠くなってゆく。

 そして、ザーディはモルの背中で眠りに落ちた。

「本当によく効いてくれる薬だ」

 ザーディの様子を見て、ノーデは満足そうに笑う。

 ノーデが魔法使いを目指していた頃、魔法道具を扱っている知り合いの老人からこの粉の存在を聞いていた。「イオの実」は今よりはるか昔、イオという名の魔法使いがその術を用いて造り出した魔の樹になる実である。

 あまり人目に触れないようにと、木は高く険しい山にあると伝えられているのだが、どういったルートでか、その老人の店にあったのだ。

 時が経ってノーデは魔法使いから落ちぶれて盗賊になり、その薬を盗み出したのである。もちろん、他にも役に立つ品物を頂いて。レクトがルーラにロクな入手方法じゃない、と話していたのは当たっていたのだ。

「どうして眠らすんだ? まだ朝だぜ」

 今日出発してから、そう時間は経っていない。ノーデのすることに、モルは首を傾げた。

「バカ、さっきのこいつの話を聞いてなかったのか? ルーラの声がする、なんてほざきおって。だが、もしそれが本当ならマズい。万一追い付かれた時にこいつが起きててみろ。こいつに魔法を使われたりしたら、あっさり逃げられるかも知れないんだぞ。だが、眠った人間を……こいつは人間じゃないが、とにかく奪って逃げるってのは難しいからな」

「なるほど。備えあればって奴だな」

 かすかに人の声がした。小さな、でも確かに人間の声。聞いた限りでは女の。

 ノーデ達の耳に聞こえる程、相手は近付いてきたのだ。間違いない。ルーラがザーディの名前を叫んでいる。

「くっそう、頑丈な娘だ。おい、もたもたするな。追い付かれたら厄介だ」

 二人は足早に先を急いだ。でも、追う方はもっと急いでいた。なんせ気迫が違う。ザーディの命がかかっているかも知れないのだから、必死になって追いかけているのだ。

 徐々にルーラ達は逃げる盗賊に追い付こうとしていた。妖精に教えてもらった方向へ小走りに進み、ザーディの名前を呼ぶ。ノーデ達が一緒にいるから同時に気付かれることにもなるが、そんなことは構わない。

 とにかく、ザーディに自分がそばに来ていることを知らせたかった。息が切れても構わず、ルーラは叫ぶ。

「ザーディ! 返事してっ。いるんでしょ。あたしよ。ルーラよぉ」

 その声は、二人の盗賊にしっかりと聞こえた。

「くそっ。本当に来やがった。何て娘だ」

 焦ったが、足の短いノーデと眠った子どもを背負ったモルでは、身軽なルーラやレクトにどんどんと差を縮められてゆくだけだった。

 やがて、ルーラが先を逃げる男二人の姿をとらえる。

「待ちなさいよっ。止まんなさい!」

 ルーラは両手を組み、人差し指だけを突き出して二人の足元に向けた。指先から力が飛び出し、二人の足元の土が弾けた。

「止まらないと、今度は足を狙うわよ。本気だからねっ」

 ルーラが本気なのは、その声音からしてわかった。かなり興奮している様子だ。

「ルーラ、あんま無茶すんなよ」

 レクトがこそっと耳打ちする。さっきの妖精の言葉を言っているのだ。わかってる、と言うようにルーラは小さく頷いた。

 盗賊二人は、しぶしぶと立ち止まる。だが、あきらめた訳ではない。ノーデは片方の手をポケットに突っ込む。

 ルーラとレクトが、とうとう盗賊達に追い付いた。息を切らせて相手を睨んでいる。

 ルーラはザーディがモルの背中にいて、こちらを見てないことに気付いた。すぐに眠らされているとわかる。レクトの話していた薬を使ったのだと言うことも。ルーラの声を聞いて、ザーディが眠ったままでいるはずがない。

「あんた……どこまでひどいことするのよ」

 怒りで声が震えている。強く握った拳も。

「その子は……ザーディはまだ小さいのよ。そんな子どもに薬を使うなんて。どんな薬か知らないけど、使い方によって薬は毒にもなるのよ。わかってて使ってるのっ?」

 母のキャルが薬剤師をしていたので、少しくらいならわかる。

 薬というのは使い方次第では、症状に合わないものであったり多量に使うなどすれば、とても恐ろしい毒になるのだ。最悪、死だってありえる。生死を左右する代物なのだ。

 ましてノーデが使っているのは魔法が関わっているらしいから、どんな副作用を及ぼすかわかったものではない。おまけに使われているのは、まだ子どもで身体の小さなザーディなのだ。

