再会
「あーっ、もうっ。いい加減にしてよねっ」
肩で息をしながら、ルーラは周囲に怒鳴った。レクトも大きく息をつく。
「たまには楽な道を歩きてぇな」
あの姿形が不気味な門番がいた場所を後にして、先へと進んだ二人。
最初はよかった。霧があっても、特にこれまでと変わらなかったから。
が、しばらく経つと、次々に襲われ出したのである。……色々と。
精霊ではない。幽霊でもないだろう。あの門番と同じく、まともな生物ではないらしい。実体があるのかないのか、はっきりしない浮遊物体。それが様々な形で襲ってくるのである。
最初は長く平たい、布のような物体がヒラヒラと飛んでいるのが見えた。おしめみたいだ。目も鼻も耳もないし、一見しただけでは口もなかった。それがいきなりルーラに向かって襲いかかってきたのである。牙の並んだ口を開けて。
放っておいたら喰われるか、少なくともケガをさせられる。どうにかそれを撃退しても、それが一つではないから困りもの。ここでこんな目に遭っている暇はないのに。向こうが攻撃してくる以上、反撃しない訳にはいかない。
何度かあの門番にしたような話を怒鳴ってみたが、一向に聞く気配もなく、執拗に攻撃するばかり。仕方がないから応戦という形になってしまった。
これが次々と続くのである。同じことの繰り返し。
おしめ系布オバケ(ルーラ命名)を撃退したら、次は不定形の浮遊物体が現れる。
サイズは人間の大人の頭くらい。ゴムみたいにクニャクニャしていて、さっきのおしめ系布オバケのように近付いてから口を開ける。ルーラは嫌気がさしながらもまた撃退。
こうして姿形は変わっても、少し歩くとまた同じ攻撃をされてしまうのである。
わずかずつ進んでいるとはいうものの、このままではいつまで経ってもザーディに追い付けない。
「あいつが門番なら、こいつらは衛兵といったところかな」
ここへ至るまでに何度も襲われ、レクトが疲れた口調でそうぼやいた。だとしたら、一体この奥にどんな城があるというのだろう。
「余程すごい世界があるのかな。こんなにしてまで侵入者を防ごうなんて、まともじゃないぜ」
レクトもルーラに頼ってばかりではない。剣を抜き、彼なりに応戦していた。が、いかんせん、相手は魔物のようなものらしいし、一度や二度切り付けたって平気でまた襲ってくる。五、六回切り付けてやっと一つが倒せる、という、かなり不利な戦いを強いられているのだ。
ルーラも自分の使える魔法を駆使して、やっとという感じで蹴散らしていた。
で、さっきのようなセリフになるのである。何度違う形のものに襲われたか、数えるのもいやだ。
「いつまで出て来たら気が済むのよ。遊んでる暇なんてないんだから」
最後の一つを消し、溜め息をつく。
「また違うのが出てくるのかしら」
「ルーラ、向かうべき方向はわかるよな?」
こちらも息を切らしているレクト。
「うん、どうにか。もう一度確認すれば、完璧」
普段なら絶対口にしない「完璧」をあっさり言う。控え目にしようという意識は、疲れてしまって遙か彼方だ。
「次に襲ってきたら、突っ切ろうぜ。全力で走って。一つの所に踏み止まって、体力を消耗するよりいいと思う。一回切り付けたって平気でいる連中だけど、次の攻撃へ移る前、少し間があく。切り付けながら走れば、突破できるんじゃないかな」
その魔物が追って来ないか、という疑問は残るが。
「んー、その方がいいかもね。追って来ればその時、だし」
結論が出て、二人は息を整える。霧の中を走るのは少々無謀かも知れないが、いつまでもこんなことをやっていられない。先が見えないから、少しでも早く先へ進んでおきたかった。
そうこうするうちに、今度は白い円盤形の浮遊体がどこからともなくワラワラと集まってきた。やはり、サイズは人間の頭くらい。
「あの真ん中を突っ切って行くしかないわね。進行方向だし」
「よし、じゃ、行くぜ。1、2、3!」
レクトの声で二人は走り出した。手をつないでは走りにくい。でもはぐれると困るので、二人の服に紐をつけ、離れてしまわないようにしてある。
