盗賊と
頭がズキズキする。少し動いただけで痛みが走り、とても不快だ。それに身体が湿っているみたいで、それもひどく気持ち悪い。
「う……ん……」
ルーラが頭痛に顔をしかめていると、額に冷たいものが触れた。次に頬。濡れた布だろうか。
「ザーディ……?」
無意識のうちに、口からザーディの名前が出る。でも、ザーディの返事はない。いつもならすぐに返事してくれるのに。
不審に思って目を開けると、そこにはザーディよりずっと年上の……兄のファーラスと同年代らしい青年がルーラの顔を覗き込んでいる。
見覚えのあるその顔に、ルーラは目を見開いた。
「あ、あなたっ」
叫びながら起き上がり、それからズキンと頭に痛みが走ってルーラは頭を抱えた。
「いっ……た……」
「無理するな。木の根っこに頭をぶつけたらしいから。動くならゆっくりとだ」
「う……どうしてよ。どうしてあなたがここにいるのよ」
痛む頭を押さえながら、ルーラはそちらを睨んだ。自分のすぐそばにいたのは、あの三人組の盗賊のうち、一番若いレクトだった。周囲に目を走らせるが、他には誰もいない。
「まぁ、色々あって……。火を焚きたいんだが、枝も葉も濡れちまってるからできないんだ。俺にはどうしようもないから、我慢してくれ」
「ザーディ……ザーディはどこ? あの子、どこへ行ったのよ」
頭痛より火を焚くより、気になるのはここにいないザーディだ。
「……連れて行かれた、ノーデ達に」
予期していた答えをレクトは口にする。最悪の状況だ。
「やっぱり捕まってるのね。早く……早く助けてあげなきゃ」
立ち上がりかけてめまいを感じ、ルーラは倒れかけた。それをレクトが支えてやる。
「おい、無茶するなって」
「は、離してよ。盗賊なんかに介抱されたくないわ。ザーディを連れてった仲間なんかに。どうせあなたはあたしを引き止める役にでもなってるんでしょ」
ルーラはレクトの手をふりほどいた。
「そうだといいんだがな。どうも見捨てられたみたいだ」
自嘲気味の笑みを浮かべ、レクトはそう言った。
「え?」
「俺もお前の後で、あの坂の上から落とされたんだよ。お払い箱といったところらしい」
「クビになったの?」
状況が変わって、ルーラは少しおとなしくなる。盗賊でもやはりクビというのだろうか。
「そうらしいな。あいつの気に入らんかったようだ」
「あのチビの男?」
レクトは頷き、ルーラを座らせた。起きていると頭痛がひどくなってきたので、今度はルーラもされるままに座った。
二人がいる所は、巨木にあいた穴の中だった。うろと呼ぶにはあまりにも大きい。よくこれで木が立っていられるな、と思う程大きく、まるでえぐられたような穴だ。でも、おかげで二人がこうして中にいても、狭いとは感じない。
雨はさっきより小雨になっていたが、服はじっとりと冷たかった。ザーディのシールドがなくなったため、ルーラも雨に打たれて濡れたのだ。
ルーラもだが、レクトの服も泥だらけだった。あの斜面を同じように転がり落ちたため、汚れてしまったらしい。汚れ方に不自然さは感じられないし、落とされたというのは本当のようだ。
「落とされたってどういうこと? じゃ、ザーディはあの二人が連れてったの?」
「ああ。竜の子を捕まえたってすっげぇ喜んでたぜ」
「違うのに。どうしてそんな風に思い込んでるのかしら。今、こうしてる間にもザーディが殺されちゃう。あなた、どこに連れて行かれたか、知らない?」
レクトの胸ぐらを掴みながら尋ねるルーラ。その瞳は真剣だ。こんな森で離れ離れになれば、簡単には見付からない。手掛かりは彼だけだ。
「すぐに殺しはしないと思うぜ。あいつはまだ小さいから、金になる分が少ない。その分を親に補ってもらうつもりだ。お前、北へ送って行くって言ってただろ。だから、あいつらも北へ行くみたいだぜ」
「金にって、売る気なの? とんでもないこと考える人達ね、ザーディの両親までなんて」
とりあえず、すぐに殺される可能性は少ないと知って、ルーラはほんの少し安心した。まさかノーデ達がさっそくザーディにナイフをたてている、なんて知る由もない。もっとも、魔法に守られて無事ではいるが。