「竜にとっては大したことじゃないさ」

「まだ言ってるの? その子は竜じゃないってば。竜の子だったら、そんなにか弱い性格のはずがないでしょ」

 ザーディが起きて聞いたら、赤面しそうなセリフを大声で言う。

「たばかっているのかも知れんぞ。まぁ、お前に正体が見破れんでも仕方がない」

 それから、ノーデはレクトを見た。

「よく生きていたな。森の獣に喰われたかと思っていたが」

 悪いと思っている様子など、まるでない。悪運の強い奴、とでも言いたそうだ。

「あいにく雨が降ってたもんでね。獣はみんな、自分の巣穴にいたらしい」

 言い返すレクトの表情はひょうひょうとしたものだったが、その目は穏やかではない。

「とどめを刺さなかっただけ、ありがたいと思えよ。生きていれば、そのうち幸せもくるってもんだ」

 モルもノーデと同じく、何とも思っていない様子だ。ただ、子どもを背負いながら言う姿は、間が抜けてるようにも見えた。

「俺を殺す程、そのガキが大切って訳か。いや、そのガキがもたらしてくれる金だよな。わしの前から去れって言われる日がいつか来るだろうとは思ってたが、まさかこういう形で言い渡されるとは、さすがに俺も思ってなかったぜ」

「ふ……ん、お前は今まで役に立ってくれたよ。だが、わしが欲しいのは思うように動いてくれる奴だ。お前みたいに、色々と言い出す奴はうっとうしいだけだからな」

 ノーデは冷たく言い放つ。レクトの目から表情が消えた。

「まあ、あんたがそう思ってやったことだとは予想していたさ。命の恩人に殺されかけるってのは、なかなか体験できることじゃない。感謝するべきかな」

「謝んなさいよっ」

 こらえ切れないように、ルーラが叫ぶ。

「謝っても許せないけど……謝りなさいよ。あんた達、自分が何をしたのかってわかってんの? 盗賊も許される訳じゃないけど、人を殺めたりするのってもっと許されないのよ。それを何でもないような顔で、うっとうしかったからなんて……仲間だった人でしょ。それなのに……人間として最低だわ!」

 ルーラが自分の代わりに怒っているのを見て、レクトは内心驚く。

「あいにく、お嬢ちゃんの説教を聞く気はないね」

 モルがぺッと横につばを吐く。ルーラの理性の糸が千切れ飛んだ。

 今まで静かだった周囲が、急に風で騒がしくなる。その風はルーラの方から吹いていた。段々と強くなり、軽い葉や小枝が舞う。そのうちに小石が浮き始めた。それらがノーデとモルに向かって吹き付けられる。

「ふん、半人前が偉そうに」

 腕で顔を守りながら、ノーデの口は減らない。カチンときたルーラが風の勢いを強めた。

 が、ふいに風があらぬ方向へと吹き出す。ノーデ達へ向かっていたのに、全然人のいない所へと風が吸い込まれてゆく。ついにはさっきまでの静けさに戻ってしまった。

 違う。あたしの失敗じゃない。確かに手応えがあった。魔法が失敗したんじゃない。でも、それならどうして……?

 すぐに答えはわかった。さっきの妖精の言葉だ。この辺りは空間が歪んで魔法が正常に働かない、と。だから、少しうまくいっても、すぐに駄目になってしまったのだ。

 どうしてこんな時にこうなるのっ。

 一方で、ノーデはこの好機を逃さなかった。

 ポケットに入れていた手を出すと同時に、自分の近くにいたレクトに向かって粉をかける。自分にまであの粉を使われると思っていなかったレクトは、完全に油断していた。

 息を止める間もなく、細かい粉がのどの奥へ入って来る。レクトが咳き込んだところを、すかさずモルが刀の柄を彼のみぞおちに入れた。子どもを背負っているとは言っても、ザーディは軽い。これくらいの動きなら、モルにとって大したハンデではなかった。

 短い呻き声を出して、レクトはその場に倒れる。粉の効果に加え、強い衝撃で一気に視界が暗くなった。

「レクトッ」

 駆け寄ろうとしたルーラを、モルが持っていた刀を返して首を打った。衝撃がルーラを襲い、意識を遠くへ連れて行く。

「モル、こいつら二人を別々の木に縛り付けとけ。放っておけば森の誰かが始末してくれる」

 命令されたモルは背負っていたザーディを一旦下ろし、ルーラとレクトを少し離れた木にそれぞれしっかりとくくりつけた。

 それが終わるのを見届けると、ノーデの目が嬉しげになる。ルーラが見れば、嫌悪感しか抱けない顔だ。

「もうすぐ……この森も終わる。そうすれば竜の世界だ。金のなる木が生えた世界に着くんだ」

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