森の精霊
ぱきん
枝の折れたような音がして、ルーラはハッと目を覚ました。
あれ……ここ、どこだっけ。
辺りが暗いので、自分がどこにいるのかしばし考える。
そばに消えかけの火があり、隣りに銀髪の小さな男の子が眠っているのを見て、今の状況を思い出した。
ああ、そうだ。あたし、旅に出たんだっけ。今は森の中で……。
ビローダの森へ入り、そこで魔法のかかったトカゲの子(正体不明)を拾った。向かう先が同じらしいので一緒に森を抜けることにし、ここで休んでいたのだ。
アクシデントがありながらもふたりでのんびり歩いて来たが、それなりに奥まで入って来ている。周りを見回すが、木々がこれでもか、という程に密集して伸びており、今が昼なのか夜なのかわからない。
夜の時間に寝たはずだから、この薄暗さから考えて夜明け前くらいか。いくら疲れていても、こんな場所で昼過ぎまで寝過ごしたということはない……はず。
それより、さっき自分を起こした音は何だったのだろう。気になる。もしも獣なら警戒しなければいけない。どんな動物がいるか、こんな森の奥まで入ったことのないルーラには見当もつかないのだから。こういう森なら、ほぼ確実に普通ではない動物もいるはず。
「ザーディ、起きて」
遠くの方で聞こえた気はするが、夢の中の音なんかじゃなかった。場所が場所だけに、注意しすぎることはない。
「ん……なぁに」
ルーラはザーディを揺すって起こした。ザーディはまだ寝ぼけている。
「何か音がしたの。森の動物が食事に来たのかもね」
「……食べられちゃうの?」
半分頭が寝ているのか、恐がる様子はない。まだ恐がる要素はないのかも知れないが。
「やーね、不吉なことは言わないで。もしそうなら、すぐに逃げるわよ」
そんなことをこそこそと話しながら、自分達を寒さから守ってくれた毛布、もといコートを消す。ランプも消し、結局役に立たなかったほうきも消そうとした時、暗がりの中からバタバタと羽音が聞こえてきた。
ルーラが目をこらして見ていると、小さな鳥の姿が浮かんでくる。黒い鳥なので、薄暗い中ではよく見ないとわからない。
この鳥、こんな暗い所でよく飛べるわね。夜行性かしら。コウモリじゃないわよね。こんなスズメみたいな夜行性の鳥って、初めてだわ。森にはよくいたりするのかしら。
夜行性の鳥と言われたら、ルーラはふくろうくらいしか知らない。
それより、この鳥を見た途端、何だか不吉な予感が通り過ぎた。何がどうとは説明できないのだが、どことなくいやな感覚が身体を覆うような気がする。
やがて、ガサガサと何かが歩いてくる音が、今度こそはっきりと聞こえてきた。間違いなく、こちらへやって来ようとしている。さっきの音も夢じゃなかったのだ。
ルーラは急いで布袋を持ち、ザーディを抱き寄せる。もう片方の手でまだ火のついている太めの枝を持った。襲われた時、わずかでも抵抗して逃げる際の時間稼ぎにしようという訳だ。
そうしてルーラが構えていると、何かが鳥を追って来るようにして現れた。
ルーラとあまり背が変わらない、男らしき人影。その後ろからやけに大きな人影。初めに現れた影が小さい分、余計に大きく見えてしまう。さらにその後ろから、もう一つの人影。一番まともな大きさだ。
「昨日の三人だ」
ザーディに言われるまでもなく、ルーラも顔を見る前にすぐわかった。
だが、恐れるよりあきれる。たかが子どもふたり(昨日は一人と一匹状態だったが)をこんな所まで追って来るなんて、何を考えているんだろう。何が起きるかわからないこんな森の奥まで、間違っても大金を持っていそうにない子どもを追って来るなんて、絶対正気の沙汰じゃない。
それとも、盗賊というのはみんな、こういうものだろうか。何も奪わずに逃げられたら、プライドが許さない……なんてくだらないことを考え、周りの状況を無視して。
「やっと追い付いたぜ。また会えたな」
息を切らしてチビの男、ノーデが言った。他の二人は息を切らしていない。小さい分、歩幅が狭くて他の二人が歩く距離を小走りに来たのだろう。
