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聖女なんて勘弁願います!  作者: 皿うどん
10/16

 たくさん泣いたと思ったけど、時間にすればたいしたことはなかった。デリクに抱えられて家につくころには涙も止まり、残ったのは気だるさだけだ。


「ふたりとも、すみません。感情が爆発しちゃって……買ったものも水浸しに」

「いいんですよ。お嬢さんが泣けてよかった。部屋で休んできてはいかがですか?」


 いろいろと丸投げしているような気がしたが、バイラムの優しさに甘えて頷いた。体が重い。

 お手伝いさんがあたためたタオルを持って来てくれて、ありがたく目に乗せる。着替えた服はさっぱりして気持ちよかった。

 タオルで適当にくるんだ髪にどんな癖がつくかが怖かったけど、疲れに勝てずそのまま眠りに落ちた。






 昨日はあのまま寝入ってしまい、約束した料理も作れなかった。夕方から翌朝まで眠り続けたのには驚いたが、起きたときは気分爽快だったので、疲れが溜まっていたのだろう。


 前世のわたしは、前世のわたし。記憶はあるけど、あるからこそ好きに生きよう。

 夫と義母に文句が言えなかったのなら、今生で虐げられたときに言えばいい。なんなら結婚だってしなくていいし、好きに働ける。


「おはようございます。昨日はすみませんでした」

「おはようございます。気になさらないでください。お嬢さんは見知らぬ土地で疲れていたでしょうに、気遣いが足らずすみません。これからは我慢せず話してくださいね」

「……バイラム。俺の言いたいことを全部言うのはやめろ」

「これはこれは、申し訳ありません」


 いつもの会話に、思わず笑ってしまう。


「なにも言えず、行動に移せなかった自分を重ねて、あの人たちに八つ当たりしてしまいました」

「いや、あの男たちは酷かった。嬢ちゃんが言わなかったら、俺が言っていた」

「この国は、あんな考えをする男の人ばかりじゃないってことですね? ……よかった」

「俺は決してそんなことを思わない」


 知っている。デリクの瞳には、一度だって同情が浮かんだことはなかった。


「ありがとう、デリク。昨日は運んでもらってごめんなさい、重かったでしょう。今日は、昨日言っていたご飯を作るから」

「嬢ちゃんは重くなかったぞ。なんなら一晩中抱えててもいいくらいだ」


 そんなわけがない。小学校に入るくらいのこどもだって、長く抱いておけないのに。


「デリクの腕はたくましいね。力仕事は任せちゃうね」

「いや……うん。そうじゃないんだが、力仕事は任せろ」

「遠回しでは伝わらないということですねえ。でもこれは直球では、なかなか」

「バイラムさん、なにか知ってるの?」

「私の口からは、とても」

「えっ、デリク、そんなこと言ったの……?」


 バイラムが言うのをためらうことを?


「言ってない! バイラム、からかうのはやめろ!」

「はっはは、すみません。お嬢さん、昨日のことで人が訪ねてきています。お会いになりますか?」

「……会います」

「あと一時間ほどで来ますので、それまで朝食をどうぞ」


 朝ごはんはとてもおいしかったけど、いろいろ考えてしまって、あまり食べられなかった。

 もしかして、店に雷が落ちたから弁償しろとか言われるんだろうか。誰かが死んだとか?


 ……ううん、雷は誰にも直撃しなかった。店にだって当てなかった。それだけははっきりしている。

 支度を終え、そわそわしながら待っていると、誰かが訪ねてきた。使用人の方が出迎え、わたしたちが待っている部屋へ通してくれる。


「は、はじめまして。トラシュと申します。こちらはカンガー」

「はじめてお目にかかります。カンガーです」


 緊張しきった顔で最初に自己紹介してくれたのが、水色の目をもつトラシュ。長い髪をひとつにまとめて、眼鏡をかけている。

 カンガーは物腰の柔らかい青年で、薄い茶色の髪と黒い目をしていた。薄いくちびるが、常に弧を描いている。


「はじめまして、わたしは名無しです。訳あって逃げてきた身で、名前はいま考え中なんです。お好きに呼んでください」

「……聖女様と呼んではいけないとお聞きしましたが」

「聖女じゃないので、そう呼ばないでいただけると……」


 どうやら、話をすすめるのはカンガーらしい。トラシュはまだ緊張してかたまっているけど、瞳は輝いている。

 ピザを知ったときのバイラムみたいに。


「昨日の出来事、私たちは近くにおりました。妊娠についてなにかご存知ならば、お教え願いたく」

「妊娠?」

「私共は妊娠出産について研究しておりますが、なにしろ腹の中のこと、あまり進まず難航しております。研究が進めば、母子が死なずにすむはずです。もしご存知ならば、どうかその知恵をお与えください!」

「いいですよ」

「もしお教えいただけるなら、……え?」

「いいですよ。わたしは一般的なことしか知りませんが、それでもよければ」

「……ありがたく」


 ふたりが深く叩頭するのを、慌てて止める。


「望んで妊娠した人は、誰だって無事に産みたいはずです。教えることをまとめる時間をくれますか?」

「もちろんです!」


 喜んだカンガーの横で、トラシュは渋い顔をしていた。眼鏡をくいっと上げて、わたしを真っ直ぐ見る。


「……本当によいのですか? 聖女に許されていない研究をするなど、厳罰に処されるでしょう」

「ええっ? 人の命に関する研究なのに、聖女の許しがいるの?」


 この世界は不思議だ。聖女が新しいものをもたらすのに、それが発展する気配はない。

 ちらっと外を見て、雷が発生するように願うと小さな雷雲が出来た。まあ、これなら大丈夫だろう。


「いざとなれば逃げましょう。そのときのために、森とかで教えるのはどうですか?」

「嬢ちゃんは森に行きたがるな」


 デリクがおかしそうに笑って、髪を一房とった。親指の腹でなでながら、ゆっくり耳に髪をかける。


「え、えっと、デリク? あの、お話中だから」

「いざとなれば、俺の船で逃げよう。みんな匿ってやる」

「デリクまで追われることはないよ」

「惚れた女をひとりで危険にさらせだって? 冗談じゃない。俺の国の男は、みんな一途で情熱的なんだぜ」

「ひぇいっ……」


 な、なんか口説きがレベルアップしてない? 昨日は夢で会えればいいって言ってたのに、今度は直接的っていうか、なんか……受け止めきれません!


「デリク、話が進まないからあっち行ってて!」

「ははっ、真っ赤で可愛いな」

「デリク! バイラムさんもなにか言ってやって!」

「本当に、熟れたりんごのようで可愛らしいですな」

「もー!!!」


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