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穴の中の魔物

 森へ入って、数日が過ぎた。

 ずっと薄暗いか暗いかで、昼か夜か定かでない。時計を持っていないので、何時か何日目かさっぱり。いや、その気になれば知りようもあるのだが、あまり細かいことにこだわらない(ものぐさ、とも言う)ルーラは、すぐに数えるのをやめたのだ。

 ルーラは魔法で出した伝書鳩を飛ばし、無事でいるという連絡を家に一度出していた。

 仮にも一人娘が一人旅に出ているのだし、親も心配しているだろうと、思い出したように現在の状況を鳩に話す。飛んでいった鳩は、家に着くとルーラからの伝言を話して消えるのである。

 家族は魔法使いなのだから、その気になれば送り返すことも可能だが、返事はまだない。あえて干渉しないようにしているのか、ルーラの魔法が途中で消えてしまって伝言が着いていないのかは定かでないが。やれることはやったので、これまたルーラはこだわらないでいる。

 森の中を、北へ北へと進んで行く。立ち止まって方角を確かめ、ふたりして歩いて行く。魔法が失敗していたら、全然違う所へ向かっていることになってしまうのだが、簡単な魔法だし、まさか十回やって十回間違うことはない……だろう。

 違っていれば着くのがちょっと(?)遅くなるだけ、とルーラは気にしない。気にしても、間違いを指摘してくれる人がいないのでどうしようもない、というのもある。

 ルーラは遅くなっても構わないが、ザーディは早く両親に会いたいだろう。だから、ルーラだってそれなりに頑張っているつもりではある。

 辺りは相変わらず薄暗いものの、これまで通って来た所よりも少し歩きやすくなってきた。木が密集して生えてないせいだ。

「もしかすると、あのいやって程生えていた木は、人間が奥へ入って来られないように、邪魔しようとしてたのかもね。入れば入ったで、ビクテにみんな追い返されたりして。あたし達って運がいいのよ。ここまで来られたんだもの」

「あと、どれくらいかかる?」

 ザーディに尋ねられるが、ルーラも明確な答えを出せない。

「さぁねぇ。森の地図なんて持ってないし。ザーディの父さんは、ずっと歩いて十日程って言ったんでしょ。一時的に走ったり飛んだりしたから、どうかしら。まぁ、いいところ縮んで一日二日くらいでしょうね。ずっと歩き続ける訳にもいかないし、がんばったって子どもの足だもん。うまくいってあと……五日もあればって感じかな」

 目的地の正確な位置がわからないので、推測の域を出ない。

「まだそんなにかかるの?」

 がっかりした声で、ザーディは溜め息をついた。ちゃんと正しい方向へ進んでいたとしても、まだ半分程でしかないのだ。

「元気出しなさい。気持ちの持ちようで、旅だって楽しくもつまらなくもなるのよ。どうせするなら、楽しい旅の方がいいでしょ?」

「うん」

「じゃ、楽しいこと、考えるの。楽しいと思えるようになれば、少しくらいのつらいことなら、簡単に吹き飛ばせるわ」

「そうなの? 楽しいことってどんなの?」

「どんなのって言われても、人によって違うしなぁ」

 聞き返され、ルーラはちょっと詰まった。

 ルーラは空を飛ぶ時が楽しい。落ちないでいられたらもっと楽しい。魔法がうまくいくとすごく嬉しいし、魔法を練習するのが楽しくなる。

 他にも、村の子ども達と遊んでいる時や、おいしいごはんを食べてる時。眠る寸前のふわふわした感覚も好きだ。

「ザーディはどんな時が楽しい? それを考えたら、わかるでしょ」

「んーと、母様のそばでお話してもらう時」

「他には?」

「んー……わかんない。お外って恐かったもん」

 ザーディの答えに、ルーラは軽く肩をすくめる。

 うーん、完全に内向型の性格。この子、本当に親にべったりだったんだわ。親離れさせようって気にもなるわね。

「じゃ、今してる旅のことを母さんにしてるって想像してごらん。母さんがとても嬉しそうに話を聞いてくれてるってところを。ザーディは母さんが大好きみたいだから、想像するだけでも楽しいでしょ」

 そう言われ、ザーディは母の姿を頭に思い描く。

(母様、ぼくね、ちゃんとここまで帰って来られたよ)

(そうね。偉いわ、ザーディス)

 にこやかに、自分の声に耳を傾けてくれる母。

(ルーラって魔法使いの女の子と一緒に、森の中を歩いたの。それでね、悪い人間がやって来て、ぼくを連れて行こうとしたんだよ)

(まぁ、そんな人間が?)

