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CERVATOS  作者: 春戸 稲郎
六月
49/66

承認と昇進


 夜が明けて、設営・清掃班が旧校舎にやってきた。校舎の清掃が始まる。

「そらな。さすがにもう寝ろよ。昼になったらまたミーティングなんだし」

「そうね。もうお客様も全員……あれ? 車が一台まだ残ってる」

「ほんとだ。ありゃ誰のだ?」

 校庭の隅に停められた一台の乗用車にふたりが注目していると、やぁやぁと声をかけられた。

 最後の客が、まだひとりだけ残っていた。

 ひとりの中年の男で、今晩の来店時に「楽しみ半減って感じ」と漏らした人物だった。

「立花先生……どうされたんですか? こんな時間まで」

「ちょっとそらなちゃんに、野暮用があってね」

「わたしに?」

「そう、きみに。……ちょっとした質問に答えてほしいんだ。もしも今晩、ここで急病人が出た場合、きみはどうしていた?」

「……立花先生に頼っていたと思います。先生は内科医でいらっしゃいますから」

「それじゃあ、倒れた客がわたしで、ほかに医者がいないのに緊急な判断が必要な場合は?」

「救急車を呼んでいましたね」

 即答したそらなに、ほう、と立花は口をすぼめる。

「ここに救急車を? そうなると、警察も後々来ることになるんじゃないかい?」

「もちろん別の車で病院へ搬送することも考えますが、動かすのも危険な場合は救急車を呼びます。〈セルバトス〉の営業をやめることになりますが、お客様の命には代えられませんから」

「うむ! なるほど!」

「……質問は、以上ですか?」

「ああ、質問はこれで終わりだ」

 立花は懐から名刺を取り出すと、そらなに渡した。

「私の連絡先だ。急病人が出た際にはわたしがすぐに駆けつけるよ」

「……はい。ご丁寧にありがとうございます」

 得心がいかなさそうに首を傾げるそらなに、立花は言う。

「わたしはマリベル姫から特命を受けていてね。本当は今日の営業時間中、頃合を見計らって嘘の卒倒をするつもりだったんだ。家庭科室のごたごたのせいで流れてしまったが……」

 立花の打ち明け話に、そらなは目をぱちぱちとさせた。

「あの、どういう、ことです? 卒倒する振り?」

「マリベル姫からのテストだ。『ソラナは〈セルバトス〉を閉めることを決められるか』というね。……おめでとう。金よりも人の命に重きを置いたきみは、姫君の眼鏡にかなったんだ」

 そらなが未だに状況を掴めずにいると、はははと立花は笑う。

「マリベル姫から聞いたんだが、もしもきみが〈セルバトス〉の運営を任せるに値する人材だったなら、きたる姫君最後の夏休みには、営業日を大幅に拡大するとのことだ」

「……それは……つまり……」

「運営において、きみはマリベル姫と同等の権限を手に入れた、ということだ」

 そうしてまた、立花は、おめでとうと言って、そらなの手を握った。

「あ……ありがとう、ございます……」

「現実味が湧かない?」

「え、ええ。……正直、嬉しいよりも、怖いです。今日みたいなトラブルに、また〈セルバトス〉が巻き込まれるんじゃないかと思うと……」

 俯けていた視線を、そらなは、きゅっと引き上げた。

 彼女の黒い瞳には、確かな力が宿っていた。

「ですが、やっと、わくわくしてきました。……自分の力でどこまでやれるか、試してみたくなりました……!」

「その意気だよ。しっかり励みなさい」

 立花からの激励に、はい、とそらなは力強く頷いた。

 去り際に、立花はこう言い残した。

「マリベル姫からきみに、『そのスーツはあなたにあげる』と、伝言があったんだった」

 確かに伝えたよ、と言って、ようやく最後の客が帰っていった。

 その伝言はすなわち、マリベルとそらなが、セルバトスにおいては対等に近い立場になることを示唆(しさ)するものだった。

 ―――それなのに、

「……せっかくもらったのに、もう汚しちゃった。すぐにクリーニングに出さないと」

「返り血で服汚す小学生なんてお前だけだろうな」

「そうかもね……っと」

 怜雄の隣で、ふぅ、と息を吐いたそらなは、その場でしゃがみこんだ。

「なんだか……今晩は、いつもより、疲れちゃった」

「長い夜だったな。……っていうか、姫は裏で糸を引くのがほんとに好きなんだな。ぜんぜんここにいない気がしねぇよ。どっかに隠れてるんじゃないか?」

「わたしも同じ気持ちよ。……でも、だから、心強い」

 朝の清い空気が流れ込む山の中で、そうだな、と怜雄は笑って頷いた。

「とりあえず帰ろう。眠たくて仕方ねぇよ」

「そうね。そうしましょう」

「昔みたいに手ぇ繋ぐか?」

「ばか。いつの話よ」

 ふたりは肩を並べて、旧校舎をあとにした。


「ところで、そのプロレスのチケット、結局どうすんだ?」

「染谷先生に今晩のお礼として押し付けることにする。稲さんと行かせようよ」

「ナイス。その悪巧みなら姫も乗るよ。一緒に染谷先生をからかおう」

「楽しみね」

「ああ。……ところで、〈お礼〉ってなんのことだ?」

 問いかけにそらなは、秘密よ、と朗らかに笑った。


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