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聖女なんて勘弁願います!  作者: 皿うどん
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 午前中からしていた勉強会は、おやつの時間には終わることにしていた。

 いつもはみんなを見送って、デリクたちにご飯を作っていたのだけど、今日はそんな気持ちになれなかった。せっかく可愛い服を着たんだから、今日がこのまま終わるのは、なんとなくもったいない。


「ねえデリク、外に出てもいい?」

「その服で出るのか?」

「うん。あっ、やっぱり似合わない?」

「そんなことはない。俺の嬢ちゃんは、いつだって世界で一番可愛いさ」

「ありがとう」


 外に出るときはいつもフードをかぶっていたけど、せっかくだから可愛くした髪もお披露目したい。


「ねえデリク、髪って隠さなきゃだめ? 黒髪って珍しいだけで、いないわけじゃないんだよね?」

「……すべては聖女様のご意向のままに」

「えっ?」

「そういう言葉があるのさ。嬢ちゃんがそうしたいなら、そうすればいい。俺はなにも止めない」

「それはそれで嫌だけど」


 この世界で何をしてはいけないか、わたしはまだ知らない。


「デリクはついてきてくれるんでしょう?」

「もちろんだ。嬢ちゃんのエスコート役は譲れない」

「じゃあ安心だね」


 微笑むと、デリクも微笑んでくれた。

 太陽のように明るいデリクが、不意打ちのようにやわらかく慈しむように微笑むと、心臓がうるさくなる。


「もちろん我らもお供します、汚れなき乙女よ」


 勉強会メンバーが、当然というように支度をするかたわらで、バイラムが頷いている。


「じゃあ、みんなをお見送りしながら、市場を見てみようかな」


 怒って泣いて市場をめちゃくちゃにしてしまったから行きづらかったけど、いつまでも避けているわけにはいかない。被害はなかったってバイラムが教えてくれたけど、怖い思いをさせたのは間違いないんだし。


 久しぶりにバイラムの家から出ると、午後のゆるい日差しが全身をあたためてくれる。

 気分がよくなって空を見上げると、いくつも虹が出ていた。七色のきらめきをうけて、雲もやわらかに輝いている。


「わあ、綺麗だねえ」


 わたしはなにも願っていないから、王宮にいる聖女様の機嫌がいいかもしれない。


「……久々に聖女様が外出されて、世界が喜んでいる」


 バイラムのつぶやきに振り返ったけど、彼はそれ以上言うことなく、空を見上げている。

 聖女と世界という単語しかはっきり聞き取れなかったけど、聞き返す気分じゃなくて、みんなと一緒に空を眺めながら歩いた。


 市場に着くと、みんな空を気にしながら商売をしていた。

 おやつにチョコレートのかかった小さくて丸いドーナツを買って、広場の噴水の近くに座った。デリクがベンチにハンカチをしいてくれたのは、恥ずかしいけど嬉しい。

 わたし自身ですら蔑ろにしがちなわたしのことを、大事にしてくれている気がするから。


「あたたかくて気持ちよくて、なんだか歌って踊りたいような気持ちになるね」


 わたしでも知っている有名な曲を口ずさんで、ドーナツを頬張る。たまごの味がする素朴なもので、ほっと息をはいた。

 外に出てからものすごく見られて緊張したけど、甘いものは心を休めてくれる。


「おねえちゃん、いまなに歌ってたの? おーえーて!」

「おえて?」

「たぶん、教えてって言ってるんじゃないかな」


 気づけば、3歳くらいの男の子が、人見知りもせず近くにいた。

 舌足らずなおねだりは非常に可愛い。あたりを見回すが、親らしき姿はない。


 小さい子なら、童話のほうがいいかな。シャボン玉の歌をうたうと、子供は目を輝かせて喜んだ。


「おねーちゃん、しゃぼんたぁ? ってなに?」

「シャボン玉だよ。お洗濯とか、おてて洗うときに、石鹸を使うでしょう? そのときにできるものだよ」

「知ってる! こうやってね、手をするとね、このあいだにできるんだよ!」


 一生懸命説明してくれるのは、とてつもなく可愛い。


「お水に、石鹸を溶かしてお砂糖を入れて、ストローで吹いてごらん。シャボン玉ができるよ」

「もってくる!」

「えっ」


 止める間もなく男の子は走っていってしまった。戻ってくるのを待っているしかない。


 不意にデリクの手が伸びてきて、髪をもてあそんでいった。途端に心臓がはやく動き、全身に血液を送り出す。


「……もうじき、俺たちだけの嬢ちゃんじゃなくなっちまうんだな」

「ど、どうしたの? なにかあった?」

「いや。ちょっと寂しいだけさ。なあバイラム」

「ええ、本当に。3人だけで過ごしたのは、ほんの数日でしたな。懐かしい気がいたしますよ」

「嬢ちゃんが来てから、一ヶ月くらいか。よく隠し通せたもんだ」


 デリクがわたしの手をとって、手の甲に口づけた。あたたかくて柔らかいくちびるの感触が鮮やかで、この世にそれしかないような感覚に陥る。


「覚えていてくれ、嬢ちゃん。俺の言葉に偽りがないことを」

「ひゃぇい……」


 真っ赤になって、力の入らない口からなんとか返事を絞り出す。デリクは笑って手を離してくれた。


「ほら、ちょうど帰ってきたぞ」

「おねーちゃん! もってきた!」

「あっえ、うん、じゃあ作ろうか」


 作るのは簡単だ。男の子が持ってきた容器に噴水の水を入れて、砂糖と石鹸の削りカスを入れて溶かすだけ。

 ストローでよく混ぜて男の子に渡すと、何度目かでシャボン玉が飛び出てきた。


「見て! きらきらしてる! とんでる!」


 初めてのシャボン玉は、意外なほど遠くまで飛んでいった。デリクはそれを、眩しそうに見つめていた。



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