「あの時、ザーディに何をしたの? いきなり粉をまいたりして。あたしが突き落とされる直前、あのチビの男の腕の中に崩れたのが見えたわ。あれ、おかしな薬じゃないでしょうね」
思い出すにつけ、今度はその点が心配になる。
「ノーデが後生大事に持ってたものだ。いざという時にしか使わない、魔法の薬だとか言ってた。使う相手によって量は加減するらしいが、この世に生きている奴なら全てを眠らせる力があるそうだ。何とかの実の粉……だったかな。竜を眠らせるってんで出したんだ。どこで手に入れたかは知らないが、どうせロクなやり方してないぜ」
「誰でも眠らせるの? 聞いたことはないけど、とにかく毒薬の類じゃないのね。倒れたのも眠ってしまったせいなら、まだ安心できるけど……」
ここにザーディがいない限り、完全に安心はできない。目を覚ました時、あのノーデやモルしかいないと知ったら、ザーディはどうするだろう。泣くしかできないのではないだろうか。それを思うと、ルーラはいてもたってもいられない。
寝起きであんな顔が二つ並んでたら……最悪なんて言葉じゃ足りないわ。
「とにかく少し休め。追いかけるにしても、体力を回復させないとつらいぞ」
「……うん」
ルーラとしてはすぐにザーディを追いたいが、レクトが言う通り身体がつらい。
森へ入って数日。疲れがたまりだした頃にこんな事件だ。気を抜くと、意識が遠くなりそうになる。
ふいにゾクッとした。服が湿って身体が冷えたみたいだ。風邪をひいて熱でも出ようものなら、本当に動きが封じられてしまう。濡れた服はさっさと乾かすに限る。
火が使えないなら、ここは魔法だ。ルーラは呪文を唱え、服から水気を飛ばした。近くにいるので、ついでにレクトの分も。
一応、気が付くまで介抱してくれたようだし、そのお返しのつもりだ。水分がなくなれば、泥で汚れていた服もはたくことである程度きれいになる。
「ありがと。へぇ、お前、ノーデより魔法うまいなぁ」
うまい、と珍しくほめられ、ルーラも悪い気はしない。兄のファーラスからは、よく注意されていた。うまくできる時が少なかったし、うまくいった時に限って一人だけ、というのが多かったのだ。もちろん、全くほめられなかった訳ではないが……。
「あいつも魔法を使うんでしょ」
ルーラが言うのは、もちろんノーデのことだ。
「あのヒゲ男はどうなの?」
「魔法を使うのはノーデだけだ。だけど、あんまりうまくないぜ。失敗したり中途半端だったり。それに普段は使わないからな。労働的なものはモルや俺にやらせて、自分は楽をするってタイプだから。で、腕がなまるってことになる」
「魔法使いくずれなのね。あんな人が魔法を使うなんて、魔法を使う他の人にとってはいい迷惑だわ。魔法使いの権威が落ちるじゃない」
「あれでも昔はちゃんとした魔法使いを目指してたらしいぞ。でも、元からの性格が盗賊向きだったんだろうなぁ。師匠の魔法使いに破門されて、どんどん堕落してったんだ。魔法は自分の都合のいいようにするためだけに使ってる。それだって怪しいのが多かったけど」
ルーラは、淡々と話すレクトの横顔を眺めながら聞いていた。
「あなたは盗賊向きの性格じゃなさそうね。クビにされるくらいだし。どうしてあんな奴の下で働いてたの?」
「お前、出身はどこなんだ?」
「カセアーナの……メージェスの村だけど」
一瞬、ルーラの頭にビクテのことが浮かぶ。村の名前を言ったら、魔法の腕が悪いことまで見透かされた。でも、彼は魔法使いではないようだし、魔法使いであっても人間にそこまではわからない。ちょっと話が飛んだ感じに戸惑いつつ、ルーラは答えた。
「そうか。……カセアーナの国から西へ五つ隔てた所にある国で、内戦があったってのは知ってるか? アルミトの国で、俺はそこの兵士だった」
カセアーナの国は平和だ。でも、よその国では色々と戦があることは、ルーラも何となくだが知っている。まさか目の前に戦の体験者が現れるとは、今まで想像したこともなかった。