「何しに来たの。あたし達の後を追っても、何もないわよ。昨日、ちゃんと言ってあげたでしょ。まったく、何を聞いてたのよ、おじさん達」
溜め息まじりにルーラが言った。恐いという感覚が、この三人を見てもどうしてもわいてこないのだ。
「達って、まとめるな。俺はおじさんと言われるような歳じゃない」
「だっておじさんのグループにいるんだもん、おじさんって言われても仕方がないわよ」
レクトがムッとしてまた抗議し、言われたルーラは口をとがらせる。
「レクト、お前は黙ってろ。わしは歳の話をしにわざわざ追って来たんじゃないんだ」
「じゃ、何しに来たのよ」
「お前が連れていたトカゲの子がほしいんだ。いや、竜の子をな」
ルーラは目をパチクリさせて、ノーデを見た。
「何の子って?」
「竜だ。隠したって無駄だぞ。わしにはわかった。あんな美しい鱗は、そこらにいるようなトカゲは持ってない。竜だけが持つ美しさだ。さぁ、おとなしくあの竜の子を渡せ。そうすればお前には何もしない。約束してやる。あいつさえ手に入れば、お前に用はないからな」
ルーラはそれを聞いて、けたけた笑い出した。
「あれが竜って……何を考えてんの。竜が人間の世界へのこのこやって来るはずがないでしょ。竜には竜の世界がちゃんとあって、そこに棲んでるんだから。たとえこの世界へ来たって、トカゲの姿になるはずがないわよ。あれじゃ、かえって目についちゃうもの」
ザーディはルーラの隣りで縮こまっていた。ルーラは自分の隣りにいるザーディが、まさか竜だとは夢にも思っていない。ザーディ自身も、自分の正体を明かせない魔法をかけられているから、ルーラに話せないまま。
だが、なぜかこの男はザーディが竜だと見抜いた。いや、見抜いたと言うより、思い込んでいるのだ。たまたま当たっている、というだけに過ぎないのだが、それでもザーディは捕まえられないかとヒヤヒヤしている。
ルーラにバレても別に構わないのだが、この連中に知られてしまうとよくないことが起きるような気がするのだ。自分にかけられた魔法も、こういう事態を見越したものなのかも知れない。
「竜の考えることなんざ、わからんさ。とにかくあいつは竜だ。こっちに渡してもらおうか」
「いないわよ、もう。別れた」
「おい、素直にさっさと渡した方が、自分のためだぞ」
モルが横から口を出す。上からのしかかるように言われ、さすがのルーラもちょっと恐い。もっともルーラの恐い、というのは丸太が迫ってきているように感じるというだけで、モルのドスのきいた声なんか気にもしていない。
「だったら、自分でトカゲの子を捜してみれば? ここにはいないんだから。そうしたらあきらめられるでしょ」
ノーデがルーラを睨み付け、辺りを見回す。確かにあのトカゲの姿はどこにもない。
だが、すぐにルーラの側にいるザーディに目をつけた。
「おい、昨日はそんなガキはいなかったな」
「あのトカゲの子と入れ替わりよ」
ある意味、入れ替わりには違いないのだが、この場ではちょっと無理のある言い訳だ。嘘ではないが、そう思われても仕方がない。
案の定、ノーデは疑いの目で見ている。
「こんな森の中でか? ふん、所詮は子どもの考えることだな。お前は魔法を使うらしいが、それであのトカゲの姿をそうやって変えたんだろう」
「あたしはそんなこと、しないわよ」
これは嘘じゃない。ルーラは本当に何もしてないのだ。……してないと言うより、できない。
「ふん、すぐにわかる」
ノーデはいきなり呪文を唱え始めた。ルーラは驚いて、この中で一番貧相な男を見る。この男が魔法を使うことを初めて知った。
魔法の気配に気付かなかったのは、ルーラの未熟さ故だ。相手を見ただけで魔法を使うかどうか、というのはまだ判断できない。
ラーグのようにベテランの魔法使いなら、相手が巧妙に隠そうとしなければ、気配からしてだいたい見抜ける。だが、ルーラの場合、こうして目の前で使われて初めてわかるのだ。
身体ばかり大きいモルは、こちらの気分が悪くなりそうな笑いを浮かべながらルーラを見ている。身体ばっかりで魔法を使うようには見えないが、ルーラに断言ができないのはつらいところだ。
