野次馬
「では、これで失礼します。」
とりあえず、今日はもう帰れそうなので、改めて切り出す。
「あぁ…。…いや、下まで送ろう。」
「?下に用事があるんですか?」
「…いや、ないが…。」
「なら、送ってもらわなくても大丈夫ですよ。階段の上がり下り大変ですし。」
5階から1階までの移動。ちょっと行ってくるか、と思うには長いし疲れる距離だと思う…。私なら『何かのついで』でなければ、正直ごめんだ。
「…心配ない。階段は使わない。」
え?使わないって…。じゃあ、どうやって下りるの?
そう思っていると、後一歩という所まで魔王が距離を詰める。
「えっと…。」
「手を…。」
近くなった距離に戸惑う私に、魔王はスッと手を差し出す。
手のひらを上にして待っている魔王。その手をジッと見て、私はポンッと軽く重ねる。…いわゆる『お手』の状態。
犬みたい…。そう思った事に内心、苦笑する。
そんな私の手が、そっと…まるで壊れ物を扱うように握られた。
視線を手から魔王の顔へと移すと、魔王は優しげに目元を細めていた。
「裏庭でいいな。」
私に確認しているようで、していない。魔王の中では、行き先が決まっている言い方。
魔王のひとり言のような声を聞いた途端、フワッと身体が浮いたように感じた。
急な浮遊感に恐怖を感じ、ギュッと強く目をつぶる。
…でも、それはほんの一瞬で、すぐに足が地に着いた。ただジャンプをした。…そんな感覚。
…もう、何も起きない?
私は、恐る恐る目を開ける。目の前には変わらず魔王がいた。
でもここは、ついさっきまでいた執務室ではなく、青空が広がる外。…正確には家の前に、私たちは立っていた。
「転移?…。」
「あぁ。そうだ。」
初めての体験。驚き・嬉しさ・戸惑い…。色々な感情に頭が着いていかない。
「…大丈夫か?」
ぼーとなっている私を心配してか、魔王が声をかける。
それでようやく我に返った。
「あ、はい。大丈夫です。ちょっとビックリして…。」
『転移出来るのはごく一部の上位の者で、ヒューマンは使えないのです。』
ってシアが言ってたっけ…。
彼は魔王。この世界では、それこそ上位の存在なんだから、転移出来てもおかしくないよね…。気にしないでおこう。とりあえず、お礼は言わないとね。
「えっと。…ありがとうございます。おかげで階段下りなくてすみました。」
あ…。つい本音が…。だって階段長いんだもん…。
でも、急に転移したから、ラーナとベトラーに何も言ってないや…。
それに…ナイト、置いて来ちゃった…。
「ナイト。」
「ここにいる。」
私の呼びかけに、ナイトが影から出て来た。影、便利だな…。
そして、ここに来て1つ、気になることが…。
なぜか周り…。正確には城の裏口付近に魔族の人たちが集まって、こちらを窺っている。
「皆さん、どうしたんですかね?」
彼らに視線を向け魔王に問うと、魔王も同じように視線をやる。
それに慌てたように、彼らは平伏す。数秒ジッと魔王は彼らを見ていたけど、答えは出なかったのだろう。魔王は、彼らに近づいて問うた。
「…ここで何をしている。」
怒りを含んだような重い声。空気がピリッとして、彼らの緊張が伝わる。
「あ、の…私たちは…その…。家が建っていたので、気になりまして…。」
彼らの中の1人が震える声で答えた。
あー、まぁ気になるよね。家を出した時は魔王と幹部数人しかいなかったし。
普通は家を建てるのに何日もかかる。それがポンッといつの間にかあったら、ビックリするよね。アハハ…。
「それで?主の不在中に何かするつもりだったのか?」
「い、いえ!何も!ただ見ていただけです!」
魔王に睨まれ、彼は顔面蒼白になっている。最初に声を出したことを、彼は後悔していることだろう。
…なんか、かわいそうになってきたな…。蛇に睨まれた蛙ってこういうのを言うんだね。
「あの、魔王様。皆さんがここにいた理由は分かりましたから、もうそのくらいで…。」
後ろから魔王に声をかけ、それに魔王は振り返る。
「…いいのか?」
振り向いた魔王に、さっきまであったピリッとした空気は感じられなかった。
それに安心し、ほっとする。
「はい。何かされたわけでもないですから。それに気持ちは分かりますし…。私だって、急に家が建っていたら、気になって見に来ちゃいますよ。」
もしも自分だったら、と想像して苦笑した。
「……まあ、いい。お前たちは持ち場に戻れ。」
「「「「は!」」」」
野次馬…もとい魔族の人たちは魔王に命じられ、この場を後にする。
魔族の人たちがいなくなり、とりあえず、家の前まで移動。
移動した、けど…。どうしようかな?
1度家に入って、「ただいま」とか「おまたせ」とか、待ってた子たちに言いたいけど…。でも、家に入ると魔王を招かないといけない気がする…。
そしたら、また帰るのが遅くなるよね…。ここは、テレパシーで!
『みんな、戻ったよー。このまま家を収納しちゃうから、影に移動してくれる?』
私の呼びかけに、『分かりました。』や『おう!』など、それぞれに返事を返してくれた。それから少しして、影からみんなの気配を感じる。
よし!これで、収納しても大丈夫!
…あれ?そういえば、生き物って収納できるのかな?ゲームだと、倒したらお肉になってたし…。帰ったら、魚捕まえて試してみようかな?
そんなことを思いながら、家を収納する。
一瞬で跡形もなく姿を消した家。さっきまでいた魔族の人たちが見たら、不思議に思うだろうな。