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CERVATOS  作者: 春戸 稲郎
七月
60/66

根回し


 ―――再び、二週間後の金曜日に話を戻す。

「……お嬢ちゃん、ふざけるんじゃないぞ?」

 その晩の種目が丁半しかないことを知ったヤクザは、染谷の懸念どおり、静かに激高した。

「ヤクザ者をたばかろうという度胸は見上げたもんだ。褒めてあげるよ。……だが、こいつはいけない。フェアな勝負じゃない。俺たちに知らせずにゲームを変えちまうなんてのはよ」

 そばで成り行きを見守っていた染谷でさえも「それはそうだ」と納得しそうになるヤクザの抗議に、マリベルは白々しくすらすらと答える。

「先週の土曜日に交わした約束では〈本日金曜日に執り行われるゲームで〉ということになっているはずです。当方は約束を破っておりません。不定期とはいえ丁半大会を催すのも今回で三度目ですから前例がないわけでもありません。お客様にもメールでお知らせいたしております。もっとも、あなた方には連絡が洩れていたかもしれませんが」

「……お嬢ちゃん、きみは頭が回るし口も達者だが、それだけじゃ通らないもんもあるんだよ。……そっちのルール違反で、今夜の勝負はなしだ」

 そこでヤクザは凄みを利かせ、舐めるようにマリベルを睨みつけた。

「ヤクザを虚仮(こけ)にしたんだ。覚悟しろよ? お前らの祭も今夜が最後だ」

 しかしマリベルは、さして動揺も見せずに「困りましたねぇ」と呟く。

「どうしてもご納得いただけないのであれば、立会人に裁定を下してもらうことになりますが、よろしいですか?」

「立会人だ? どうせそっち側の人間だろ? 俺たちがそんなやつの言うことを……」

 そのときだった。

「おやおや……これはいったい、どうしたことかな?」

 ひとりの人間が、右手に杖をついて、左手をそらなに支えられ、正面玄関に現れた。

「わしが立ち会うはずの勝負がなかなか始まらないと思ったら……何か、揉め事かな?」

 齢にして八十に届きそうな好々(こうこうや)は、今晩に限って紋付の袴を着込んでいた。

「これはこれは佐久間会長。ちょうど裁可をいただきに参ろうとしていたところです」

 着物姿のマリベルが素早く駆け寄り、そらなに代わって佐久間を支えた。

 正面玄関に現れた佐久間を見て、四人のヤクザたちの顔は一様に驚愕に塗り変わった。

 何をそんなに驚いているのだろうと染谷が思っていると、

「ご紹介の必要はないものと思いますが……こちらは今晩の和賛組様との勝負に際し、立会人を務めていただく、刻刀会六代目会長の、佐久間十死生(としお)様でございます」

「えっ?」

 誰にも聞きとがめられなかった小さな呟きは染谷のものだった。

 刻刀会といえば、マリベルが二週間前に染谷に聞かせた、目の前にいる和賛組の親の親に当たる、日本で最大勢力を誇る暴力団の名前のはずだ。

 佐久間という名の、子供に優しい物腰柔らかな老人が……その〈会長〉?

 染谷が目を白黒させている間に、話は進んでいるようだった。

「なるほどなるほど。……うちの下っ端どもが、『話が違う』と駄々を捏ねているんだね?」

 佐久間が穏やかな目を四人のヤクザたちに向けると、彼らは地面に膝を付いて土下座した。

「申し訳ありません、佐久間会長! まさか、会長が立ち会いにいらっしゃるとは……!」

「わしが立会人でなかったら、お前たちは勝負の約束を反故にしていたのか?」

 静かに詰め寄る佐久間に、失言したヤクザは言い淀む。

「い……いえ、そんなことは……」

「そうだろうとも。わかっていたよ。わしの一門にそんな恥知らずはいない」

 佐久間はヤクザに近付き、その肩に、ぽんと手を置いた。

「それでは、今回の勝負……何も異論はないな?」

「……はい……」

 絶望的な表情で頷くヤクザに対し、佐久間は上機嫌に笑っていた。

「なに、悲観することはない。お前たちは四人。一度の賭けに四十万張れる。……簡単な足し算と引き算だ。五十回外しても百回当てれば、お前たちの勝ちじゃないか。わしの快気祝いに、是非とも勝ってみせろ」

 顔を上げなさいと佐久間が言うと、容赦を請う哀れな目でヤクザは老人を見上げた。

「堂々と勝ち、堂々と負けろ。……これぞ博徒の勝負だと、わしに見せてみろ」

 そう言って佐久間は、あっはっは、と上機嫌に笑った。


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