第17話 狐の婚約者
「あいつとあたしはね、婚約者なのよ」
有葉の口から出た、そんな言葉に、鷹音は夕食の味噌汁を飲む手を止めた。
しばらく、そのまま固まる。
「……婚約者……? それって、許嫁……? 」
「うん? なんで言い直したの? ……うんまあ、そんな感じ。でもね」
と、有葉はとたんに嫌そうに顔を険しくする。
婚約者の話をする顔ではない。
「あいつとあたしは、敵同士なのよ」
「婚約者なのに、敵なの? 」
「というか、狐一族と狼一族の長年の確執っていうか……狐と犬って、相性が悪いって聞いたことない? それの大元が、狐と狼のケンカなわけ」
鷹音は、静かに、味噌汁の椀を置く。
人間の鷹音には、何のことか全くわからない。
「で、昔からあたしたち結構仲悪かったから、天帝の提案で、各者1名ずつ男女……雄雌を選んで、狐一族と狼一族に、それぞれ順番に嫁いだり嫁いできたりするようになったのよ。で、今回はあたしがあの犬野郎に嫁ぐってことなわけ。でもあたしはずーっとそれが嫌だったから、嫌よ嫌よって断ってたわけ」
そこまで語ってから、有葉は小首をかしげた。
「……鷹音、なんか機嫌悪い? この話、しない方がいい? 」
「……いえ。ごめんなさい。ちゃんと聞くわ」
鷹音は、憮然とした顔をしながらも、銀ダラの煮付けに箸を伸ばす。
つるんとした銀ダラの身は、箸でつかみにくかった。
「そんなに嫌なら、婚約自体を破棄するってことはできないの? 」
「うーーーーーん。他の誰でもない、天帝のおっさんの言うことだからねえ。これが、狐一族と狼一族の単なる慣習、だったらまだマシなのかもしれないけど、おっさんの言うことはまた違うから……」
「でも、天帝? のことは『おっさん』呼ばわりよね、あなたたち」
「別に『天帝様』でも『おっさん』でも良いのよ。ぶっちゃけ、尊敬していればいいわけだし。人間だって、『パパ』と『お父さん』でも、パパのこと好きなのは変わらないでしょ? 」
鷹音は、なんとなく理解したような気がした。
しかし、それでは、余計に「天帝が考えた婚約者」として、有葉は玲朗と結婚しなければいけないことになる。
あの、不良っぽい玲朗と、有葉が結婚――。
しかし、玲朗は整った顔立ちをしていたし、若干ギャル感のある有葉とは、少なくとも同じ女性の鷹音と一緒にいるよりも、自然に思えた。
「でも、一橋くんは、一回亡くなっているのよね? 性格が変わったのも、私は覚えているわ。その理由は何なの? 」
「ああ。あたしたち妖怪は、死んだ人間を見つけて、その体を蘇らせて人間界に現れるの。この間、おっさんの使者が来たとき、あたしと鷹音にしか見えてなかったでしょ? 普通の人間として現れるには、死者の体……肉体でなくても、遺骨だけでもいいけど……が必要なのよ」
「ああ、そうなの……」
鷹音は、納得した。
つまり、狼の一橋玲朗と、人間の一橋玲一は、まったく魂は違うということだ。
別人と言っても良いが、それが鷹音の感じた違和感の正体だったらしい。
「それにしてもなー……。あいつ、本当にあたしと結婚するために現れたんかなー? それとも、別の用件があったりしてー」
有葉が、軽く腕を伸ばしたりしながら言う。
鷹音も、同意見だった。
今のところ、有葉は余計なことをして、人間界を引っかき回しているような印象しかない。
「……もし、一橋くんが、あなたのことを仇敵としてやってきたのなら……」
「んーにゃ。衝突は避けられないかもねえ。それに、婚約者として来た場合でも、あたしは嫌だって言い続けるし」
「……どっちにしろ、あなたと一橋くんは、一騒動起こすのね……」
「ん! なんか人聞きの悪い気配がする! 」
「だってあなた、散々騒動を起こしてくれるじゃないの」
「勝手に起こるのが悪い! 」
鷹音は、おかずを大体食べ終えたので、再び味噌汁の椀を取る。
味噌汁には絹ごし豆腐が入っており、つるつるとしてつかみづらい。
そして、強くつかもうとすると、ぐしゃりと箸で切断されてしまうのだ。
「…………」
鷹音は、ほうっと息を吐いた。
自分たちの関係は、この味噌汁の中の絹ごし豆腐に似ている。
力を加えられれば潰れてしまい、うまく口に入らない。
そんな、つかみどころのない、砂上の楼閣のようなはかない関係である。
「有葉、あなた、婚約者があなたを取り戻しに来たとしたら、本当に断れるの? 」
「え? 」
有葉は、驚きに目を見張った。
しかし、すぐに元に戻って、がたんと席を立ち、食べ終えた皿を持ってキッチン内の流しに置く。
「断るわよ。ちゃんと、断るけど……おっさんの言うことだったら……」
「天帝の言うことなら、聞かざるを得ないのね? 」
「んー……んー!! 知らない! おっさんの言うことなんて知らない! 耳に入らなかったことにする!! 」
「そう」
鷹音は、正直に言うと、気が気ではなかった。
有葉が、断れずに婚約者――玲朗と結婚することになったら……。
鷹音には、とてもではないが嫉妬で耐えられない、と思ったのだ。
そう、嫉妬だ。
これは、男であるというだけで、有葉と結婚し、夫婦になることのできる、玲朗への嫉妬心であった。