「簡単に言えば、王政を続けるか廃止するかってのをもめてたんだ。外交の時くらいしか関わらないから、カセアーナの人間には関係ないだろうけどな。アルミトの王はいわゆる暴君って奴で……俺は廃止側にいた。でも、結果的に俺のいた側は負けちまったんだ。俺は傷を負ったまま、国を離れた。そのままいたら、間違いなく殺されるからな。あてもなくさまよって、どこかの……場所は覚えてないけど、森で倒れた。やっぱり死ぬのかと思っていた時、通り掛かったノーデに助けられたんだ。それからはどこへ行くってあてもないから、あいつについていた。身寄りはいないから、帰らなきゃっていうのもなかったからな」
安っぽい防具しかなかったため、レクトの身体は傷だらけだった。それをノーデが治癒の魔法で治そうとしてくれたらしい。だが、大した技術がないのですぐに全てが完治する、とはいかなかった。それでも、薬を使うなりしてくれたおかげで、レクトは何とか命拾いしたのだ。
あたし、この人は剣士が似合うと思ったけど、近かったのね。一介の兵士を剣士扱いしていいのかはわからないけど。
「いいことしてくれたのにこう言うのは何だけど、どうしてあの男はあなたを助けたのかしら。話を聞いてると、自分の利益だけを考える人なんでしょ」
「気紛れだろ。あと、若い奴を連れてたら、何かと労働させるのに都合がいいし」
レクトはしっかり分析している。助けた恩を理由に、利用されているとわかっているのだ。それでもノーデについていたのは、国を失ってヤケにでもなっていたのか。
「モルもその頃からノーデと一緒に行動するようになったんだが、あいつも金には目がない奴だ。頭は悪いが力はあるし、あのガタイだろ。追いはぎする時はあいつが仕切ってたな。俺は食うためとは言え、先頭に立って追いはぎするのはいやだったから、あいつらの後をついてただけだが……やってたことには変わりないか」
レクトは小さく溜め息をつく。
「つまり、盗賊なんてやらないで済めば、やりたくないってことね」
「まぁな」
「じゃあ、普通に働きなさいよ。あなた、まだ若いんだもの。アルミトじゃなくたって、いくらでも仕事はあるわ。盗賊なんて非人道的な商売、これを機会にやめなさいよ」
「はは……年下に説教されるとは思わなかったぜ」
レクトが苦笑する。
「こんなのに年下も何もないでしょ。まっとうな人間になりたければ、まっとうな職業につくべきよ。カセアーナにだって、いくらでも仕事はあるわ」
「そりゃ、仕事があればやりたいとは思うけど」
「じゃあ、やるべきよ。盗賊なんて向いてないわよ、あなたには。だってあたし達を追いかけて来た時、あなたっていつでも後ろの方にいて、手を出さないで見てるだけだったもの」
一応、三人一組という形ではあったが、思い返せば脅しをかけてきたのはいつもノーデとモル。レクトは最初の時から気が乗らないような顔をしていた。こんなのから金を取るのか、とか何とか言って。
「はは、サボッてるところを見られたか。女子どもみたいな弱い奴に手を出すのは……な」
元々、暴君から庶民を守りたい気持ちで王政反対派にいたのだ。それなのに、今自分がやっていることは真逆。何をやってるんだろうと、何度も自問した。
だから、と言うのではないが、せめて女子どもに手を出したくなかったのだ。結果的には、出したのと変わらないが。
「自分でも言ってるけど、盗賊なんて向いてないのよ。だから……いたたっ」
興奮して話していたので、また頭痛が襲う。それを見たレクトが、濡れた布を渡してくれた。近くに川があり、そこでぬらして来たと言う。たぶん、昨夜ルーラとザーディがそばですごした川だろう。服が泥だらけだった割に、レクトの顔や手がきれいなのは川で洗ったかららしい。
鏡がないのでルーラは自分の顔の汚れ具合がわからないが、さっき顔に冷たい布が当てられていたような気がするし、あれはきっとレクトが拭いてくれていたのだろう。
「これで痛む所を押さえてろ。さっき触ったら、こぶになってた」
