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CERVATOS  作者: 春戸 稲郎
七月
56/66

ヤクザ


 わかった、と染谷は頷いた。

「今回のところはこれまでにしよう。僕の手札は出し切ってしまった」

「わたしの推測だけど、〈出したくても出せないカード〉があるんじゃない?」

 図星を指されている。実際にはほかにも手はあるのだ。それを信条的に許せないだけで。

 そうだよ、と染谷は素直に認めた。

「僕は教師できみは教え子だ。子供たちとの信頼を壊すような手は打ちたくない」

「この国には『悪に強ければ善にも強し』ということわざがあるけれど、先生はどちらも弱いわね。先生は死ぬまで平和で善良な一市民よ」

「それって褒めてる?」

「もちろん。そうでなければ好きになってないし、稲とくっつけたいとも思わないわ」

 染谷が視線を上げて部屋の隅を見ると、稲は直立不動を保っていた。彼女の表情が一瞬ほぐれたのは先月のプロレス観戦のときだけで、それを思い返すと、もっと笑えばいいのにと染谷は思う。それもできれば自分の前で。

 思考があらぬ方向に進みそうになり、染谷はマリベルに視線を戻す。

「しかし、僕が一旦降りたところで、まだきみとの勝負に残っている者もいる」

「あの刑事さんのこと? 勝負になるのかしら」

「刑事ドラマでしか刑事を知らないけれど、あの人はきっと、ものすごく粘着質に諦めない人だと思うよ。きっとこれから毎週来るんじゃない?」

「テレビ由来という当てにならない先生の印象はともかく、それはわたしも懸念してるわ。……カジノの中を刑事に歩き回られたんじゃ、お客様なんてすぐにいなくなっちゃう。かといってわたしが毎週刑事さんのお説教に付き合ってたら、さすがに運営に影響が出るのよね」

「それともうひとつ。こっちのほうが事態は深刻だと思うけれど……昨晩のことについて」

 そこでマリベルは、考えることが至極面倒くさそうに、組んだ膝の上に頬杖をついた。

「そらなから聞いたわ。ヤクザがここに来たのよね?」

 染谷は頷いた。

 昨晩のこと、来場客を待たせまいと、プレールームの設営と来場客の誘導を同時にこなし、ようやく一息つけたところで、彼らはやってきた。

 三人組の男たちで、呼吸するように人を威圧する人相からも、周囲に警戒を促すファッションセンスからも、善人ではないことだけは染谷にも明らかにわかった。

「僕はてっきり、ヤクザはヤクザとばれないように生活しているものと思っていたよ」

「そのとおりよ。ただ、ここに来たヤクザどもは初めからわたしたちを脅すつもりだったのでしょうから、ある意味〈正しい装い〉とも言えるわ」

 何の紹介も持たずに乗り込んできたヤクザたちは、「責任者を呼んでくれるかい?」と、丁寧さの中に絶妙な塩梅で威圧感を与える口調でメンバーに頼んだ。

 昨晩はそらなから離れないようにとマリベルから指示を受けていた三郎を引き連れて、そらながヤクザたちの前に立つと、彼らはこう言った。

「『この辺りが和賛(わさん)組の縄張り(シマ)だということは、知っていたかい?』ってね。知ってた?」

「知ってたわ。日本で最大勢力のヤクザ組織、(こく)(とう)(かい)の三次団体でしょう? (ぼん)(とう)組傘下の」

「……ずいぶん詳しいんだね」

「いつかヤクザが乗り込んでくるかもしれないって考えたら、勢力図を調べるくらいのリスク管理は当然でしょう? 想定内のことよ」

「まぁ、そらなちゃんのその後の対応を見ていたら、対ヤクザのマニュアルがあるんだろうなってのはわかったけどね」

 縄張りについては知っていたと伝えたそらなに、ヤクザたちは〈商談〉を始めた。

 曰く、挨拶に来なかったことは大目に見てやる。これからは俺たちがケツを持ってやるから、アガリの一割を寄越せ、とのこと。

 これに対しそらなは、即答で「お断りします。お引き取りください」と言った。背筋を伸ばし、堂々とした態度で。

 即座に断られるとは思っていなかったのか、「ミネラルウォーターとかおしぼりを卸してやろうか?」「殺風景な教室だが、絵画の一枚でも貸そうか?」と、押し付けがましいセールストークでヤクザは粘った。