 母は驚いて目を見開く。

(それでね、それでね……)

 自分の話に笑い、楽しそうに聞いてくれる母。黙ってはいるが、その横には父もいる。彼もまた微笑を浮かべ、聞き入っていて……。

 ルーラに教えられて想像したザーディは、本当に楽しくなってきた。この先何かあれば、両親にする話題もさらに増える。それがささいなことでも、彼らはきっと聞いてくれるだろう。

「うん、ルーラ。楽しくなる。母様や父様がいてくれるって思っただけで嬉しい」

「でしょ? ザーディの目標はふたりに会って、この旅の話をすること。目標があれば、もっとがんばれるわよ」

 そう言って笑ったルーラの身体が、突然ガクンと揺れる。ハッとする間もなく、ザーディも身体が揺れた気がした。いや、揺れたのではない。歩いていて、いきなり地面がなくなったのだ。地面にあいていた穴が、草に隠れていたのである。しゃべりながら、というのもあって、その存在にふたりは全く気が付かなかった。

 穴は結構深く、いつまでも落ちて行くような感じがする。真っ暗で、周りは何も見えない。かろうじてつないでいた手が、お互いの存在を知らせている。

「ル、ルーラーァ」

 ザーディの頼りない声が響いた。ルーラはつないでいた手をたぐるようにして、ザーディの身体を引き寄せる。すぐにザーディはルーラにしがみついた。

 そうしてる間も、ふたりの身体は落下し続けている。

 一体、どこまで落ちるのかしら。このままだと、地面を全部通り抜けてしまうんじゃないかな。……もしかして、落ちてる気がしてるだけじゃないの? ……そうだといいんだけど。これじゃ、あまりに落下時間が長すぎるわ。

 試しに、ルーラは呪文を唱えるでもなく、ただ叫んだ。

「止まれっ」

 その声で落下感がなくなった気がする。いや、確かにもう落ちてない。

 でも、身体は宙に浮いたまま。足の下に地面はない。もちろん、それ以外の部分にも床や地面になるような感触は何もなかった。

「ザーディ、見える?」

 期待を込めて、聞いてみる。あの盗賊のノーデにも解けなかった、姿変えの魔法。ザーディはルーラよりも魔法力が強いらしいから、この暗闇の中でも何かわかるかも知れない。

 そう思ったのだが、ザーディは恐がって目をかたく閉じ、周りを見ようとしない。魔法力以前の話だ。

 まぁ、仕様がないか。いきなりこんなじゃ、あたしだって恐いし。

 こんな森の中では何が起こるかわからない、と頭ではわかっていたものの、今まで特に何事もなく進んで来たから、この展開にルーラはちょっと焦っていた。自分達がどういう場所でどういう状況の中にいるのか、この真っ暗な所ではわからない。