そして、自分の兄と歳がさして変わらないであろう青年のレクト。魔法の気配はしない……気がする。少しきつめの顔立ちを見ていると、魔法使いより剣士が似合いそうだ。
「くそっ、お前、一体どういう魔法をかけたんだ!」
ノーデがルーラを見据える。それからザーディを。
ザーディはまだ子どもの姿のまま。つまり、ノーデの魔法は効かなかったのだ。
ノーデがどれ程の腕を持つ魔法使いであろうとも、ザーディは竜である。たとえ子どもでやり方がわからないままに使った魔法でも、竜の魔法が人間に劣るはずがないのだ。
一方、そんな事情を知らないルーラは、ザーディがトカゲの姿に戻らないのを見てひとまずほっとした。
「だから、あたしが魔法をかけたんじゃないってば。とにかく、これでわかったでしょ。この子はトカゲの子じゃないの。人間の子よ。追い掛けるの、もうやめてよね」
「人間だと。こんな白目のほとんどない人間がいるか。それに……そうだ、あいつも銀の鱗と青い瞳だったな。鱗はさすがにないが、この髪はあの鱗と同じ色だ」
危険な目付きで、ノーデはザーディをなめるように頭のてっぺんから足の先まで見た。
「おい、今度は誘拐するつもりか」
乗り気がしないような口調でレクトが聞いた。その言葉に、ルーラは身構える。
「モル、この子どもを捕まえろ」
「ちょっと、あんたが用があるのはあのトカゲでしょ。この子は違うじゃない。話が違うわよ。何もしないって言ったじゃない。約束破る気?」
「お前には何もしないと言ったが、この子どもには言ってない」
「……きったないっ」
盗賊の言葉を信じた自分がバカだった。ことわざにもあるではないか。嘘つきは泥棒の始まり、と。この男達はもう泥棒なのだから、嘘だって平気でつくのだ。
モルがザーディに向かって手を伸ばしてきた。ザーディは恐がって身を縮める。そんなザーディの身体を抱え、ルーラはその手から逃げた。持っていた火のついた枝を、モルに投げ付ける。そして、まだ消さずに残っていたほうきを拾うと、それにまたがった。
「お願い、うまくいって」
素早く呪文を唱える。モルの手が投げ付けられた枝を払い、すぐそこまで来た時、ふたりのまたがるほうきがふわっと浮いた。ザーディを捕まえようとしたモルの手が空を掴む。
ほうきは見る間に高くなり、枝や好き放題に茂っている葉の間に隠れてゆく。
「こぉ……の、ガキがぁ」
真っ赤な顔をして、ノーデは光の矢を飛ばす。が、外れたらしく、ルーラ達は落ちて来ない。
「逃げられたみたいだな」
レクトが結果を口にする。ノーデが短い足で近くの木を蹴飛ばし、やつあたりした。モルが申し訳さそうに謝る。ノーデが怒って魔法を乱用したら、どんなとばっちりがくるかわからないからだ。
「くそぉっ、追うぞ。逃げるってことは、本当だってバラしてるようなもんだ。あいつはやっぱり間違いなく竜だ」
「捕まりそうになれば、誰だって逃げるよなぁ」
レクトのつぶやきは無視された。
「おい、あいつらを追い掛けろ。絶対に見逃すんじゃないぞ」
自分の魔法で出した鳥に向かって怒鳴り、鳥はルーラ達の逃げた方へと羽ばたいた。
☆☆☆
「いやぁ、このほうきもちゃんと役に立ってくれたなぁ」
三人組の盗賊から逃れ、ルーラ達は森の上空を飛んでいた。
眼下は地面がほとんど見えず、とにかく木々ばかりが目に入る。どこまでこの森が広がっているのか、目をこらしてもわからない。半端な広さじゃなかった。まさに、果てしない、という表現がぴったりだ。
上から見ると現実味が薄れ、コケがもこもこと生えてるように見える。地図上の森はかなり適当な描写だったが、これでは正確な地図を描くのは困難かも知れない。
「ルーラー、早く降りようよ」
しっかりとルーラにしがみつき、震えながらザーディは泣きそうな声を出した。
「あれ、ザーディは高い所、恐いの?」
空は飛び慣れて(?)平気なルーラは、震えるザーディを見て不思議そうに聞いた。
「だって、いつも地面にいるもん」
「……まぁ、確かにね」
考えてみれば、誰かと一緒に空を飛ぶ、なんて今までしたことはなかった。誰も飛びたい、なんて言わなかったし、ルーラも飛んでみる? なんて聞いたこともない。ルーラの腕を知っていれば、飛んでみたいと言わないのは当然かも知れないが……。