ルーラ達が突っ走って来ても、ためらうことなく浮遊生物は襲ってきた。いや、今は襲うというより、体当たりしてきている。実体があるようには見えないのに、当たると痛い。何だかズルい気がする。
「えーい、邪魔だ邪魔だっ」
目の前まで飛んでくる円盤を、手当たり次第に切り付けて行くレクト。ルーラは手を払って風を起こし、はねのけて進んで行く。そうこうして走るうちに、攻撃がやんだ。
「……突っ切ったみたいね」
うまくいったらしい。後ろを見ると、フワフワと所在なげに浮かんでいる円盤達。どうやら移動範囲があるようだ。そこから動く気はないらしい。
この先も、この調子で行けばいいのだ。走るのももちろん、疲れはするけれど、戦わずに少しでも早く前に行けるのなら、それでいい。
「おっし。あとどれくらいかって距離がわかればいいんだが。まぁ、ぜいたく言っても始まらない。うまくいったから、よしとしておこう」
うまく抜けられて、二人ともそれなりに満足していた。が、それも長くは続かない。
「うそだろ……つくづく疲れる所だな、ここは」
手で額を押さえながら、レクトは何度目かの溜め息をついた。
次に現れたのは、イガグリのようなトゲトゲの浮遊体。こんなもの相手に走って抜けるのはむずかしい。円盤が当たって痛かったのに、こんなトゲトゲが当たれば身体中に穴があいてしまう。しかも、人間の頭大。ここにきて、あのトゲが実は柔らかい、なんてとても思えない。
「また今までと同じ様にやらないといけないのか……?」
がっくりとうなだれるレクト。
「もう怒ったっ」
さすがのルーラも頭にきた。これ以上、相手なんかしていられない。
「そこをのかなきゃ、ブッ飛ばすからねっ」
叫ぶと同時に、ルーラを中心にして周りに風が起こった。台風のような強い風。巻き込まれれば、レクトでもあっけなく飛ばされてしまいそうだ。あまりの強さに空気がうなっている。
そんな強風に、空飛ぶイガグリも耐えられず巻き込まれてしまい、あるものは遠くに飛ばされ、あるものは近くの木の幹に突き刺さってしまう。かつっと音がしているので、やはりトゲは柔らかくなかったようだ。
「しつこいにも程ってもんがあるわよ。どうしてここまで邪魔されなきゃいけないの」
目の前がすっきりしても、ルーラはプンプン怒っている。
「まぁ、そんなに怒るなよ。また進めるようになったんだから」
レクトになだめられ、ルーラもようやく怒りをおさめる。
「さぁ、次が出て来る前に、少しでも進んでおきましょ」
だが、もう次は出て来なかった。ネタ切れなのか、あれが本当に最後だったのか。
油断はできないが、霧が薄れだして視界が徐々にひらけてくる。クリアとまではいかないが、今までを思えばずっとマシだ。
「じきにこの霧も晴れるかな」
「だといいわね。……ねぇ、また何か出て来たみたいよ」
行く手にボンヤリと影が現れている。数は二つか三つ。まだ鮮明ではないので、断定できない。さっきよりずっと少ないが、その分、一つ一つが大きい。今まではおしめ系布オバケが一番大きく、他はほぼ全部が人間の頭大だったのに、今回は人間そのものの大きさに近い。
「最後に親玉がお出ましかな」
「慎重にいかないとね」
ルーラは少し身構えた。レクトがいつでも剣が抜けるようにしておく。と、その影の方からやけに嬉しそうな笑い声が響いてきた。それを聞いた二人は、顔を見合わせる。
「この声……聞き覚えある」
「ああ、大ありだ」
近付いてくる影を睨むように見ているレクト。目が今までになく真剣だ。その目は恨みではなく、怒りがこもっているように、ルーラには思えた。
声はノーデとモルだ。それなら、影の正体はノーデ。大きい方はモルだろう。前に見たよりも影が妙に大きい気がする。大人が今更成長するとは思えないが、錯覚だろうか。
ザーディがいるのかどうか、ここからでは判断できない。
「さて、二度もひどい仕打ちをされた人間として、どうする?」
「あたしは二度じゃないわよ。ザーディと一緒にいた時から、ずっとひどい仕打ちされてきたもん。驚くだろうなぁ。まさかここまで追ってくるなんて、思いもしないだろうから」
