結ばれるふたり
―――七月最初の〈セルバトス〉営業日を翌日に控えた金曜日の夜。
旧校舎の体育館での定例会議が終わり、児童たちは若葉館に引き上げていく。
「今日のミーティングはずいぶん盛り上がったね」
「楽しいイベントは計画だけでも楽しいものよ」
立川そらなが会議に使ったホワイトボードを片付けるのを待っている間、染谷義正は、体育館でマリベル・エスコバルと立ち話をしていた。少女のそばには護衛の権左が立っていた。
「恵真と理沙は予算組んだら特に喜んでたわね。どれだけ豪華なケーキを作るつもりかしら」
「カジノ営業よりもよっぽど健全だよ。……しかし、劉さんも物好きな人だ」
「わたしも驚いたわ。……『〈セルバトス〉で結婚式を挙げたい』なんてね」
一週間前の六月最後の〈セルバトス〉営業日に、中村女史と連れ立ってやってきた劉は、マリベルにそんな提案をしたのだった。
夫婦となるのはもちろんそのふたりだった。
「結婚まで早かったねぇ。まだ二ヶ月ほどだろうに」
「お互いに『この人しかいない』って思うくらい馬が合ったそうよ」
無論ちゃんとした結婚式も挙げるらしい。しかし〈セルバトス〉での共通の知り合いも多いので、ここでも簡単な披露宴をやりたい―――という劉の依頼に対しマリベルは、披露宴だけでなく〈セルバトス〉なりの結婚式もやりましょう、と提案したのだった。
「まだウェディングケーキの制作くらいしか決まってないけど、具体的には何をする予定?」
「考えてる途中よ。佐久間会長の快気祝いも兼ねようと思ってるから」
「ああ、退院されるんだね。良かった。……ところで佐久間会長って、どこの企業の人なの?」
染谷の質問に、マリベルは、うふふと笑った。
「個人情報よ、先生。知らないなら教えられないわ」
「ふぅん? まぁいいけど」
「とにもかくにも楽しみね。夏休み前に何かしらのイベントはしたかったし。……そういえば、染谷先生のこの夏の予定は?」
「夏休み中の〈セルバトス〉の営業を見守るつもりだけど、さすがにお盆には帰省しないとね」
「それだけ? 稲と旅行とかしないの?」
思わぬところを突かれ、染谷は言葉に詰まった。マリベルはにたにたと笑っている。
「先月のプロレス観戦以来、デートしてないんでしょ? せっかくスペイン語も勉強してるんだから、ふたりでどっかに行けばいいのに」
「……なんで、僕がスペイン語を勉強していることを、知ってるんだい?」
「新校舎の職員室の自分の机に参考書と辞書を並べておいて秘密も何もないでしょうに。みんな知ってるわよ?」
ああもう、と染谷は天を仰いだ。
「あれはね、三郎さんと権左さんとも、少しでも会話できたらと思って……」
「知ってるわ。権左に『イネスさんの好きな日本食は何かな?』って質問したんでしょう?」
「………………」
染谷はそばに控えていた権左を非難めいた目で見た。会話の内容のおおよそがわかったのか、金髪の白人は、ぷいと顔を背けた。
秘密にしておいてくれと言ったのに。
頭を抱えた染谷の背中を、マリベルは慰めるようにさすった。
「わたしは応援してるのよ? 稲だって先月のデートのことを楽しそうに話してくれたし。脈ありよ。先生が言ってくれたら彼女に休みもあげるから」
「……それは、ご親切に、どうも。……しかし彼女が休みたがらないだろう?」
実のところ先月以来、折を見て染谷は、たどたどしいスペイン語を使って、稲を何度か食事に誘ったことがある。しかしその度に、仕事があると素っ気なく断られていた。そらなからチケットをもらったプロレス観戦にしても、マリベルから「是非とも行ってきなさい」と強く背中を押されたからであって、稲がマリベルに「デートのことを楽しそうに話していた」というのも、染谷には信じられなかった。
マリベルは、「本当に困ったものだわ」と腰に手を当てる。
「稲も先生と同じで仕事熱心なのよね。仕事よりもデートを優先すべきなのに」
「そんな理屈は聞いたことがない。普通は逆だろう」
「逆なことないわ。人はデートのために働くべきなのよ。休日を楽しく過ごすために働くべきなのよ。それとも休みなく働くことが日本では美徳とされているの?」
体育館の倉庫からそらなが戻ってくると、何か思いついたようにマリベルは手を叩いた。
「染谷先生、実家に帰省するときに、稲も一緒に連れて行ったら?」
「はぁっ?」
「稲ったら日本に来てからどこにも旅行したことがないのよ。初めての日本旅行がわたしの修学旅行の護衛になる前に、どこでもいいから連れ出してくれない?」
「……どうしてそこまで、僕とイネスさんをくっつけようとするんだ?」
頭痛までしてきた染谷に、マリベルは笑う。
「染谷先生がいい人だからよ。稲には幸せになってほしいの。それじゃ、考えておいてね」
マリベルは手を振って、そらなと一緒に体育館を出て行った。
―――もちろん染谷としては、マリベルの加勢はありがたいことだった。しかし彼は教師であり、マリベルは受け持ちのクラスの児童である。大人としての立場がなかった。
「染谷先生? そろそろ閉めるよ?」
「……うん、今行くよ」
施錠を任されている留歌に促され、染谷はとぼとぼと体育館を出た。