ザーディは人間じゃないが、とにかく誰かと一緒に飛ぶなんて初めてだ。
「恐いって言ってるんだから、あんまり長く飛ぶ訳にもいかないか」
ちょっと残念に思いながら、ルーラは再び森の中へと降りる。あやうく着地に失敗しそうになったが、無事にふたりして地面に立っていた。
うまくいけば、空を飛んで一気に北へ向かえたのだが……恐がるザーディに無理強いはできない。それに、飛んで行くのは楽だが、それではルーラの魔法力が向上するのは飛行術のみになってしまう。やはり、ここは地道に歩くしかなさそうだ。
「ルーラもお空、飛べるんだね」
降りて落ち着いたのか、ザーディが感心したように言った。
「そりゃ、魔法使いだもん。……時々、失敗するけどね。さてと、ここはどこなのかなー」
降りた所は今までと違い、少し開けた場所だった。大振りの枝が伸びているのでやはり外のように明るくはないが、それでもさっきよりずっといい。
「とにかく、北へ行かなきゃね。ザーディの両親がいる所へ向かわなきゃ。地図も目印もないから……魔法を使うしかないか」
「魔法で方角がわかるの?」
「わかるわよ。大抵のことは魔法でできるの。……うまくいけばの話だけどね」
そう言って、ルーラはペロッと舌を出した。それから、手近にあった細い枝を拾う。
「どうするの、それ」
「力をそそぎ込んで、北に倒れるようにするの。つまり、この枝に磁石の役割をさせるのよ」
言いながら、ルーラはもう始めていた。わずかに枝が光る。魔法がそそがれたのだ。その枝を地面に立てる。手を離しても、枝は立ったままだ。ルーラはその枝に指を向け、呪文を唱えてから命令する。
「北を示せ」
枝はグルグルとコマが止まりかけのような回り方をし、やがて倒れた。ルーラ達から見て真正面、つまりこのまま真っ直ぐ進めばいいのだ。
「あっちね。じゃ、行きましょうか」
「うん」
ザーディの手を引いて、ルーラは歩き出そうとした。
「わしの許可無くして魔法を使いし者は……誰だ」
いきなり地面から湧き出るような声が響いた。キャッとザーディがルーラにしがみつく。ルーラも身構えながら辺りを窺った。
ここは人跡未踏の森の奥なのだ、どんな魔物が現れるかわかったもんじゃない。今の声からして、あまり友好的な相手ではなさそうだ。ちょっと……かなりピンチになるかも知れない。
「誰? どこにいるの?」
強気でルーラは見えない相手に尋ねる。少なくとも、あの盗賊でないのは確かだ。むしろ、もっと手強い相手になる可能性が高い。
視線をあちこちに動かしていると、白い霧だか煙だかが漂ってきた。まさにこれから進もうとする方向からだ。それも地面を這うように流れてくる。風の向きにもよるが、煙は上へ向かうものではなかったのか。
「ルーラ、あれ、何?」
「あたしも聞きたい」
この霧そのものがまるで魔物のように感じられ、すごく不気味だ。その霧がルーラ達のすぐそばまで漂ってくる。と、その霧の中からいきなり巨大な黒い蛇がヌッと姿を現した。白い眼が鋭く光っている。ほとんど恐いもの知らずのルーラも、突然の登場とその姿に悲鳴を上げた。
「わしの領域に侵入する者、何をしに来た」
頭の中に響いてくるような声だ。低く、少し怒っているような声音。
蛇にもテリトリーがあるのかしら。このサイズなら……きっとかなり広いエリアよね。
ルーラは動物の好き嫌いはない方だが、目の前で自分の頭より大きな顔の蛇がこうも間近に現れ、迫ってくるのはさすがに恐かった。思わず後退りしてしまう。
それを蛇は逃げると取ったのか、さっきよりも声が大きくなる。
「わしの前からは逃がさん」
その声を聞いた途端、ルーラの足がズシリと重くなった。足全体におもりをくくりつけられたような重量感。このままでは逃げることもできず、喰われるのは時間の問題だ。
「ルーラ、どうしたの」
ザーディが心配そうな表情で、ルーラを見る。ザーディは何ともないらしい。
「ザーディ、あなただけでも逃げなさい。早く」