今度こそノーデは二人が動けないでいるか、森の猛獣に喰われたと思っているだろう。そのノーデの前に出て行ったら、どんな顔をするか。見物だ。
「ちょっと隠れて様子を見ましょ。攻撃する機会をしっかり窺わなきゃね」
前回は声を出しながら、真っ直ぐに向かって行った。今回はそんな真っ向勝負なんてやっていられない。また卑怯な手を使われたら、今度こそザーディを追えなくなる。
二人は近くの木の陰に隠れた。そうとは知らず、ノーデは意気揚々と歩いて来る。
近くまで来たことで、ザーディも一緒にいるのが見えた。一見した限り、ケガをさせられたりはしてないようで、ルーラはひとまずほっとする。
それから、妙なことに気付いた。どうしてザーディ達はこちらへ向かって来ているのだろう。
ルーラはひたすら北へ向かって来た。帰る方向が真北にある、とザーディから聞いたためだ。その進行方向からザーディ達が来るのはおかしい。
ルーラの方向を示す魔法が失敗したのだろうか。今のザーディ達が北へ向かって歩いているのであれば、どういうルートの具合でか、ルーラ達はザーディ達を追い越していたことになる。で、南へ向かって歩いていたら、北へ向かうザーディ達と鉢合わせになった……。
その可能性はゼロではないとしても、ちょっと考えにくい。時間にして半日近く先を行っているはずのザーディ達に、遅れた上にあれだけ足止めを食らっていたルーラ達が追い越せるだろうか。
素直に考えるならば、ザーディ達は戻って来ている、ということになる。
だが、なぜ戻るのだろう。北へ向かっていたが、行き過ぎて戻って来た? でも、ザーディが道に迷うだろうか。門番も通り過ぎたと言っていたし、ザーディにとってこの周辺は出身地と言えるエリアのはず。ここまで来て、迷うとは思えない。
ザーディは先頭を歩いているが、それも妙な気がした。その表情も嬉しそうではない。むしろ、険しい。ノーデ達と一緒にいるからと言っても、両親がいる近くまで来ているはずなのに。
いぶかしく思ったルーラは、一番後ろにいるモルに気付く。その肩に女性が担がれていた。
あれってきっとザーディのお母さんだわ。そっか。レクトが話してたように、本当に親を捕まえてどうかしようって魂胆なのね。それでザーディが手出しできないように、先頭にしてるんだわ。うー、なんて陰険な人達なのっ。
このまま放っておいたら、またあの霧の中へ入ってしまう。そうなったら、攻撃もやりにくくなるだろう。やるなら、視界が利きやすい今のうちだ。
レクト、こっち来て。
そう離れていないレクトを手振りで呼び、こそっと耳打ちする。
「あいつらの後ろから、あの女の人を助けてあげて。あたしは正面に出て、二人の気を引くわ」
レクトは親指を立てる。二人は音をたてないようにして、それぞれに別れた。
ザーディがふと何かの気配に気付いたらしく、視線だけで辺りを見回す。首を回せば、ノーデも警戒してしまうだろう。今は余計な警戒を抱かせるのは不利になりえる。
人の……気配? でも、ノーデやモルじゃない。他の……知ってる人間、みたいな。もしかしてルーラ? うん、そうかも知れない。ここまで追って来てくれたんだ。
ザーディは何の疑いなく、その気配がルーラだと思えた。
でも、今の状況がルーラにわかるだろうか。母を盾に取られ、また森へ行こうとしているのが。ルーラのことだ、いきなり真っ正面から現れて、また隙を狙われてしまうのでは……とザーディは嬉しい反面、かなり不安だった。
自分はいい。でも、ルーラがこの悪人にどうかされるのはいやだ。ルーラまで盾に取られてしまっては、どうしようもない。
そんなザーディの気持ちを知ってか知らずか、ノーデ達からは見えない位置で、ルーラが進行方向にある木の陰からスッと姿を見せた。
それを見て、ザーディは目を丸くする。この気配はきっとそうだ、と思いながら、実際に自分の目で確認できたことに驚いたのだ。
ルーラは軽く手を振る。それから、指を口元にあて、声を出すなというジェスチャーをする。
ルーラ、どうするつもりなんだろう。
いきなり真っ正面に現れないところをみると、少なくとも全く状況が掴めていない、というのではなさそうだ。