 明かりを出せばいいんだ。暗いなら明るくすれば、少しは周りの状態がわかるわ。

 ルーラは松明(たいまつ)が出るよう、呪文を唱える。やがて右手に小さな松明が現れた。が、一つでいいのに、なぜか後から後からわいてくるように出てくる。

「わ、ちょっとぉ、もういいの。止まってよ。止まってったらぁ。火事になるじゃない」

 慌ててやると、うまくいくものもいかない。ただでさえ下手な魔法なのに。

「くぉらっ、俺様のすみかを燃やすつもりかあっ」

 下の方で高い声がした。その声は周りに反響してか、やたらと響く。キンキンと耳なりがしてうるさい。

 今の声の主がここの……? まさか口を開けて、あたし達が落ちるのを待ってるんじゃないでしょうね。

 ルーラは大量の松明が落ちてゆく先を見た。すぐそこで、松明がたまっているのがわかる。案外、底は近かったようだ。飛び下りても、ケガせずに降りられる高さである。

 ルーラは下へ降りるよう、呪文を唱えた。宙に浮いてると、逃げようとしても逃げにくい。それなら、地面に足をつけていた方が行動しやすいはず。

 何とか身体が下へと動き、松明のない所へ足を置く。失敗したとは言え、相当な数の松明だ。三十本はあるだろうか。明るくなっていいが熱いし、肝心な全体の様子は掴めないままだ。これだけあれば、もう少しわかりそうなものなのに。何かの力で光を遮られているのだろうか。

「お前、俺様に何か恨みでもあんのか? こんなに火を焚きやがってよ」

 また声がして、ルーラは身構えた。あちこちに転がっている松明。その中で一番たくさん落ちている場所の向こうに、暗い黄色に光る眼が二つ、ルーラ達を見ている。赤く燃える松明の火とは違う色だから、間違えようもない。

「誰? あたし達に用?」

「そっちから落ちて来たくせに、用も何もないだろ」

 どこかからかい口調のある声だ。ちょっとムッとしてしまうような話し方。

「この穴、あなたがあけたんじゃないの?」

「俺様のすみかの入口だ。穴がなきゃ、ここには入って来られんからな」

 言いながら、声の主がノソッと姿を現した。松明の火に照らされ、ようやく映し出された姿は熊のようだった。

 外見は熊だが、頭に鹿のような長い角が生えている。普通の動物でないのは明らかだ。暗くて判断しにくいが、たぶん普通の熊より一回り以上大きい。

「ああー、熱くて暑くてかなわん。消すぞ。明かりがほしけりゃ、ちゃんと点けてやる」

 言うが早いか、松明はルーラが手にしている分も含めて一つ残らず消えてしまった。でも周りはほのかに明るくなる。おかげで熊もどきとルーラ、ザーディの姿だけがわかったものの、ここの様子はやはりよくわからないままだ。結局、さっきの松明だらけの状態より、ほんの少しだけ明るくなった程度である。

「今の、魔法?」

「ん? ああ、そうだ」

「ここで魔法を使ってもいいの? ってことは、あなたはこの辺りを守ってる森の精霊……なの?」

 声やしゃべり方そのものに、全くと言っていい程重みがない。それでも一応、確認する。

「何言ってんだ、お前は。俺様は精霊なんかじゃねぇ。カグーっていう、この森の魔獣だ」

 あちゃー、ヤバい所に来ちゃったみたいだなー。

 ルーラは心の中で溜め息をついた。

 詳しくは知らないが、魔獣は大抵が人間に好意的ではないのだ。人間を無視し、どこかに行ってくれるタイプならいい。だが、わざと関わり、その力を使って人間をおもちゃのように扱い、最悪の場合は喰ってしまう……こともあると聞く。

 どうやらこの魔獣は、無視してどこかへ行くタイプではないらしい。そもそも、ここはこの魔獣のすみかだ。

「人間がこんな所に来るなんざ、珍しい。いや、初めてだな。いつも手前で追い返されるから、ここまで来られねぇ。根性無しな生き物だな、人間ってのは」

 のどの奥で笑っている。空気の抜けるような音。

「あなたはここで何をしてるの?」

「何をしてると思う?」

 からかい口調に輪がかかる。ルーラはここからさっさと出たくてたまらない。

 初めにこの声を聞いた時から、何かいやだった。大きな熊の魔獣を前にして、恐い、という気持ちはなぜかわかない。頭っからバカにされているような、精神的に好きになれない、という感覚の方が強いのだ。