「どうして? ルーラは一緒じゃないの? ぼく、ひとりじゃ行かない」
「ダメよ、何がどうなるかわかんないんだから」
ルーラとザーディが押し問答をしていると、蛇は不思議そうに言った。
「なぜお前は身軽に動けるのだ」
どうやらザーディに尋ねているらしい。ルーラと一緒に動けなくしたはずなのに、というところだろう。
だが、蛇はザーディが答える前に、自分で答えを出してしまったようだった。
「ああ、あのお方の子か。どうりでな」
驚いたのはルーラだ。ザーディ自身が何者かを話せないのに、蛇はあっさり納得している。
「え……あなた、ザーディの両親を知ってるの?」
「……お前は知らないで連れているのか?」
ルーラの質問に、蛇の方が意外そうな顔をする。
「だって、言っちゃダメだって魔法がかかってるらしくって、ザーディにも言えないから知りようがないんだもの」
「お前……名は?」
少し蛇の声が穏やかになった。さっきまでの怒りが薄くなったように思える。鋭かった眼の光も、少しやわらかくなったみたいだ。
「メージェスの村の……ルーラ」
正直に名乗る。嘘を言ってバレた時のことを考えると、その方が恐い。
「メージェス……カセアーナの国だな。ラーグの娘か」
「ええっ、どうしてあたしの父さんまで知ってるの?」
自分と村の名前しか言っていないのに、父親の名前をあっさり言い当てられた。喰われるかも知れない、という恐怖を忘れ、ルーラは目を丸くして聞き返す。
「この森の近隣で魔法を使う者は、全て知っている。お前は確か、上達が遅いのだったな」
はっきり言われ、反論一つできない。こんな森の奥にいる蛇にまで、自分のレベルを知られている。それも、腕が悪い、というところまでしっかりと。
人から言われるのもつらいが、こういう存在から魔法の下手さをはっきり言われると結構へこむ。
「なぜここにいる。こんな森深くまで、何をしに来た」
「あの、えっと……」
腕の悪さまで知られては、隠す気も失せた。嘘をついても、見破られてしまいそうだ。正直に名乗っておいてよかった、と思いながら、ルーラはザーディとここへ来るに至った話をした。
「そうか……あの方々もなかなか面白いことをなさる」
「面白くないもん」
拗ねた口調で、当のザーディが反論する。それを聞いて、蛇はクックッと笑った。ルーラは蛇が笑うのを初めて見たが、喜んでいいのかわからない。ここは珍しいものを見た、と思っておいていいのだろうか。
「そういった事情を知らなかったとは言え、悪かったな」
この言葉と同時に、ルーラの足は元通り軽くなった。気が付くと霧はすっかり消え、蛇の身体があらわになっている。そのとてつもなく長い身体は、森の奥まで続いているようだ。長すぎて尻尾など全く見えない。だが、その身体は美しく、黒い大理石みたいだ。
「あの……あなたが誰か、尋ねてもいいかしら」
喰われるかも、という不安はなくなったようなので、控え目に聞いてみる。蛇はあっさり答えてくれた。
「わしはビクテ。この森の一角を預かる、森の精霊だ」
「預かるって誰から?」
「竜の長にだ。この森は魔法力にあふれている。それを制御するために森をいくつかのエリアに分け、それぞれ精霊が預かっているのだ。魔法を使う者や魔法を求める者が、その力を乱用せんように見張っている」
「だから、さっきあたしが魔法を使って怒ったのね」
「そうだ。たとえわずかな魔法でも、それを見逃すと後でどんな取り返しのつかない事態に発展するかわからんからな。人間がここへ来ることはほとんどないし、人間とそうでない存在の魔法は違う。使う者によって魔法の効果は良くも悪くもなるので、人間の魔法については意識するようにしている」
「そうだったの……。ごめんなさい」
ルーラは頭を下げたので知らなかったが、ビクテはルーラの素直さに少し驚いていた。
これまでここを訪れた人間は、その姿故に彼を見るとすぐ攻撃の魔法を用いたり、もしくは素早く逃げてしまったりしていた。
攻撃してきた人間に対しては、ビクテも適当に応戦する。精霊であるビクテに人間はまず勝てないので、彼はその人間を森の外へ放り出し、ついでにこの森での記憶も抜いておく。逃げた人間もしかりである。
