仲間割れ
時間と場所は少々戻り……。
「くっそー、また逃げられたかっ」
ルーラの魔法でびしょぬれにされたノーデは、怒りのあまり頭から湯気が出ている。すぐに呪文を唱え、他の二人も含めて服を乾燥させた。だが、中途半端な魔法だったらしく、二人の服はまだ湿っている。こっちの方が余程、気持ち悪い。
「ノーデ、まだ濡れてるぜ」
モルが文句を言ったが、ノーデはまるで聞いていなかった。
「あの小娘がぁ、つまらんマネをしおって。今度見付けたら、もう勘弁してやらん。どっかの女好きにでも売り飛ばしてやる」
「何もそこまでやらなくたっていいだろう」
なだめるレクトを、ノーデはきっと睨み付ける。
「お前は本当にお人好しだな。金になるものは全部、金にしちまえばいいんだ。人身売買なんぞに興味はなかったが、あの小娘がわしを怒らせたのが悪いんだ」
「あの子だって自分を守るためなんだから、仕方がないぜ」
「竜の子を渡せば、それで自分を守れる。それをしないから、こんな目に遭うんだ」
ノーデは文字通り、カンカンになっている。
「……俺、これ以上あいつらを追うの、反対だな」
女子どもを怯えさすのは、どうしても性格に合わない。確かに、盗賊に遭えばさっさと有り金を渡せば済む話だろうが、彼女が渡せと言われているのは金ではなく、小さな子ども。ではどうぞ、と簡単に引き渡せるものじゃない。
自分の命かわいさに渡すのは、むしろ大人がやることだろう。それに、彼女は魔法が使えるようだし、逃げる術がある。それを使うのは当然。
こちらにも魔法使いはいるが、ここまでくると単に、弱い者いじめを続けているだけの大人、みたいな気がする。それが盗賊なんだと言われたら、それまでなのだが。
「何言ってやがるんだ、レクト。せっかくの金づるなんだぜ」
「この中ではわしがリーダーだっ。わしはあいつらをどこまでも追うぞ。反対はさせん。レクト、お前は拾ってもらった恩を忘れたのか」
「忘れた訳じゃないけど……あんな小さい奴が巨万の富をもたらしてくれる程の材料、持ってるとは思えないぜ」
「んー、そう言われれば……あんなチビだからなぁ」
言われてモルも気持ちがブレる。だが、ノーデは動じない。
「確かに、あの子どもが竜本来の姿になっても小さいだろう。だが、あの小娘は何と言っていた? 北にいる両親の所へ連れて行く、と言っただろ。つまり竜はこの森の北にいるんだ。それなら、あいつで足りない分は親に補ってもらえばいい」
「おおっ、さすがノーデ、頭いいねぇ」
身体ばかり大きいモルが、手をたたいて喜ぶ。
「頭は生きてるうちに使うもんだ」
自慢げに胸を張るノーデ。
「さぁ、追うぞ。今度はあの小娘が魔法を使う前に、こっちが先に使ってやるからな」
また例の黒い鳥を出し、ルーラ達の逃げた(実はおぼれた)方へ向かえと指示する。鳥は小さな羽音をたてながら飛び始めた。その後を追いつつ、ノーデはこそっとモルを手招きした。
「竜の子を手に入れたら、あの小娘と一緒にレクトも始末しろ。どうするかは、お前の好きなようにしていい。わしのやり方にケチをつける奴は、もういらん」
「……まかせといてくれ」
後ろでは何も知らないレクトが、小さく溜め息をつきながら歩いていた。
☆☆☆
「雨が降ってる……」
そばでそんな声がした。ルーラが目を開けるとザーディは起きていて、空を見上げている。
川の真上まで枝を伸ばしている木もあるが、薄暗くなる程に密集して生えていないので、空が見えるのだ。その空はどんよりと暗く、低くたれこめた灰色の雲から水のしずくが落ちてくる。その雨は強い。
「雨か……」
ルーラはゆっくりと起き上がった。
「今まで降らなかった方が不思議なのよね。何がいるかわからないこんな森なら、天気も変わりやすくたって不思議じゃないのに、ずっと晴れてたんだから。それにしても、せっかく空が見える場所なのに、やっぱり暗いわねぇ。真夜中以外、時間帯がさっぱりわかんないわ」