 さぁ、これからこいつで遊んでやるぞ、と言いたげな声。そのせいで、恐いと言うより腹が立つ。図体の割に甲高い声も、いらっとする一因だ。

「さぁ」

 真面目に考えるのも答えるのもバカらしい。何となくで質問してみたが、こんな穴の中で魔獣が何をしていようと、ルーラは全く興味がない。

「さぁて、何をしようか」

 ルーラとザーディを交互に見る。ザーディはさっとルーラの後ろに隠れた。

「おい、お前は女のケツに隠れて守ってもらおうってのかぁ?」

 言外に弱虫、と聞こえる。

「この子はまだ子どもよ。年上の者が守ってあげて当然でしょ」

 ルーラはザーディをかばいながら、カグーにたてついた。カグーは舐め回すようにルーラを見る。

「お前、よく見ると、なかなかかわいいじゃねぇか」

「よく見なくてもかわいいわよ」

 知り合いの前では、恥ずかしくてとても言えないようなセリフを、ルーラは堂々と言ってのける。相手が違うと、こうも変われるものか。

 カグーはそれを聞いて笑い出した。甲高い、耳がキーンとなるような笑い声。

「お前、面白い奴だ。気に入ったぞ」

「それはどうも。あたし達、ここから帰りたいの。出口はあの穴だけ?」

「帰る? どうして」

「行く所があるの。こんな所で道草くってらんないの」

「こんな所ぉ?」

 不機嫌そうな声で、カグーは身体を揺らした。威嚇しているつもりらしい。

「言い方が悪かったのなら、謝ります。とにかく、あたし達はここへ来るつもりはなかったんだし、出たいの」

「いやだね。出してやらね」

 まるでいじめっ子が意地悪するような言い方。その姿に合わない。

「どうしてよ」

 やっぱり喰う気、かな。こんなのを相手にして、勝てるかしら。ここは魔法で、といきたいけど相手は魔獣だし、魔力は持ってるわよね。さっき簡単に松明を全部消しちゃったもん。こんな大きい奴だし、それに比例して魔力もとんでもないものだったりしたら、ヤバいな。

 ルーラの手のひらに汗がにじむ。

「どうしたら出してくれるの」

「そーだなー。何をするかなー」

「変な時間稼ぎはやめてよね」

 またカグーは笑った。それだけでいらっとする。もうこれ以上、この笑い声を聞きたくない。

「よーし、それじゃあ、その子どもを賭けよう」

「は? ちょっと、何言ってんのよ」

 カグーがいきなりザーディを指差して、そんなことを言い出した。

「この子を賭けるって、どういうことっ」

「俺様とお前が勝負するんだ。で、俺様が勝ったら、その子どもを喰う。お前が勝ったら俺様のそばに置いてやる」

「そんなの、賭って言えないじゃない。あたしはあんたのそばになんていたくないわよ」

 本当にいらいらしてきた。カグーの方は、そんなルーラの怒りにも頓着せず、また笑う。

「あたしが勝ったら、ここから出て行く。当然でしょ」

「それじゃ、負けたらその子どもは俺様のもんだな」

 しまった、と思った時にはもう遅い。ルーラはカグーの口車にのせられてしまった。賭をするのに賛成したも同じだ。

「……何をしようってのよ」

 自分の浅はかさと、カグーのやり方に腹をたてても仕方がない。こうなったら、カグーに勝つしかなかった。でなければ、ザーディはこの熊もどきに喰われてしまう。そんなことがあってはいけない。

「俺様を倒してみろ。殺したって構わねーぞ。俺様が降参と言うまで、どんな攻撃だってしてもいい。魔法だろうが、剣だろうがな。できなきゃ、子どもは俺様の腹の中に入るし、お前は一生、俺様のそばに侍るんだ」

「殺すって……あたしは無意味な殺生はしないわ」

 殺すのは、相手の命で自分の命を繋ぐ、つまり食べるためだ。もしくは、自分や周囲の命や環境を脅かされるのを防ぐため。それ以外で誰かの命を勝手に奪っていい道理はないはず。