この森には魔法力があふれているから、それを凝縮する物がある……と勝手に思い込んだ人間がここへやって来ることがある。だが、実際のところは具体的な物など存在しない。言うなれば、この森全てが魔法のようなものだ。
とにかく、人間は自分の都合のいいように解釈し、奥深くまで入って来ることがある。この森の奥まで入った人間はいない、と外では噂されているが実際にはちゃんといて、しかし記憶を抜かれているから他の人にはわからないだけなのである。
そんな自分勝手な魔法を乱用する人間ばかりを見て来たビクテには、ルーラの行為はとても好感の持てるものだった。正体もわからない、もしかしたら魔物の子かも知れないザーディを連れて森の奥へ向かおうと言うのだから、今まで見てきた人間とルーラが違うのは当然だ。
「あのぉ、許可なしで魔法を使ったら、何かおしおきがあるの?」
恐る恐る、ルーラは尋ねた。
「ん? ……ああ」
おしおきと言うなら、記憶を抜いて森から放り出す、というものだが……さて、どうしたものか、とビクテは考える。今まで来た人間はロクでもない者ばかりだったし、自分の力を不当に強くしようという、自分本位な理由ばかりだった。だから、森の外へ放り出したのだが……。
ルーラの場合、そう簡単にはいかないだろう。ビクテにはザーディが竜の子とわかっている。まさか自分の一存でザーディを放り出す、という訳にもいかないだろう。竜の世界へは現在地から北へ向かうのが一番近道だし、両親もここを通るのを見越しているはずだ。
かと言って、今までここで魔法を使う者はビクテの許可を得た者のみ、と限られていた。これはここを預かる時に自分で決めた法だ。
ビクテも、脅すようにいきなり姿を見せたりはしていない。さっきルーラにしたように、声を響かせてから現れるようにしていた。誰だ、とこちらは問うているのだから、名乗ればまだ許可する余地があるのに、問答無用で攻撃したり逃げたりするから先へ進ませなかったのだ。
「あの……あたし、ちゃんと戻って来ます。その前にこの子を送って来ちゃダメかしら。あ、別に逃げるつもりで言ってるんじゃなくて……でも逃げようとしている、としか思えないわよね。だけど、魔法を使ったのはあたしだし、あたしが罰を受けるのは仕方ないとしても、この子は関係ないの。だから……何とかならない? 森の精霊なら、魔法力は十分あるでしょ? あたしが用事を済ませたらここへ戻って来るよう、術をかけたって構わない。それならあたしは逃げられないし、その術を自分で解く程、あたしに力がないのは知られてるんだし」
ビクテは黙って聞いていた。自分が不利になる条件を自分から言う人間も、きっと珍しい部類のはずだ、と思いながら
「ルーラァ、ダメだよー。ルーラが魔法を使ったのって、ぼくを連れてってくれるためじゃない。だったらぼくも関係あるよぉ。ぼく、このまま帰っても心配で泣いちゃう」
すでに泣きそうな顔のザーディ。ルーラはしゃがむと、ザーディに視線を合わす。
「あら、ザーディがいなくってもあたし、きっと魔法は使ったわ。だってやみくもに歩いてたら、この広い森からはたぶん出られないもの。ね? それに、ザーディが魔法を使ったんじゃないから、ザーディはおとがめなしなの」
「だって……」
ザーディがグスッと鼻をすする。
「ぼくも使ったよ。この姿になったの、ぼくが魔法を使ったからだもん」
「でも、ここでじゃないよ。あの盗賊が来る前なら、あたし一杯使った。食べる物を出そうとして失敗して、余計にたくさん」
ルーラが話していると、ビクテが口を挟んだ。
「それはわしの領域ではない。故にわしとは関係ない。お前達が使った場所は、まだ魔法力の薄い、人間の領域だろう」
「ほらね」
ルーラはビクテの言葉を聞いて、ザーディに納得させる。さっき空を飛んだことで、ビクテの領域に入ったのだろう。それより以前なら、構わないのだ。
「問題はこの場所で使ったかどうかよ。ザーディはここでは使ってないでしょ」
それからルーラは、改めてビクテの方に向き直った。