頭を探ってみると、確かにふくれている所がある。押すと痛い。
「ほっぺも痛い。あのヒゲ男に平手打ちされたんだっけ。女の子を殴るなんて、サイッテー」
拳でなかったからいい、という訳にはいかない。最初から突き落とすつもりなら、平手打ちする必要などないではないか。本気で殺す気があったかどうかはともかく、ただ押せば済むだけなのに。これまでの恨み、といったところか。そうだとすれば、身体に見合わず器の小さい男である。
「どっちが腫れてるかなんて、わからないよ。両方、腫れてるから」
「あ、どういう意味よ、それは」
プーとふくれながら、冷たい布をこぶにあてる。
「お前、あの子とどういう関係なんだ? 竜じゃないにしても、人間じゃないんだろ?」
「友達よ」
ルーラはあっさりと答える。
「やっぱりトカゲの一種とか?」
「あの子の……いわゆる正体っていうのは知らないわ。森の精霊が『あの方の子』って言ってたから、森の主とか、魔法レベルの高い存在だと思うけど」
「誰かってのもよくわからないのに、それでこんな一生懸命になれるのか? 迷子を家に送り届けるにしても、過酷すぎるぞ」
「ん。まぁ、一緒に行くことになったのは、通りすがりのなりゆきみたいなもんだけど。あたし、一度関わると放っておけないのよ。それに、あたしはあの子が好きだから」
「ふぅん……自分に正直なんだな。うらやましい」
レクトがポツリとつぶやいた。本心からの言葉らしい。
「そう? 正直すぎるって言われる時もあるけどね」
「何を考えてるかわからない奴より、ずっといいさ。あいつがお前にべったりくっついてたのも、わかる気がする」
ザーディが好きだという気持ちを、ルーラは全身から出していたのだろう。それを感じて、ザーディもルーラのそばを離れなかったのだ。
「あたし、本当にザーディが好きだし、守ってあげたいの。話を聞いてるとあの子、生まれてそんなに月日が経ってなくて、外へ出たこともないらしいの。親はたくましくなるようにって、あの子をわざとこの森へ置き去りにしたらしいけど。基本的にすごく恐がりなのよ、ザーディは。だから、あの男達と一緒でどんな恐い気持ちでいるか……」
こんな話をしていたら、もうじっとしてなんかいられない。こうしてる間にも、ザーディにあの盗賊はどんな仕打ちをしているか、知れたものではない。たとえ殺されなくても、ひどいことをされたりしている可能性だってある。
「あたし、もう行くわ」
ルーラはゆっくりと立ち上がった。急に立ち上がり、さっきみたいによろけてしまっても困るからだ。今度はめまいもしない。まだ頭痛はしているが、これくらいならがまんできる。
「おい……」
「止めてもムダよ。ここでのんびりなんて、やっぱりできないもの。行ける所まで行ってみる」
とりあえず、北という手掛かりを得た。それなら、今までと同じだ。あいまいすぎる手掛かりではあるが、ないよりはいい。
「俺も行くよ」
「え?」
同じように、レクトも立ち上がる。その言葉に、ルーラは目を丸くしてレクトを見た。
「……どうして?」
「行っちゃマズいか?」
「いえ、そうじゃないけど……」
「心配するなよ。金を盗る気はないし……ってか、たぶんお前、本当に持ってないだろ。襲ったりもしないよ。ガキ相手には」
「ガ、ガキで悪かったわね」
ムスッとしてルーラは背を向けた。
「怒るなよ。俺もあいつらにもう一度会って、文句の一つも言ってやりたいんだ。大した秘密組織でもないんだし、切るなら切るでそう言えば円満解決したんだってな」
そうだった。レクトは、仲間であるはずの男達に殺されかけた人間だったのだ。復讐とまでいかなくても、何か言ってやりたいと思うのは当然だろう。お互いに捜そうとしている対象は同じグループにいるのだから、断る理由もない。
言ってから、レクトはどこかバツが悪そうな顔で笑った。
「これは一応、建前な。本当のことを言うと、こんな森に置いてかれたら、魔法使いでもない俺には永久に森の外へ出られそうにない。のたれ死ぬか、狂っちまうかだ」