ザーディは一応、表情を出さないようにしてそのまま歩き続ける。
そして、ルーラのいる木のそばを通りかかった時、ふいにルーラの手が伸びてザーディの身体を抱えた。そのまま、ふたりして木の陰に隠れる。
「おっ……あれ?」
浮かれてよく前を見ていなかったノーデは、いきなり消えたザーディに慌てた。
「おい、どこへ行った。ザーディ、隠れてないで出て来いっ。お前の母親がっ」
どうなってもいいのか。
そう脅しをかけようとして、ノーデのセリフはモルの悲鳴に遮られた。
「ぐわっ」
また驚いたノーデが振り返ると、モルの後ろに忍び寄っていたレクトが剣の柄で大男の膝の後ろを折り、姿勢を崩したモルの肩から担がれていた女性を奪っているところだった。
「レ、レクトッ」
ノーデは最初、信じられなかった。あれだけしっかりと木につないでおいたはずのレクトが、ここまで追って来たとは。
だが、これは現実だ。彼が現実だとすると、次に現れるのは……。
「あーら、こんな所で会うなんて奇遇ね、おじさん達」
木の陰からルーラが微笑みながら姿を現した。幻ではない少女を、ノーデは憎々しげに睨む。
「まったく、しつこい奴らだな。ここまで追ってきやがって。だが、あの魔法を解くたぁ、なかなかあいつも……。元は敵同士でも、一緒にいると情が移るらしいな」
ノーデはいやらしげな笑いを浮かべる。キスしなければ、魔法が解けないはずだ、と言いたいのだ。まだ若いルーラは、魔法って何? と、ノーデの魔法が失敗したかのように言い返せない。
ルーラは赤くなってくちびるを噛み締めたが、すぐにノーデを冷めた目で見る。心理戦に負けてる場合じゃない。
「だーから、どうしたっていうのよ。ふん、誘拐なんてひどいことをしようとする人に、何を言われたって平気ですよーだ」
ルーラは思いっ切りべーっとしてやる。もうこの件はちゃんと自分の中で解決したのだから、どんなことを言われても何ともない。と言うか、今は意識の外へ追い出す。
「あたし、本気で怒ってんだからね。今までみたいに、おとなしくやられたりしないんだから」
「ふん、偉そうに。ザーディの母親を取り返したからといって、いい気になるな。モルが奪い返そうとすれば、いくらでもできるぞ。体格の差というのはこんなところで出るからな」
確かに、レクトはザーディの母親を取り戻したが、逃げようとしても人一人を肩に担いで逃げるにはどうしても走るスピードが落ちる。どんなにきゃしゃな女性でも、綿のように軽くはない。
逆にそれを追うモルは荷物がなくなって身軽になり、速く走れるのだ。モルの足が遅いとしても、今のレクトよりスピードは上だろう。
その後どうなるかは、ノーデの言う通りになる可能性が高かったりする。あのモルが本気でレクトにタックルでもかければ、モルに比べれば細身のレクトはあっさり倒されてしまう。
ノーデはその辺りを見越し、余裕で構えているのだ。
でも、ルーラは慌てない。くすくすと笑い、でも目はノーデを冷たく睨んで。
「もうひとり、忘れてるわよ、おじさん。どうしてザーディがここにいないんだと思う?」
「何?」
ノーデの目の前でザーディは消えたのだ。レクトにルシェリを奪われ、さらにルーラの出現で一時的にすっかり忘れていた。
はっとして振り返る。そちらにはルシェリを抱えたレクトと、そのレクトの前に立つザーディがいた。モルはもう少しで追い付けそうだったのが、ザーディに遮られてしまった形になっている。
ザーディを木の陰に一時隠したルーラは、彼が母親のそばへ行けるようすぐにレクトの後を追わせていたのだ。
少しでも魔法が使えるザーディなら、レクトがモルに追い付かれた時、どうにか反撃できると読んだのである。
ザーディの目は、もう怯えていない。ルシェリを奪われた時とは違う。味方の出現で心が強くなれたザーディに、不安などもう消えている。ザーディの方が子どもなのに、親が子どもを天敵から守ろうとするように、その目だけで相手を威圧するように、彼の目は鋭く光っていた。
竜のザーディが本気で睨めば、いくらふてぶてしい人間のモルでもさすがに後ずさる。見えない空気に押し戻されるかのようだ。