 今はザーディの命を脅かされてるようなものだが、それは「賭に負けた」場合だ。

「無意味か? へー、そんなのんきなことを言ってていいのか? お前がやらなきゃ、その子どもは死ぬんだ。それでもいいなら、俺様はどうでもいいぞ」

 ふんぞり返って笑うカグー。向こうは完全にお遊びだ。自分が勝つと、まるで疑っていない。

「わかったわよっ。で、あんたも魔法を使う訳? 森の精霊の許可をもらわなくてもいいの?」

 ビクテがルーラに許可してくれたのは、食事と自分を守る魔法の二つ。この戦いは……自分を守る魔法に含まれるだろうか。

「許可? はっ、お前は何も知らんのだな。確かに精霊はおかしな魔法が使われんように監視してやがる。だが、人間の領域のように魔法力の薄い所はあいつらの領域にはならん。ここも他と比べて魔法力が薄いから、誰の領域でもない。つまり俺様の領域だ」

 うそ……そんなのありぃ?

 うまくすれば、森の精霊が来てこの賭がおじゃんになる、と期待していたルーラは、それを聞いて愕然となる。

「まぁ、下手な小細工はやめるんだな。ちょっとくらいなら手加減してやってもいいんだぜ。ほんのちょっとだけならな。もっとも、そんなくらいじゃ、お前が勝てる訳はねぇけどよ」

 ムカムカムカムカ

 挑発されてる。のって理性を飛ばしちゃいけない、とわかっていても、やっぱり腹が立つ。

 ここに落ちてしまったのは自分のミスだし、カグーが休んでいたところだったのなら申し訳ない、とは思う。でも、こうまでバカにされるような言い方をされると、ルーラだって黙っていられない。堪忍袋の緒は、もともとかたい方ではないのだ。

「わかったわよ。やればいいんでしょ。何よ、あんたなんて、たかが熊もどきじゃない。人間のいる所へ出て来たら、猟師に撃たれるのが関の山よ」

 ほとんど売り言葉に買い言葉。遠慮する気もなくなった。

「ほっほー、元気のいい娘だ」

 その言葉が終わる前に、カグーの前脚がルーラに向かって振り下ろされた。鋭い爪が空を切る。間一髪で、ルーラは飛びのいた。まともに当たっていたら……考えたくない。手加減すると言っていたが、今のも手加減されていたのだろうか。

 どうすればいいんだろう。あたし、こんな獣と戦ったことなんてない。それにこの魔獣の弱点ってどこなのよ。ここで魔法を使うにしても、どんな魔法を使えばいい? とにかく、あたしが何とかしなきゃ、ザーディが喰われちゃう。あたしだってその後、何をされるかわかったもんじゃないんだ。負けられない。

 カグーは間をおかず、その前脚でもってルーラに攻撃をしかけてくる。それを避けるだけで精一杯だ。考えてる暇なんてほとんどない。

 周りが暗いままだからどこへ逃げられるのか、見えないしわからない。それがルーラをパニックにしてしまう。思いっ切り横飛びでもして逃げても、壁に当たってしまいそうな不安があるのだ。だから大きく逃げられず、カグーの次の攻撃をギリギリでよけなければならない。

「へっへっ、いつまで逃げられるかな」

 カグーはもて遊んでいるような表情で、楽しそうに攻撃してくる。ルーラが疲れるのを待っているのだ。このままだと、いつか避け損ねてあの爪でやられてしまう。

 逃げ方によっては、ルーラは真上に飛び上がることもある。だが、その程度では、この穴の出口には程遠い。ゆっくりと振り仰ぐ暇もないが、さっきの落ちていた時間を考えればそれなりに深いはず。戦う振りをしつつ、ザーディを抱えて飛び上がり……なんてことはまず無理だ。ルーラに限らず、人間の足にそこまで強いバネはない。

 妄想のようなことを考えていたルーラだが、飛び上がった時にわずかながら顔に風を感じた。

 あれ? どうしてこんな所に風が吹くのかしら……。穴の中に風が吹き込んでる?

