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CERVATOS  作者: 春戸 稲郎
四月
6/66

職員室


 事務机の並ぶ職員室には、数台のパソコンと十数台のモニターがあった。

「みんなお疲れ」

 その空間に、パソコンに向かう児童数人のほかには、マリベルを迎える長身の、金髪の白人の護衛がいた。染谷を車で迎えに来た男だった。

 パソコンに向かっていたひとりの女子が手を挙げた。

「姫ぇー、また中村先生がおっぱじめてるよー?」

「もう? 一時間も我慢できないのかしら、あの人は」

「理科室に消えてくところが映ってる。先生なりに気を(つか)ってくれたのかも」

「もっと別な気遣いをしてほしいわ。……権左(ゴンザ)

 マリベルが呼びかけると、ゴンザと呼ばれた金髪の美男子が跪いた。

 少女がスペイン語で何かを囁くと、権左は頷いて職員室を出て行った。

 いかめしいあだ名を付けられている美青年を染谷が目で追っている内に、マリベルは職員室の上座にある事務机に腰掛け、目の前のモニターの電源を入れた。

 染谷は職員室でモニターを見つめている児童たちに目をやってから、キャスターを転がして手近な椅子を引っ張り、マリベルの隣に座った。

「ここは……監視室、かい?」

「カメラの質も量も本場のカジノには劣りますが、一応は形だけ。カメラの映像を集めて、ここで監視しています」

「『おっぱじめてる』っていうのは、何のこと? 重大なトラブル?」

「それほど重大ではありませんが、(はなは)だ迷惑なトラブルです。ホスト風のご新規様をお連れになった、二十代後半に見える女性客を覚えておいでですか?」

 マリベルが出迎えた客の中にそんな女性がいた。過剰に色気を演出した美人だった。

「中村という開業歯科医の方なのですが……ここに来ると、隙あらば〈男と女のスポーツ〉を、人のいない所で始めてしまうんです」

「……社交ダンス?」

「面白いですね。でも、ボールルームではなくベッドルームで行う〈あれ〉のことです。ほかのお客様からの苦情にもなったことがあるので悩みの種なのです。……ほら」

 見てください、とマリベルがモニターを指すと、画面の中で、権左によって理科室から暗い廊下に引っ張り出される、ジャケットを片手に持つ半裸の男とドレスの乱れた女がいた。

 染谷は頭を抱えた。

「……ここを何だと思っているんだ……」

「同感です。盛りのついた雌犬(プータ)には、ドーベルマンでも(けしか)けてやりたい気分です」

「きみにも同じことを言いたいんだよ、マリベル」

 染谷はマリベルの視線を向けさせる。

「ここは、今は使われていないとはいえ、学校だ。カジノにしていい場所じゃない」

 染谷の真剣な眼差しを、マリベルは苦笑で受け止める。

「先生は賭博がお嫌いですか? それとも『悪い』と思ってのご注意ですか?」

「嫌いでもあるけれど、僕がきみを止めようとするのは『悪い』と思っているからだ」

「国に認められていない賭博が犯罪だからですか? それとも道徳的に?」

「きみを咎める理由はその両方だよ」

「なるほど、なるほど。……アイナ。染谷先生とわたしにお茶を淹れてくれる?」

 マリベルが呼びかけると、室内のひとりの女子が「はーい」と応じた。

「染谷先生。世界には大麻が合法の国もあれば、普通の煙草でも非合法となる国もあります」

「賭博は犯罪だ。ほかはともかくこの国では」

「わかっています。……いえ、逆に、先生はわかっておられますか?」

 マリベルはいたずらっぽく首を傾げる。その仕草に、本当にこの子は十二歳なのだろうかと、何度思ったかわからない疑いが頭に浮かぶ。

「なぜこの国では、国に認められていない賭博が犯罪なのでしょう」

「それは……暴力団の資金源になったりするからだろう。あと、賭博がこの国に蔓延すれば社会が荒むからだ」

「建前ではそうでしょう。しかし本質は違います。……この国が勝手な賭博を認めない理由は、それが〈儲かる商売〉だからです」

 マリベルは、一瞬だけモニターを見たあと、すぐに染谷に視線を戻す。

「この国が賭博を取り締まる理由は市場を独占するためです。先生もご存知のとおりに、競馬、競輪、競艇、オートレース、宝くじなど、公営であったり自治体で運営されたりしている賭博はたくさんあります。この現状を理解してなお、『賭博は道徳的に悪い』と、お思いになられますか? テレビCMで宣伝するくらいに国が賭け事を奨励しているのに」

 言いくるめられそうになる。染谷は論理的思考を働かせる。

「かといって『賭博は道徳的に良い』わけではないだろう」

「賭博は飲酒や喫煙と同じと考えております」

「それらは合法の場合だけ許されている。法律を逸脱している者に道徳心があるはずがない」

「その論理では、二十歳になる前に飲酒をした者はすべて不道徳な人間となりますが? きっとこの国に限っても何千万人といますよ?」

「論点をすりかえないでくれ。きみがやっていることは大学生の飲酒なんかとは比べ物にならないくらいに、社会的に許される限度を越えた犯罪なんだ」

「あのー」

 論戦に割り込んできた声にふたりが視線を向けると、盆を持った女子が立っていた。

「お茶です。どうぞ」

「ありがとう、アイナ」

「どういたしまして、姫様」

 ふたりの前に湯気の立つ湯飲みが並べられる。中身は緑茶だった。

 気分的には冷たい飲み物を補給したい染谷だった。頭に血が上っているのが自分でもわかる。

 熱い緑茶で唇を湿らせながら、染谷はちらりと、マリベルの前にあるモニターを見た。四つに区切られた画面の中で、大人たちがギャンブルに興じ、子供たちが忙しなく立ち回ってゲームの進行を担っている。

 誰も彼もが楽しそうだった。

「……〈被害者なき犯罪〉だ……」

「同意します。この国が賭博をある程度許し、管理している目的のひとつは、〈被害者なき犯罪〉である賭博をコントロールするためにガス抜きの場を設けて、非合法の賭場にお金が流れないようにすることなのでしょう。『毒を以て毒を制す』と言うべきですか?」

「的確な使い方だよ」

 これが国語のテストの設問なら、文句なしに丸を付けてやれる。

 ふたりが調和的にクールダウンの時間を設けているときだった。

 がらりと職員室の扉が開いた。

 目を向けると、マリベルと同じ褐色の肌を持つ、スーツを着た若い女が立っていた。


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