「あの、あたしのさっき出した提案、ダメかしら。どれくらいの時間がかかるかはわからないけど、戻るようにしておいてくれれば」
「もうよい」
「え?」
ここへ来た人間を放り出す際、抜き出した記憶を読むと分不相応な力を手にしようというものばかりだった。放り出して正解だったのだ。
でも、目の前にいる少女は違う。竜の子を送るため、自分の魔法力を自分で向上させるためだ。この森で何かを奪おうというのではない。
こうして目的を聞けば、放り出す理由などないではないか。
これまで例外がなければ、今つくればいい。いや、これは例外ですらない。ここは自分の領域で、自分が長だ。ここで決断を下すのは自分。誰も反対しない。
「行っていい。束縛の魔法もかけはせん」
「だけど……あたしは掟を破ったんでしょ。それを許しちゃっていいの?」
「許してほしくないのか? なら、いくらでも戒めの魔法をかけてやるぞ」
ルーラは慌てて首と手を振る。
「あ、いえ、そんな、いいですっ。遠慮します」
ルーラは自分がなぜ許されたのかわかってないが、とにかく無罪放免になったのだから突っ込むのはやめた。ザーディが嬉しそうにルーラにくっついてくる。
「あの……他の場所でも魔法が使われないか、あなた以外の森の精霊が監視してるの?」
「いくつかの領域に分かれて、それぞれがな。なぜだ?」
「魔法を使う度にこんな感じで咎められるのなら、この森では魔法が使えないなって思って。だけど、魔法に頼らないと困る時が絶対にあるだろうし……どうすれば許可をもらえるの?」
この先、何日旅を続けるかわからない。食事をしたり眠る時、少し魔法のお世話になる時がある。ルーラの持つ布袋の中は、ちょっとした魔法の道具とパンだけだ。そのパンもじきなくなる。そうなれば、魔法で食物を出すことになるが、その時どうすればいいのか。
森の獣に襲われたりした時、腕力も武器もないルーラやザーディはやはり魔法に頼らざるを得ないだろう。他にもどんなことで魔法を使う時があるか、わからないのだ。この森で魔法なしにすごすのはまず不可能。
「ふむ……確かに面倒ではあるな。よかろう。他の精霊達には、わしが話をつけておいてやる。食事と自分を守るための魔法なら、お前達に関知しないように。ただし、自然の営みを壊す行為をすれば、すぐにこの森を出て行ってもらうぞ」
「本当? ありがとう。助かります。ほら、ザーディもお礼を言いなさい」
ルーラは自分も頭を下げながら、ザーディの頭を下げさせる。
「おいおい……」
お前、竜の子に何をさせる。
そう言いかけて、ビクテはやめた。せっかく竜が子どもに口止めさせてまで、竜であることを隠そうとしているのだ。自分が話すことではない。それに、ザーディが竜とわかった時、ルーラの態度が変わってしまうことを危惧して。
人間にとって竜は、魔法力においても生命体としても大きな存在。ルーラも竜のことは多少なりとも知っているだろう。その竜の子と一緒にいたとわかって、どう対応を変えてしまうか。
ビクテは、ザーディがルーラと一緒にいて少しずつながら変わってきているらしい、と感じ取っていた。このいい兆候をわざわざ壊すこともあるまい。
「では、心して進むがいい。先はまだ長いからな」
黒蛇はそう言い残すと、現れた方へと消えていった。這う音を全くさせず、森の奥へ。
不思議な感覚を覚えながら、ルーラはその後ろ姿を見送った。初めて森の精霊というものに会って、今頃になって興奮しているみたいだ。今は蛇の姿だったが、本当は別の姿なのだろうか。人間になれば、ラーグくらいかもう少し年長の姿になるのかも知れない。
一瞬、恐い思いもしたが、結局は無事にすんだ。これはザーディがいたおかげなのか、森の精霊の気紛れなのかはわからないが、深く考えるのはやめておいた。
とにかく、前へ進める。魔法も使って構わない。
「ルーラ、よかったね」
ザーディが無邪気に笑う。その笑顔につられてルーラも笑った。
「うん。さ、精霊のお許しも出たことだし、行こうか」
歩き出しかけて、その足が止まる。
「……と、さっき北を示した枝、どこに行った?」