うーん、とのびをした。それから遅ればせながら、気付く。雨が降ってるのに、濡れない。大きな木の根元で休んでいるからといって、全く雨がかからないはずがないのに。
もう一度見上げて、わかった。自分達の周りを、うっすらとシールドが張ってある。透明なドームの中にいるようなものだ。このシールドが雨から守ってくれている。
もちろん、今まで眠っていたルーラは魔法を使った覚えはない。使っても、こんなにうまくできるかどうか。
「ザーディが……やってるの?」
隣りであくびをしている少年に尋ねる。
「ん? 何が?」
「何がって……この周りをおおってる奴よ」
「ルーラが濡れると風邪ひいちゃうから、今はここに入って来ないでって頼んだの」
「頼んだって……誰に」
そう問われ、ザーディは困ったような顔になる。
「えっと……そう言われちゃうとわかんないんだけど。とにかくそう思ったの。そうしたらぬれなくなったから」
無意識のうちに魔法を使っているのだろう。今までの魔法もほとんど無意識のうちにやっているのだから、今回もきっとそれだ。
「ありがと、ザーディ」
ザーディがルーラのために、魔法を使ってくれている。それが嬉しい。
出発してもシールドがついてきてくれているのか、ルーラもザーディも濡れないままで歩き続けられた。おかげで快適に進める。
雨足はさらに強くなってきているが、何でもないように行ける、というのはとっても楽だ。足下はすでに水をたっぷり含んでいるので、ぬかるみに足を取られるとすべりそうになるが、転びさえしなければ問題ない。
もしこれがなければ、ルーラがカサなりレインコートなりを出さなければいけない。すぐに出てくればいいが、失敗してなかなか出なければ、その間にもズブ濡れになってしまう。
「またあいつらが来ないうちに、ザーディの両親に会わなきゃね。がんばろ」
「うん。……ルーラ、元気になった?」
声の調子も表情も、いつものルーラに戻っていた。
一晩寝れば、ルーラは元気になる。いつまでも悩んだって仕方がない、と眠って起きたら全て忘れるのだ。いつまでも気にしないのが、ルーラの長所である。
「心配させてごめんね。もう平気よ。ザーディが子守唄を歌ってくれたから。あれって元気になれる魔法がかかってるのかしら」
いつものようにルーラは笑ってみせる。
「うん、きっとそうだよ。ぼくもあの歌を歌ってもらうと元気になれるもん」
「素敵な魔法ね。あたしもそんな魔法をかけられるようになりたいわ」
ルーラが魔法をやめない、と知ってザーディはとても嬉しくなった。
「あれ? ザーディ……ちょっと大きくなってない?」
横にいるザーディの背が、昨日までより少し伸びているような気がする。
「え、そうかなぁ」
育ち盛りと言っても、こんな急に伸びるものかしら。人間じゃないから、かな。確か、あたしの胸より少し下くらいに頭のてっぺんがあったわよね。今は肩より少し下くらい、かな。ちょっぴり背伸びしたくらいの違いだけど。それに、顔つきも少ししっかりしたような……。
ザーディの心が成長した分、身体も成長するなんてことはルーラにわかるはずもない。
「二、三日もしないうちに、あたしの背も抜かしたりしてね」
そう言って、ルーラは笑った。ザーディの背が伸びたって、何の支障があるでもない。大きくなったならなったでいい。大きくなって足が伸びれば、歩幅が大きくなって早く進めるようになるから、むしろ好都合……なんてことまでルーラは考えるのだった。
ルーラはザーディの手を取って、また進み始める。しばらく歩いていると、急な下り坂がある所まで来た。傾斜がきつい。絶壁とまではいかなくても、崖と呼ぶ方がよさそうに見える。