ちょっと拍子抜けしながらも、ルーラは納得した。確かにこの森は、普通の人間の精神がいつまでも保つ所じゃない。
いて当たり前と思うような妖精も、一般人には幽霊に見えたり魔物になったりするのだ。レクトがここまで来られたのは、魔法を使うノーデがそばにいたためで、そもそも本人が望んで来たのではない。
ここに置いて行かれたら、ルーラはレクトが森の外へ出られない方に賭けるだろう。だいたいこんな森、ルーラのような物好きでなければ、来ようなんて思わない。
ルーラはこの男の見る目が変わった。下手な言い訳をせず、正直に自分の気持ちを言っている。自分の置かれた立場をよくわかっているし、下らない見栄を張る程バカじゃない。
それに介抱してくれる優しさもある。特に倒れた場所からここへ運んでくれたことについては、かなり点数が高い。失神した状態のままだったら、今頃もっとひどい体調になっていたはずだ。
これまでや目を覚ました時は敵としか思わなかったが、話を聞いていると根っからのワルでもない。三人組の一人として見ていた時は、少し上がり気味の目が「目付きが悪い」という印象でしかなかったが、こうして正面から見ると精悍な顔に見えるから不思議……と言うか、現金なものである。立ち位置が変われば、こうも変わるものか。
「じゃ、行きましょう。北へ」
レクトが笑みを浮かべて頷いた。
☆☆☆
「おい、モル。北ってのはどっちなんだ?」
「コンパスがきかねぇんだよ」
「こんな森でコンパスなんか役に立つか。もっと他に方法はないのか」
「んなこと言われたって……考えるのは俺よりあんたの方が得意だろ」
さっきからノーデとモルは、進む方向について言い争っていた。
今まではルーラの後を追っていたから、方角なんて気にしなくてもよかったのだ。それがこうして自分が先頭になって行くとなると、行く方向というものがわからない始末。持って来ているコンパスも、こんな森の奥では磁場が狂ってちゃんとした方向を指してはくれない。
他に方法はないのか、と聞いたところでモルが知ってるなんてノーデも思っちゃいない。そして腹の立つことに、考えるのはお前の仕事だと言い返されたのである。
「くそっ。えーと、ザーディっつったな。あの娘は」
「あの娘って、ルーラのこと?」
「ああ、そうだ。そのルーラは、どうやって行く方向を決めてたんだ」
いらいらしているから、言葉遣いも乱暴になる。もっとも、これがノーデの地だ。
「魔法、使ったの。枝をこうして立ててね、北を示せって言うの」
言いながら、ザーディはやってみせた。ルーラの見よう見まねである。しかし、魔法力のある竜がするためか、枝にはすぐに力が宿り、北を示して倒れた。
「そうか。こっちだな。よしよし、よくやった」
自分が動かなくて済んで、内心喜んでいるノーデであった。すぐに機嫌が直る。これを繰り返し、ノーデ達はザーディを連れて歩き続けた。
「しっかし、あの小娘はよくこんな森に入ろうなんて思ったな。一つ間違えば死んじまうぞ」
モルが一番後ろで、重たい巨体を揺らせながら言った。ルーラがこの森を横断することで魔法力を高めようとしていた、なんて事情は知らない。知ったところで、どうでもいいことだ。
「最近のガキってのは、考えることがよくわからん」
同じく知らないノーデも、そうとしか言い様がなかった。
「ええい、全く歩きにくい所だな。早いところ……」
そこまで言って、ノーデは口をつぐんだ。
早いところ、竜の身体を売りさばいて楽になりたいもんだ。
そう言いたかったのである。だが、ザーディの耳に入って警戒心を起こされ、魔法でも使われればやっかいだ。なんせ、ノーデの魔法はザーディには効かない。ザーディの姿変えの術を解けなかったことで、すでに実証済みである。
今はとにかくいい印象だけをザーディに与え、竜のいる所まで連れて行ってもらうのが先決だ。竜の世界に入る時、竜と共にいればその世界に行ける、という知識はノーデも一応持っているのである。
「早いところ、何?」
