表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
CERVATOS  作者: 春戸 稲郎
四月
9/66

才気


 赤くなった目で、理沙はマリベルを見つめる。

「姫……私が本当に、寺山さんのお金を盗んだって、思ってる?」

「まさか。あなたが盗みを働くはずがない。そうでしょう?」

 騒動を収めたマリベルは、理沙を連れて職員室に戻った。染谷と三郎もそうだが、目撃者として劉も同行を求められ、トラブルに至った経緯を聞きだしていた。

 職員室と隣接している校長室にて、ひとつの革張りのソファにマリベルと理沙は腰を下ろし、その真向かいには染谷と劉が座った。部屋の隅には無表情な三郎が控えている。

「わたしがあなたに調理と給仕の仕事を頼んでいるのは、火の扱いと食中毒に細心の注意を払う慎重な性格だからよ。あなたほど慎重な人が二十万円もの大金を任されたのなら、絶対にミスはしない。それに『換金のために渡されたチップを横領する』なんていう計画性のない犯行をするはずがない。今回のあなたには過失も故意もないわ。……そのどちらかがあったとすれば寺山さんのほうね」

「だったら、どうしてあの人に謝ったりしたのよ。お詫びまで渡して帰して……」

「仕方ないわ。監視カメラの死角を突かれたし、寺山さんは認めないでしょう。ほかのお客様から証言が出てこなかった以上、立場が弱いのはわたしたちのほうよ」

 話を聞いていた劉が、腕を組んで頷いている。

「ゲームチップの受け渡しがなかったことはちゃんと見ていただろうに、あそこにいた大人たちは気弱で腰抜けだ。本当に理沙ちゃんが気の毒だよ」

「劉さんはいかがです? しばらくゲームを観戦なさっていたようでしたが……」

「残念ながら理沙ちゃんとは入れ違いで、ふたりのやり取りは見ていない。もちろんあの男の言いがかりだとは思うが、情で不確かな証言はできない」

 申し訳ないが、と劉は残念そうに眉根を寄せる。マリベルは、いいえ、と首を振った。

「リサ、あなたは悪くないわ。辛い思いをさせてしまってごめんなさい。わたしに免じて今日のところは我慢してくれる?」

「……姫が、そうしてほしいのなら……」

「ありがとう。保健室で休んできて。持ち場に戻るのはそれからでいいわ」

 マリベルに見送られ、理沙は校長室を出た。

「さて、わたしも、もういいかな?」

「お手数をおかけしました」

 ソファから立ち上がった劉に、マリベルは深く頭を下げる。

「劉さんに寺山さんを止めていただけなければ、リサが怪我をしていたかもしれません。是非ともお礼をさせてください」

「いやいや、結構だよ」

「ウィスキーはお好きですか? よろしければ父に頼んでご自宅にお送りしますが……」

「その言葉だけで、十分な礼として受け取らせてもらうよ」

 それでは、と言って、劉は校長室から去っていった。

 あとにはマリベルと、傍観していた染谷と三郎が残された。

「染谷先生、どう思いますか?」

「何のこと?」

「劉さんについて。案の定、自宅の住所は教えてもらえなかったわけですが……」

 この子は恐ろしいな、と染谷は思った。

「勘だけど、大人物の雰囲気があるよ。少なくとも寺山という人よりも器量が大きい」

「同感です。比べるのが失礼なくらいです」

「揉め事にもまったく動じていなかった」

「中華料理店の経営者という、庶民に親近感のある生業に従事しているようには見えませんね」

 きみに庶民の感覚がわかるのか、と染谷は笑いたくなった。

「やはり劉さんには調査が必要です」

 すとんと、マリベルは染谷の隣に小さな腰を下ろした。

「さて、染谷先生。わたしのクレーム処理は、いかがでしたか?」

「……迅速で柔軟で、あらゆる方面へのフォローを忘れない、的確な対応だったと思うよ」

 それをやってのけたのが十二歳の子供だということを、隣にいても忘れそうになる。

「ただし、『きみになら安心して任せられる。大いに励みたまえ』とは、ならない。そこは変わらない。きみは何らかの信念でこのカジノを運営しているのだろうけど、僕も自分の信念を曲げられない。いつか取り返しのつかないことになる前に、このカジノを畳むべきだ」

「であれば……警察に通報なさいますか?」

「それは最後の手段だ。できれば避けたい。……だけど、未来ある子供たちを守るためなら、僕は保身など考えずに、ここにあるすべてを台無しにしてぶち壊すと思っていてくれ」

「了解しました」

 マリベルはにっこりと笑った。

 きっとこの少女は、たった今線引きをしたに違いない。「よっぽどのことが起こらない限り、染谷は警察に通報しない」と。

 そして、マリベルはこうも考えている違いない。「わたしがいる限り、そんなトラブルは起こさせない」と。

 自信に満ちた輝きを放つ琥珀色の瞳が、それを物語っていた。

「それともうひとつ」

「なんでしょう」

「期待されているのかもしれないが、僕は賭け事を一切やらない主義だ。ここの客にはならない。だから、普段のように敬語は使わないでほしい」

「……染谷先生がそうしてほしいのなら、そうするわ」

 ―――その後、カジノクラブ〈セルバトス〉は大きなトラブルもなく、夜が明けると客は帰っていった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