第4話 天帝の伝達役
握り拳大のボールが、コロコロと転がる。
そして、弾んで、弾んで、金髪の耳の辺りでぴたりと動きを止めた。
「……殿、天狐殿! 」
「ふあい!? 」
耳元で囁かれ、居眠りをしていた有葉が立ち上がった。
もちろん、教室中の視線が全て、有葉の元に集まる。
「どうしました? 居眠り運転の七沢さん? 」
「あ、や、なんでもないデス……」
「なんでもなくはないですよね? じゃあ、この英文を全て訳してください」
「ふぁーい……」
あくびをかみ殺し、有葉は大きく伸びをしてから、立ち上がった。
そして、黒板に向かう……と思いきや、くるりと振り返る。
「そ・こ・で・ま・っ・て・ろ! 」
囁いてから、再び振り向くと、黒板とにらめっこを始めた。
「……天狐殿……」
その仕草を、全て見ていたのが、少し離れた席にいる鷹音だった。
(何かしら? あの毛むくじゃらのおにぎりみたいなやつ……)
そう思ってほおづえをつく鷹音の視線を、毛むくじゃらがキャッチした。
くるうり。
そう、鷹音の方に向き直る。
「見たな~~~!! 」
(やば。視線が合っちゃった)
鷹音は、慌てて視線を逸らした。
というのも、鷹音は、幼い頃からこんな経験を何度も経ているのだ。
変なものが見える・聞こえる・触れる。
果てには、匂いや味覚まで、あるはずのないものを知覚することができた。
「見たな? 見たな? 天狐殿のお気に入り? 」
こういうモノは、基本的にヤンキーと扱いは一緒である。
視線を合わせてはいけない、目立った行動をしてはいけない、意識していると思われてはいけない。
それをうっかり破ってしまった鷹音に、その毛むくじゃらは絡んできた。
鷹音は、首を軽く振って、聞こえていないふりをする。
「やい、お気に入り、天狐殿をたぶらかして何のつもりでいる? やい、やい」
鷹音が無視していると、その毛むくじゃらは、自分の履いていた小さな小さな靴を脱いで、鷹音の頭にぶつけてきた。
大して痛くはないが、少々面倒くさい。
「やい、やい……ふぎゅっ! 」
靴を投げ終わると、そこら辺のゴミを投げていたその毛むくじゃらが、急に大人しくなる。
鷹音が顔を上げると、板書から戻ってきた有葉が、毛むくじゃらをつまんでつり下げていた。
「…………」
「七沢さん? 鷺村さんに何か急用ですか? 」
鷹音の机の前で黙り込んでいる……ように見える有葉に、教師が声をかけた。
「あ、戻る席間違えちゃった-! 」
そして、急にいつもの調子に戻って、その毛むくじゃらをつまんだまま、有葉はついっと鷹音の側を離れて自分の席に戻る。
鷹音は、呆気にとられてそれを見送るしかなかった。
「天狐殿! 天帝様が『みだりに人の世界に干渉するな』とがおっしゃっていますぞ! 」
「うっさいな。おっさんが何言おうと、あたしはもう、恋に生きるって決めたのよ! 『嫌なら自分で止めに来い』っておっさんに言っておいてよ」
「天狐殿、それは――」
「できないんでしょ? できないのなら、人の恋路を邪魔しないでよね! 天帝のおっさんにも、もちろんあんたにも、あたしの恋は止められないのよ! 」
机の端に下ろされた毛むくじゃらと、有葉がひそひそと話し合う。
それを、密かに聞いているのが、同じ教室内にいる鷹音であった。
(何? 何を話してるの?)
鷹音は、なんとかそれを聞き取ろうとする。しかし、そこでチャイムが鳴った。
「はい、今日はここでおしまいです。ノートを集めるので、一番後ろの人はノートを回収して提出してください」
そう言われ、鷹音は慌てて黒板の写していない箇所をノートに書き加えた。
「ごめんね。ちょっと待って」
そう言って、集めに来た女子を待たせると、その女子はひょいと鷹音のノートを覗き見る。
「珍しいわね、鷺村さんがノート取ってないなんて」
「そ、そうかもね」
鷹音はそう返したが、まさか「妖怪同士の声を盗み聞きしていたので、ノート取るの忘れました」とは言えなかった。
「ノート集めるう? 聞いてないわよ! 」
「うわ、七沢さん、本気でノート白紙じゃない……」
向こうの方で、有葉が騒いでいるのが聞こえる。
鷹音は、もう何度目になるのか、有葉絡みのため息をつくと、写し終えたノートをその女子に渡した。
――
「あー、疲れたあ! 」
放課後、「鷹音と一緒に帰る! 二人きりで帰る! 」と駄々をこねた有葉と、鷹音は並んで下校していた。
鷹音は、有葉の顔をのぞき込む。
「……何? あたしのこと、ついに本気で好きになった? 鷹音? 」
「そういうんじゃないわよ。ただ、5限目の授業中、変なのがあなたにまとわりついてたじゃない? 」
「あー……別に、大したことじゃないよ。鷹音は気にしなくていいって、ホントに! 」
有葉がそう誤魔化そうとするが、鷹音はじっとりと有葉を見やる。
「天帝がどうとか話してたけど? 」
「ああ、おっさんね。若作りのおっさん! あいつ、自分は誰とも結ばれない運命だからって、あたしみたいな自由人を羨んでるのよ! あんまり目立つことするなって釘を刺しに来たわけ。参っちゃうね」
天帝とは、確か神の中でも最高神を意味する。
その天帝を「おっさん」呼ばわりする有葉に、「自由人にも程があるわ」と鷹音は思った。