「あ……」

 ルーラの耳に、ザーディのつぶやきがかすかに聞こえた。

「きつね」

「へ?」

 今、きつねって言った? どこにいるのよ、きつねが。

 そう言いたいが、ルーラは息が切れて聞けない。そんな余裕なんてとてもない。

「何だと?」

 ルーラより先に、カグーが動きを止めた。ジロリとザーディを睨む。今までにない程、恐ろしげな眼で。初めてカグーを恐いと思ったかも知れない。

「下らんことを言うな。俺様はきつねはでぇっ嫌いだ。二度と言うなっ」

 この魔獣はきつねが嫌いなのか。それなら、さっきの松明の代わりにここをきつねだらけにしちゃえば、勝機があるかも。

 ルーラがそう思った時、異常に激怒したカグーがザーディに襲いかかった。長く伸びた鋭い爪で、ザーディを引き裂こうとする。ザーディは恐ろしさのあまりか、逃げることもできず、その場に立ち尽くしたまま。

「やめてっ」

 勝手に身体が動いていた。頭の中が真っ白になり、ルーラはザーディにタックルしていた。そのすぐ後ろで、ブンッと音がする。カグーの前脚が、あと一歩というところで空を切っていたのだ。その音のすごさに、背筋が寒くなる。

 今までとは勢いが違う。ルーラへの攻撃は、本当にお遊びだったのだ。しかし、ザーディへの攻撃は本気でしかけている。

 カグーは、そんな本気の攻撃の手を休めない。何度も風を切る音をさせながら、襲い続けた。ふたりに向かい、その大きな口を開けて突進してくる。このまま一緒に喰うつもりだ。

「ザーディ、離れてっ」

 一直線に向かって来るカグーから遠ざけようと、ルーラはザーディを突き飛ばした。

 お願い、転んでもケガしないで。

 そう祈りつつ、今度は自分が逃げなければいけない。止まる気がないのか、止まれないのか、カグーはそのままルーラに向かって突進して来る。

 しかし、相変わらず周囲の様子がはっきりしないため、どの方向へ逃げればいいかわからない。かと言って、迷っている時間などなかった。

 ええいっ、こうなったら正面突破よ。

 少なくとも、カグーが来た方向にはある程度のスペースが存在するはず。あんな大きな身体があっても、壁に当たるはことなかったのだから。そこへ行けば、壁に激突することはない。

 あたしは、おとなしい女の子、なんて生まれてから一度も言われたことはないんだからねっ。

 自慢にならないことを心の中で叫びつつ、ルーラは構える。

「やぁっ」

 カグーが突進して来るタイミングを計り、地面を蹴った。

右手をカグーの頭につき、そこを支点にして回転しながらカグーの後ろへ移動する。

 ルーラの予測では、カグーの後ろを取ったことで攻撃に転じることができる……はずだった。

 あくまでも、予測。

 カグーの頭に手をついて、側転するところまではよかった。が、カグーには鹿のような長い角がある。ルーラはそれを考慮に入れていなかった。熊の顔と身体しか意識していない。

 その角に服が引っ掛かり、後ろではなく、カグーの横に落ちてしまった。早い話、カグーの頭から背中にかけてするはずだった側転を失敗したのである。

 パキンッという小気味いい音がした直後、ルーラは尻もちをつくようにして地面に転がっていた。想定外の動きになってしまい、まともに受け身も取れない。

「いた……」

 あまりの衝撃に涙が浮かんだ。が、いきなり絶叫が響き、その涙も引っ込んでしまう。

 横を見れば、カグーが悲鳴を上げてのたうちまわっていた。

「な、何……?」

 驚いて見ているうちに、カグーの身体がみるみるうちに縮んで行く。

 ふと気付くと、ルーラの服に何か引っ掛かっていた。カグーの角だ。尻もちをつく前に聞こえた音は、角が折れた音だったらしい。

「え……角が弱点だったの?」

 こんな大きな魔獣の角があまりにもあっさり折れたことに驚いたが、こうも苦しんでいるということは弱点か急所だったのだろう。思いがけず、ルーラは攻撃できたということだ。

