1話_2・電車内にて
死ぬのが怖い。人はなぜそう思うのか。
これは私の持論なんだけど、“死”は事前に体験することはできないからじゃないかな?
例えば仕事。これは若くて小学生から職場体験があるし、その辺のスーパーなんかに行けば働いている人間は数え切れないほどいる。そして、いつかは自分もその立場になる…大抵はね。
死は必ず訪れることだけど、その先が全くの未知だからヒトは恐れるんじゃあないかな?
あくまで私個人の意見だけどね。参考程度に覚えておいて損はないと思うよ。
まぁ、忘れるだろうけどね。
ボーーー。
汽笛。最初に体に入ってきたのは、勇ましく地を揺する列車の振動と、けたたましい汽笛。次は駅。古い木造建築で、壁の塗装は所々剥がれかけ、ロータリーに植えられたパンジーは仄かに茶色くなり萎れ、華やかというより空しさが感じられた。
「ここは…?」
建物らしきものは、駅とロータリー、灰一色の景色の向こうに伸びる一本の線路のみ。
そして、その駅に向かう灰色のヒトらしき群れ。
力なく頭を垂れ、背を丸め、歩くというより水が流れるように駅に吸い込まれていく。あるいはベルトコンベアのように、同じ商品が出荷されていくように、ぞろぞろと改札口へ向かっていく。
ふと、右手に違和感を覚える。正確には、身に覚えのない物体が、右手に握られているのを感じた。
切符だ。薄い橙色の切符。
文字は掠れて読み取れないが、駅の看板と同じようなシルエットに見える。
『■■』
二文字だというのはわかったが、やはり読み取ることはできなかった。
その切符を見ていると、ある一つの思考が脳を通りすぎる。
「行かなきゃ」
どこに?そう頭を過るが、行かなければならないと強く思う。
なぜ行かなければならない?これは本当に自分の意思なのか。それとも他人の意思がこの衝動を駆り立てているのだろうか。
巡る思考とは裏腹に、体は自然と前へ歩み始めていた。
駅構内は酷く狭かった。
名古屋駅とか東京駅とか、そんな大きく華やかな規模ではなく、ど田舎の、必要最低限の設備しかない寂れた駅。空っぽの自動販売機は、証明の代わりのようにチカチカと点滅して当たりを照らし、腐りかけた木製のベンチは今にも崩れそうなくらいに脆く。改札口に機械なんて置いてなく、灰色の人々は窓口で切符を改札鋏でパンチを入れてもらってから、奥へ進んでいく。
パチン、パチン。
規則的に響く鋏の音。それ以外に音らしき音といえば汽笛くらいしかなく。甲高い鋏の音は嫌に心の内に響き、まるで自身を切り取られているよう。
チョキチョキと、ハラリと落ちて、消えていく。
「早くしないと乗り遅れてしまうよ」
「へ…?え?」
気づいたら行列は捌け、窓口からひょっこりと駅員の制服を着た男性がこちらを見て微笑んでいた。
「こんにちは、少年。…緊張しているのかい?」
その男性は全てが柔らかかった。表情も声色も動作も。ふわふわの綿菓子のような癖っ毛も。
「いや、その…」
上手く言葉が出ない。それもそうだ。ここにいる意味もこれからどうすべきかも何もかもわからないのだから。
「大丈夫。こっちにおいで?君はもう持っているはずだよ。この世界の招待状を」
「招待状?」
「握っているだろう?その切符のことだよ」
切符。あぁなるほど。言い方を変えれば、切符は電車に乗るための招待状か。
強く握りすぎたのか、掌にはくっきりと切符の角が刺さった跡が残っていた。
「お願いします」
そう言って俺は切符を彼に差し出す。パチン。彼は鋏でパンチをした切符を俺に差し出した。
「行ってらっしゃい。良い夢を」
俺以外のヒトは、すでに電車内に収まっていて、中からジィっとこちらの様子を窺っていた。
「行かなければ」
なぜ行かなければならないかはわからない。
けど、この先に答えがある気がするんだ。
ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン。
電車は走り出す。
車内は異様に静かで、吊り下げられた広告は灰色の滲みが酷く読むことができなかった。
横一列の座席の、一番隅に座る。他の乗客は立っていたり座っていたり、つり革を持っていたり本らしきものを読んでいたり…以外とそれぞれ個性があって、不気味さが少しだけ和らいだ気がした。
ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン。
電車の振動に揺すられ、俺はまぶたを閉じる。
当たり前だが、目の前は真っ暗で、入ってくる感覚は電車の音と振動のみだ。
ふと、思う。
このまま乗っていたらどうなるのだろう?
行かなければ、どこに?
考えれば考えるほど、出口のない迷宮に閉じ込められたように同じことをぐるぐるさ迷う。
そして次第に、その思考は睡魔によって閉ざされていった。