ジェルマンと獣耳少女
それは少女の声だった。
振り向いても、俺の後ろにいるのは、鎖に繋がれ、感情のない虚ろな目で一点を見つめている獣の少女たちだけ。
だが、彼女たちが話せるようには思えない。それに、もしも話せるならば俺がこの場に来た時点で何らかの反応を示すのが普通だ。
散々、マジマジと俺は少女たちの顔を覗き込んでたわけだしな。
「まさか……、この中にジェルマンがいるのか?」
話ではいい年したオジサマだって聞いてたんだがな?
しかし、相手も研究所の責任者。
もしかしたら、容姿や性別を変えることはできるのかも知れない。
しかし、直ぐにその声の主は分かった。
「……ジェルマンは父。私は『獣人』」
感情のない少女たちの中、一人だけ口を動かしていた。
……なるほど。
彼女たちは喋れないわけじゃなかったようだ。
悲鳴とか上げられなくて良かったぜ。
それに、話しが出来るのはこの少女一人。
鎖に繋がれているのは同じだが、微かに瞳には光が宿っていた。
彼女には自分の意思があるのかも知れない。
腰まで伸びたピンク色の髪。
そこからピンと伸びた二つの耳。
そして、腰からはゆらゆらと揺れる尻尾が生えていた。
感情の篭らない碧の瞳で俺を見ている。
「えっと……、君は?」
「私は『獣人』」
「いや、それは分かったんだけどさ」
同じことしか言わない少女。
こういう場合はどうしたらいいんだろうか?
いや、答えは一つか。
意思があって話すことができる。
そして、俺の姿を見られたのだから――殺すしかない。
目的であるジェルマンを倒していれば、生かしておくのも手ではあるが――まだ、達していない。ならば、少しでも不利になることは避けるべきだ。
俺はナイフを握り直し、少女の喉元に突きつける。
皮膚にめり込み、「プツっ」と皮が切れた感触が伝わってきた。
しかし、俺はそこから腕を動かすことができない。
少女の年齢くらいの時に、妹は攫われた。
記憶の中の妹と目の前の少女が重なる。
少女はただ、実験されているだけ。
それは、この扱いを見ても明確だ。
刃物を突き差すことができない俺に、少女は首を傾げる。
「これは……罰? あんまり……痛くない」
少女は壁に繋がれた首を伸ばして、自ら刃物を突き付ける。
その行為に俺はナイフを引き戻した。
「お前、自分が何やってるのか、分かってるのか?」
「痛いの……分かる。痛いの……罰。私、罰……受ける」
「いや、そう言うことじゃないんだけど……」
このまま話していても埒は明かない。
さっさと引き返そう。
今度こそ帰ろうとした時――俺の背後に1人の男がいた。
入り口で殺した男と同じ、黒いローブを纏っていた。
「おや? 人の商品を傷つけておきながら、自分はさっさと帰るおつもりですか?」
「……ジェルマン」
尖った顎先。
鼻に乗った小さな丸眼鏡。
狡猾そうな表情は、俺が事前に渡されていた写真と一致していた。
「ほう? 私の名前を知っているのですか。ということは――お客さんですかね?」
「ああ、そう。そうなんだ。いやー、勝手に入って悪かったな」
「ふっふっふ。これはこれは。こちらこそお客に気付かず申し訳ない。しかし、『魔力』も感じずに、入り口にいた私の部下を殺したんですからねぇ。普通は『客』ではなく『敵』だと勘違いしますよね? でも、まさかお客様だったとは、怖れ要りました」
「……っ!」
ジェルマンの腰から、死なるようにして炎の尾が伸びてきた。
眉間を狙ってきた尾を、上半身を反らして交わし、そのまま、後方に跳ねるようにして回り距離を取る。
「おや、まさかこの距離で避けるとは……。しかし、やはり妙だ。私はそれなりに『魔力探知』に自信があるのですが――目の前でも何も感じないというのは初めてです」
「そうかよ。初経験ってのは何事も大事だよな。いい思い出になるよう、心に仕舞っとけよ。まあ、直ぐに思い出せなくなるだろうがな」
俺はナイフを構えて軽口で応じる。
しかし、そうはいっても参ったな。
俺は『魔法』は使えない。
暗殺向けなんだ。
正面切っての争いは、はっきり言ってしたくなかったんだが。
「……なあ、それより一つ、教えてくれよ。ここにいる少女たちはなんだ? 『獣人』って言ってたけど」
「気になります? ですよね、ですよね!」
俺の問いに大口を開けて口角を歪める。
両手を組むように合わせて得意げに一歩前に出た。
「これは私が生み出した商品です。人為的に『骸鬼』を生み出す過程で生まれた失敗作。しかし、これは失敗ではない。見て下さい、この美しさを!」
獣と人が交わることで、神秘さと愛くるしさを秘めた容姿だと、近くにいた一人の頭を撫でた。
そして、そのまま、『魔法』によって生み出された鞭――『炎鞭』で両手足を焼いて行く。
「お前、なにしてるんだ?」
「なにって、この商品の一番の良い所ですよ。どれだけ痛みを与えても声を上げない。感情がない。これが意外に受けましてね。それなりに売れそうなのですよ」
「……世も末だな。そんな下らねぇもんが売れるなんてよ」
「下らないからこそ売れるんですよ。だから、私としては君のその、感じない『魔力』に興味があるのですが――どうでしょう? 私に殺されるよりも先に、自らの意思で協力を願いたいのです。あなただって、こうなりたくはないでしょ?」
手足を焼いていた鞭の火力が増し、少女の全身を這うようにして締め上げる。
熱で皮膚が妬け、炭化して体が焦げていく。
そんな状態になっても、表情を変えずにただ、堪えて命を落としていく。
「素晴らしい。商品の第一弾としては既に完成しているよ。ただ、『骸鬼』と同じく『魔力』だけはそれなりに持っているのが難点ですね。『中級魔法師』や『低級魔法師』にも気に入られるように、『魔力』を弱めなければ。そのために、いい材料がやってきてくれましたしね……」
「……材料ってのは、俺のことか?」
「言葉が悪かったですね、すいません。あなたが歯向かえばの話ですよ」
「……なるほどな。だったら、一つだけ教えてくれないか?」
「答えられる範囲であれば、お答えしますよ」
「助かるよ。あんた、さっき、人為的に『骸鬼』を生み出すって言ってたよな? そこでよ、『鬼ヶ島』から可愛い女の子を攫わなかったか?」
「さあ、それはどうでしょうか? 『骸鬼』の研究なんて、どこでもやっていますから。それに、一々、そんなことは覚えてません」
「だったら――交渉決裂だ」