 カグーの声がしなくなると、ふいにフワッと奇妙な感覚がして、でもそれが通り過ぎても特に周囲に変化はなかった。だが、次第に周りの様子がわかるようになってくる。

 森の中そのものがそう明るくないので、穴の中にはぼんやりとした明かりしか入って来ないが、さっきよりも周りがどうにか見えるようになってきた。

 今いるのは、広さだけならルーラの部屋が入る程の穴蔵だ。見上げれば、立ち上がって多少がんばってジャンプすれば外へ出られるくらいの高さしかない。カグーが目くらましの魔法をかけていたのだろう。だから、さっき飛び上がった時、風を感じたのだ。

 実際、ジャンプした時にわずかながら穴の外へ出ていたのだが、目をくらまされて出てないように思い込まされていたのだろう。

 そのカグーはと見ると、小さな屍となってそこにいる。

 ただし、そこにいるのは熊ではなくきつねだ。ルーラが知っているきつねより小さい。たぶん、まだ成長しきれてないのだ。その頭には、もう一本の長い角が残っている。

「ルーラ……」

 ザーディが小さな声で呼んだ。ハッとしてルーラは声がした方を向くと、そこにザーディが座り込んでこちらを見ている。自分のお尻の痛みも忘れ、急いでルーラはそちらへ駆け寄る。

「ザーディ! どこもケガしてない? 大丈夫?」

 顔、手、足、身体の各部をチェックする。見た目はケガなどなさそうだ。骨も折れていないし、ザーディが痛みを訴えることもない。

「あー、よかったぁ。突き飛ばした時にケガしないかってヒヤヒヤしてたの。壁に当たったりしたらって」

 ほっとしたルーラは、ザーディを強く抱き締めた。そうしてもザーディが痛がる様子はないので、本当にケガはしていないのだろう。

「ルーラは平気?」

 同じようにルーラを抱き締めながら、ザーディも聞いた。

「あたしは何ともないわ。それにしてもあいつ、熊だと思ってたら、実はきつねだったのね。ザーディ、あいつがきつねだってわかったから、きつねって言ったの?」

 カグーの頭に残っていた角がポトンと落ちた。その下に、ルーラの爪サイズの角がある。あの長い鹿の角は、相手を威嚇するためのまやかしだったらしい。それを無理にもぎ取られ、本当の角に影響があったのだ。妙な気を起こすから、命取りになってしまった、というところか。

 魔獣には違いないが、恐らく自分の姿に不満を持ち、それであんな姿をとっていたのだろう。もしくは背伸びしたい年頃、だったのかも知れない。大きな身体の熊にしては声が甲高く、不釣り合いな気がしたのだ。

「きつねの姿が見えたから、言っちゃったの。そうしたら、怒られちゃった」

「そうか、ゴマかしても、ザーディには本当の姿が見えるのね……。でも、結果的にはザーディのあの一言でうまくいったようなものよ。ありがとう」

「ぼく……何もしてないよ」

 お礼を言われても、言われる程のことをしたつもりのないザーディは、面食らっている。

「うふ、いいのよ」

 何がいいのか、ザーディはわからないままだったが、ルーラがまた抱き締めてくれるのでそれ以上は何も言わなかった。

「さ、外に出ようか」

「きつねはどうするの?」

 カグーは横たわったまま、もうピクリとも動かない。このサイズでは、ルーラやザーディを喰うことは無理だっただろう。自分が勝っても、適当にちょっかいをかけたら帰すつもりでいたかも知れない。

 殺すつもりはなかったが、魔獣の最期にしてはあっけなかった。それでももう死んでいるのなら、悪口を言う気もない。

「埋めて森の土に返してやりましょ。今度は生まれた姿に満足できるようにね」

 ルーラは穴蔵の中で、きつねの身体が入るような穴を掘る。ザーディも一緒になって掘った。

 堀り終わるとカグーをその中に入れてやり、つけていた角も一緒に入れてやる。

 あの熊の姿が信じられないくらい、小さな身体だった。

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