人間なんかよりもずっと迫力が違う。
「もう、母様に触れさせない」
「くっ……」
思った通り、ザーディはその力を発揮しようとしている。モルが睨み返したところで、ザーディがひるむことはもうない。
「え……」
ふいにレクトの肩が軽くなった。担いでいたはずのルシェリの身体が浮いている。が、そう思ったのも束の間だった。
いつの間にか自分の後ろに、見たことのない長身の男性が現れていたのだ。その男性がルシェリの身体を抱き上げていた。
わずかにウェイブがかった銀色の髪。深い青の瞳。端正な顔立ち。すらりとした長身。魔法使いではないレクトでさえ、彼の周りを覆っているオーラを感じる。人間の姿をしているが、人間ではない何かを感じさせるものが。
ザーディの父親、か……。
ルシェリを取られそうになって警戒したレクトは、彼の姿を見て結論を出す。
そして、それは間違っていなかった。ザーディが少し驚いたように「父様」と言ったから。きっと彼自身も、いきなり父親がこの場面に現れるとは思っていなかったのだろう。
「お前にまかそう、ザーディス」
父にそう言われ、ザーディは頷くと再びモルと対峙する。モルはしばらくちゅうちょしていたが、雄叫びのような声を上げながらザーディに突進して来た。まともな攻撃魔法を見せたことのない、子どものザーディ相手なら力押しで何とかなると思ったのだろう。
だが、ザーディは軽く手を横に流すように動かしただけ。そこから風が巻き起こり、モルの巨体が飛ばされた。背中を木にいやという程ぶつける。うめいてすぐには起き上がれない。
「く、くそっ」
その様子を見ていたノーデは、ルーラとまた向き合う。明かな劣勢に、怒りがわいた。
ルーラ達にすれば、理不尽な怒り。自分勝手な感情だ。
竜はすごい生き物だ、とさんざん言いながら、ノーデは完全に甘く見ていた。魔力など人間とは比べものにならないと言われているのに、自分ならどうとでもできる、と思い込んでいたのだ。自分自身に大した魔法力もないのに。
実際、子どもを利用して母親を捕まえられたから、余計に勘違いしていた。自分はすごいのだ、と。
すごいのは眠り粉であって、ノーデの力は一切関与していないことに気付いてない。
そのイオの実の粉は、もうなくなった。こうなれば、ルーラを人質にとって竜達の動きを止めるしかない。ルーラを好いているザーディのことだ、ルーラが危ないとわかれば、手を出すのを控えるだろう。
そう考えたノーデは、風で地面の土を吹き飛ばし、ルーラにかける。ルーラは顔をかばって腕を上げ、一瞬目を閉じた。その隙を逃さず、ノーデはルーラを捕まえると彼女の首筋にナイフの刃をあてた。
「動くなよ、ザーディ。おかしな魔法を使ったら、てめぇの大好きなこの娘が死ぬぜ」
「離してよ、卑怯者! つまんない小細工してないで、たまには実力で勝負しなさいよ」
ルーラが怒鳴り、暴れる。だが、そんな言葉に左右されるようなノーデじゃない。自分の命もかかっているのだ。
これまでは、本気で殺そうというところまでは思わなかった。この森なら放っておいても森に棲む誰かが始末してくれると、勝手な期待をしていたのだ。殺すだけの度胸がなかったとも言える。
だから、突き落としたり、木に縛る程度で終わっていた。
しかし、今までのように手ぬるいことをしていては、自分が危ない。
「ノーデ……あんた、段々汚くなってきてないか? 俺が出会った頃、そこまで性格は悪くなかったはずだぜ」
レクトが悲しそうな表情で、ザーディの横に立つ。
「人間ってのは年月が経てば変わるもんさ。おおっと、レクトも変なマネはすんなよ。ま、お前にはできないか。魔法使いでもないし、大事な女が傷付けられるのはいやだろうからな」
ザーディはその意味がわからず、レクトの顔を見上げる。
「今の、どういう意味?」
「え、あ、それは……」
確か彼はノーデ達と一緒にいて、ザーディを捕まえようとしていたはずだ。ルーラと一緒にいる、とノーデが話していたが、その点については本当だったらしい。
事情はよくわからないが、ルーラがさっき「レクトの所へ行って」とザーディを押し出したから、味方と考えてもいいのだろうが、大事な女とは何なのだろう。