無邪気にザーディが尋ねる。ノーデは作り笑顔を浮かべ、何でもない、という表情をする。
「いやあ、早いところ森を抜けて、ザーディの両親に会いたいもんだ、と思ってね」
ノーデはそう言って、ゴマかし笑いをしながらバレないうちに前を歩いて行った。
「ぼく、疲れちゃった……」
ザーディの声に、ノーデが振り返る。
「そんなに歩いてないぞ。男がそれくらいで弱音を吐いてどうする」
「だって……」
文句の一つも言いたいが、気の弱いザーディに言えるはずもない。
そんなに、とノーデは言うが、すでに二時間以上は歩いていた。方向を確認しながらだから歩き続けではないが、休んでいる状態ではない。ノーデやモルは早く竜というお宝を手に入れたいから、疲れなど感じないのだ。そんな彼らと同じペースを、幼いザーディに要求するのが間違っている。
ザーディも、ルーラと一緒の時なら疲れるということはなかった。楽しくしゃべったり笑いながらだったから、自分が歩いている、という事実さえ忘れる程だったのだ。
でもこの大人二人だと何も話せないし、つまらない。口を開けば、妙に愛想のいい言葉ばかり。かと思えば、急に言葉遣いが乱暴になったりする。気が休まらない。
そんな中で黙々と歩けば、気が滅入るのも当然だ。ルーラといた時とは雲泥の差。身体より、気持ちが疲れている。
一方、ノーデもああ言ったものの、やたら無理に歩かせてザーディの御機嫌を損ねてもマズいと考えた。早く金を手に入れたいが、そのためにはザーディにさっさと竜の世界へと連れて行ってもらわねばならない。でも、ザーディは休みたがっている。
少し考え、ノーデはモルに言った。
「おい、おぶってやれ」
「俺がか?」
「他に誰がいる。お前の馬鹿力は、こういう時のためにあるんだ」
逆らえないモルは、しぶしぶザーディに背を向けてしゃがんだ。
「さぁ、おぶさるんだ。それなら楽になるだろう。それに先へ進めるからな」
言われて、ザーディは気がすすまないままおぶさった。広くゴツい背中だ。子どもなら大きな背中におぶされば喜ぶのだろうが、ザーディはやっぱり気分が休まらない。歩かなくて済むから、身体は確かに楽なのだが。
ここからは自分ひとりで行く、と言えたらどんなに楽になれるだろう。
ザーディはふとそんなことを思った。
でも思うだけ。本当に言える勇気があれば、とっくにひとりで歩いている。
やっぱりたったひとりだけ、というのは恐いのだ。こんな二人でも、少なくとも今は自分を傷付けようとしてないし、いるだけでも孤独の恐怖が薄れるのは、悔しいながら事実だった。
「ねぇ、ルーラは大丈夫かなぁ」
「だ、大丈夫って何が」
モルが少し慌てたように聞き返す。ザーディはなぜモルが慌てるのかわからない。何かおかしなことでも言っただろうか。
「だって、ルーラはケガしたんでしょ。どこをケガしたの?」
「えーと、それは……おい、ノーデ」
モルがノーデに助けを求める。細かい打ち合わせをしてないから、おかしなことは言えない。
「足だよ」
ノーデはあっさりと答えた。
「こんな足場の悪い所だからな。ひねってしまったらしい。なぁに、大したことことはないだろう。ただ、こんな森の中でいつまでもウロウロしていたら、具合もさらに悪くなるかも知れない。薬もないからな。だから、帰らせた。ちゃんと足代わりにレクトがついててくれるさ」
あの世でな、とノーデは心の中で付け加える。
足場の悪い所で突き落としたから、身体のあちこちを打ってるさ。生きてたって、雨に濡れながらそのまま森にいたんじゃ、長くは無理だろう。レクトと仲良く逝っちまってるさ。
しかし、ザーディにノーデの心の声は聞こえない。この盗賊の嘘を信じて、ひとまず安心していた。自分と一緒にいる相手がこの二人の盗賊、というのがやはり引っ掛かるが。
「お前さんは安心して、わしらと一緒に北へ向かえばいい。無事に両親に届けるまでは、見捨てたりしないからな」
ノーデの「見捨てない」という言葉は「逃がさない」という言葉と同じ意味だ。
もちろん、ザーディはそのことを知らない。