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今日はバイラムがピザのお披露目をしに、お城へ行く日だ。デリクにこの世界のことを聞きながら待っていると、お昼をすぎてバイラムが帰ってきた。
「……なにがあった」
デリクが一番に聞くほど、バイラムの表情はかたかった。いつも柔和に細められている目は荒々しい光が宿っている。
「……聖女は」
言いかけて、バイラムは大きなため息をついて首を振った。
「ピザは、聖女様のお気に召しませんでした。せっかく教えていただいたのに、申し訳ありません」
「えっ?」
「理由は」
尋ねるデリクの目が燃えている。瞳から鮮やかな火の鳥が飛び出て、聖女を焼き尽くしてしまいそうだ。
「……聖女は、ピザを知っていたそうです」
「知っていた? いままで教えず黙っていたと?」
「……そうでしょうな。聖女も知らぬ、まったく新しいものをご所望でした」
「それは聖女の役目だ!」
「まわりもそう諭していましたが、聖女は」
また、大きなため息がひとつ。バイラムの顔には、明らかな失望が浮かんでいた。
ちらりとこっちを見たデリクと視線が合う。いろんな感情が浮かんでは消える瞳は、こんなときでも綺麗だ。
「あの、バイラムさん! お出かけしませんか? 市場っていうのを見てみたいし、新しい料理を作ってみませんか。聖女様が食べたかったって悔しがるものを」
「新しく……作る? そんなこと」
言いかけたバイラムは、息を呑んでわたしを見つめた。
「……いいのですか? 新しいものを作っても」
「いいに決まってるじゃないですか。みんな違うことを考えたり作ったりするから楽しいんです」
「これが……次の」
つぶやいた言葉は聞こえなかったけど、バイラムが元気になったからよかった。デリクも燃え盛る怒りをしずめて、いつの間にかごきげんだ。
デリクはお酒(ものすごく強いやつ)が好きで、つまみが気に入っている。舌なめずりする勢いで、はやくも今夜飲むお酒を思い浮かべていた。
簡単に出かける支度をして、外へ出る。
市場はここから近く、午前は主に肉や魚、午後は野菜や調味料を売ると決まっているらしい。たくさんの人が売りに来るので場所が足りず、午前と午後でわけてスペースを確保しているんだとか。
「気になる野菜があれば買って帰って……って、お金持ってないんでした」
お金どころか、着ているもの以外なにも持っていない。
ピザを披露するまでいてほしいと言われて泊まっていたが、さすがにお世話になりすぎた。何かあればピザの発案者として王様に首を差し出すつもりでいたけれど、デリクに聞いたら痙攣するまで笑われたので、そういうことはないらしい。
「帰ったら、わたしはそろそろお暇しますね。長い間ありがとうございました」
「嬢ちゃん、どこか行くあてはあるのか?」
「ないですけど、いざとなれば森で」
「……森で?」
「生きます!」
「箱入り娘がいきなり森で生きていけるわけがない。おとなしくバイラムの世話になっとけ」
「そうですよ、お嬢さん。私に新しいものを教えてくださるんでしょう。その代わりに、衣食住を提供する。うまく生活していけると思いますよ」
バイラムの申し出は、正直に言ってとっても嬉しい。なんたって、こっちは一文なしだ。
「本当にいいんですか? わたし……たいした知識があるわけじゃないんです」
「ええ、もちろんです」
バイラムの笑顔は優しい。差し出された手におずおずと伸ばした手は、横からデリクに取られた。
「おっと、こいつは俺の役目だぞ」
「これはこれは、失礼いたしました。どうぞご存分に」
くすりと笑ったバイラムが下がる。よくわからないままデリクを見上げると、光にあたって澄んだ赤い瞳がきらめいていた。
「嬢ちゃんはバイラムのところにいればいい。バイラムは、この国で俺が一番信用しているやつだ」
「この国? ……デリクは、この国の人間ではないの?」
「ああ、隣国だ。だが、嬢ちゃんがバイラムのところにいるかぎり、俺はここにいる」
「お仕事はいいの? 船乗りだと思ってた」
「そうだ。必要なものやお宝を運ぶ。世界一番のお宝がここにあるっていうのに、どこへ行けっていうんだ?」
顔が赤に染まっていく。デリクの視線はまっすぐわたしに注がれていて、気のせいでなければ甘ったるい感情が浮かんでいた。
「聞かれる前に言っとくが、嬢ちゃんはすごく魅力的だ。……嬢ちゃんは思い出したくないかもしれんが、元旦那は人を見る目だけはあったな。そしてとてつもなく不運だ。あんたを手放したんだから」
「わたし……いまは自分のことで手一杯で」
「ああ、わかっている。夜に眠る前、最後に考えるのが俺であってくれれば、それでいい」
重ねた手がうやうやしく持ち上げられ、デリクの薄くて形のいいくちびるが手の甲にふれる。
意味が……意味がわからない。どうしてこうなった?
「デリク、わたしたち会ってまだ一週間ほどだと思っていたんだけど」
「俺は船乗りだ、直感を大事にする。話してないのに、あいつとは気が合いそうだと感じること、嬢ちゃんもあるんじゃないか? 俺にとっては嬢ちゃんがそうだ」
デリクは夏の日差しが似合う顔で、くしゃっと笑った。笑うと目尻にほんの少しシワができて、余計に親しみやすくなる。
「最初は、俺と親しくなるために声をかけてきたと思ったんだ。俺じゃなくて違うやつに聞いてみろって言ったら、俺に背を向けてすぐに行っちまった。嬢ちゃんは本当に困ってただけだった」
息ができない。デリクしか見えなかった。
「無理強いはしない。嬢ちゃんの夢の中で会えたら、それだけで。夜眠る前、俺のことを考えてくれるな?」
「ひぇい……」
必死にしぼりだした返事は、情けないものだった。