「一緒にいる間に、そうなっちまったってことだよ。ずいぶん手が早いな」
レクトの代わりに、ノーデがそう応える。
「ちょっと、変な風に言わないでよね。自分がおかしな魔法かけたくせに!」
ルーラがわめいた。
「いいから、お嬢ちゃんは黙ってな。やかましいんだよ」
ルーラとあまり背の変わらないノーデ。ルーラがわめくと、ちょうど耳の横でわめかれているようなものらしい。
それに気付いたルーラはスウッと息を吸うと、思いっ切り大声を出した。
「わあぁぁぁっ」
「うわっ」
驚いたノーデの手から力が抜ける。その瞬間を狙い、ルーラはノーデの束縛から逃げた。
「ま、待てっ」
慌てたノーデが、ナイフを持った手を振り回す。
「痛っ」
ナイフの切っ先が、ルーラの右頬に触れた。髪が何本か宙に舞う。切れ味のいいナイフだったらしい。軽くだったが、触れた部分から血がにじむ。
ザーディから鱗を取ろうとして、その肌にあてていたナイフだ。ザーディには影響がなくても、少女の柔らかな頬はそうもいかない。
「ノーデッ、お前っ」
ルーラの頬から出た血を見て、レクトが怒鳴る。どうにかノーデの手のうちから逃げたルーラは、駆け寄って来たレクトに走った勢いで抱き付く形になった。
ザーディは……怒鳴らない分、完全に何かの線が切れる。
ザーディの身体を中心にして、空気が震えた。風かと思ったが、風じゃない。ザーディの身体から、力が勢いよく放出されていた。
「ルーラを傷付けて……許さないっ」
ザーディの表情が変わった。あの気の弱かった、おとなしいザーディはどこにもいない。
青かった瞳は白く光り、怒りの表情しかなかった。歯を噛み締めた口から、わずかにのぞく牙がある。銀色の髪が逆立ち、身体全体が燃えているみたいだ。
そんなザーディを見て、ルーラは思い出す。ザーディは人間ではなかったのだと。
正体が何か、知らない。でも、魔法力が高い存在。
そんな場合ではないのだが、そんなことを考えてしまった。
急に霧が全てなくなる。周囲に漂っていた霧がなくなり、そこにはただの森が広がっていた。
「どうして霧が……」
ノーデもザーディの変貌ぶりと、急に視界が開けてしまったのとで不安が襲ってくる。
どこからかゴゴゴッというくぐもった音がした。何の音かわからず、そこにいる人間みんなが周りをキョロキョロと見るが、音の出所はわからない。
やがて、ザーディの上に現れたのは、水のかたまり。水は竜のような形をしていた。視界に収まり切らない程、巨大な竜に。
「まさか、周りの霧が集まって? そんなことが……」
ノーデが呆然としてつぶやく。あの霧が集結したと言っても、こんな大量の水になるだろうか。しかも、水が宙に浮いている。
だが、ここは魔の森の中だ。人間の常識は通じない世界。そして、力を使っているのは竜なのだ。どんなに否定しても、現に水はこうして現れている。
「や、やめてくれ……たっ、たす、助けてくれーっ」
竜の形をした水は、真っ直ぐノーデへ向かっていった。ただ落ちるのではなく、明らかに意思を持って動いている。
水の竜は、ノーデの身体を直撃した。とんでもなく強い衝撃となって、ノーデは全身を打たれる。力をもろに受けてしまったのだ。
しぶきがかかるように、モルにも水の攻撃がなされた。しぶきと言っても、そのエネルギーは絶大。
二人してイモ虫のように、地面にはいつくばってうめく。ノーデを打ちすえた竜の形の水は、再びザーディの頭上にとどまり、次の攻撃に備えるべく待ち構えていた。
「次で終わりにしてやる」
ザーディの口からそんな言葉がもれ、ノーデとモルがうめきながらもビクリとする。
「た……助けてくれ……」
ノーデがかすれた声で懇願する。
「ルーラや母様にひどいことしておいて、自分の時は助けを求めるの? 自分だけが助かればいいの?」
ザーディの様子は変わらない。まだ怒りが収まっていないのだ。むしろ、ノーデが助けを求めたことで、怒りが増幅される。目はまだ白く光っているし、身体から力は放出されたままだ。
終わりにする? それって……殺すって意味?