進行方向はこの坂の先だが、このまま進むのは考えものだ。今は雨が降っているし、ここを降りても進行方向にあるのが今度は上り坂だったりしたら困る。絶対すべって上がれなくなりそうだ。それ以前に、降りる時に転がり落ちそうである。足下が悪すぎて危険だ。
「絶対、危ないわよね……」
これは迂回した方がよさそうなので、ルーラは回れ右をした。
「きゃっ」
振り返った途端、ルーラは悲鳴を上げる。いつの間に来たのか、あの三人がまた現れたのだ。それもズブ濡れで。
こっちはザーディの結界のおかげで濡れずに済んでいるが、ルーラとどっこいどっこいか、それ以下の魔法力らしいノーデに同じことができるとは考えにくい。
だとしたら、向こうが濡れているのは当然と言えば当然なのだが、その様子があまりにみすぼらしいのでびっくりしたのだ。
特にただでさえ小さいノーデが、これまで見たよりもずっと縮んで見えてしまう。
「どれだけ追えば、気が済むのよっ」
あたし、ザーディを送るために来てるのに、これじゃまるで逃避行じゃないの。
だが、今日のノーデは何も言わず、さっとザーディの顔の前で白い粉をまいた。それを吸ってしまったらしいザーディが、くしゃみをした。その後、細かい粉がのどの奥に入ったのか、苦しそうに咳き込んでいる。
「何するのよ」
ルーラが怒鳴るがノーデは無視し、代わりにモルがのそっと前に進んでザーディとルーラの間に立ちはだかる。
「何……」
ルーラが身構える間もなく、平手が飛んできた。
バシンというかなり派手な音がして、その衝撃にルーラの身体がわずかに浮いた。再び地面に足が着いた時、ズルッとすべる音がし、そのまま身体が傾く。身体が倒れたと思ったのも束の間、さっき手前で回れ右をした斜面をころころと転がってゆく。
その転がり落ちる前のわずかな瞬間、ルーラはザーディがノーデの手の中に崩れてゆくのを見た……気がした。
だが、それだけ。後はもう何もわからない。
勢いついた身体は、どんどん下へと転がってゆく。悲鳴も出せない。ガツッという音が間近でし、そのままルーラは失神する。
一方、ノーデがザーディの身体を抱えて大笑いしていた。
「やったっ。ついに竜の子を手に入れたぞ。これでわしは大金持ちだぁ」
森中に響き渡る程の高笑いだ。
「かわいそうに……。なぁ、売り飛ばす、とか言ってなかったか?」
成人女性よりもルーラくらいの少女、もしくはもう少し幼い少女が好みだという人間は世の中にいくらでもいる。売り飛ばすことに賛成な訳ではないが、坂の下へ突き落としてケガをさせるよりは多少マシな気がした。
結局、ひどいことをするのに変わりはないが、ルーラなら何か起こる前に逃げ出しそうな気がする。それなら、元気な状態でいた方がいいのでは……。
レクトはしぶい顔で、ルーラが落ちた方を見ていた。落ち方によっては、ひどいケガをすることだってあるだろう。
と、その横にモルがぬっと立つ。
「……何だよ」
ルーラがどうなったかの確認……ではなさそうな雰囲気を感じたレクトは、モルの顔を見た。
「俺も金は大好きだ」
「……?」
「お前の分は俺達で頂く」
はっとしたレクトがモルのそばから退こうとするが、遅かった。モルの大きな手と馬鹿力に押され、レクトはルーラを追うように坂を落ちて行った。
「おい、ちゃんと息の根をとめんのか」
ノーデが少し不服そうに聞いた。
「あんな奴でも、仲間だったからな。チャンスを残してやろうと思ってよ。生きてこの森を出られれば、またいいこともあるさ。一人でこの森を出られれば、の話だがよ」
モルの言葉を聞いて、ノーデがわざとらしく肩をすくめた。
「それもそうだ。こんな所に普通の人間が一人でいたら、気が変になっちまうからな。どっちにしろ、あいつは死んだも同じ。わしに偉そうに意見を言うから、こんな目に遭うんだ」