 しかしそのどれに対しても、「必要ありません。お引き取りください」と、そらなは態度を改めなかった。

 お嬢ちゃん、大人の言うことは聞いたほうが身のためだぞ? うちの縄張りでトラブルが起きたら、おじさんたちも困るんだ。悪いようにはしないからさ。

 当カジノはいかなる暴力団の庇護も必要としません。ですので、お引き取りを。

「そしたらヤクザは『客として遊びに来てもいいか?』って聞いてきて、そらなさんは『紹介があれば構いません』って言っちゃったんだけど……いいの?」

「しょうがないわ。先例は破れないもの」

「え? お客さんの中にヤクザがいるの? 僕も知ってる人?」

「個人情報よ」

 前日のヤクザはとりあえず、そこでおとなしく帰っていった。その直後、そらなは腰が抜けて立てなくなり、染谷に横抱きにされて職員室に運ばれた。

「怖かったって、震えてたよ」

「気の毒なことさせたわ。わたしがいればよかったんだけど……ソラナには頑張ってもらった」

「……本当に、お客さんとして受け容れてよかったの?」

 繰り返される染谷の問いかけに、マリベルは「何が?」と言いたげに首を傾げた。

「僕でもわかる。あのヤクザたちは〈お客様〉にはならない。絶対に何か嫌がらせを仕掛けてくる。早ければ来週にでも」

「まぁ来週でしょうね。ヤクザは徹底した実利主義の集団だから、金になると思ったらすぐに動いてくるわ。何をしてくるかも大体の見当は付けてる」

「対策は?」

「考えてる途中よ」

 マリベルから具体的な対策案を聞き出せなかった染谷は、盛大なため息をついた。

「なぁに? どうして先生がそこまで心配してるの?」

「当たり前だよ。暴力団なんて子供には一番関わらせちゃいけない人種だ。学び舎に堂々と出入りすることさえ許せない」

「土曜日の夜の旧校舎に限っては闇カジノよ。インチキ宗教家も香港マフィアも闇金業者も客なら受け容れるわ。それくらいの意識はメンバーにも周知徹底させてる」

「問題はまだある……というより、複雑になった。あの刑事さんのことだよ」

 染谷が指摘すると、「それ」とマリベルは指を染谷に振り向けた。

「来週も再来週も、あの正義感の厚い刑事さんがきっと来るのよね。あの人のお説教に付き合わないといけないから、わたしはしばらく〈セルバトス〉に顔を出せないわ」

「そんな状態で同時にヤクザ対策だろう? いくらそらなさんやほかの子供たちが優秀でも荷が重過ぎるし、何より危険だ」

「落ち着いてよ、先生」

 興奮して腰を浮かしかけている染谷の隣で、マリベルは苦笑する。

「刑事さんが来るにしてもヤクザが来るにしても、来週の土曜のことよ。慌てずにじっくり考える時間はあるわ」

「……その考えの中に、〈セルバトス〉の看板を下ろすというアイディアは?」

「こだわるのね、染谷先生」

「僕が一番望む、平和で安全な解決策だ」

「わたしが一番望まない、平凡で退屈な解決策ね」

 にべもなく却下されても、染谷は食い下がった。

「小耳に挟んだんだけど、普段のゲームで使っているトランプの数が足りないんだろう?」

「………………」

「カードがなければ主要なゲームが成り立たない。いい機会だ。切りがいい。ここで終わらせるべきだよ」

「………………」

「……せめて、新しい仕入れ先が決まるまで休業するっていうのはどうだい? 休業している限りヤクザは学校の敷地内には入れないのだし、おとなしくしていれば刑事さんだって……」

「………………」

 マリベルは沈黙して、何事かを考えはじめていた。その真剣な横顔を見つめていた染谷は当惑した。

「あの……マリベル?」

「……そうねぇ。確かに、カードが足りないのよねぇ……」

 ぽつりと呟くと、マリベルはソファから立ち上がった。

「染谷先生……先生は今、いいことを言ったわ」

 それからしばらくマリベルと染谷は、何事かを話し合った。

 ―――一週間が経過する。


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