ザーディの口からそんなセリフを聞き、焦ってしまったのはノーデ達ばかりではない。ルーラもおおいに驚き、戸惑う。レクトの手から離れ、ルーラは叫んでいた。
「ザーディ、ダメ! 人を殺しちゃいけない。ザーディ、お願いだからやめて!」
ザーディは明らかに不満そうな表情で、ルーラの方を向いた。
「この人間達は、ルーラや母様にひどいことをしたんだよ。それなのに許せって言うの?」
実際にルーラが何をされたかザーディは見ていないが、ルーラと自分が離れ離れになったのはノーデ達が何かしたからだ。ルーラの声を聞いたと思ったのに、夢だと言われた。
今ならわかる。ルーラは本当に近くまで来ていた。そして、あの時もルーラは何かされたのだ。だから、またいなくなって。
そして、目の前で出血するようなケガをさせられた。傷の大きい小さいは関係ない。ルーラが傷付けられた、という事実が許せないのだ。
それなのに、当のルーラがやめろと言う。ザーディにはその意図がわからなかった。
「そうね。ザーディもあたしも、ザーディのお母さんもひどいことされたよね。でもザーディ、その人達を殺したりしたら、あなたもその人達と同じになっちゃうのよ」
「同じ?」
「そうよ。だって殺すっていうのは、生を奪うってことだわ。それは簡単にやっちゃいけないことよ。生きるために動物を殺して食べるっていうのは、自然の法則で仕方のないことだけど。生きるため以外で殺すというのはいけないの」
ルーラは言いながら、ゆっくりとザーディに近付く。まだザーディの身体からは力が放出されていて、不用意に近付くとその衝撃でどうにかなってしまいそうだ。下手すると、さっきのモルのように飛ばされてしまうかも知れない。
でも、ルーラは構わず、ザーディのそばへ寄って行く。初めて出会った頃と比べて、ずっと大きくなったザーディに。
初めは五、六歳くらいの男の子だったのに、今は十歳と言われれば頷いてしまう程、背が伸びている。顔つきもさらにしっかりして。
一気にルーラとの年の差が縮んだように思えた。いくらルーラでも、ここまで変わればわかるはずだ。
しかし、まるで気が付いてないように見える。いや、ルーラにとって、そんなことはどうでもいいのだ。
「ルーラ……」
服や髪が吹き上げられる。でも、ルーラは止まらない。やがて、ザーディの目の前まで来ると。
ルーラはゆっくりとザーディを抱き締める。
ドリーが言っていた。自分の気持ちを忘れないで、と。あたしの気持ち……。あたしはザーディが大好き。確かにノーデ達はひどい人達だけど、でもザーディに殺してほしくはない。たとえザーディが人間でなくて、人を殺しても良心の呵責を感じないとしても。
あたしはとてもザーディが好きだから、相手がたとえ悪人でも、人を殺すところなんて見たくない。まして、それがあたしのためなんて、絶対にいや。
「ザーディ、お願い。いつものザーディに戻って」
吹き上げられていたザーディの服や髪が、ゆっくりと元に戻ってゆく。白かったザーディの目が、あのきれいな青になってゆく。嵐で波立っていた湖が、静けさを取り戻してゆくように。
「ルーラ……」
ザーディがルーラを抱き締め返す。
「またあなたに会えてよかった。ザーディ、大好きよ」
「ルーラ……ルーラ……」
泣いているのかと思った。でも、ザーディの目から涙は流れてはいなかった。
「ザーディ……ありがとう」
色々な意味を込めて。
ありがとう。
ルーラは強くザーディを抱き締めた。