ノーデとモルの笑い声が、また辺りに響いた。
☆☆☆
よく研いだナイフを取り出し、その刃を白く柔らかい腕にあてる。ゆっくりその肌にナイフをすべらせた。だが、一つの傷もつかない。
「……ん?」
一掴み髪を取り、その根元にナイフを入れるが一本も切れない。
「くそっ」
イライラしてナイフを放り出し、造りのしっかりした短剣に持ち替える。同じことを繰り返すが、結果もまた同じ。
頭にきてその足に短剣を突き立てようとするが、カキンと小気味いい音をたてて刃が真っ二つに折れた。
「えーい、丈夫な奴だ。わしの短剣を折っちまいやがった」
ノーデはいまいましそうにぼやいた。
ルーラとレクトを坂から落とした後、ノーデとモルは岩穴を見付けてその中で雨をしのいだ。ついでに捕まえた獲物の吟味をしようと、ナイフでザーディの身体から鱗を取ろうとしていた。
たとえ今は人間の姿でも、皮膚をこそぎ取ってしまえば手に入った時には鱗になるのではないか、と思ったのである。
だが、皮膚どころか髪一本すらも、ザーディから奪えない有様だ。
ノーデは知らないが、ザーディにかけられた護りの魔法のおかげだった。
いくら竜でも、まだこんな子どものうちで、それも弱い人間の姿でいる時にナイフを突き立てられればケガをする。それが何ともないのは、ザーディの母ルシェリが彼を置いて行く時にかけてくれた魔法のおかげだ。自分で命を守れない状況の時にだけ現れる魔法が、こうして効力を発揮している。
「ノーデ、どうする? このままだと、連れてったって意味ないぜ」
「やっぱり親に会うまでだな。こいつに案内させよう」
眠ったままのザーディを見下ろして、ノーデは不敵な笑いを浮かべる。
「こいつ、ずっと恐がってばかりだったぞ。簡単に俺達の言うことを聞くかな」
「だから頭を使えと言っただろうが」
ザーディのまぶたがピクッと動いた。薬の効果が切れたのだろう。じき目を覚ましそうだ。
「いいか、こいつが起きたらわしに合わせろ。余計なことは言うなよ」
モルはわからないまま、頷いた。
やがてザーディはしっかり目を覚まし、ルーラの姿を捜した。だが、そばにいるのはあの盗賊の二人だけだ。
「ルーラは? ルーラ、どこに行ったの? おじさん、ルーラを突き飛ばした……」
意識がなくなる寸前、モルがルーラを突き飛ばしたのを見た気がする。
モルは何も言えない。ザーディの言うことは事実だが、頷けば余計なことを言うなと命令したノーデに逆らうことになる。
そこへノーデが割って入った。
「おいおい、人聞きの悪いことを言わんでくれよ。きっと夢でも見てたんだろう。あの子はちょっとケガをして、森を出ることにした。後をわしらにまかせると言ってな」
笑みを浮かべて嘘八百。案の定、ザーディは疑わしそうな顔をしてノーデを見る。
「ルーラが? ルーラ、そう言ったの? 本当に?」
「ああ、本当だとも。ほら、わしら二人しかおらんだろう? もう一人の若い奴が、あの子に付き添って帰ったんだよ。北へはわしらが連れてってやるからな」
「だけど……おじさん、ぼくを今まで捕まえようとしてたじゃないか」
「いやいや、それは大きな誤解だよ。わしらはもっといい所へ連れてってやろうとだな」
「ぼく、母様のそばが一番いいの」
ノーデは、気持ち悪い程の愛想笑いを顔面に張り付ける。
「そうか。まだ母親の恋しい年頃なんだな。よしよし、それじゃ、この雨がやんだら出発しよう。北だったな、お母さんのいる所は」
「うん……」
まだザーディは不得要領な顔をしている。だがノーデもその隣りにいるモルもこれまでと違い、今は自分を傷付けようとしているようには見えなかった。
それに実際、ルーラはいない。
結局、ザーディはノーデの言葉を信じるしかなく、彼らと北へ向かうことになったのである。